第2話 ぐるぐるのドラゴン


 ある日の昼下がりに、ルゥが鍋を頭にかぶって、木の棒を振り回しながらやってきても、ティミーは特に驚かなかった。なぜなら以前には、バケツを頭にかぶって、おたまを手に持っていた時があることを知っていたからだ。

 だからよくあることだと思ったけれど、次に出てきた言葉にはさすがにびっくりした。

「ドラゴン退治に行くぞ!」

 これには、一緒に遊んでいたフローライトとトロツキーもぽかんとして見せた。

「どらごん?」

 妖精のフローライトは、いつものように羽をパタパタさせながら首をひねった。

「ルゥはばかだなー」

 トロツキーは、背中のゼンマイをくるくる回しながら、遠慮なく言った。

「ばかとはなんだ!」

「だってばかじゃん。ドラゴンなんてメルフェン村のどこにいるんだよ。オレは生まれてこのかたドラゴンなんて一度も見たことないぞ」

「生まれてこのかたって言うけどさ、トロツキーは何歳だよ」

 えーと、と言って彼は指折り数える。

「十歳だ」

「おれは十四歳だぜ。でもおれだってドラゴンなんて見たことないかんな」

 胸を張って得意げになるルゥだったけれど、ティミーは彼が何を勝ち誇っているのかさっぱりわからなかった。それでとにかく気になっていることを訊くことにした。

「でもルゥ。退治するドラゴンなんて本当にいるの? わたしも知らない」

「うん。なんでもさ、イカツデ山の麓の洞窟に、ドラゴンが住んでるらしいんだ」

「そうなの?」

「そうなのだ。嘘じゃないぜ。今朝グレーテルとヨロジーが話しているのを聞いたんだ。最近ぐるぐるのドラゴンの姿を見ないわね、うん、そうじゃのー、って」

 グレーテルは魔法の先生、ヨロジーはティミーの育ての親の鎧のおじいさんだ。

 ルゥは、二人のものまねをしながら説明をした。それを見てフローライトがくすくす笑うのだった。

「ぐるぐる、ぷぷぷ、変な名前……」

「と、言うわけで、おれはその、ぐるぐるのドラゴンとやらを退治しにいくんだ。みんなも来い」

「どういうわけ?」

 ティミーが尋ねると、ルゥは当然といった風に答えた。

「だってドラゴンだぞ。ドラゴンは悪い奴に決まっているんだ。金銀財宝を隠し持っていて、お姫様をさらうんだ」

「お姫様がさらわれたなんて話、聞かないぞ」

 トロツキーが横やりを入れるけれど、ルゥは気にもしない。

「ティミーはもちろん来るよな」

 ルゥはそう聞いてきたけれど、彼女は少し、えー、と言って考えた。

 今はお昼過ぎ。これから出かけて、夕飯までに帰れるだろうか。あんまり帰りが遅くなると、ヨロジーが心配するのだ。この前、ルゥの無茶につきあって、帰宅が夜中になった時には、彼は心配しすぎて心臓が止まるかと思ったと言っていた。鎧だから心臓はないのだけれど。

 と、迷っていたら、横でフローライトが手をあげた。

「はーい、あたし行きます!」

「フローちゃん行くの?」

「うん、行くよ。だっておもしろそうだし。ルゥくんがドラゴンに食べられちゃっても、骨はあたしが拾ってやるぜー」

 食べられちゃったら骨は拾えないんじゃないかぁ、と思ったけれど、〝ひゆてきひょうげん〟の一種なのだろうな、とティミーは気にしないことにした。

 とにかく、そうやって一人が手を上げたら、みんなもそれに続くのがこの仲良し四人組だった。そうしてドラゴン退治のパーティが結成された。

「よし、みんな装備をととのえろ!」

「装備」

 と言って、ティミーはいつもずるずる持ち歩いている愛用の箒をかかげた。

「トロツキーは?」

「装備」

 と答えて、トロツキーは背中のゼンマイをポンと抜いて構えた。

「フローライトは?」

「ちょっと待ってー」

 と返事して、木の上の自分の家にパタパタと飛んでいった。数分してから、両脇に真っ黒いボールを抱えて戻ってきた。

「じゃじゃーん、装備」

「何それ?」

「爆弾」

「ほへー、爆弾」

「むっきゅっきゅ、だってドラゴンと戦うでしょ? 爆弾くらい必要だよ」

「駄目だ、フローライト。爆弾は禁止。別の装備にしろ」

 そこで意外にも止めたのがルゥだった。

 どうして、と不服そうにフローライトが聞くと、彼はむふーと鼻息荒くして答えた。

「爆弾は悪者っぽいから駄目」

 そうして、あえなく爆弾を却下されたフローライトが、代わりにパチンコを準備すると、一行はイカツデ山に向かって進行を開始した。

 気をつけたのは、村から出る前に、ルゥのお姉さんのニコだとか、神父のノルマンディーだとか、グレーテルみたいな、危ないことをしてるのを見たら止める人たちと会わないようにすることだった。

 幸い、途中で見かけたのは、普段と変わらずなんだかごろごろしているゴロゴロと、ハーピィの郵便局員のメヌエットだけだった。

 メヌエットに至っては、ぐるぐるのドラゴンの住処までの道筋を教えてくれさえした。

「ドラゴンさんの洞窟? えーっとね、この地図のこの道を川まで行くでしょ。そしたらこの横道に入ってまっすぐ行って。しばらくしたら山の岸壁が見えるだろうから、あとは壁沿いに左にずーっと行くの。わかった?」

 メヌエットにお礼を言って、ティミーたちは村を出た。

 そこから先は、言われたとおりの道順を歩く。ルゥは、気をつけろ、ドラゴンの手下の怪物が襲ってくるかもしれないぞ! なんて言っていたけれど、怪物なんて全然見かけなくて、見かけたのはウサギの一家くらいだった。

 でも時間はたっぷりかかってしまった。岩肌に、大きな口を開ける洞窟の入り口までたどり着いた時には、もう日は落ちてしまっていた。ヨロジーが今頃心配してるかなぁ、とティミーは心配した。

「とうとうたどり着いたぜ! ドラゴンの洞窟!」

 でもルゥは元気だ。いつでも元気だ。ばかみたいに元気だ。

 見て見て、とフローライトが洞窟の横を指さすと、そこには大きな文字で「ドラゴン」と書かれていた。

「こっちにはでっけー郵便ポストがあるぞ」

 トロツキーが見上げた所には、確かに大きなポストがある。村の大人たちの身長より、ずっと大きなポストだ。

「間違いないみたいだな、みんな気をつけろよ!」

 声を上げて、ルゥは全然気をつけないで脱兎のごとく洞窟内に突っ込んでいく。ティミーが呼び止めるのも耳に入らないみたいだった。

「あいつってばかだよなー」

 なんてトロツキーが言っていたら、


 ブオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォっ


 低い、大きな唸り声が、洞窟内に響いてきた。重なるように、ルゥの悲鳴も聞こえた気がした。

 大変だ!

 ティミーはぱっと箒に飛び乗ると、全速力で洞窟の中に飛び込んだ。彼女は見習い魔法使いだけど、空を飛ぶ魔法だけは一人前なのだ。

 一本道の洞窟内をぐんぐん進んでいく。そうしてたどり着いた最奥で、ティミーはしこたまびっくりして、思わず箒に急停止をかけた。

 洞窟の一番奥の広い空間に、『世界樹』さまの幹ほどの太さの胴体を持つ、大きな大きなドラゴンが鎮座していたのだ。

 ルゥは……食べられていなかった。ドラゴンの大きな顔の正面で、腰を抜かして座り込んでいた。

 唖然として声も出せずにいたら、ドラゴンが大きく口を開けた。そしてまた、


 ブオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォっ


 と大きく吠えた。

 後ろできゃー、と、ぎゃー、と追いついてきた友達二人が悲鳴を上げる。

「食べられるー!」

 とトロツキーがばたつき、

「あたしはおいしくないよー!」

 とフローライトが跳び回る。

 大変だ。大ピンチだ。そう思ったけれど……どうしたわけか、ティミーはドラゴンを前にしても、あまり恐怖は感じなかった。

 すると目の前で大口を開けていたドラゴンがゆっくり口を閉じて、それから、

『むにゃむにゃ』

 としゃべった。

 ……あくび?

『やあ、こんにちは。子供たち。よく来たね』

 温和に目を細めて、ドラゴンはそんなことを言う。

 びっくり仰天。

 ティミーは驚きすぎて、頭が真っ白になっていたし、二人の友達はまだぶるぶる震えている。

 こんな時に、立ち直りが一番早いのがルゥだ。彼はばばっと立ち上がると、慌てて木の棒を拾って、遅ればせながらこんなことを言った。

「で、出たな悪いドラゴンめ」

『私は悪いことはしてないよ、子供たち。君たちを食べたりもしないから、どうかその物騒なものをおろしておくれ』

 見た目がとても物騒なドラゴンが言う。

 でもその時には、もうティミーは危ないことなんてないんだと直感的に理解していた。

「あの、ぐるぐるのドラゴン、さん?」

『なんだい、小さくて、かわいい魔法使いのお嬢さん』

 かわいいと褒められた。そしたらなんだかティミーはちょっと嬉しくなった。

「ドラゴンさんは良いドラゴンさんなんですか?」

『悪いかどうかは、自分で決められるけれど、良いかどうかは自分では決められないんだよ、お嬢さん』

「じゃあ、わたしが決めていいの?」

『そうだね、君が決めるといい。世界は君が見ているようにしかならないんだからね、お嬢さん』

 ティミーは友達たちを振り返った。そうして言った。

「フローちゃん、トロくん、なんだか大丈夫みたい。ぐるぐるのドラゴンさんは良いドラゴンさん」

 おそるおそる前進する二人。けれど、フローライトはまだ疑わしげだ。

 そしてもちろんルゥも。

「ほ、本当に良いドラゴンなのか? 財宝を隠し持ってるんじゃないか?」

『貯金は全然ないよ、勇敢な少年くん』

「お姫様をさらってないだろうな?」

『人間のお姫様には、会ったこともないな、少年くん』

 しばらく考え込んでいたが、やがてルゥは棒をおろした。

「じゃ、じゃあ今日は退治するのは勘弁してやろうか」

『ありがとう、少年くん。願わくば、ずっと退治しないでいてほしいな』

「ねえ、ドラゴンさん。ドラゴンさんは、グレーテル先生やヨロジーと知り合いなの?」

『彼らとは友達だよ、お嬢さん。最近会いに行ってないけどね』

「どうして?」

『腰を痛めてるんだ、お嬢さん。こうして横になっているのが一番楽なんだ』

 腰かー、と思った。そういえば、ヨロジーも毎日毎日年のせいで腰が痛いと言っている。鎧なのに。

 いつか自分もおばあさんになったら、腰が痛くなるのかなぁ、とティミーは少しだけ心配になった。

『だから、最近は郵便局の、ハーピィのお嬢さんぐらいとしか会っていない。君たちは久々の来客だ。歓迎するよ、子供たち。ぜひ最近のメルフェン村の様子を教えておくれ』

 ティミーたちは顔を見合わせた。それから各々装備を置いて、その夜はドラゴンと遅くまで話し、そして泊まっていった。

 翌朝、お礼を言って、ティミーたちはドラゴンの洞窟をあとにした。ドラゴン退治はできなかったけど、もっと素敵な出会いがあったからティミーは満足だった。

「おれのおかげで、一匹の悪いドラゴンが改心したわけだな」

 ルゥは一人、そんなことを言っていたけれど。

「また今度、お菓子やお土産を持ってドラゴンさんに会いにいこうね」

 ティミーは言った。

 ドラゴンは、実際とても博識で、優しくて、話していてとてもおもしろかったのだ。

「今度は爆弾を持っていこうっと」

「なんでだよ」

「爆弾でイタズラするの。普通の人だと、大怪我しちゃうし、大変だけど、あのドラゴンなら大丈夫じゃない、きっと」

「やめとけよー」

 ぶるぶる怖がってたフローライトとトロツキーも今やそんな感じ。

 だけど、一人だけどこか残念そうだったのはルゥだ。どうしたの、と聞くと彼は言った。

「結局、冒険なんてどこにもないのかなー」

「でも……ドラゴンさんが言ってた『ぐるぐる』の話はおもしろかったよ」

「うん、まあ」

 ぐるぐるの話。

 それは、ティミーがどうしてぐるぐるのドラゴンがぐるぐるのドラゴンなのか聞いた時の答え。


 昔々のずーっと昔のそのまた昔。まだ神様と人間が、同じ世界で一緒に暮らしていた時代の話。

 その頃の世界には、どこまで行っても果ても終わりもなく、無限の資源と無限の土地がどこまでも広がっていました。そんな、望めば望むだけの物が手に入る世界で、人間は神様の支配のもと、争いも危険もなく平和に暮らしていました。

 けれども、そんな安全な世界ですから、人口は際限なく増えていって、それに伴い、生活のために彼らはどこまでも世界を開拓していきました。だけど、欲張りな人間は、大地を耕し、海に繰り出し、空の支配を進めていく中で、とうとう神様の住処にまで立ち入ってしまいました。

 それが、神様の逆鱗に触れたのです。無限の富は、人間には手に余る代物だ。

 そう考えた神様は、人間の世界に限界をつくることにしました。神様は、世界に一匹の大きな、それは大きなドラゴンを放ちます。どんな大地よりも広く、どんな海にも収まらず、どんな空をも覆う、そのその大きな大きなドラゴンミズガルドオルムは、人間が暮らしていた世界をぐるりと囲い、自分のしっぽに噛みついて、大きな円環の中に納めてしまいました。

 こうして世界は神様の住処と切り離され、人間の世界に限界という概念が生まれるようになったのです。

 そうした限界が、やがて人同士の争いの元になるのだけれど、それはまた別の話──。


 とにかく、ぐるぐるのドラゴンは、かつて世界をぐるぐると巻いた、太古の時代の大きな大きなドラゴンの血を引いているのだと言う。それで、ぐるぐるのドラゴンと呼ばれるようになったのだと。

「でもさ」

 と、ルゥが、よく晴れた青空を見て言った。

「どこにもそんな大きなドラゴン、見えないよな」

「うーん」

 とティミーは首をひねる。

「大きすぎて、わからないんじゃない? 例えば、実はあの青空が丸ごとドラゴンのお腹なの」

 むう、と唸り、それから真剣な調子でルゥは言った。

「そんなドラゴンは、さすがにおれでも退治できないな」


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