第三章 トリステインの武器屋

トリステインの武器屋①


 キュルケは、昼前に目覚めた。

 今日は虚無の曜日である。

 窓を眺めて、窓ガラスが入っていないことに気づいた。

 周りが焼け焦げている。

 しばらくぼんやりと寝ぼけた気分で見つめて、昨晩の出来事を思い出した。


「そうだわ、ふぁ、色んな連中が顔を出すから、ふっ飛ばしたんだっけ」


 そして、窓のことなどまったく気にせずに、起き上がると化粧を始めた。

 今日は、どうやって才人を口説こうか、と考えるとウキウキしてくる。

 キュルケは、生まれついての狩人なのだ。


 化粧を終え、自分の部屋から出て、ルイズの部屋の扉をノックした。

 そのあと、キュルケは顎に手を置いて、にっこりと笑った。


 才人が出てきたら、抱きついてキスをする。

 ルイズが出てきたらどうしようかしら、と少しだけ考える。


 そのときは、そうね……、部屋の奥にいるであろう、才人に流し目を送って中庭でもブラブラしていれば、向こうからアプローチしてくるだろう。

 キュルケは、よもや自分の求愛が拒まれるなどとは露ほども思っていないのであった。


 しかし、ノックの返事はない。

 あけようとしたが、鍵がかかっていた。


 キュルケはなんの躊躇いもなく、ドアに『アンロック』の呪文をかけた。

 鍵が開く音がする。

 ほんとなら、学院内で『アンロック』の呪文を唱えることは、重大な校則違反なのだが、キュルケは気にしない。

 恋の情熱はすべてのルールに優越する、というのがツェルプストー家の家訓なのであった。


 しかし、部屋はもぬけの殻だった。二人ともいない。

 キュルケは部屋を見回した。


「相変わらず、色気のない部屋ね……」


 ルイズの鞄がない。

 虚無の曜日なのに、鞄がないということはどこかに出かけたのであろうか。

 窓から外を見まわした。


 門から馬に乗って出ていく、二人の姿が見えた。

 目を凝らす。

 果たして、それは才人とルイズであった。


「なによー、出かけるの?」


 キュルケはつまらなそうに呟いた。

 それから、ちょっと考え、ルイズの部屋を飛び出した。



 タバサは寮の自分の部屋で、読書を楽しんでいた。

 青みがかった髪と、ブルーの瞳を持つ彼女は、メガネの奥の目をキラキラと海のように輝かせて本の世界に没頭していた。


 タバサは年より四つも五つも若く見られることが多い。

 身長は小柄なルイズより五センチも低く、体も細かったからだ。

 しかし、まったくそんなことは気にしていない。


 他人からどう見られるか、ということより、とにかく放っておいて欲しい、と考えるタイプの少女であった。


 タバサは虚無の曜日が好きだった。

 何故なら、自分の世界に好きなだけ浸っていられるからである。

 彼女にとっての他人は、自分の世界に対する無粋な闖入者である。

 数少ない例外に属する人間でも、よほどの場合でない限り鬱陶しく感じるのであった。


 その日も、どんどんとドアが叩かれたのでタバサはとりあえず無視した。

 そのうちに、激しく叩かれ始めた。

 タバサは立ち上がらずに、めんどくさそうに小さな唇を動かしてルーンを呟き、机に立てかけてあった自分の身長より大きい杖を振った。


『サイレント』、風属性の魔法である。

 タバサは風属性の魔法を得意とするメイジなのである。

 『サイレント』によって、彼女の集中を妨げるノックの音は消え去った。


 タバサは満足して本に向かった。

 その間、表情はぴくりとも変わらない。


 しかし、ドアは勢いよく開かれた。

 タバサは闖入者に気づいたが、本から目を離さなかった。


 入ってきたのは、キュルケだった。

 彼女は二言、三言、大げさに何かを喚いたが、『サイレント』の呪文が効果を発揮しているため、声がタバサに届かない。


 キュルケはタバサの本を取り上げた。

 そして、タバサの肩を掴んで自分に振り向かせる。

 タバサは、無表情にキュルケの顔を見つめていた。

 その顔からはいかなる感情も窺えないが、歓迎していないことは確かであった。


 しかし、入ってきたのはキュルケである。

 タバサの友人である。

 これが他の相手なら、なんなく部屋から『ウィンド・ブレイク』でも使って吹き飛ばすところなのだが、キュルケは数少ない例外であった。


 しかたなく、タバサは『サイレント』の魔法を解いた。

 いきなりスイッチを入れたオルゴールのように、キュルケの口から言葉が飛び出した。


「タバサ。今から出かけるわよ! 早く支度をしてちょうだい!」


 タバサは短くぼそっとした声で自分の都合を友人に述べた。


「虚無の曜日」


 それで十分であると言わんばかりに、タバサはキュルケの手から本を取り返そうとした。

 キュルケは高く本を掲げた。

 背の高いキュルケがそうするだけで、タバサの手は本に届かない。


「わかってる。あなたにとって虚無の曜日がどんな日だか、あたしは痛いほどよく知ってるわよ。でも、今はね、そんなこと言ってられないの。恋なのよ! 恋!」


 それでわかるでしょ? と言わんばかりのキュルケの態度であるが、タバサは首を振った。

 キュルケは感情で動くが、タバサは理屈で動く。

 どうにも対照的な二人である。

 そんな二人は、何故か仲がよい。


「そうね。あなたは説明しないと動かないのよね。ああもう! あたしね、恋したの! でね? その人が今日、あのにっくいヴァリエールと出かけたの! あたしはそれを追って、二人がどこに行くのか突き止めなくちゃいけないの! わかった?」


 タバサは首を振った。

それでどうして自分に頼むのか、理由がわからなかった。


「出かけたのよ! 馬に乗って! あなたの使い魔じゃないと追いつかないのよ! 助けて!」


 キュルケはタバサに泣きついた。

 タバサはやっと頷いた。

 自分の使い魔じゃないと追いつかない。

 なるほど、と思った。


「ありがとう! じゃ、追いかけてくれるのね!」


 タバサは再び頷いた。

 キュルケは友人である。

 友人が自分にしか解決できない頼みを持ち込んだ。

 ならばしかたがない。面倒だが受けるまでである。


 タバサは窓をあけ、口笛を吹いた。

 ピューっと、甲高い口笛の音が、青空に吸い込まれる。

 それから、窓枠によじ登り、外に向かって飛び降りた。


 何も知らない人間が見たら、おかしくなったとしか思えない行為だが、キュルケはまったく動じずに、タバサに続いて窓から外に身を躍らせた。

 ちなみに、タバサの部屋は五階にある。


 タバサは、外出の際あまりドアを使わない。

 こっちの方が早いからである。


 落下する二人をその理由が受け止めた。


 ばっさばっさと力強く両の翼を陽光にはためかせ、二人をその背に乗せて、ウィンドドラゴンが飛び上がった。


「いつ見ても、あなたのシルフィードは惚れ惚れするわね」


 キュルケが突き出た背びれにつかまり、感嘆の声をあげた。


 そう、タバサの使い魔はウィンドドラゴンの幼生なのであった。

 タバサから風の妖精の名を与えられた風竜は、寮塔に当たって上空に抜ける上昇気流を器用に捕らえ、一瞬で二百メイルも空を駆けのぼった。


「どっち?」タバサが短くキュルケに尋ねた。


 キュルケが、あ、と声にならない声をあげた。


「わかんない……。慌ててたから」


 タバサは別に文句をつけるでなく、ウィンドドラゴンに命じた。


「馬二頭。食べちゃだめ」


 ウィンドドラゴンは短く鳴いて了解の意を主人に伝えると、青い鱗を輝かせ、力強く翼を振り始めた。


 高空に上り、その視力で馬を見つけるのである。

 草原を走る馬を見つけることなど、この風竜にとってはたやすいことであった。


 自分の忠実な使い魔が仕事を開始したことを認めると、タバサはキュルケの手から本を奪い取り、尖った風竜の背びれを背もたれにしてページをめくり始めた。



 トリステインの城下町を、才人とルイズは歩いていた。

 魔法学院からここまで乗ってきた馬は町の門のそばにある駅に預けてある。

 才人は、腰が痛くてたまらなかった。

 なにせ、生まれて初めて馬に乗ったのである。


「腰がいてぇ……」そうぼやきながら、ひょこひょこと歩く。


 ルイズは、しかめつらをして、そんな才人を見つめた。


「情けない。馬にも乗ったことないなんて。これだから平民は……」

「うっせ。そんなヤツを三時間も馬に乗せるな」

「まさか歩くわけにはいかないでしょ」


 それでも才人は、物珍しそうに辺りを見回した。

 白い石造りの街は、まるでテーマパークのようだ。

 魔法学院に比べると、質素ななりの人間が多かった。


 道端で声を張り上げて、果物や肉や、籠などを売る商人たちの姿が、才人の外国気分を盛り上げる。というか異世界なのだが。


 のんびり歩いたり、急いでるやつがいたり、老若男女取り混ぜ歩いている。

 その辺は才人の元いた世界とあまり変わりがないが、道は狭い。


「狭いな」

「狭いって、これでも大通りなんだけど」

「これで?」


 道幅は五メートルもない。

 そこを大勢の人が行き来するものだから、歩くのも一苦労である。


「ブルドンネ街。トリステインで一番大きな通りよ。この先にトリステインの宮殿があるわ」

「宮殿に行くの?」

「女王陛下に拝謁してどうするのよ」

「是非ともスープの量を増やしてもらう」


 才人がそう言ったら、ルイズは笑った。


 道端には露店が溢れている。

 好奇心が強い才人は、いちいちじっくりと眺めずにはいられなかった。

 筵の上に並べられた、奇妙な形のカエルが入った壜を見つめていたら、ルイズに耳を引っ張られた。


「ほら、寄り道しない。スリが多いんだから! あんた、上着の中の財布は大丈夫でしょうね?」


 ルイズは、財布は下僕が持つものだ、と言って、財布をそっくり才人に持たせていたのである。

 中にはぎっしりと金貨が詰まっていた。ずっしりと重かった。


「あるよ、ちゃんと。こんな重いものスラれるかっての」

「魔法を使われたら、一発でしょ」


 でも、メイジっぽい姿の人間はいなかった。

 才人は魔法学院で、メイジと平民を分ける術を覚えた。

 メイジは、とにかく、マントをつけているのである。

 あと、歩き方がもったいぶっている。

 ルイズに言わせると、貴族の歩き方だ、ということになる。


「普通の人しかいないじゃん」

「だって、貴族は全体の人口の一割いないのよ。あと、こんな下賎なところ滅多に歩かないわ」

「貴族がスリなんかすんのかよ」

「貴族は全員がメイジだけど、メイジのすべてが貴族ってわけじゃないわ。いろんな事情で、勘当されたり家を捨てたりした貴族の次男や三男坊なんかが、身をやつして傭兵になったり犯罪者になったり……、って聞いてる?」


 もうすでに才人は聞いていない。今度は看板に夢中である。


「あの、壜の形した看板はなに?」

「酒場でしょ」

「あのバッテンの印は?」

「衛士の詰め所」


 興味を引かれる看板を見つけるたびに、才人は立ち止まる。

 そのたびにルイズは、才人の腕を掴んで引っ張るのであった。


「わかったよ。急かすなよ。ちゅうか剣屋はどこだよ」

「こっちよ。剣だけ売ってるわけじゃないけど」


 ルイズは、さらに狭い路地裏に入っていった。

 悪臭が鼻をつく。ゴミや汚物が、道端に転がっている。


「きたねえ」

「だからあんまり来たくないのよ」


 四辻に出た。

 ルイズは、立ち止まると、辺りをきょろきょろと見回した。


「ピエモンの秘薬屋の近くだったから、この辺なんだけど……」


 それから、一枚の銅の看板を見つけ、嬉しそうに呟いた。


「あ、あった」


 見ると、剣の形をした看板が下がっていた。

 そこがどうやら、武器屋であるらしかった。


 ルイズと才人は、石段を上り、羽扉をあけ、店の中に入っていった。

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