第9話 賢人か木偶人形


 ぐるぐるのドラゴンの洞窟に遊びに行ったある日の午後のこと。ルゥがドラゴンはどれくらい生きているのかと訊いた。だいたい二〇〇〇年くらいかな、とドラゴンが答えた。すげーな、それってニャロより長生き? とルゥが続けて質問したので、ティミーが言う。ニャロは三百歳くらいだって言ってたよ。

 じゃ、ニャロよりずっと長生きだ、とルゥ。村で一番年寄り? だけどドラゴンが言った。いいや、子供たち、私より長く生きている人がいるよ。誰、と訊くとこう言う。カルバリーニョだよ。彼は、私がこんな小さなトカゲみたいな頃から、ずっと今のままだった。彼は森の賢人だ。さらにもっと昔、この場所に人がやってくるより昔から存在していたんだよ。


「あのカルバリーニョがそんなすごい奴だなんて思えないけどなー」

 村に戻ると、ルゥがさっそくそんなことを言う。ティミーはうーん、曖昧に返事しながらも、割と同意見だった。

 ティミーの知るカルバリーニョは、いつも村をふらふらしているだけのヘンテコな人形だ。優しくしてもらえるから嫌いではないけれど、何を考えているかはちょっとわからない。

「おっ、噂をすればなんとやら」

 と言うから見ると、遠くに、ふらふら歩いている木の人形を見つけた。

「ああ〜、今日もとってもいい天気〜。鳥さんさえずり〜、虫さんにょろにょろ〜、かーぜは北から吹いてきて〜、南でカエルがげーろげろ〜」

 そして、なんだかよくわからない歌を歌っている。

「せっかくだから、ちょっと観察してみるか」

「観察?」

「そうだ。何せあのぐるぐるのドラゴンが賢人だなんて言うくらいだからな。本当はすごいやつなのかも。普段はヘンなふりをしてるだけなんだ」

「なんでヘンなふりするの?」

「いや、それは知らないけど……とにかく見てれば何かわかるかも」

 そういうから、物陰に隠れながら、こっそりカルバリーニョの様子を見ることにした。しばらく歩いていたら、進行方向のベンチに、頭を抱えて座り込むハーピィの姿が見えた。メヌエットだ。

「おや、これはこれはこんにちはメヌエット様。そんな風に頭を抱えてどうかなされたのですか? 頭が重いのですか。わたくしもご一緒にお持ちしましょうか? いえ、いっそのこと首から外して両手で抱えてみてはどうでしょう。わたくし、疲れた時にはよくそうしますです、はい」

「いやー、カルバリーニョ。冗談じゃなくてしくじっちゃってさぁ」

「と、仰りますと?」

「今日のお便り、配る家がちょうど一軒ずつずれてたんだよね。気づいたの、もう全部配り終わったあとだし。はあ、どうしよう。今から回収して、配り直したんじゃ間に合わない」

「はあー、それは大変でございますな。わたくしにも似たような経験がございます。あれは今から千百七十五年前、北方の島国で伝令係をやっていた時のことです……」

「いや、いいからそういう与太話は。はー、今のうちに郵便局長への言い訳考えておかないといけないな」

「はらほれ。左様でございますか。ではわたくしは黙って引き下がることとします」

 はー、とため息をついて、ベンチから立ち上がってメヌエットがティミーたちのいる方向にやってくる。

「どうする、ルゥ?」

 どうするって、と訊くからティミーが言う。

「メヌエットがかわいそうだよ。何かわたしたちにできることがないか聞いてみよう」

「えー、カルバリーニョの観察は?」

「観察より人助けが大事なのです」

「んー、まあ、しかたないか」

「ありがと、ルゥ。ねえ、メヌエット」

「あら、どしたのティミー」


 そんなこんなで、ティミーたちがメヌエットと一緒に配達のやり直しをすると決めたあと、ベンチの前にはカルバリーニョがまだ留まっていた。

「……」

 彼は無言でその場に立ち尽くしていたが、突然、パカっと足の裏が開いて、そこからタイヤが出てきた。

 タイヤは音もなく、超高速で回転をはじめて、カルバリーニョはシュババっと風よりも速く村を一周する。

 そうして三秒後、メヌエットが配り間違えた手紙は、すべて本来の宛先のポストへ投函し直されたのだった。


「いやー、不思議なこともあるもんだなぁ」

「そうだねー」

 実際それは不思議な出来事だった。メヌエットを説得して、ティミーたち三人で、手紙を配り直そうして最初の家のポストを開いたら、すでに配達すべき手紙がポストの中にあったのだ。

 しかもそれは全部の家がそうで、メヌエットもおかしいな、、と首をひねっていた。

 とにかく問題は解決したので、ティミーとルゥはハーピィの郵便局員とわかれて、カルバリーニョの観察に戻ることにした。

 しばらく探したら、キャスタの店に入るカルバリーニョを見つけた。店内まで追っかけると、お店のカウンターでキャスタがうんうん唸って腕をくんでいた。

「おやおやキャスタ様、さっきから、うんうん、といったい誰と会話されてるのですか? ああ、わかりました。透明人間様ですね。なるほどなるほど。さすが、世界に名を売るキャスタ様のお店、実に多様なお客様が参るものです。ああ、すみません透明人間様、わたくし、お会計がしたいのですが、前を柚ってもらってよろしいしょうか」

「何言ってるアル? 透明人間なんていないアル」

「あららーな、これは失礼。わたくし、どうも勘違いがすぎるよう。それで、いったいどうなされたのです?」

「うーん、実は困ったことになったアル。いつも売り上げの勘定に使っているそろばんが壊れてしまったアル。それで、計算にいつもより時間がかかってしまってるアル」

「ああ、わかりますわかります。わたくしにも似たような経験が。あれは今から二千七百五十八年前、わたくしがシュミット王国の会計係として働いていた時のことです」

「ちょっとうるさいアル。計算に集中できないアル。黙ってほしいアル」

「おおっとっとっと。失礼しました。ではわたくし黙ることにします。許可が得られるまでもう二度と口を開きません。ああ、しかしどうしましょう! 口を閉じたままではお魚が食べられません! 一大事です、ああ一大事!」

「アンタ、黙る気ないアルね」

「どうしようか、ルゥ」

 遠目に様子を見ていたティミーがルゥに訊いた。

「えー、またこのパターン?」

「だってキャスタ困ってるし」

「わかったよ。で、どうすんの?」

「うーん、あっ、そうだ。わたしたちでマーにそろばん借りてきて、キャスタに渡してあげよう」


 こうしてティミーたちが店を出ていってあとのこと。頭痛いアル、ちょっと裏で休憩するアル、と言ってキャスタは裏に引っ込んでしまった。

 一人残されたカルバリーニョ。彼の目の前の机には、店の支出と収入が書かれた帳簿がある。

「……」

 カルバリーニョは、しばらく無言でそれを眺めていた。それからふいに、彼の目の中で一から九までの数字がぐるぐる回転しはじめる。

 三秒後、チーンと音を立ててから、彼はペンを手にしてさっと帳簿の売り上げの項目に数字を書き込んだ。計算は、すっかり完璧に終わっていた。


「本当に、世の中不思議なことがあるもんだなー」

「ねー」

 やっぱりそれは不思議な出来事だった。二人がマーからそろばんを借りて店まで戻ってくると、計算が終わってるアルー! いったい誰がやってくれたアルかー? と小躍りするキャスタの姿があったのだ。

 結局マーのそろばんは使うことなく本人に返して、二人はまたカルバリーニョの観察に戻ることにした。

 人形を探して村をうろうろしていたら、前方から悲鳴を上げて、走ってくる人影があった。

「ルゥーーーーーー!」

 誰かと思ったら、ルゥのお姉さんのニコだった。

「姉ちゃんどうしたんだ?」

 ニコは慌てるだけでなく、ひどく怯えた様子だった。何かと思ったら、びっくりすることを言った。

「魔物が……魔物が出たの!」

 それは本当に魔物だった。ニコの家の裏手の小高い丘に、赤い毛と恐い顔をした狼がいた。グレーテルに図鑑で見せてもらったことがある。あれはブラッドウルフという名前の、人間の肉が好物の凶暴な魔物だった。暗く、じめじめした洞窟に住んでいて、普通は人里に降りてこないそうなのだが、どうしたわけか、本物が数十メートル先にいた。なんだか落ち着かない様子で、丘のてっぺんの木の周りをうろうろしている。

「ああー、なんてこと、なんてことでしょう! 魔物がいます魔物です! とっても恐ろしい魔物がいます! わたくし、あまりの恐さに足がぶるぶる腕ががくがく、頭がぴーよぴーよでございます!」

 偶然なのか、その場にはカルバリーニョもいたが、もはや誰も気にしていない。ティミーは、こんな近くで、魔物を見たのは生まれてはじめてだった。

 ティミーとルゥとニコの三人は、家の陰から、そうっと魔物の様子を眺めていた。

「ど、どどど、どうしよう……」

 猫耳をぺたんと倒して震えながら、ニコが聞いた。と言うか、みんな恐怖で震えている。

「よ、よし……俺がやっつけてやる! 英雄になるチャンス──」

「やめてー!」

「──ぐえっ!?」

 言いかけたルゥにニコが飛びつく。そのまま、泣きながらくびをしめて彼の体をぶんぶん前後に振った。

「やめてルゥ! 危ないことしないで! ルゥが死んじゃうよー!」

「ニコ、手離して! 今ルゥが死んじゃう!?」

 ティミーが慌ててニコを引き離した。それからめいっぱい考えて決めた。

「ニャロかグレーテル先生を呼ぼう」

「う、うん。それがいい! 急いで呼びに行こう!」

 そして三人は駆け出した。


 三人が去ったあと、残されたカルバリーニョはその場で一人ばたついていた。

「ああ、困った困った困ったー! 目と鼻の先には恐ろしい魔物、ここにいるのはわたくしだけ、いったいこんなわたくしに何ができましょう!」

 しばらくうろうろしていた魔物だったが、とうとうその目に、一人騒いでいる、人形が目についた。魔物は凶暴な唸り声を上げて、カルバリーニョに一歩一歩近づいていく。

「ひょえー! なんとこっちに来るではありませんか! おやめください! わたくしのような木偶人形、食べてもおいしくありませんよー! なんという大ピンチでしょう! はてさてどうしましょう! ああー! 大変だー大変だー大変だービーム!」


 見かけによらぬ俊敏さで、木の棍棒をかついだニャロが駆けつける。それはもう、本当に速くて、ティミーたちが全速力で走っても、ちっとも追いつかないほどだった。

「悪い魔物どこにゃ。ぼっこぼこにしてやるにゃ」

 そしてばばっと到着。辺りを見回すが──ニコの家の周囲は、魔物の姿なんて影も形もない、静かなものだった。

「にゃ?」

「ニャロ! 魔物どこいった? やっつけた?」

 息を切らしながら追いついたルゥが訊いた。

「魔物にゃんてどこにもいにゃいにゃ。お前たちウソついたにゃ?」

「ウソなんてついてないよ!」

「本当です! 恐い魔物がいたんです!」

 ティミーとルゥが涙目で言うものだから、ニャロは首をひねりながらも周囲を探した。

 そうしたら、丘の麓で変なものを見つけた。

「もしかして、魔物ってこれのことかにゃ?」

 そこには、ほかほか湯気をたてて、すっかりウェルダンステーキに焼き上がったブラッドウルフがいた。


「今日はなんだか、不思議なことがいっぱいだったなー」

「ほんとにそうだねー」

 もうすぐ夕暮れ。もしかしたらまだ近くに魔物がいるかもしれないということで、ティミーの家までルゥが送ることになった。

 二人で並んで歩きながら、今日の出来事を振り返る。間違えたはずの手紙の配達が、いつの間にか正しく直されてたり、難しい計算がひとりでにされていたり、魔物が出たと思ったら、それがなぜだかステーキになってしまったり。

 いったいどうしてあんなことが起きたのか、ティミーは一生懸命考えた。しかし、いくら考えてもちっとも答えは浮かばない。

「あれ、あそこにいるのカルバリーニョだ」

 ルゥが指さした『世界樹』さまの麓。カルバリーニョが、木に背を預けてぐっすり眠りこけていた。

「観察するの?」

「んー、いや、今日はもういいや。なんだかいろいろあって疲れちゃった」

「わたしも疲れたー」

 こうしてティミーたちは、たくさんの小鳥や動物たちが寄り添って眠るカルバリーニョ森の賢人の前を、音を立てないようにして、静かに通り過ぎたのだった。

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