いかにして異世界で肛門を触診されたか

 「きみの脳の中に入った翻訳虫は」

 エコー先生はおれの頭を指さした。

 「きみがこの世界の言葉をものすごいスピードで理解できるようにしてくれる」

 「そ、そういえば、さっき急にアイシャの言葉がわかるようになった」

 「うん。問題なく効いているんだね。人間にも効果があるんだな……不思議だ。脳の構造が似てるのかな? 奇妙だ」

 エコー先生は小首をかしげる。

 「翻訳虫も、異世界から召喚されたものだよ。寄生虫の一種だね。高度に品種改良された寄生虫だと思う」

 「寄生虫……」

 「ぼくたちのいた人間の世界とは違う文明が使っていたものだ。それをこの世界の召喚士たちがこっちにもってきた。寄生虫を使ってことばの学習を早めていたようだ。さっき君が体験したとおり、急速にコミュニケーション能力が上がる」

 「す、すごいな」

 「すごい技術だ。脳のミラーニューロンを刺激し、オキシトシンを分泌することで共感能力を飛躍的に高める。それから言語野の血流増加と海馬の細胞新生を起こす……」

 「あ、あの。専門的な話はちょっと」

 「そうかい? あまり好奇心がないんだな」

 「とにかく、おれはこれからこの世界の言葉を一気に覚えられるんですね?」

 「うん、事故がなければね」

 エコー先生は笑う。

 「じ、事故ってなんですか?」

 「高度に品種改良された寄生虫とはいえ、しょせん虫だ。この世界の召喚士たちは、召喚した『異世界人』つまりきみのような生命体に、翻訳虫を寄生させてこの世界の言葉を覚えさせようとしてきた」

 「み、みんなに寄生させてるわけね。これ」

 「うん。僕の脳は量子チップだから、そもそも虫なんか入れないけどね」

 エコー先生は自分の銀髪をつついて、いたずらっ子のような笑顔をみせる。

 「で、事故って?」

 「中には寄生虫が体内で妙な活動をしたり、間違った方向に入ったりして、不幸な結果になってしまった異世界人たちもいたよ。一割弱ぐらい」

 「一割!」

 「医療ミスの可能性としてはちょっと高いよねー」

 「楽しそうに笑わないでください!」


 おれはアイシャに虫を入れられた目の横を触る。麻酔はもうとけていた。

 「お、おれは大丈夫なんですか?」

 「視界に変な帯状のものとか、影は見えるかい?」

 「見えないです」

 「なら眼球には虫は入りこんでないね」

 エコー先生はくすくす笑う。

 「まじめにやってください!」

 「まじめにやってるよ。頭痛は?」

 「ないです」

 「診断ってのは基本、あり得る可能性をひとつひとつ検証することなんだ。ラジオの修理と同じさ。めまいや吐き気は? 指先に震えが出たり?」

 「精神的にはずっと震えてます。この世界に来てから、ひとりぼっちのウサギのような気分です」

 「ぼくはカウンセリングは専門外だ」

 笑顔と、専門家に特有の冷たさでエコー先生は言った。

 「きみはいまのところ正常そうに見えるよ」

 「よかった」

 「うん、よかったね」

 エコー先生はにっこり笑う。

 その笑顔にはたしかな慈悲があった。患者の健康をよろこぶ医者の顔だった。

 異世界で怯えていたおれにとって、それは砂漠のオアシスだった。

 「せ、先生、ありがとうございます」

 「さあ、残った検査を終わらせよう」

 エコー先生はゴム手袋のようなものをとりだし、慣れた手つきで手にはめた。色は赤っぽかったが、この世界にもゴムのようなものがあるのだろう。

 手袋をはめ終えると、先生はにっこり笑った。

 「直腸の検査をしようか」

 「え、ちょくちょうって?」

 「下を脱いで、あのベッドに仰向けに寝てくれるかな」

 「え、ええと」

 「脱いで」

 エコー先生は笑顔でおれに迫る。あたりは柔らかいが、有無を言わせない感じ。おれはおずおずとジャージの下を脱いで、ベッドに仰向けになる。

 「ひざを抱えて」

 いうとおりにした。おれは医者の言うことはとりあえず聞くように教育されている日本の小市民なのだ。おれは体育座りを横にしたような格好になる。

 そのままクモの巣のはった天井をぼんやり見ていた。この世界にもクモがいるんだなーと思った。

 「少し冷たいよ」

 エコー先生は小さなビンをとりだし、その中に入っている油っぽい黄色いねとねとを指ですくう。

 「な、なんですかそれ」

 「ああ……植物油を硬化させたものだ。この世界だとワセリンが手に入らないから、代わりになる医療用の潤滑剤を探さなきゃいけなかった」

 「ああ、なんだ、油ですか」

 「そう。ようするにマーガリンだよ」

 「なるほど、マーガリン」

 「うん、マーガリンだ」

 エコー先生はそう言うと、マーガリンをおれのうしろの穴に塗りたくった。

 「な、何するんですか!」

 「何って……」

 「む、無抵抗なおれの尻にマーガリンを塗ってどうしようというんですか!」

 「触診だよ。触って検査」

 エコー先生はにっこり笑い、ゴム手袋をかぶせた細い指を容赦なくおれの秘密の花園につっこんだのだ!

 「な、なんで肛門の検査をするんですか!」

 「召喚士たちから、こちらの世界にきた異世界人はすみやかにできる限りの検査をして、カルテに記載するように頼まれてるんだ」

 「だ、だからって! 尻まで調べなくても! うっ」

 「動かないで……力を抜いて」

 エコー先生の指はとても器用に、ゆっくり、奥のほうまで入りこんでくる。

 初めての感触だった。

 塗りこまれるマーガリンのぬめり。

 するすると入りこんでくる固い指。

 それほど痛くはなかった。エコー先生はこちらの痛みがないようにかなり配慮してくれているようだった。

 「はいはい、ゆっくり息を吐いて」

 おれは歯をカタカタとふるわせながら、息を吐いて力を抜いた。

 「ここまで細かく検査をする必要あるんですかね」

 「んー、まあ召喚したときのショックで腸が破れてるとかも、絶対ないとは言えないよね。彼らが使う召喚の原理がまるでわからないし……」

 そう言いながら、先生はゆっくりとおれの内側をまさぐる。

 「うっ……」

 「まあ、異世界人の細かいデータをとろうといちばん強く主張したのはアイシャなんだけどね。彼女はそれが専門分野だから」

 「くっ……あの女のせいでおれはこんな……うっ」

 おれは仰向けでひざをかかえながら、無抵抗でエコー先生の触診を受けていた。

 エコー先生は無表情でおれを見おろしながら、指をぬちぬちと動かしている。

 それでも、彼の顔は美しかった。

 「ああ……言い忘れたんだけど」

 エコー先生がおれを見おろしたままぽつりと言う。

 「事故じゃなくて、副作用としてなんだけど……」

 「な、なんの?」

 「翻訳虫には副作用があってね」

 彼は無表情でおれの尻をまさぐり続ける。

 「共感能力と、オキシトシンっていう相手に心を開くような脳内物質が放出される。それに精神が興奮するから、ちょっと精神状態が変わるんだ」

 「え、ど、どういうことですか?」

 「恋をしやすくなる」

 「こ、こここ恋?」

 「うん、思春期の少女みたいな精神状態になる。あれかな。君らの時代の言葉でいうと胸キュンってやつかな」

 「それ、おれの時代からでも古いですよ」

 エコー先生はえへっと笑う。

 彼のあどけない表情は、小学校のころの友達に似ていた。

 今どこにいるんだろう。

 彼の笑顔の口もとは、中学校のころの上級生に似ていた。

 おれの初恋の相手だ。

 ああ、あの子はいまどこにいるんだろうか、もう結婚したりするのかな。

 不意に胸が苦しくなった。

 おれはもうあの人たちには永遠に会わないんだ……。

 「どうしたの?」

 おれはエコー先生の顔をついじっと見てしまう。

 美しい銀髪、丸みをおびたあどけない雰囲気と、知的な目。

 お、おれはなにを考えてるんだ?

 一瞬、妙な気持ちになった。

 「ぼくの外見になにか気になることでも?」


 「あ……いや。な、なんでそんな子供みたいな外見をしてるのかなって」

 「ああ、非戦闘ユニットだということを強調するため」

 ぼくは軍事用の医療マシンだからね、とエコー先生はつけくわえた。

 「子供っぽい外見をしていたら、人間の兵士は気分的に攻撃しづらいだろ?」

 彼はくすくす笑った。

 「平和的な印象が大事なんだ。ぼくが破壊されてしまうと、ほかの負傷者は治療を受けられずに死傷者が増えてしまう。だから戦闘能力が低いことを強調するという意味で、子供の外見になってる」

 「ふ、ふーん」

 「敵の兵士や一般人を助けるときにも、ぼくみたいな平和的な外見だと役立つんだ。警戒されにくいから、素直に治療を受けてくれやすい。人命のために役立つデザインなんだ。表面的なことだと思うかもしれないけど」

 エコーはにこっと笑う。

 どきっとする。

 いかん、かわいい。

 エコー先生の笑顔。

 先生、性別がないんだよな……。

 中性ということは、女の子でもあるんだよな……。

 うう。

 いかんいかん。

 違う! これは虫の副作用だ!

 「さて、検査の続きをしよう。前立腺肥大もないみたいだな」

 エコー先生がおれの内側のみょうな部分を押す。

 「ひいんっ!」

 「あれ、痛いかい?」

 すさまじい快感がおれの下半身に広がる!

 「んひぃっ!」

 「痛みがある?」

 「痛くありません」

 「恥ずかしがらないでちゃんと答えて、検査なんだから」

 エコー先生はおれの内側をねちっこく触診する……!

 「んいっ! ひっ! んっ! んんっ!」

 「な、なんかきみ、…………性的に昂奮してない?」

 エコー先生が当惑した顔で言う。

 「やっぱりペドフィリアなんだね…………」

 「違います!」

 「ぼくがこれまで診た兵士……おもに米軍の兵士だけど、彼らの中には、やっぱりぼくのこういった検査で性的に興奮する人はいたよ」

 そう言いながらエコー先生はぐりぐりと触診する。

 「んほおおおおおおお!」

 「まあでも、とくに器官の肥大とかはなさそうだね……健康だ」



 そのとき、部屋のドアがバーンと勢いよく開いた。

 「なに交尾しとんじゃお前らああああああああ!」

 そこに立っていたのはクムクムだった。

 彼女は耳を真っ赤にして、部屋にずんずん入ってくる。

 「異世界からこの世界に来て、さっそく交尾か!」

 クムクムはオレを見たあと、目をそらす。

 「発情期かッ? 発情期なのかッ?」

 「ちげえよ!」

 「は、発情期なら、それとなくまわりの人に伝えるのがマナーだろが!」

 クムクムは床をどんどん叩く。

 「獣人のマナーなんか知るか!」

 「あー! また獣人って言った! お前なー!」

 「あはは、クムクムさんおちついて。誤解がある」

 そう言いながら、エコー先生はゆっくりとおれから指を抜く。

 「うぐっ……」

 エコー先生は手袋をはずしながらクムクムに言う。

 「べつに交尾してたんじゃない」

 「そうそう」

 「検査だよ」

 「うんうん」

 「検査のあいだ、彼が一方的にぼくに欲情していただけだ」

 「っておおい!」

 「なるほど」

 深く納得するクムクム。

 「そういうことか、たしかに、エコー先生はホムンクルスだから、そもそも性欲みたいなものはないからな……」

 「そうだね。理屈では理解できるけど、ちょっとわからない」

 エコー先生はにっこり笑い、おれを指さす。

 「彼はショタコンみたいなんだよ」

 「ショタコンとはなんだ?」

 「彼いわく、小さな男の子に対する性的欲求があるということらしい」

 クムクムはじろりとおれを見る。

 「幼年のオスに発情するのか」

 「そうらしい」

 「うわっ」

 クムクムは顔をそむけ、少しあとずさりする。

 「ち、違う! 誤解だクムクム」

 「……まあ、よその種族の文化にはあまり口出しすべきじゃないか」

 クムクムはおれの弁解を聞く気はないらしい。

 「あとクムクム、人間には発情期はないよ。つねに発情してて年中生殖可能だ」

 クムクムは口に手を当てる。

 「うわ…………万年発情期なのか」

 「そうなるね」

 彼女はおれを見る。

 今まででいちばんどん引きした目だった。

 「年がら年中発情して、若いオスとさかんに交尾か……まるでダークエルフだな」

 「だ、ダークエルフ?」

 「そういう種族がこの世界にいるのだ」

 「肌が黒っぽくて、耳が長い?」

 「ああ、知ってるのか。そうだな。それに淫乱」

 「淫乱なのか!」

 クムクムは真っ赤になった耳をぽりぽりとかく。

 「で……そのダークエルフがお前に会いたがってるぞ」

 「淫乱なダークエルフ!」

 おれは喜んで立ち上がった。

 今から思うと色々あって多少テンションがおかしくなっていたような気がする。

 「その子、巨乳かな?」

 「な、何を。まあ……だいぶ」

 クムクムは自分の薄っぺらい胸のうえに、メロンかなにか、それぐらいの大きさのカーブを描いてみせる。

 「淫乱巨乳ダークエルフ!」

 おれは両手をあげた。

 自分が全裸なのはすっかり忘れていた。

 今から思うとやっぱりテンションがおかしくなっていたような気がする。

 「万歳!」

 「会う気はあるんだな?」

 「もちろん!」


 「そうか、なら彼女に……ミフネにそう伝えておく」

 クムクムはおれの奇行にも慣れたようすで、やれやれといった仕草をした。

 「それはそうと、お前に手伝ってもらいたい任務があるのだが」

 「手伝い?」

 「戦闘の心得はあるか?」

 「え、あ、ああ、一応な」

 おれはそう答えた。

 「格闘を少しだけ」

 おれは通信教育の空手を一ヶ月ぐらいやったことがあった。だから、ちょっと見栄を張ってそう答えた。

 あまりに格好悪いこと続きだったので、多少はいいところを見せたいというのが正直な気持ちだったと思う。

 「ほう……」

 クムクムは見直したようにおれを見た。

 「格闘ができるのか。すばらしい。ぜひ来てくれ」

 彼女は肉球をぽんぽん鳴らしておれに拍手する。

 「ウェルグングがこちらに向かってるんだ。すぐに迎え撃たないとならん。この世界では最強クラスの獣人だ。おまえを殺しに来た」

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