第8話 東からきたお嬢様


 ティミーとルゥはそれはもうびっくりしていた。

 なにせメルフェン村という場所は、都会から遠く離れた田舎の村だから、人も物も、たいていは毎日顔を合わせているわけで、はじめて目にするものというのは滅多にない。

 だから、村の入り口からとても派手でカラフルなリンゴの馬車が乗り入れてきたことに、大変驚いたのだった。

「すごい、ルゥ。あのリンゴ本物かな?」

「いや、そんなわけないだろ。てゆうか馬車もすごいけど見ろよ、あの手綱を引いてるじいさん」

 ルゥが御者に視線をやる。タキシードを着こなし、背筋をぴんと伸ばした老人だった。口ひげや眉はすでに白くなっており、髪の毛の薄い頭は──頭は、長かった。

 すげー長かった。

「頭ながっ!」

 目を丸くしている二人の前で、頭の長い老人は馬車を止めた。そして無駄のない動きで御者台から降りると、馬車の出入り口前のぬかるんでいた地面にさっとカーペットを敷く。

 そして、長い頭を恭しく下げて言った。

「シャルロお嬢様。メルフェン村に到着いたしました」

 すると、馬車の中から、くるくる巻き毛で金髪の、ティミーと同い年くらいの女の子が降りてくるのだった。

 着ているドレスはとっても高そうで、子供だけれど、顔には化粧などもしている、とてもかわいらしい女の子だ。

 シャルロと呼ばれた女の子は、物珍しそうにメルフェン村を見渡すと、ふうん、と高い声で言った。

「なんだか小さな村ですわね、セバスチャン。わたくしのおうちの庭より小さいんじゃないかしら」

「左様ですね、お嬢様。正確には、お嬢様宅の庭の〇.八四三倍の敷地面積でございます」

「よんさんばい……? とにかく、お庭より小さいのよね」

「左様でございますお嬢様」

「あら、そちらにいらっしゃるのはこの村の住人かしら」

 そうだよ、とティミーが答えると、どうしてかシャルロはふふん、と誇らしげに胸をそらせた。

「ごきげんよう、メルフェン村の方々。聞いて驚きなさい。わたくしは、東の街の名家、ヴァレンティーナ家のシャルロと申します。まあ、ヴァレンティーナの名を聞けばおわかりかと思いますけれど、わたくしはとても高貴な身分。こうして口を聞いて差し上げたことに感謝されてあげてもよくってよ」

「ゔぁれんてぃーな? ティミー知ってる?」

「ううん」

「なっ!?」

「だよな。てゆーか文章おかしくて何言いたいのかよくわかんなかったし」

「にゅななっ!?」

 何やらとてもショックを受けた様子のシャルロ。

 しかしルゥも容赦がないものだから、ちょっとかわいそう。

「な……なんて無礼な輩! セバスチャン、これが田舎というものなんですの?」

「落ち着きくださいお嬢様。確かにお嬢様のさっきの発言はいささか言葉がおかしかったです」

「セバスチャンまでそんなことを! だいたいなんなんですの、あの子は! 年だってわたくしとそう変わらず……」

 ルゥを指さしてまくし立てていたたシャルロの言葉が尻すぼみに小さくなっていく。その視線の先にあったのは、ルゥが何気なく振っていた尻尾だった。

「な、ななな! セバスチャン! あの子、尻尾が生えてますわよ! 信じられない! 本当に人間!?」

「いや、そんな頭の長いじーさん連れた奴が何言ってやがる」

「と、とにかく」

 おほんと咳払いを一つして、シャルロは気を取り直したように言う。

「改めてご挨拶しますわ。わたくしはシャルロ。こちらは執事のセバスチャン。どうぞよろしく、メルフェン村の方々」

「ティミーです。こんにちは」

「おれはルゥだ。で、シャルロは何しにきたんだ?」

「またそんな気安く呼び捨てに……まあいいでしょう。ではティミーにルゥ。ちょっとおたずねしたいんだけどよろしいかしら。実はこの村に魔法使いいると聞いてきたのだけれど、ご存じないかしら?」

 魔法使い、と聞いてティミーが最初に思い浮かべるのはグレーテルだ。と言うか、彼女しか思い浮かばない。

 だから素直に先生を紹介しようとしたら、先にルゥが返事した。

「知ってるぜ」

「本当に? どちらにいらっしゃるのかしら。ぜひお会いしたいのだけれど」

「ここにいるティミーは魔法使いだよ」

「え?」

 一瞬ぽかんとしたあと、

「おーほっほっほっほっほ! ご冗談はおよしくださいな! ティミーが魔法使い? こんな、わたくしと同い年くらいのちんちくりんの子が!」

 ティミーはちょっとだけむすっ。確かに自分は見習いだけど、ちんちくりんはひどい。

「うそじゃないよ。なあ、ティミー」

「うん、ほんと(見習いだけど)」

「おーほほほほ! そんなに言うならこの場で魔法の一つを見せてごらんなさいな! どーせ──」

「はい」

 フワー。

 ビューン。

 ギュイーン。

 ティミーにだって見習い魔法使いとしての〝ぷらいど〟があるのだ。そんなわけで彼女は、シャルロの目の前で、箒にまたがり、自由自在にビュンビュン飛び回ってやった。

 そうしたら、すぐにお嬢様はびっくり仰天、口をあんぐり開けて固まってしまった。

「どんなもんだい」

 地上に降りてきて、精一杯ティミーは胸を張る。

 シャルロはしばらく硬直していたが、やがて全身をぷるぷる震わせはじめ、

「……わ」

「わ?」

「……わ、わたくしが、せっかく、魔法使いに教えを請うて……国で唯一の魔法少女になろうとしてたのにーっ!」

 全身をばたつかせて大声で泣き始めた。

「くやしーーーーーーーーーーー! くやしー! くやしー! くーやーしーいー! うわーん! 魔法少女シャルロっちゃんの夢がーーーー! ……セバスチャン!」

「はいお嬢様」

「帰りますわよ! 超特急!」

「かしまりましたお嬢様」

 すばやく馬車に乗り込むシャルロとセバスチャン。執事が手綱を引くと、馬はいななきを上げて方向転換し、猛スピードで村から去っていった。

 村の入り口に取り残された少年少女はぽかんとしたまま馬車の消え去った街道をしばらく見つめていた。

「なんだったんだ、結局?」

「さあ」

 で、翌日。

 グレーテルの家に魔法の授業を受けにきたティミーの隣に、真新しい箒を手にしたシャルロが、我が物顔で座っていた。

「……いや誰あんた?」

 ジト目で冷静にグレーテルはツッコむ。

「はい、グレーテル先生。こちらはシャルロっちゃんです」

「こら、ティミー。勝手に人に変なあだ名をつけないでくださる?」

「えー、昨日シャルロっちゃんが自分で言ってたんじゃん」

「う……それは、まあ、置いておくとして。挨拶が遅れましたわね。はじめまして、グレーテル先生。あなたがティミーの魔法の先生なんですってね。わたくしはシャルロ・ヴァレンティーナ。そう、あなたもご存じでしょうけれど、かの名家、ヴァレンティーナ家のものですわ」

「ヴァレンティーナ? 知らない」

「え、あれ?」

 慌てるシャルロっちゃん。

「ど、どういうことですの、セバスチャン。もしかしてうちってあまり有名でない?」

「ご心配なきよう、お嬢様。ここがド田舎なだけです」

「と、とにかく! 名家の令嬢たるわたくしが、今日からあなたの授業を受けて差し上げると言ってるのです。謹んでお受けなさいな!」

「やだ」

 即答。

「えーっ!?」

 それでまたシャルロは涙目になってしまう。

「どうして? なんで? いいじゃないですの! わたくしは魔法が使いたいの! ずっとずっと子供の頃から魔法使いに憧れてきて! でも魔法を使える人なんて国中をどこに探してもいなくって! それでやっとの思いでメルフェン村の魔法使いの噂を聞きつけてやってきたのに! 頼み方が悪かったなら謝りますから! どうかわたくしに魔法を教えてください! どうか、どうか、うえ、うええ、うあああああああああーーーーーーーん!」

 そしてとうとうシャルロが本気で泣き出してしまうから、ティミーはおろおろしてしまう。

 彼女はグレーテルを見た。魔女もまた、困ったように頭を掻いていたが、やがて嘆息すると、ぶっきらぼうな彼女にはめずらしい、優しい声音でシャルロに話しかけた。

「えーっとね。シャルロって言ったっけ。魔法を覚えたいって熱意は買うけどねぇ。基本的に、魔法って禁忌の力なんだよ。世の中の法則を無理やり曲げちゃうの。だから、悪い人間が使い出したらろくなことにならない」

「わたくしは良い子ですー!」

「うんうんそうだね。だけど、あたしがここであんたに魔法を教えて、魔法使いの噂が国中に広まったらどうなる? あんたみたいな魔法に憧れる人たちが、わんさか村に来ちゃうかもしれない。それは世の中のためにも村のためにもならない。あたしもやだ。本当はあたしは弟子とか取りたくないんだよ。めんどいから」

「じゃあティミーは!? ティミーはいいんですの!?」

「ティミーはね……」

 そこで彼女は、ティミーを見た。少し迷った風にしてから、続けた。

「ティミーはね、あたしの大事な友達の娘なんだ。その友達から頼まれてる。ティミーに魔法を教えてあげてほしいって。だから、あたしにとってこの子は特別なんだよ」

 グレーテルがティミーの母親の友達というのは、はじめて聞いた話だった。と言うか、ティミーは自分の両親のことは何も知らない。もっと言えば、彼女には物心ついた時からヨロジーがいた。だから、母親や父親のことなど考えたこともなかった。

 お母さん、どんな人なんだろう?

「じゃ、じゃあわたくしには何があっても魔法を教えてくれないんですの?」

「悪いけどね」

 はっきりそうグレーテルは告げる。

 なんだかティミーはシャルロが少しかわいそうに思えた。あんなに頼んでいるのだから、グレーテルも例外を認めてあげてもいいのではないだろうか。

 そう考えていたら、頭の長いセバスチャンが、すすすっとグレーテルに近づいて言った。

 ちょっと失礼。そう言って老人は教室の隅に魔女をつれていく。

 隅っこで何やらひそひそ話しながら、手で数字をつくるセバスチャン。数字は、だんだん大きくなっていき、やがてグレーテルがにやり。

 執事が懐から出した紙にさらさらーっ、と何か書き込み、魔女に手渡す。

 それで謎の密談は終わり、セバスチャンはまた何事もなかったように、すすすっと引き下がった。

 ティミーの隣では、そんな二人のやりとりもしらず、まだシャルロが泣いていた。

「これでわたくしの小さい頃からの夢は終わり? ……いえ、認めませんわ! この程度でわたくしは諦めない! グレーテル先生! 何度でも言いますわ! わたくしを生徒にしてください! いいと先生が仰るまで、わたくしはここを一歩も動きませんわよ!」

「うん、いいよー。今から君はあたしの生徒だ」

「えっ、あれー?」

 こうして、メルフェン村に、新しい魔法使いのたまごが生まれましたとさ。

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