微熱のキュルケ②
部屋に戻ったルイズは、慎重に内鍵をかけると、才人に向き直った。
唇をぎゅっと噛み締めると、両目が吊り上がった。
「まるでサカリのついた野良犬じゃないの~~~~~ッ!」
声が震えている。
ルイズは、怒ると口より先に手が動き、手より先に足が動く。
もっと怒ると声が震えるのだった。
ルイズは顎をしゃくった。
「な、なんだよ」
「そこにはいつくばりなさい。わたし、間違ってたわ。あんたを一応、人間扱いしてたみたいね」
「嘘つけ!」
人間扱い? どう考えてもそれは嘘だと思った。
「ツェルプストーの女に尻尾をふるなんてぇ――――――ッ! 犬――――――ッ!」
ルイズは机の引き出しから、何かを取り出した。鞭である。
「お、お嬢様?」
才人はとぼけた声をあげた。
ルイズはそれでピシッと床を叩いた。
「ののの、野良犬なら、野良犬らしく扱わなくちゃね。いいい、今まで甘かったわ」
「なんで鞭なんか持ってんだよ」
才人はルイズが持った見事な鞭を見つめて言った。
いやぁ、立派な革製の鞭である。
「乗馬用の鞭だから、あんたにゃ上等ね。あんたは、野良犬だもんねッ!」
「野良犬かよ!」
ルイズはそれで才人を叩き始めた。
ピシッ! ピシッ! と宙を舞う鞭から才人は逃げ惑った。
「いだっ! やめろ! ばか!」
「なによ! あんな女のどこがいいのよッ!」
ルイズが叫んだ。
才人は、はっ! と気づき、ルイズの隙をついて両の手首を捕まえた。
ルイズは暴れたが、所詮は少女の力である。
才人が手首を握ると、身動きできないようだった。
「離しなさいよ……! ばか!」
「えっと、お前、もしかして……」
才人はルイズの目を覗き込んだ。鳶色の目が、才人を睨み返す。
間近で見ると、やはり、どきっとするような容姿である。
可愛い。
キュルケも美人だ。ああ、色気たっぷりだ。
しかし、ルイズは真っ白なキャンバスである。
穢れのない、真摯なキャンバスである。
ただ、ちょっと性格に難があるだけである。
才人はどちらかというと、容姿的にはルイズの方が好みなのであった。
才人の鼓動が、十六小節のポップ・チューンをはじき出す。
ジェラシー? 俺に恋してる? と思ったら、そんなルイズが激しく可愛く見えた。
つまり、才人もキュルケに負けず劣らず、惚れっぽく流されやすいのであった。
「嫉妬? 俺に惚れてた?」
才人は言った。
「もしかして、俺がキュルケのベッドに座って、お前のベッドに忍び込まなかったから怒ってる? いや、気づかないでごめん」
才人は頭を下げた。
そして、ルイズの顎を持った。
「俺もお前のこと、ちょっといいなって思ったことあるよ。ほら、包帯巻いてくれたとき……」
ルイズの肩がわなわなと震えだした。
「……俺は男だからきちんとアプローチするよ。今晩、お前のベッドに忍び込む。お前が俺の藁束に忍び込む必要はない」
ルイズの右足が、疾風のように動き、才人の股間を蹴り上げた。
「……お、んぬぉおおおおおお」
才人は地面に膝をつき、脂汗を流した。
痛い。死にそうなくらい、痛い。
「誰が好きだって? わたしが? あんたを? どうして?」
ルイズはぐりぐりと才人の頭を踏みつけた。
「……ち、違うの?」
ルイズは、ぐいぐいと才人の頭を踏んづけた。
「あったりまえでしょうが~~~~~~」
「そ、そうだよね……。誤解してました……」
ルイズは椅子に座ると、足を組んだ。
息が荒いが、散々才人を痛めつけたので、少しは気が晴れたらしい。
「確かに、あんたが誰とつきあおうが、あんたの勝手。でも、キュルケはだめ」
「ど、どうして?」
才人はめり込んだ玉を戻すために、ぴょんぴょんと跳びながら尋ねた。
「まず、キュルケはトリステインの人間じゃないの。隣国ゲルマニアの貴族よ。それだけでも許せないわ。わたしはゲルマニアが大嫌いなの」
「知るかよ。そんなの」
「わたしの実家があるヴァリエールの領地はね、ゲルマニアとの国境沿いにあるの。だから戦争になるといっつも先頭切ってゲルマニアと戦ってきたの。そして、国境の向こうの地名はツェルプストー! キュルケの生まれた土地よ!」
ルイズは歯軋りしながら叫んだ。
「つまり、あのキュルケの家は……。フォン・ツェルプストー家は……、ヴァリエールの領地を治める貴族にとって不倶戴天の敵なのよ。実家の領地は国境挟んで隣同士! 寮では隣の部屋! 許せない!」
「はぁ。しかも恋する家系だそうだね」
「ただの色ボケの家系よ! キュルケのひいひいひいおじいさんのツェルプストーは、わたしのひいひいひいおじいさんの恋人を奪ったのよ! 今から二百年前に!」
「随分昔の話だな」
「それから、あのツェルプストーの一族は、散々ヴァリエールの名を辱めたわ! ひいひいおじいさんは、キュルケのひいひいおじいさんに、婚約者を奪われたの」
「はぁ」
「ひいおじいさんのサフラン・ド・ヴァリエールなんかね! 奥さんを取られたのよ! あの女のひいおじいさんのマクシミリ・フォン・ツェルプストーに! いや、弟のデゥーディッセ男爵だったかしら……」
「どっちでもいいが、とにかくお前の家系は、あのキュルケの家系に、恋人を取られまくったってワケか」
「それだけじゃないわ。戦争の度に殺しあってるのよ。お互い殺され殺した一族の数は、もう、数えきれないわ!」
「俺はただの使い魔なんだから、別に取られたっていいじゃねえかよ」
「嫌よ! 小鳥一匹だって、あのキュルケに取られてたまるもんですか! ご先祖様に申し訳がたたないわ!」
ルイズはそこまで言うと、水差しからコップに水を注ぎ、一息に飲み干した。
「というわけで、キュルケはだめ。禁止」
「お前のご先祖なんか俺には関係ない」
「関係あるの! あんたはわたしの使い魔でしょ! とにもかくにも、ヴァリエール公爵家の禄を食んでるんだから、わたしの言うことには従いなさい」
「使い魔使い魔ってなあ……」
才人はじろりとルイズを睨んだ。
「文句があるの?」
「いや……、そうじゃなきゃ、ま、生活できないんだから、我慢するけどよ……」
才人は唇を尖らせて、どすんと床に座り込んだ。
「あのねー、感謝して欲しいもんだわ」
「なにが?」
「平民がキュルケの恋人になった、なんて噂が立ったら、あんた無事じゃすまないわよ?」
才人は、窓にぶら下がっていた男たちを思い出した。
キュルケの魔法で火あぶりにされて、虫けらみたいに地面に落ちていったが……。
その場に自分がいたことを知ったら、どうなるだろう?
才人はギーシュとの一戦を思い出して、背筋が寒くなった。
「……ルイズ」
「なによ」
「剣くれ。剣」
身を守るものが欲しかった。
「持ってないの?」
「あるわけないだろ? この前握ったのは、ギーシュの剣だっつの」
ルイズは呆れた、とばかりに腕を組んだ。
「剣士なんでしょ? あんた」
「違うよ。剣なんか握ったこともない」
「この前は自在に操ってたじゃないの」
「そうだけど……」
「ふーん……」
ルイズは考え込んだ。
「どうした?」
「使い魔として契約したときに、特殊能力を得ることがあるって聞いたことがあるけど、それなのかしら」
「特殊能力?」
「そうよ。例えば、黒猫を使い魔にしたとするでしょう?」
ルイズは指を立てると、才人に説明した。
「うん」
「人の言葉をしゃべれるようになったりするのよ」
「俺はネコじゃねえぞ」
「知ってる。古今東西、人を使い魔にした例はないし……。だから、何が起こっても不思議じゃないのかもね。剣を握ったことのないあんたが、自在に操れるようになるぐらいのこと、あるかもしれないわ」
「ふぅん……」
でも、ただ振れるだけじゃなかった。
まるで羽みたいに、自分の体は軽やかに動いた。
その上、ギーシュのゴーレムは青銅でできていたんだぞ。
いくら剣術の能力が身についたとしても、あんなに簡単に金属の塊が切り裂けるもんだろうか?
「不思議なら、トリステインのアカデミーに問い合わせてみる?」
「アカデミー?」
「そうよー。王室直属の、魔法ばっかり研究している機関よ」
「そこで研究されたら、どうなるの?」
「そうね。色んな実験されるわ。体をバラバラにされたりとか」
「ふざけんな!」
才人は、立ち上がった。
人体実験なんかごめんである。
「それがイヤなら、あまり人には言わないことね。いきなり剣が振れるようになった、なんて」
「わかった。そうするよ」
才人はぞっとしながら、頷いた。
「そうね……。わかったわ」
ルイズは一人で納得するように、頷いた。
「何がわかったんだよ」
「あんたに、剣、買ってあげる」
「え?」
意外な申し出だった。
ルイズはケチだと思っていた。
「キュルケに好かれたんじゃ、命がいくつあっても足りないし。降りかかる火の粉は自分で払いなさい」
ルイズはつまらなそうに言った。
「珍しい……」
「どうしてよ」
じろりとルイズが睨む。
「お前って、ケチだと思ってた。飯とかひどいし」
「使い魔に贅沢させたら、癖になるでしょ。必要なものはきちんと買うわよ。わたしは別にケチじゃないのよ」
ルイズは得意げに言った。
「はぁ」
「わかったら、さっさと寝る! 明日は虚無の曜日だから、街に連れてってあげる」
へぇ、こっちの世界でも曜日によって休みが決まってるのかと思いながら、才人は廊下に出ようとした。
「どこに行くのよ」
「どこって廊下」
「いいわよ。部屋で寝なさい。またキュルケに襲われたら大変でしょ」
才人はルイズを見つめた。
「なによ」
「お前、やっぱり俺のこと……」
ルイズが鞭を掴もうとしたので、才人はそれ以上何も言わないで藁束を部屋に運び入れた。毛布にくるまり、その上に横になる。
左手のルーンを見つめた。
こいつが光ったおかげで、ギーシュを倒し、キュルケに惚れられ、ルイズに剣を買ってもらうことになった。
いったい、この左手の文字は、俺をどこに連れて行くつもりだろう。
そんなことを考えてると、眠気が襲ってきた。
今日も長い一日だったと思いながら、才人は眠りについた。
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