Marc -メル- 小さな魔女のものがたり
浄化
第1話 一番高い場所
日課の魔法の授業を終えた帰り道、いつものようにホウキをずるずる引っ張りながら歩いていると、ティミーはエプロン姿のニコに呼び止められた。なんでもまたルゥがどこかへいなくなってしまったのだと言う。
「今日の夕ご飯はスパゲッティなの」
ニコは猫みたいな形の耳をぴょこぴょこさせながら言った。
「だから出来たらすぐ食べてくれないと伸びちゃうでしょ」
もしどこかで弟を見かけたらすぐに帰ってくるように伝えてほしいとニコは続けた。そうして良かったらティミーも一緒に食べましょうと付け加えた。
「ちなみにミートスパゲッティよ。ティミーちゃん、ミートスパゲッティ好きでしょ?」
ティミーは頷いた。それはもう大好きだった。
それだけ伝えるとニコはパタパタと慌ただしくどこかへ駆けていく。それでティミーも、ミートスパゲッティを早く食べたくて、ルゥを探すことにした。
けれど肝心の行き先が全然見当がつかなかったので、ティミーはその場でくるりと回って来た道を引き返して、魔法の先生のグレーテルがいる小屋に向かった。グレーテルはティミーの知る限りメルフェン村で一番の魔法使いだった。彼女なら、きっとルゥの居場所をビビッと当てる魔法が使えると思ったのだ。(もっとも、メルフェン村の魔法使いはグレーテルとその生徒のティミーしかいなかったのだが)
小屋でグレーテルにわけを話すと、彼女はあんまり関心がある風でなく、しかし即答した。
「きっと高い所さね」
「どうして?」
「バカと煙は高い所が好きだから」
なるほど。
それでティミーは高い所を探してみることにした。
最初に向かったのは村の外れの小高い丘にある、通称幽霊屋敷だった。なんでも昔々のそのまた昔は、メルフェン村を統治していた領主様の住む屋敷だったそうだ。しかし時の流れと共に、領主様はもっと都会の大きな街に移り住んで、それ以来誰も住む者がいなくなったのだと言う。そうして屋敷内はすっかり荒れ果ててしまい、今では夜になると幽霊が出るとのもっぱらの噂だった。だけど噂になっているだけで、誰も幽霊を見た人はいなかった。だから多分幽霊はいないのだろうとティミーは思っていた。
そうして窓から村を一望できる幽霊屋敷の天井裏の部屋に向かうと、そこにはすでに先客がいた。残念ながらルゥではない。しかし幸運なことに幽霊でもない。いたのは、吟遊詩人のトロイメライだった。
「おや、ティミーちゃん。こんな所になんの用だい?」
トロイメライは言った。
「うん、ルゥを探してて」
「へえ、ルゥ君を」
「トロイメライはどうして幽霊屋敷にいるの?」
「それは君、ぼくが詩人だからだよ。窓の外を見たまえ。ほら、とても澄んだ青い空が見えるだろ? あの空は人々の喜びでありまた希望を表現しているのさ。だけど空は、とっても大きいけど一人ぼっちだ。なぜなら空は大きすぎて、その愛を受け止められるパートナーがいないからだ。ぼくらは愛を知って本当の人生の意味を知る。だから空は、実は誰よりも悲しみをその胸のうちに隠している。けれども、その悲しみが拭われることはない。なぜなら彼は空だから。ぼくら人とは違うから。だからぼくは少しでも彼を慰めようと歌を贈るんだ。そう、愛の歌をね」
「へえ」
さっぱり意味がわからかった。
「ねえ、ルゥはどこにいると思う?」
「どこにでもいるよ。君がルゥ君を見つけた場所に、彼は必ずいる。見つけられなかった場所にはいない。つまりそういうことさ」
どういうことだろうと思った。が、すぐにまあどういうことでもいいやと思いなおした。
仕方がないから、というか時間の無駄だと思ったから、ティミーはトロイメライに挨拶すると幽霊屋敷をあとにした。
そうして次にティミーが向かったのは、メルフェン村の村長の巨大ねこ、ニャロの住む家だった。ニャロの家はなんだか知らないけれどずいぶんと細長くて高さがあったので、そこにルゥがいるかもしれないと思ったからだ。
ニャロの家が近付くにつれて、猫の騒がしい鳴き声が聞こえてくるようになった。それはだんだん大きくなって、果ては耳をふさぎたくなるくらいの大合唱になる。ニャロの家の周りには普段から猫がいっぱいいるので鳴き声が自体は珍しいことでもなんでもないのだけれど、今日はそれが普段よりずっと大きいのでティミーはびっくりした。
何事だろうとニャロの家の前の広場を見渡すと、指揮棒を振りあげたニャロの前に百匹ぐらいの猫が整列して座ってにゃーにゃー泣き声を上げていた。
「にゃん、はい!」
ニャロが合図と共に指揮棒を振りかざす。
にゃーにゃーにゃー。
「そこ、音程がずれてるにゃ!」
にゃーにゃーにゃー。
「テンポが速すぎる! もっとゆっくり!」
にゃーにゃーにゃー。
「もっと抑揚をつけて!」
にゃーにゃーにゃー。
ニャロはすごく張り切って猫達に指導をしていた。
だけどティミーには全部同じ「にゃーにゃーにゃー」に聞こえた。
「ニャロー」
しばらく見ていたが、いつまで経っても一段落つきそうになかったので、ティミーは大声をあげてニャロに呼びかけた。
するとニャロが指揮棒の動きをピタリととめてティミーの方を見た。しかしそれで猫の鳴き声は止まらなかった。にゃーにゃーにゃー。
「にゃんだティミーか。見てわからにゃいのか。今もうすぐ開催される『第六百七十五回ねこ合唱大会』の練習で忙しいにゃ。緊急の用件以外は受け付けないにゃ」
「うん、緊急」
ティミーは頷いた。早くルゥを見つけてミートスパゲッティを食べないと、もう腹ペコでお腹と背中がくっついてしまいそうだった。
「緊急か。にゃらオッケーにゃ。どうしたのにゃ?」
「うん、ルゥを探してるの。ニャロのお家に来てない?」
「来てにゃいにゃ。来てたとしても、知らにゃいにゃ。見ての通り、忙しいから、ルゥに構ってる暇はにゃいのにゃ」
にゃーにゃーにゃー。
「じゃあ、ニャロはどこにルゥがいると思う? 先生は、きっと高い所にいるだろうって言ってたけど」
「高い所? それなら『世界樹』さまはどうだにゃ? 行ってみたかにゃ?」
「ううん」
「じゃ、きっとそこだにゃ。間違いにゃいにゃ」
なるほど、とティミーはまた感心した。『世界樹』さまは村の真ん中にあるとてもとても大きな木だった。メルフェン村ができる前、さらには三百年くらい生きてるらしいニャロよりも長生きなのだと言う。木のてっぺんまで登れば、村はおろか、周囲の森の全景や、遠くの城の城壁まで見えるくらいだった。
ちなみに『世界樹』さまの名付け親は他でもないルゥだった。これだけでかい木は伝説の世界樹に違いないと彼が言いだしたのだ。何年か前にルゥがそう名付けるまで、村の者達は木のことを、ただの「大木」とか「でかい木」、あるいは「丸くて邪魔なやつ」などと呼んでいた。それよりはみんな『世界樹』さまの方がなんとなく格好良さげだなと思ったから、以来そう呼ばれるようになった。
「『世界樹』さまの頂上は村で、いいやこの世界で一番高い場所だにゃ。だから絶対ルゥはそこにいるんだにゃ」
「『世界樹』さまのてっぺんから、もっと大きなイカツデ山が見えるよ」
「まっ、そういうこともあるにゃ」
あっさり前言を撤回すると、ニャロはくるりと振り返って、ねこの指揮をするのに戻ってしまった。
ティミーはニャロに挨拶すると、『世界樹』さまに向かって、またずるずるとホウキを引きずりながら歩き始めた。
そうして目的地までやってくると、大木の前でおろおろと慌てふためく木製の人形の姿を見つけた。なぜだか知らないけれど、動いてしゃべる人形のカルバリーニョだった。
「ああ、大変だ、大変だ。どうしましょう困りました、困ってしまいました。わたくしはどうするべきなのでしょう。ああ神よ、何か良い案はないでしょうか、困った困った困ったー」
「どうしたの、カルバリーニョ?」
いかにも声をかけてほしそうだったので、ティミーは訊いた。
「ああ! ティミー様。困っているこんな木偶人形めを気遣うなどとなんたる優しさ! しかしお訊きにならないでください。これはわたくしの問題なのです。わざわざティミー様のお手を煩わせるわけにいきません」
「ふうん」
「ああしかし、そこまで訊かれるならば話さないわけにいきません」
「わたし、何も言ってないよ」
「はい、実はですね。大変な事態なのです。これほどの危機感を覚えるのは、今から八千七百二十三年前、アルカディア帝国の世界侵攻において召喚された、魔神ベルフェルスを討つため、勇者アレオン様の旅に同行した時以来でしょうか。実は、ルゥ様がこの高い高い木のてっぺん目指して登っていってしまわれたのです」
「あっ、ルゥここにいるの?」
「左様でございます。わたくしめは止めたのですが、力及ばず。ああどうしましょう! もしルゥ様が落っこちてしまわれたらと、もうわたくし気が気でありません! こんな高さから落ちたら間違いなく死んでしまわれます。ぺっちゃんこです、はい」
「じゃ、わたし、ルゥを連れ戻してくる」
ティミーが言うと、慌ててカルバリーニョが止めた。
「おやめください、ティミー様まで! 危のうございます!」
だけどティミーは自信満々だった。
「大丈夫です。わたしは飛んでいくのです」
「HAHAHA、御冗談を、ティミー様。空を飛ぶなど鳥さんでもないと叶わないのですよ」
ティミーはホウキにまたがった。そうして上を見上げて、大きな声で叫んだ。
「飛べー!」
フワリ、ビューン、ズバー!
地面から離れて、重力から解放されたティミーはぐんぐん上空めがけて高度を上げていく。ティミーはまだまだ見習いの魔法使いだったが、空飛ぶ魔法だけは一人前だった。
「なんと! ティミー様は鳥だったのですね! いやはやこれはわたくし気がつきませんで。どうぞお気をつけて! ルゥ様をよろしくお願いします!」
そんなカルバリーニョの姿も声もすぐに足元から消えていってしまう。途中木の枝にガサガサぶつかりながら、ティミーは真っ直ぐに木の頂上を目指す。
やがて森の他の木を飛び越えて、上に見えるのは『世界樹』さまの葉っぱだけになった。けれどティミーの上昇する速度は速いから、あっと言う間に彼女は目的地まで登りきった。
『世界樹』さまの頂上。緑の森の海はずっと足元の下。視界の向こうは真っ赤な夕焼けに包まれていて、その反対側からは月が頭の先をちょこんと覗かせていた。
そんな風景に囲まれた大木のてっぺんの一本の枝に、壁みたいに大きなイカツデ山の方を向いて、しっぽの生えた少年が胡坐をかいて座っていた。
ルゥだった。やっと見つけた。
「ルゥー!」
ティミーは精いっぱい声を張り上げて呼びかけた。すると尻尾をくるくる回しながら、ルゥが振り向いて言った。
「あっ、ティミーじゃん。何やってんの?」
「ルゥを探しにきたんだよ」
ふわふわと、ルゥの横まで飛んで並ぶ。
「なんでおれを探すんだよ。おれ、隠れてないぜ」
「じゃ、何してるの?」
「冒険を探してるんだ。この高い場所からなら、大冒険のきっかけが見つかるかと思って」
「冒険なんてないよ」
ティミーは口をへの字にして言った。
「そうだなー、ないなー。毎日平和で嫌になっちゃうなー」
「いいじゃん、平和」
「駄目だよ。平和じゃ英雄になれない」
「英雄よりも良い人間になりなさい、ってグレーテル先生は言うよ」
「良い人間って?」
「うーんと……挨拶をちゃんとして、ご飯は残さず食べて、遅刻しない人だって言ってたよ、確か」
「マジか。それはおれには難しそうだ」
「あっ、あともう一つ。一番大事なことは、人に優しくすることだって」
「優しくか」
「優しくでござるー」
「うーん」
ルゥは腕を組んで首を捻って固まってしまった。しばらくそうしていたら、思い出したように言った。
「そういえば前から思ってたんだけど、空飛ぶのってホウキがないと駄目なのか?」
「えっ、ううん」
「そうなのか。じゃあなんでホウキ使うんだ?」
「うーん……その方がかっこいいから?」
「かっこいいからか。かっこいいかどうかは大事だよな」
「うん、大事」
ティミーは頷いた。格好悪い魔法使いよりは、格好いい魔法使いになりたかった。
「ところでティミーはどうしておれを探してるんだ?」
「あっ、そうだった。あのね、ニコに頼まれて。今日の晩御飯はミートスパゲッティだって。ねえ、早く帰って食べよう」
「駄目だ。おれは帰らねえ。英雄になるまでは」
その時、ルゥのお腹がグウグウと音を立てた。森いっぱいに響きわたりそうな大音量だった。
「……しかし、まあ、腹が減っては戦はできぬとも言う」
ルゥが言ったので、ティミーは応えた。
「じゃ、後ろ乗って」
「おう」
ルゥがホウキの後方にまたがった。それで、ティミーはホウキを使って飛ぶ利点に気がついた。
ホウキを使えば、誰かと一緒に空を飛ぶことができるのだ。
大発見。
嬉しくなって、ティミーはくすくす笑い出した。
「何笑ってるんだよ?」
「うひひひひ、秘密ー」
「何その笑い方?」
「えっ、魔女の笑い方。うひひひひひひ」
「グレーテルがそんな風に笑ってるの、見たことないぞ」
「いいんだもーん。うひひひひひひ」
「ワハハハハハハハ!」
「えっ、何それ?」
「英雄の笑い方。ワハハハハハハ!」
「変なのー。うひひひひひひ」
「ワハハハハハハハ!」
森の海の上を静かに滑空しながら、ティミーとルゥは家路につく。
メルフェン村の夕暮れに、小さな魔女と英雄の笑い声が、いつまでもいつまでも響きわたっていた。
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