3話 月

 起床するたびに兎の目に映るのは相変わらずの月の姿であり、それはすなわち夜であって、満月の日もそう遠くないことを如実に表していた。


 兎にしてみれば、月の満ち欠けもその理由わけも、或いは餅をつくその理由さえ、どうでもいいものであった。


 そも、先祖が月にいた頃についていたのは餅ではなく不死の薬であり、そのことを蛙に告げればまたもあの濁声だみごえで「寓話、愚話」と鳴くのであろう。

 などと考えているうちにも時は流れ、月はまた一歩遠くなるのである。


 そのことに気付いてか、それとも単なる偶然か。

 兎は不意に写真機を月に向けると、パシャリと切り取るのである。


 相変わらずの面白みのない、月がただ月として鎮座するだけの写真。


 続け様に、二枚、三枚。

 どれも無個性で、無価値であり、けれど同時に、紛れもない月であった。


 敵を知るにはまず、敵を知らねばならぬ。

 そう誰ともなく兎は呟くと、更に、二枚、三枚、写し出す。

 角度を変え、倍率を変え、風合いを変え、意図を変え、五、六枚。池に映る月を写し、戯れに石を投げ入れ、水面を揺らす。

 朧のかかった池の中の宇宙は瞬く間に崩壊し、波を生み、静まり、再度宇宙となる。


 次善の策だな。


 兎は一人ごちる。

 月に行けぬとわかれば、最後は池に飛び込もう。

 蛙はまた、笑うだろう。愚話愚話と得意げに歌うだろう。


 だが、それでも良いのだ。中秋の名月であり、祭りである。

 月に行くなど戯言にすぎず、兎にとっても本当は座興にすぎないのだ。


 けれど、もし。もし、本当に月に行けるのであれば。月の土を踏めるのであれば。

 そう願わずにはいられないのだ。


 それは、或いは兎の本能なのやもしれぬ。

 兎として生まれた宿命であり、それほどに月は兎には魅力的で、いつかたどり着くことを願わずにはいられない場所なのだ。

 ああ、でも水の中だと、上手く舞えないなぁ。と、またも呟く。


 いやはや、歳をとるにつれて、独り言が増えてきたものだ。

 最近などは、蛙がいるのかいないのか。そんなことはお構いなしに話しかけているような気すらする。

 やはり歳は重ねたくないものだ。


 どこからか、蛙が鳴く声が遠く、小さく聞こえてくる。

 くすんだ体を撫でる風は、やはり秋のにおいを孕んでいた。

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