異世界に来てみたら防具がメチャクチャ臭かった

 大きな音を立てて、扉が開く。

 建物の外に出るのは、この世界に来てはじめてだった。

 「くそ……歩きにくいな」

 おれは自分の足もとを見ながら、ふらふらと歩きつつ外に出た。

 今、おれの両脚は鎧に包まれている。

 おれは武装している。

 アイシャは、おれのジャージの上に、厚い革でできたプロテクターのようなものをとりつけた。

 それは鉄でふちや継ぎ目が補強してあって、びっしりと鋲で補強されていた。

 お、重い

 それから、鉄のブーツみたいなものも履かされた。はき心地なんてものは一切考えられていない。ひどい靴ずれになることは間違いないしろものである。

 お、おおお重い。

 そしてその上から、鎖で編んだエプロンのようなものを着た、これも、腹や心臓のあたりは鉄板がくっつけられている。

 お、おおおおお重い。

 「中装歩兵ぐらいの防具ですよ」

 アイシャは言う。

 「あ、あんまりかっこよくないなあ」

 おれはため息をつく。

 額に汗が浮かんできた。

 「外見なんか気にしてたら死にますよ」

 アイシャはけっこう楽しそうにしている。

 「外見はいいんだが……この鎧……」

 おれは彼女の足どりについていくのも精一杯だ。

 「重ぇ……」

 重かった。

 はじめて身につけたガチの金属鎧は、メチャクチャ重かった。

 「だらしないですねえ。そんなんじゃ、上半身のプロテクターとか小手をつけたら動けなくなっちゃうじゃないですか」

 「え、これフルセットじゃないわけ」

 「ええ。ここには一式揃いの鎧がなかったので」

 「そ、それでもこんなに重いのね」

 ゲームの世界だと、ガチガチの鎧を着たまま走ってるが……。

 無理だろ。

 「う、動きづらいんだが」

 「どっちみち身軽にしても意味がないことです。相手のほうが速いですから。その防具を着けておけば、ウェルグングの操る、ええと、オオカミに噛まれても、そのままひきずり倒されることはないでしょう。脚は噛まれ放題です」

 「噛まれ放題って……」

 「敵さんはあなたを最優先で狙ってくるはずですからね」

 アイシャはとても楽しそうに言う。

 「しかし、この鎧……」

 「なんです?」

 「臭い」

 おれの着ている鎧は、臭かった。

 中学のころ、授業で剣道をやらされて、そのときに着せられた防具はメチャクチャ臭かったが、これはさらにその上を行くレベルだった。

 「まあ、どっかの誰かの置き土産ですからね……」

 アイシャは苦笑いする。



 外に出てみると、あたりにほかの建物らしいものはなかった。おれがいた建物は、ほんとうに異世界人隔離施設のようだ。

 あたりには、ただ緑の草むらがぐるりとあるだけ。

 召喚塔の回りには白い石がしかれていて、腹ぐらいまでの高さの石壁が、とぎれとぎれにそれをふちどっていた。石壁はところどころ崩れている。

 何歩か歩いてみる。

 そのとき頭に浮かんだのは、月面着陸の映像だった。

 生えている草は、細い葉が束になったようなものがほとんどだった。ところどころ、小さな紫色の花が咲いている。おれがいた世界の植物とどう違うかはわからないが、大きな見た目の違いはないようだ。少し安心した。

 先ほど会ったウッドエルフの兵士たちは、石壁に座って話していた。ぜんぶで五人いるようだ。彼らは茶のようなものを飲んだり、赤っぽい絵の具のようなものを矢羽根にぬっていたりした。

 何か余裕そうだ。

 エルフの一人がアイシャに手を振って、からかうようにおれを指さした。

 風が吹いた。

 おれの額の汗がさっと冷たくなる。

 「昔は森だったんですがね。このへんは」

 アイシャがあたりをぐるりと指さす。

 召喚塔は低い丘の上にあるようだった。

 振り返って見上げてみると、塔と言ってもそれほど高い建物ではない。やや先細りの、コップをひっくり返したみたいな形をしている。

 「ここは丘の上ですから、見晴らしはとてもいいです。敵が身を隠せるものはないということです」

 アイシャの言うとおり、塔のまわりはただ青草がぼうぼうにしげっているだけだった。朽ちてボロボロになった切り株のようなものが点々とある。

 「異種族のクソ野郎どもが、この辺の木をぜんぶ切っちゃいましたから」

 アイシャは眉間をぴくぴくさせる。

 「おー、来たか」

 鉄のツメで武装したクムクムが石壁の奥から現れた。

 彼女もちょっとした鎧のようなものを着ていた。

 クムクムはおれに近づいて、すんと鼻を鳴らす。

 「お前、くさいなー!」

 彼女はおれを鉄のツメの甲でつつく。

 「わたしは鼻がいいんだぞ! 殺す気か!」

 「ぼ、防具が臭いんだよ!」

 「わかっとるわ! お前のにおいとは違うからな」

 クムクムはおれの周囲を一周する。

 「戦意がそがれるほどくさい!」

 「あははは。クムクムさん、歯に衣着せませんね」

 「事実だろう」

 「なにを騒いでるの?」

 塔の裏手から、エコー先生が現れた。

 「あ、エコー先生。お疲れ様でございます」

 アイシャが彼におじぎをする。彼はアイシャの上司らしい。

 おれに対する態度よりもはるかに丁寧なのはいうまでもない。

 「うむ」

 エコー先生の外見は完全に少年だから、けっこう変な風景に見える。

 彼は防具はつけていなかった。おれと会ったときの白衣のままだ。

 しかし下はなぜか半ズボンになっていた。

 エコー先生の脚は、細くてとてもきゃしゃだった。少女の脚と言われても違和感がない。まあ、人造人間でもともと性別がないのだから当然だが、ガラス細工のような滑らかなカーブである。

 「白衣に半ズボンか……」

 おれはなんとなくつぶやいた。

 「誰得って感じのコスチュームだ」

 「意味がわからない」

 エコー先生はおれを見る。

 「ちゃんと意味があって着替えた」

 「先生は防具はいりませんよね?」

 アイシャが訊く。

 「ああ、邪魔になる」

 「先生、わたしたち、オオカミを誰がたくさん仕留めるか競うんですが」

 「ふーん。で?」

 「その……あまりオオカミが減りますとですね……」

 「ああ、そういうことか」

 先生はふっと笑った。

 「あまり出しゃばらないでおくよ」

 「勝手を申しましてどうも」

 「終わったあと、アレをよろしく」

 「承知してます」

 アイシャはエコー先生におじぎをする。

 ウッドエルフのアイシャさん、あんがい腰が低いことがわかった。

 ただ、おれを丁寧に扱ってないだけだったのだ。



 「きみ」

 エコー先生はおれに呼びかける。

 「なるべく後ろにいた方がいい」

 うっ。

 おれだけレベル1のような扱いである。

 少し悔しかったが、じっさいおれはレベル1なのだ。

 死んだらやだから、言われる通りにすることに決めた。

 「もうじき奴らが来ます。あなたはわたしたち射手のそばに居ればいいです」

 アイシャも言う。

 まあ、これはチュートリアルモードのようなものだ。

 おれは自分にそう言い聞かせた。

 おれの冒険はまだ始まっていない。今はガマンだ。

 そして、この異世界で幸せなハーレム英雄生活を……。

 また風が吹いた。

 小高い土地だからか風が強い。

 草むらが一斉にざあざあ波うって、けっこうきれいな光景だった。

 空の色や雲の形が、少しだけ見なれたものとちがう気がした。気のせいかもしれないけど。

 「ん」

 クムクムが立ち上がる。

 「お、におう」

 彼女は鼻を鳴らした。

 「おれの鎧の話はもういいよ」

 「じゃなくて、ウェルグングだ。近い」

 「えっ」

 「風の流れからして、あっちかな」

 彼女は正面を指さした。

 「来たみたいですよ。みなさん」

 アイシャがエルフたちに言う。

 談笑していた彼らは、さっと手を止めて、壁のそばに等間隔に並んだ。一秒ぐらいだったと思う。

 「切り替えが早いな……」

 「そりゃあ、本物の殺し屋ですもん。彼ら」

 おれは適応できるか不安になった。

 クラス替えの直後みたいな気分がおれを襲う。

 「あ、そうだ」

 「なんです?」

 「か、兜とか、そういうので頭を守った方がいいかな」

 「ウェルグング相手だと、あんまり意味がない気がしますね」

 アイシャはメチャクチャ楽しそうに言った。

 「ウェルグングが頭に攻撃を加えたら、兜なんかあんまり意味ないですよ」

 「なんで?」

 「ぜったい首の骨が折れますから」

 アイシャさん。満面の笑顔だった。

 「来たぞ」

 エルフの一人が言う。

 「え、どこ?」

 「ああ、来てますね。たぶん」

 アイシャも遠くを見ていう。

 「え、どこどこ?」

 「あれです、ほら」

 アイシャははるか遠くを指さす。

 おれにはその場所は、ただ青っぽい霧がかかってしか見えない。

 「お前の目はウッドエルフの目とは違うだろう」

 クムクムがおれに言う。

 「早く下がれ、手遅れになるぞ」

 おれは言われる通り射手の後ろに下がる。

 「ちょっと、ニオイが気になるから……」

 クムクムのそばにいこうとしたら、後じさりされた。

 「うっ冷たい」

 「あんまり近づかれると戦いにくいしな……」

 彼女も少し真剣な表情になる。

 「けっこう多そうだ。オオカミが」

 「あなたはわたしのうしろにいてください」

 アイシャはおれの手をとり、ぐいと引っぱる。

 暖かい手だった。

 「敵さんはあなたを殺しに来るんですから、あなたがそばに居た方が獲物が増えます。わたしが賭けに勝つチャンスが増えるのです」

 アイシャはそう言って、おれをすぐ後ろに立たせた。

 「臭いは大目に見ます」

 おれは感謝した。

 たとえ金貨のためであってやさしさじゃなくてもだ。

 「僕はちょっと離れてるよ、僕も異世界人だから狙われるし、陽動になるんじゃないかな」

 エコー先生はひとりだけ、左側のほうにとことこ歩いていった。

 「べつに、君が臭いからはなれるんじゃないからね」

 彼は振り返って言う。

 「僕には嗅覚はないからさ。センサーはあるけど、空気中の物質にかんする好き嫌いは設定されていない。よかったよね」

 「わざわざ言わないでください」

 「悪臭センサーの数値は振り切ってるな……アンモニアやチオールやアミン類が大量に君のアーマーから放出されている。どういう鎧なんだ?」

 「先生、いまは知的好奇心を抑えてくださいよう」

 アイシャが猫なで声で言う。

 「腐った死体からとったとしか……」

 「げえっ」

 「まあまあ、いいじゃないですか。 ……ほら来ましたよ!」

 アイシャが叫ぶ。

 鎧の出どころについて考えるひまがないのは幸か不幸か。

 おれの目にも見える近さで、オオカミの群れが見えた。

 無数の灰色の固まりが丘を駆けあがってくる。

 おれめがけて。

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