第三章 伝説

伝説①



 ミスタ・コルベールはトリステイン魔法学院に奉職して二十年、中堅の教師である。

 彼の二つ名は『炎蛇のコルベール』。

 『火』系統の魔法を得意とするメイジである。


 彼は、先日の『春の使い魔召喚』の際に、ルイズが呼び出した平民の少年のことが気にかかっていた。

 正確にいうと、その少年の左手に現れたルーンのことが気になってしかたないのであった。

 珍しいルーンであった。

 それで、先日の夜から図書館にこもりっきりで、書物を調べているのであった。


 トリステイン魔法学院の図書館は、食堂のある本塔の中にある。

 本棚は驚くほどに大きい。

 おおよそ三十メイルほどの高さの本棚が、壁際に並んでいる様は壮観だ。

 それもそのはず、ここには始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を築いて以来の歴史が、詰め込まれているのだった。


 彼がいるのは、図書館の中の一区画、教師のみが閲覧を許される『フェニアのライブラリー』の中であった。

 生徒たちも自由に閲覧できる一般の本棚には、彼の満足いく回答は見つからなかったのである。


『レビテーション』、空中浮遊の呪文を使い、手の届かない書棚まで浮かび、彼は一心不乱に本を探っていた。

 そして、その努力は報われた。

 彼は一冊の本の記述に目を留めた。


 それは始祖ブリミルが使用した使い魔たちが記述された古書であった。

 その中に記された一節に彼は目を奪われた。じっくりとその部分を読みふけるうちに、彼の目が見開いた。


 古書の一節と、少年の左手に現れたルーンのスケッチを見比べる。

 彼は、あっ、と声にならないうめきをあげた。一瞬、『レビテーション』のための集中が途切れ、床に落ちそうになる。


 彼は本を抱えると、慌てて床に下りて走り出す。

 彼が向かった先は、学院長室であった。







 学院長室は、本塔の最上階にある。

 トリステイン魔法学院の学院長を務めるオスマン氏は、白い口ひげと髪を揺らし、重厚なつくりのセコイアのテーブルに肘をついて、退屈をもてあましていた。

 ぼんやりと鼻毛を抜いていたが、おもむろに「うむ」と呟いて引き出しを引いた。

 中から水ギセルを取り出した。

 すると、部屋の端に置かれた机に座って書き物をしている秘書のミス・ロングビルが羽ペンを振った。

 水ギセルが宙を飛び、ミス・ロングビルの手元までやってきた。

 つまらなそうにオスマン氏が呟く。


「年寄りの楽しみを取り上げて、楽しいかね? ミス……」

「オールド・オスマン。あなたの健康を管理するのも、わたくしの仕事なのですわ」


 オスマン氏は椅子から立ち上がると、理知的な顔立ちが凛々しい、ミス・ロングビルに近づいた。

 椅子に座ったロングビルの後ろに立つと、重々しく目をつむった。


「こう平和な日々が続くとな、時間の過ごし方というものが、何より重要な問題になってくるのじゃよ」


 オスマン氏の顔に刻まれた皺が、彼が過ごしてきた歴史を物語っている。

 百歳とも、三百歳とも、言われている。

 本当の年が幾つなのか、誰も知らない。本人も知らないかもしれない。


「オールド・オスマン」


 ミス・ロングビルは、羊皮紙の上を走らせる羽ペンから目を離さずに言った。


「なんじゃ? ミス……」

「暇だからといって、わたくしのお尻を撫でるのはやめてください」


 オスマン氏は口を半開きにすると、よちよちと歩き始めた。


「都合が悪くなると、ボケた振りをするのもやめてください」


 どこまでも冷静な声で、ミス・ロングビルが言った。

 オスマン氏はため息をついた。深く、苦悩が刻まれたため息であった。


「真実はどこにあるんじゃろうか? 考えたことはあるかね? ミス……」

「少なくとも、わたくしのスカートの中にはありませんので、机の下にネズミを忍ばせるのはやめてください」


 オスマン氏は、顔を伏せた。悲しそうな顔で、呟いた。


「モートソグニル」


 ミス・ロングビルの机の下から、小さなハツカネズミが現れた。

 オスマン氏の足を上り、肩にちょこんと乗っかって、首をかしげる。

 ポケットからナッツを取り出し、ネズミの顔の先で振った。

 ちゅうちゅう、とネズミが喜んでいる。


「気を許せる友達はお前だけじゃ。モートソグニル」


 ネズミはナッツを齧り始めた。

 齧り終えると、再びちゅうちゅうと鳴いた。


「そうかそうか。もっと欲しいか。よろしい。くれてやろう。だが、その前に報告じゃ。モートソグニル」


 ちゅうちゅう。


「そうか、白か。純白か。うむ。しかし、ミス・ロングビルは黒に限る。そう思わんかね。可愛いモートソグニルや」


 ミス・ロングビルの眉が動いた。


「オールド・オスマン」

「なんじゃね?」

「今度やったら、王室に報告します」

「カーッ! 王室が怖くて魔法学院学院長が務まるかーッ!」


 オスマン氏は目を剥いて怒鳴った。

 よぼよぼの年寄りとは思えない迫力だった。


「下着を覗かれたぐらいでカッカしなさんな! そんな風だから、婚期を逃すのじゃ。はぁ~~~、若返るのう~~~、ミス……」


 オールド・オスマンはミス・ロングビルのお尻を堂々と撫で回し始めた。

 ミス・ロングビルは立ち上がった。しかるのちに、無言で上司を蹴りまわした。


「ごめん。やめて。痛い。もうしない。ほんとに」


 オールド・オスマンは、頭を抱えてうずくまる。

 ミス・ロングビルは、荒い息で、オスマン氏を蹴り続けた。


「あだっ! 年寄りを。きみ。そんな風に。こら! あいだっ!」


 そんな平和な時間は、突然の闖入者によって破られた。

 ドアがガタン! と勢いよくあけられ、中にコルベールが飛び込んできた。


「オールド・オスマン!」

「なんじゃね?」


 ミス・ロングビルは何事もなかったように机に座っていた。

 オスマン氏は腕を後ろに組んで、重々しく闖入者を迎え入れた。早業であった。


「たた、大変です!」

「大変なことなど、あるものか。すべては小事じゃ」

「ここ、これを見てください!」


 コルベールは、オスマン氏に先ほど読んでいた書物を手渡した。


「これは『始祖ブリミルの使い魔たち』ではないか。まーたこのような古臭い文献など漁りおって。そんな暇があるのなら、たるんだ貴族たちから学費を徴収するうまい手をもっと考えるんじゃよ。ミスタ……、なんだっけ?」


 オスマン氏は首をかしげた。


「コルベールです! お忘れですか!」

「そうそう。そんな名前だったな。君はどうも早口でいかんよ。で、コルベール君。この書物がどうかしたのかね?」

「これも見てください!」


 コルベールは才人の手に現れたルーンのスケッチを手渡した。

 それを見た瞬間、オスマン氏の表情が変わった。目が光って、厳しい色になった。


「ミス・ロングビル。席を外しなさい」


 ミス・ロングビルは立ち上がった。そして部屋を出ていく。

 彼女の退室を見届け、オスマン氏は口を開いた。


「詳しく説明するんじゃ。ミスタ・コルベール」







 ルイズがめちゃくちゃにした教室の片づけが終わったのは、昼休みの前だった。

 罰として、魔法を使って修理することが禁じられたため、時間がかかってしまったのである。

 といってもルイズはほとんど魔法が使えないから、あまり意味はなかったが。

 ミセス・シュヴルーズは、爆風に吹き飛ばされた二時間後に息を吹き返し、授業に復帰したが、その日一日『錬金』の講義を行わなかった。

 トラウマになってしまったらしい。


 片づけを終えたルイズと才人は、食堂へと向かった。

 昼食を取るためである。


 道すがら、才人は何度もルイズをからかった。

 なにせ、ルイズの所為で、先ほどは重労働であった。

 新しい窓ガラスを運んだのも才人である。

 重たい机を運んだのも才人である。

 煤だらけになった教室を、雑巾で磨いたのも才人である。

 ルイズはしぶしぶと机を拭いただけだった。


 寝るのは床。飯は貧しい。おまけに下着の洗濯(まだやってないけど)。

 そんな風に才人を苛めるルイズの弱点を見つけて、黙っているわけがなかった。

 ここぞとばかりに才人はルイズをからかいまくった。


「ゼロのルイズ。なるほどねえ。言いえて妙ですねえ。成功の可能性ゼロ。そんでも貴族。素晴らしい」


 ルイズは無言だった。

 才人は浮かれていた。


「錬金! あ! ボカーン! 錬金! あ! ボカーン! 失敗です! ゼロだけに失敗であります!」


 ルイズの周りを、そんな風におどけながらぐるぐるまわった。

 ボカーンと言う時には両腕を上げて、爆発を表現した。細かい演出である。


「ルイズお嬢様。この使い魔、歌を作りました」


 才人は恭しく頭を下げて言った。

 もちろん、バカにしている。ナメているのである。


 ルイズの眉が、ひくひくと動いていた。

 爆発寸前であったが、浮かれた才人は気づかない。


「歌ってごらんなさい?」

「ルイルイルイズはダメルイズ。魔法ができない魔法使い。でも平気! 女の子だもん……」


 才人は腹を抱えて笑った。


「ぶわっはっはっは!」


 自分で言って笑った。ダメなヤツである。







 食堂につくと、才人は椅子をひいてやった。


「はいお嬢様。料理に魔法をかけてはいけませんよ。爆発したら、大変ですからね」


 ルイズは無言で席に着く。

 才人は散々ルイズをからかうことができたので、満足していた。

 生意気で高慢ちきなルイズに一矢報いてやった。粗末な食事も気にならない。

 皿に盛られた貧乏臭いスープとパンが痛々しいが、さっきあれだけ笑わせてもらったのだから、チャラである。


「さてと、始祖ナントカ。女王様。ほんとにささやかで粗末な食事をこんちくしょう。いただきます」


 食べようとしたら、その皿がひょいと取り上げられた。


「なにすんだよ!」

「こここ……」

「こここ?」


 ルイズの肩が怒りで震えていた。

 声も震えている。

 どうやら食卓につくまで、溢れる怒りを抑えていたらしい。

 効果的にお仕置きができるからであろう。


「こここ、この使い魔ったら、ごごご、ご主人様に、ななな、なんてこと言うのかしら」


 才人はやりすぎたことに気づいた。


「ごめん。もう言わないから、俺のエサ返して」

「ダメ! ぜぇーったい! ダメ!」


 ルイズは可愛い顔を怒りでゆがませて、叫んだ。


「ゼロって言った数だけ、ご飯ヌキ! これ絶対! 例外なし!」







 結局、才人は昼食ヌキのまま、食堂を出た。

 イヤミなんか言わなきゃよかった……。後悔先に立たず、である。


「はぁ、腹が減った……。くそ……」


 腹を抱えて、壁に手をついた。


「どうなさいました?」


 振り向くと、大きい銀のトレイを持ち、メイドの格好をした素朴な感じの少女が心配そうに才人を見つめている。

 カチューシャで纏めた黒髪とそばかすが可愛らしい。


「なんでもないよ……」才人は左手を振った。


「あなた、もしかしてミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう……」


 彼女は才人の左手にかかれたルーンに気づいたらしい。


「知ってるの?」

「ええ。なんでも、召喚の魔法で平民を呼んでしまったって。噂になってますわ」


 女の子はにっこりと笑った。この世界に来て初めて見た、屈託のない笑顔だった。


「君も魔法使い?」才人は尋ねた。


「いえ、私は違います。あなたと同じ平民です。貴族の方々をお世話するために、ここでご奉公させていただいてるんです」


 平民じゃなくて地球人なんだけど、説明するだけ無駄だろう。

 才人はおとなしく挨拶した。


「そっか……。俺は平賀才人。よろしく」

「変わったお名前ですね……。私はシエスタっていいます」


 そのとき、才人のお腹が鳴った。


「お腹が空いてるんですね」

「うん……」

「こちらにいらしてください」


 シエスタは歩き出した。







 才人が連れていかれたのは、食堂の裏にある厨房だった。

 大きな鍋や、オーブンがいくつも並んでいる。

 コックや、シエスタのようなメイドたちが忙しげに料理を作っている。


「ちょっと待っててくださいね」


 才人を厨房の片隅に置かれた椅子に座らせると、シエスタは小走りで厨房の奥に消えた。

 そして、お皿を抱えて戻ってきた。皿の中には、温かいシチューが入っていた。


「貴族の方々にお出しする料理の余りモノで作ったシチューです。よかったら食べてください」

「いいの?」

「ええ。賄い食ですけど……」


 その優しさにホロリとしてしまう。

 ルイズがよこしたスープとは大違いだ。

 スプーンで一口すすって口に運ぶ。

 うまい。泣けてきた。


「おいしいよ。これ」

「よかった。お代わりもありますから。ごゆっくり」


 才人は夢中になってシチューを食べた。

 シエスタは、ニコニコしながらそんな才人の様子を見つめている。


「ご飯、貰えなかったんですか?」

「ゼロのルイズって言ったら、怒って皿を取り上げやがった」

「まあ! 貴族にそんなこと言ったら大変ですわ!」

「なーにが貴族だよ。たかが魔法が使えるぐらいで威張りやがって」

「勇気がありますわね……」


 シエスタは、唖然とした顔で、才人を見つめている。

 才人は空になった皿をシエスタに返した。


「おいしかったよ。ありがとう」

「よかった。お腹が空いたら、いつでも来てくださいな。私たちが食べているものでよかったら、お出ししますから」


 嬉しいことを言ってくれる。

 才人はさらにホロリとしてしまった。


「ありがと……」


 いきなりホロホロと泣き出した才人を見て、シエスタが驚いた声をあげた。


「ど、どうしたんですか?」

「いや……、俺、こっちに来て優しくされたの初めてで……、思わず感極まりました……」

「そ、そんな、大げさな……」

「大げさじゃないよ。俺に何かできることがあったら言ってくれ。手伝うよ」


 ルイズの下着の洗濯なんかする気にはなれないが、彼女の手伝いならしたかった。


「なら、デザートを運ぶのを手伝ってくださいな」


 シエスタは微笑んで言った。


「うん」才人は大きく頷いた。

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