第5話 メルフェン村の雑貨屋さん


 メルフェン村は、毎日がのんびりまったり時間が流れていて、新しいこと、というのはほとんど起こらないものだけれども、その日は違った。

 飛び交う風船と鳴り響くファンファーレ。そして、村中に届くような胴間声に、村中の人々が、なんだなんだと顔を出す。

 騒ぎの中心は、村の唯一の雑貨店──いや、唯一の雑貨店だった、マーの店の正面からだった。

「さあー、よってらっしゃい見てらっしゃい! 王都直輸入、お客様満足度三年連続ナンバーワン! 安くて、品揃え豊富で、その上親切! 三拍子揃ったキャスタのナリキン商店、メルフェン村支店が本日開店アルよー! ただいま開店セール実施中! 全品定価の十パーセントオフ! 今買わなきゃ損するアルよー!」

 もうすぐに店の前は押し合いへし合いの黒山の人だかりになった。いったい村のどこにこんなに人がいたのだろう、という有様だ。と言うか、どう見ても村の人口より多い。

 マーの雑貨店の前から、ぽかんとその様子を眺めて、ティミーは不思議なこともあるものだなぁ、と考える。今度ルゥに教えてあげよう。「怪奇! 増殖するメルフェン村住民!」

 想像して、ぷくく、と笑う。でも、あんまり笑っている場合ではないかもしれない。

 ティミーは隣で、同じように、ぽかんとしているマーを見上げた。

「ねえ、マー。どうするの?」

「んー? どうするってー?」

「このままじゃ、お客さんがみんなあの新しいお店に取られちゃうよ。マーが困っちゃうよ」

「あははー、そうだねー。困るかもー」

 と、全然困った様子でなくマーは笑う。

「マーのお店がなくなっちゃう」

「うーん、そうかもー。あははー」

「戦おうよ、マー。負けちゃだめ」

 しゅっしゅとシャドーボクシングをするティミー。その頭をマーがなでなでする。

「いやーん。ティミーちゃんかわいいー」

「お客さんを取り返すのだー!」

「うんうん、良きかな。でもねー、ティミーちゃん。お客さんはね、取り返すものじゃないんだよー」

「? じゃあどうするの?」

 それはね、とマーが説明しようとしたら、やあやあやあとだみ声が聞こえてきた。のっそりご満悦の表情で近づいてきたのは、ナリキン商店の店主のキャスタだ。

「どうもどうも、こんにちは、マーさん。挨拶が遅れましたアル。ボクはキャスタと言うアル」

「あらあらどうもー。マーでーす」

「いやー、ここはいい村アルなー。お客様の購買意欲も高くてやりがいがアル。ああ、そうそうこれ、お近づきの印アル」

 と言って、キャスタが差し出したのは数枚の券だった。

「うちのお店の割引券だアル」

「あらー、どうもご親切にー」

「いやいやたいしたことじゃないアル。ボクが儲けさせてもらう代わりに、マーさんがすぐにお店をたたむことになるわけだから、これぐらいはどうってことないアル」

「あらまー」

 なんとなく、ティミーはむっとした。この人はちょっといやな人だと思った。彼女としては珍しく、頬を膨らませて敵意をあらわにした。

 すると、それに気づいたキャスタが、ひょいとティミーの目の前にメロンパンを差し出した。

「こんにちは、お嬢ちゃん。これ、開店キャンペーンでくばってるメロンパンだアル。うちのお店にくれば、もっとたくさんあげるアル。くるアル」

「本当に? わーい」

 こうしてティミーは買収された。

 それからしばらく経ち、開店セールが終わっても、キャスタの店は勢いを衰えさすことはなかった。初日の黒山の人だかりこそなくなったものの、村のみんなはマーの店より、より安くて品揃えの多い、ナリキン商店で買い物をするようになっていた。

 そんなわけで、ある日、ティミーがルゥと一緒にマーの雑貨店に遊びに行くと、彼女はカウンターの上で力なく突っ伏していた。

「マー、どうしたの?」

 ナリキン商店で買ったメロンパンをもぐもぐしながら訊くと、女店主はうーん、と呻いて答えた。

「お腹すいちゃったー。最近売り上げが良くないから節約しててねー」

 はっとして、ティミーはメロンパンを租借する口を止めた。そして気づいた。

 なんということだろう! 自分はキャスタでなくて、マーの味方でいたつもりなのに、いつの間にかおいしいメロンパンで丸め込まれてしまっていた。

 ティミーのばか! 悪い子!

 と、彼女が反省する横で、

「マーはばかだなぁ。キャスタの店なら食い物も安いぜ。そこで買えばいいじゃん」

 ルゥがのんきに言う。

「あははー、名案ー」

「だめだよ、それじゃ! ルゥのばか!」

「えっ、なんで?」

「マー、がんばらなきゃ! キャスタの店をやっつけよう! 向こうのお店より安くするとか、目玉商品を用意するとか、いろいろ考えよう! わたしもがんばる」

「いやーん、ティミーちゃんうれしいー。ありがとー。でもどっちも難しいかなー」

「ちょっと待てよ、ティミー。キャスタの店潰したら、もうこのメロンパン食べられなくなるぜ」

「えっ、それは困る……」

「あははー」

 メロンパンとマーとの間に感情が板挟みになるティミー。でもそこはなんとかがんばってメロンパンを頭の中から追い出した。なんとかマーをこの大ピンチから救う手立てはないだろうか。

 むんむん考えていたら、カランカランとベルを鳴らしてお客さんが入ってきた。

「メェ〜、こんにちは、マーさん」

 やってきたのは、羊っぽい神父のノルマンディーだった。

「あらー、いらっしゃーい、ノルマンディー神父」

「メェ〜、おや、ティミーちゃんにルゥくん。どうもこんにちは」

「「こんにちは、ノルマンディー神父」」

 二人はぺこりとノルマンディーに頭を下げた。

 神父はそのままのんびり狭い店の中を歩き、迷わずいくつかの商品を手に取った。そしてカウンターに乗せる。

 えーと、全部で四十五フィンです。メェ〜。はい、おつりは五フィンです。メェ〜。

「ありがとうございまーす。またお越し下さーい」

「メェ〜、ではまた今度」

「なあ、ノルマンディー神父。神父はキャスタの店では買わないのか?」

 ルゥが野暮なことを訊いた。すると神父はにこにこしながら答えた。

「メェ〜、この胡椒はね、マーさんのお店でしか売ってないんですよ。取り寄せることもできるのかもしれないけど、だったらここで買った方が早い。ここなら、いつでも置いてますから」

 その言葉で、ティミーはあることに気がついた。ぐるりと店内の棚を見回す。

 そういえば、あのニスはいつもカルバリーニョが体に塗っているものだ。思い出せば、あの小麦粉はいつもニコが料理に使っている銘柄だ。よくよく見れば、あの実験器具は村ではフローライトしか買わないようなもので、あの野菜は、ヨロジーがしょっちゅう夕飯のスープにいれる苦いやつだ(名前は知らないけど)。

 マーのお店の品揃えは、村のみんな一人一人に向けたものだった。

「なんだとアルー!」

 その時、聞き覚えのある胴間声が響いた。びっくりして、外を見るとキャスタが小間使いのような男を捕まえて、頭からぴーぴー湯気を立てていた。

「配送の荷馬車が事故にあって商品が届かないなんて、なんでもっと早く言わないアル! どーしてくれるアル! ニャロさんに注文を受けたキャットフード、今日に届くと伝えてしまったアル! 店の信用に関わる事態アルよ! くそー、どうするアルどうするアル。一番近い街の支店に行って、在庫があるか聞くアルか? でもあれは珍しいやつだから、置いてないかも……うーん」

 なんだかよくわからないけど、キャスタが困っているようだった。それはうれしいこと? かわいそうなこと? ティミーは少し悩む。

 そうしていたら、マーがとことことキャスタの方に向かっていった。

「どうもー、キャスタさーん」

「うん? ああ、マーさんあるか。今ちょっと立て込んでるアル。悪いけど、用があるならあとにしてほしいアル」

「いやー、そうじゃなくてですねー。はい、これー」

 そう言って、彼女が差し出したのは、一個のキャットフード缶だった。

「ん、それは……おお、ニャロさんが注文したキャットフード! どうしてそれを?」

「いやー、ちょうどお話が聞こえましてー。たまたまうちに在庫があったものですからー」

「むむ……そうか。この期に乗じて足下を見る気アルね! 悔しいが、背に腹は代えられんアル! 言い値で買ってやるアル! さあ、いくらで買ってほしいアルか!?」

「いやー、お代なんていいですよー。あげまーす」

「……ぬなほ?」

「ほらー、この前割引券もらったじゃないですかー。そのお返しでーす。どうぞー」

 はい、と言ってキャットフードをキャスタの手に押し込むと、マーはのんびり自分の店まで戻ってきた。

「もったいないことするなー、マーは。百億フィンとかふっかければよかったのに」

 ルゥがばかなことを言う。でもティミーも少し不服だった。百億は冗談でも、せっかくの一泡吹かせるチャンスだったのに。

「あははー。いいのいいのー。だってね、ニャロがキャスタの店に行って、注文したキャットフードがないって聞かされたらがっかりするでしょ。こうしておけば、お客さんは幸せ。満足ってねー」

「でもー」

 と言おうとしたら、頭をなでなでされる。

「そういえば、ティミーちゃんにこの前の話の続きしてなかったねー。いい、ティミーちゃん、お客さんは、取り返すものじゃないんだよー」

 そうしていつも通り、やる気なさそうに、ごろんとカウンターに突っ伏して、マーは言った。

「お客さんはね、愛するものなのさー」

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