それでもおれはペドじゃない
「設定上は男の子だけどね、ぼくは」
エコー先生はそう言った。
「設定上は……って」
「だって、本当に設定なんだから設定と言うしかないじゃないか」
エコー先生はからかうように言った。
彼が笑うと、きれいな白い歯がのぞく。おれを見上げて笑っている。背丈はおれの胸ぐらいまでしかない。
「座りなよ。とりあえず」
彼はおれをベッドのふちに腰かけさせる。
「診察をしてみようじゃないか。見たところ健康体だが、異世界から……っていうか君がいた世界から来たときに、脳のどこかがものすごいダメージを受けてるかもしれない」
「そ、そんなことあるの?」
エコー先生は笑う。屈託のない笑顔だった。
アイシャの笑顔はなんかどす黒かったが、それとは違う。彼の笑顔は小学校で同じクラスだった友達に似ていて、おれを安心させてくれた。
彼はまっさらな白衣を着ていた。彼は白い肌と、青みがかった灰色の目と、銀色の髪をした少年だ。少年の姿をしている。
理知的で、なんとなくドイツっぽい感じの美少年だ。ドイツにいったことはないから完全におれの中のイメージのドイツだし、現実のドイツにもこんな銀髪美少年はまあいないと思うが、そにかくそんな感じということだ。
「きみたち人間がぼくを男の子ということにした」
彼は人間ではない。
「ぼくが生産されたのは、きみがいた時代からおよそ70年後。ACS-0-X モデルナイチンゲールMk4 プロトタイプE、それがぼくの名前だ。医療用の人工意識体だ。軍事医療用のモデルだ」
「人造人間?」
「ああ、懐かしい響きだなあ。人造人間って言葉を久しぶりに聞いた」
彼はくすくす笑う。
「そういう理解でかまわないが、ぼくには意識がある。だからロボットや君の時代の人工知能とは違う。それだけ理解して欲しいな」
「ど、どうしろと」
「人間だと思ってくれればいいんだよ。できない?」
「わ、わかった」
「僕を男の子に設定したのは君たちだからね」
エコー先生は言う。べつに性的な意味ではない。
おれは彼に会ったとき、男かどうか質問した。
それにとくに深い意味はなかった。ただ単に彼がきゃしゃで、すんなりした顔をしていたから、性別がぱっとわからなかっただけだ。
「人間は、だいたいの場合、はじめて会った相手が男か女か判断しようとするし、しばしばペットでも性別を知りたがる。しばしばぬいぐるみやロボットにも性別を与えたがる。性別を求めてるのはきみたちのほう、ぼくじゃない」
彼は右手をおれのまえにかざす。
彼の中指と人差し指のあいだがすっと割れた。
「わっ」
「怖がらなくていいよ」
割れたというより、開いたというほうが近いかもしれない。その部分はもともと開くようにできていたのだ。
彼の皮膚の内側には、白いプラスチックでできたケースのようなものがあった。つづいて彼の人差し指がふたつに開き、その片方が彼の手のひらにあいた裂け目に吸い込まれた。そこから小さなレンズのついたアームが伸びてくる。
「医療器具が、たまたま人間の外見をしていて、いくらかは意識を、判断力をもっていると思ってくれればいい。そのぐらいの理解が、君のいた時代からすると限度だろうから」
レンズのついたアームがおれの前に来る。
すぐそばで見ると、エコー先生の皮膚が人間のそれでないことがわかる。人間のそれよりずっときれいだからだ。毛穴とか、血管とか、そういうものがない。とてもフラットだ。
ああ、そういう意味ではちょっとアニメキャラに似てるかもしれない。二次元ではないが、2.5次元人というか、そういうのがエコー先生だ。そう思えば怖くない。怖くないぞ。
「たぶん怖がってるね。瞳孔の反応と表情筋の動きでわかる」
「そ、そうだな」
「でも、その反応で君の機能のいくつかが正常であることもわかる」
エコー先生はにっこり笑う。彼の声はとても落ち着いている。完璧な日本語を彼は発音している。
「まさか、ぼくの居た時代の過去から、この世界に現れた人間がいたとはね」
エコー先生はおれの口を開けさせ、口の中をすばやくチェックした。
「サンプルのために細胞を少しとるよ」
エコー先生は指、というか指のようなアームでおれの口の中をぐにぐにとこする。なかなか独特な感触だ。美少年が自分に顔を近づけてそういう事をやっているというのはなかなか非日常的だ。
「歯ブラシが雑だな。とても」
「いへはいふぁへきへはをみふぁふぇるとは」
異世界まで来て歯を見られるとは思わなかった。とおれはいいたかった。
「君の歯はとても汚いよ。この世界は、君のいた時代より医学が進んでいない。とくに歯科治療のレベルはひどい。虫歯は本当に悲惨だよ」
「そ、そうなんですか」
「セルフ・ヘルスケアは重要だね」
「うっ、健康管理!」
「そうだ。自己管理できないものは異世界では生き残れない」
「や、やめてくれええええええ! 自己管理って言わないでくれ!」
「異世界では歯ブラシの重要性が増すってことさ」
エコー先生は口の診察を終える。
「歯ブラシって知ってる?」
「欧米っぽい皮肉を言いますね」
「二千年代初頭のセンスに合わせたつもりだけどね。はい上を脱いで……」
エコー先生はカルテのようなものを記入しながら言った。その文字は見たことのないものだった。こちらの世界の文字なのだろう。
おれはジャージの上を脱ぐ。
おれの体には大きく赤い文字で「飽きた」と書かれている。
エコー先生は困惑した顔をする。
「……日本の呪術?」
「そ、そのようなものです」
この異世界に来る前に、いろいろな異世界に行く方法を試していたなごりだった。
「神道ってやつ?」
エコー先生はカルテにまた何かかきこみ、おれの腹に書かれていた「飽きた」の文字を書き写した。
しかし、なんという羞恥プレイだろうか。
異世界に来てから羞恥プレイの連続だ。全裸で獣人に説教され、全裸のまま解剖されかけ、そのあとは異世界人の議論を横で見ながら全裸のまま放置、やっと服を着れたと思ったら痴漢扱い。
説教プレイ、解剖プレイ、放置プレイ、痴漢プレイなどのめくるめく体験だった。そしてことごとくしんどかった。
そして今は、銀髪の美少年に口の中をまさぐられ「歯が汚い!」などとののしられ、半裸を見せている。
今度は医療プレイ、お医者さんごっこである。
おお、これが異世界。
しかし、近くで見てみるとエコー先生の顔だちは本当にきれいで可愛らしかった。少女と言われてもそのまま通るぐらいだ。彼の言い分からするに、ようするに性別なんか彼にはないのだろう。
そんな彼はいま、真剣な表情で、おれの腹部をむにむにと触診していた。
「いちおう、超音波検査をしておこう」
彼はそう言って、ヌルヌルした脂のようなものをおれの腹に塗り、さらにむにむににゅるにゅると触りはじめた。
「目立つ異常はないな」
「な、なにをしてるんですか先生、このヌルヌルは」
「超音波による内部検査だ、君の耳には聞こえないだろうが、ぼくの手から超音波が出て君の内臓の位置やおおまかな形状を見ている……ちょっと体を横にして」
「…………」
おれは言われるがままベッドに横になる。
エコー先生はおれの脇腹などをさらにヌルヌル触る。
「…………」
「……下半身の体温が上がっている」
エコー先生はおれの股間を見ながら言った。
「なぜ性的に昂奮を?」
「な、なんですと?」
おれ自分の股間を触る。
いや、まだアルデンテだ。ジャージ一枚でパンツをはいてないとはいえ、変化を見破られるほどではない。
「勃起の兆候を確認したんだけど」
「な、何を言っているんだ!」
「赤外線スキャンで確認した。ぼくには赤外線が見える。つまり見ただけで温度がわかるってことだ。それできみの股間の体温上昇を把握した」
「それ侵害ですよ! なにかの!」
「君はペドフィリアなのか?」
「は?」
「ぼくの外見で性的に昂奮するとなると、きみのいた時代の日本の基準でも小児性愛ということになると思う」
「いや、おれにはショタ属性はない!」
「ショタって何?」
「小さい男の子だ」
「ああ、ぼくがモデルにしたような人間の少年のことか」
エコー先生は自分の手を見る。すでに医療器具のついたアームはひっこんでいて、ふつうの人間の手と同じだ。継ぎ目も見えない。
「そうだ。つ、つまり。おれは小さい男の子に欲情するようなアレはない」
「自覚がないということもある」
「やめろ!」
「僕の生産された時代では、ペドフィリアは治療の対象になる」
「やめろやめろ!」
「心理カウンセリングや投薬で対処するが、重度の場合は去勢もあり得る」
「去勢!」
「もちろん君は性犯罪者じゃないから、同意は必要だけど……これまでに子供に性犯罪をしたことは?」
「ねえよ!」
「そう、なら性犯罪予備軍だな」
エコー先生はカルテに何か書きこんだ。
「い、今なんて書いた?」
「性犯罪の予備軍、と書いた」
おれは頭をかかえた。
「おれはショタコンじゃない!」
「ショタコンってなに?」
「ショタが好きなやつのことだ」
「なるほど」
彼はカルテに何か書きこんだ。
「な、なんて書いた?」
「ショタコン=男児が大好き&性的に昂奮、とメモしただけだ。医療上のメモだ」
「やめろやめろやめろー!」
「ちなみに、このカルテはほかの関係者全員に共有される。アイシャやクムクムにはもう会ってるだろう?」
「うわああああああ! 異世界に来た当初から性犯罪者レッテル! 超ハードモードや!」
おれはその場にくずれ落ち、エコー先生の足もとにすがりつく。
「でも……」
エコー先生はおれを見る。真顔だ。
「アイシャに頭に変なものを入れられたんだよ! きっとそれのせいだ!」
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