伝説②



 大きな銀のトレイに、デザートのケーキが並んでいる。

 才人がそのトレイを持ち、シエスタがはさみでケーキをつまみ、一つずつ貴族たちに配っていく。


 金色の巻き髪に、フリルのついたシャツを着た、気障なメイジがいた。

 薔薇をシャツのポケットに挿している。

 周りの友人が、口々に彼を冷やかしている。


「なあ、ギーシュ! お前、今は誰とつきあっているんだよ!」

「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」


 気障なメイジはギーシュというらしい。

 彼はすっと唇の前に指を立てた。


「つきあう? 僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」


 自分を薔薇に例えてやがる。救いようのないキザだ。

 見てるこっちが恥ずかしくなるほどのナルシストっぷりである。

 才人は死んでくれと思いながら、彼を見つめた。

 そのとき、ギーシュのポケットから何かが落ちた。

 ガラスでできた小壜である。中に紫色の液体が揺れている。


 気に入らないヤツだが、落とし物は落とし物だ。教えてやろう。

 才人はギーシュに言った。


「おい、ポケットから壜が落ちたぞ」


 しかし、ギーシュは振り向かない。こいつ、無視しやがって。

 才人はシエスタにトレイを持ってもらうと、しゃがみこんで小壜を拾った。


「落とし物だよ。色男」


 それをテーブルの上に置いた。

 ギーシュは苦々しげに、才人を見つめると、その小壜を押しやった。


「これは僕のじゃない。君は何を言っているんだね?」


 その小壜の出所に気づいたギーシュの友人たちが、大声で騒ぎ始めた。


「おお? その香水は、もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」

「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」

「そいつが、ギーシュ、お前のポケットから落ちてきたってことは、つまりお前は今、モンモランシーとつきあっている。そうだな?」

「違う。いいかい? 彼女の名誉のために言っておくが……」


 ギーシュが何か言いかけたとき、後ろのテーブルに座っていた茶色のマントの少女が立ち上がり、ギーシュの席に向かって、コツコツと歩いてきた。

 栗色の髪をした、可愛い少女だった。

 着ているマントの色からすると、一年生だろうか。


「ギーシュさま……」


 そして、ボロボロと泣き始める。


「やはり、ミス・モンモランシーと……」

「彼らは誤解しているんだ。ケティ。いいかい、僕の心の中に住んでいるのは、君だけ……」


 しかし、ケティと呼ばれた少女は、思いっきりギーシュの頬をひっぱたいた。


「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」


 ギーシュは、頬をさすった。

 すると、遠くの席から一人の見事な巻き髪の女の子が立ち上がった。

 才人はその子に見覚えがあった。

 確か、才人がこの世界に呼び出されたときに、ルイズと口論していた女の子だ。


 いかめしい顔つきで、かつかつかつとギーシュの席までやってきた。


「モンモランシー。誤解だ。彼女とはただいっしょに、ラ・ロシェールの森へ遠乗りをしただけで……」


 ギーシュは、首を振りながら言った。

 冷静な態度を装っていたが、冷や汗が一滴、額を伝っていた。


「やっぱり、あの一年生に、手を出していたのね?」

「お願いだよ。『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りでゆがませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」


 モンモランシーは、テーブルに置かれたワインの壜を掴むと、中身をどぼどぼとギーシュの頭の上からかけた。

 そして……、


「うそつき!」


 と怒鳴って去っていった。


 沈黙が流れた。


 ギーシュはハンカチを取り出すと、ゆっくりと顔を拭いた。

 そして、首を振りながら芝居がかった仕草で言った。


「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」


 才人は一生やってろ、と思い、シエスタから銀のトレイを受け取り、再び歩き出した。

 そんな才人を、ギーシュが呼び止めた。


「待ちたまえ」

「なんだよ」


 ギーシュは、椅子の上で体を回転させると、すさっ! と足を組んだ。

 そのいちいちキザったらしい仕草に、頭痛がする。


「君が軽率に、香水の壜なんかを拾い上げたおかげで、二人のレディの名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」


 才人は呆れた声で言った。


「二股かけてるお前が悪い」


 ギーシュの友人たちが、どっと笑った。


「そのとおりだギーシュ! お前が悪い!」


 ギーシュの顔に、さっと赤みが差した。


「いいかい? 給仕君。僕は君が香水の壜をテーブルに置いたとき、知らないフリをしたじゃないか。話を合わせるぐらいの機転があってもよいだろう?」

「どっちにしろ、二股なんかそのうちバレるっつの。あと、俺は給仕じゃない」

「ふん……。ああ、君は……」


 ギーシュは、バカにしたように鼻を鳴らした。


「確か、あのゼロのルイズが呼び出した、平民だったな。平民に貴族の機転を期待した僕が間違っていた。行きたまえ」


 才人はかちんときた。

 確かに美少年であるが、こんなキザのナルシストに、そうまで言われちゃ黙ってられない。

 余計な一言が口をついた。


「うるせえキザ野郎。一生薔薇でもしゃぶってろ」


 ギーシュの目が光った。


「どうやら、君は貴族に対する礼を知らないようだな」

「あいにく、貴族なんか一人もいない世界から来たんでね」


 才人はギーシュの物腰を真似て、右手を上げ、キザったらしい仕草で言った。


「よかろう。君に礼儀を教えてやろう。ちょうどいい腹ごなしだ」


 ギーシュは立ち上がった。


「おもしれえ」


 才人は歯をむき出して、うなった。まず、こいつは第一印象からして気に入らない。

 ルイズほどじゃないけど、結構可愛い女の子と二人もつきあっていた。

 おまけに俺を小バカにしくさった。


 ケンカをするには十分すぎる理由がある。

 ルイズにバカにされた分も含めて、殴ってやる。

 あいつは一応、女だからな!


「ここでやんのか?」


 才人は言った。

 ギーシュは才人より背が高いが、ひょろひょろしてて、力はなさそうだ。

 色男、金と力はなかりけり、だ。

 才人もそんなに強いわけじゃないが、負けるとは思えない。


 ギーシュは、くるりと体を翻した。


「逃げんのかよ!」

「ふざけるな。貴族の食卓を平民の血で汚せるか。ヴェストリの広場で待っている。ケーキを配り終わったら、来たまえ」


 ギーシュの友人たちが、わくわくした顔で立ち上がり、ギーシュの後を追った。

 一人は、テーブルに残った。才人を逃がさないために、見張るつもりのようだ。

 シエスタが、ぶるぶる震えながら、才人を見つめている。

 才人は笑いながら言った。


「大丈夫。あんなひょろスケに負けるかっての。何が貴族だっつの」

「あ、あなた、殺されちゃう……」

「はぁ?」

「貴族を本気で怒らせたら……」


 シエスタは、だーっと走って逃げてしまった。

 なんなんだよ、と才人は呟いた。あいつ、そんなに強いってのか?

 後ろからルイズが駆け寄ってきた。


「あんた! 何してんのよ! 見てたわよ!」

「よおルイズ」

「よおじゃないわよ! なに勝手に決闘なんか約束してんのよ!」

「だって、あいつが、あんまりにも ムカつくから……」


 才人はバツが悪そうに言った。

 ルイズはため息をついて、やれやれと肩をすくめた。


「謝っちゃいなさいよ」

「なんで?」

「怪我したくなかったら、謝ってきなさい。今なら許してくれるかもしれないわ」

「ふざけんな! なんで俺が謝んなくちゃならないんだよ! 先にバカにしてきたのは向こうの方だ。大体、俺は親切に……」

「いいから」


 ルイズは、強い調子で才人を見つめた。


「いやだね」

「わからずやね……。あのね? 絶対に勝てないし、あんたは怪我するわ。いや、怪我で済んだら運がいいわよ!」

「そんなの、やってみなくちゃわかんねえだろ」

「聞いて? メイジに平民は絶対に勝てないの!」

「ヴェストリの広場ってどこだ」


 才人は歩き出した。

 ルイズと才人のやり取りを見ていたギーシュの友人の一人が顎をしゃくった。


「こっちだ。平民」

「ああもう! ほんとに! 使い魔のくせに勝手なことばっかりするんだから!」


 ルイズは、才人の後を追いかけた。







 ヴェストリの広場は、魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある、中庭である。

 西側にある広場なので、そこは日中でも日があまり差さない。

 決闘にはうってつけの場所である。


 しかし……、噂を聞きつけた生徒たちで、広場は溢れかえっていた。


「諸君! 決闘だ!」


 ギーシュが薔薇の造花を掲げた。うおーッ! と歓声が巻き起こる。


「ギーシュが決闘するぞ! 相手はルイズの平民だ!」


 俺にだって名前があるんだよ……、と才人は苦々しく思った。


 ギーシュは腕を振って、歓声にこたえている。

 それから、やっと存在に気づいたという風に、才人の方を向いた。

 才人とギーシュは、広場の真ん中に立ち、お互いぐっと睨みあった。


「とりあえず、逃げずに来たことは、誉めてやろうじゃないか」


 ギーシュは、薔薇の花を弄りながら、歌うように言った。


「誰が逃げるか」

「さてと、では始めるか」


 ギーシュが言った。

 言うが早いか、才人は駆け出した。ケンカは先手必勝である!

 ギーシュまで、およそ十歩ほどの距離だ。

 メイジだか貴族だか知らないが、あの高慢ちきな鼻っ柱を叩き折ってやる。


 ギーシュは、そんな才人を余裕の笑みで見つめると、薔薇の花を振った。

 花びらが一枚、宙に舞ったかと思うと……。

 甲冑を着た女戦士の形をした、人形になった。

 身長は人間と同じぐらいだが、硬い金属製のようだ。

 淡い陽光を受けて、その肌……、甲冑がきらめいた。

 そいつが才人の前に立ちふさがった。


「な、なんだこりゃ!」

「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね?」

「て、てめえ……」

「言い忘れたな。僕の二つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」

「えっ?」


 女戦士の形をしたゴーレムが、才人に向かって突進してきた。

 その右の拳が、才人の腹にめり込む。


「げふっ!」


 才人はうめいて、地面に転がった。

 無理もない。青銅製の拳が、腹にめり込んだのだ。


 その才人を、悠然とゴーレムが見下ろした。

 しかし、苦しくて立ち上がれない。

 プロボクサーの拳を、腹に受けたらこんな感じになるんじゃないか、と思った。


「なんだよ。もう終わりかい?」


 ギーシュが呆れた声で言った。人込みの中から、ルイズが飛び出してくる。


「ギーシュ!」

「おおルイズ! 悪いな。君の使い魔をちょっとお借りしているよ!」


 ルイズは長い髪を揺らし、よく通る声でギーシュを怒鳴りつけた。


「いい加減にして! 大体ねえ、決闘は禁止じゃない!」

「禁止されているのは、貴族同士の決闘のみだよ。平民と貴族の間での決闘なんか、誰も禁止していない」


 ルイズは言葉に詰まった。


「そ、それは、そんなこと今までなかったから……」

「ルイズ、君はそこの平民が好きなのかい?」


 ルイズの顔が、怒りで赤く染まった。


「誰がよ! やめてよね! 自分の使い魔が、みすみす怪我するのを、黙って見ていられるわけないじゃない!」

「……だ、誰が怪我するって? 俺はまだ平気だっつの」

「サイト!」


 立ち上がった才人を見て、ルイズが悲鳴のような声で、名前を呼んだ。


「……へへへ、お前、やっと俺を名前で呼んだな」


 ルイズは震えていた。


「わかったでしょう? 平民は、絶対にメイジに勝てないのよ!」

「……ちょ、ちょっと油断した。いいからどいてろ」


 才人はルイズを押しやった。


「おやおや、立ち上がるとは思わなかったな……。手加減が過ぎたかな?」


 ギーシュが才人を挑発した。

 才人は、ゆっくりと、ギーシュに向かって歩き出した。

 ルイズがその後を追いかけながら才人の肩を掴む。


「寝てなさいよ! バカ! どうして立つのよ!」


 才人は肩に乗せられた手を振り払った。


「ムカつくから」

「ムカつく? メイジに負けたって恥でもなんでもないのよ!」


 才人はよろよろと歩きながら、呟いた。


「うるせえ」

「え?」

「いい加減、ムカつくんだよね……。メイジだか貴族だかしんねえけどよ。お前ら揃いも揃って威張りやがって。魔法がそんなに偉いのかよ。アホが」


 ギーシュが薄く笑みを浮かべながら、そんな才人の様子を見つめている。


「やるだけ無駄だと思うがね」


 才人は持ち前の負けん気を発揮して、短くうなった。


「全然利いてねえよ。お前の銅像、弱すぎ」


 ギーシュの顔から笑みが消えた。

 ゴーレムの右手が飛んで、才人の顔面を襲う。

 モロに頬に食らって、才人は吹っ飛んだ。


 鼻が折れ、鼻血が噴き出る。


 才人は鼻を押さえながら、呆然と思う。

 参ったな……、これがメイジの力か。

 多少のケンカはしたことがあるが、こんなパンチは食らったことがない。

 それでもよろよろと立ち上がる。

 ギーシュのゴーレムは、容赦なくそんな才人を殴り飛ばした。


 立ち上がる。殴られる。

 際限なくそれが繰り返された。


 八回目のパンチは、才人の右腕に当たった。鈍い音がした。

 左目はとっくにふさがって見えない。

 右目で、腕を確かめた。あらぬほうへ曲がっている。


 ゴーレムの足が、ぼけっと折れた腕を見つめる才人の顔を踏みつける。

 頭を地面に強く打ちつけ、才人は一瞬気を失う。

 目をあけると、青空をバックにルイズの顔が見えた。


「お願い。もうやめて」


 ルイズの鳶色の瞳が潤んでいる。

 才人は、声を出そうとした。しかし、殴られた胸が痛くて、声が出ない。

 それでも、声を振り絞った。気力で出した。


「……泣いてるのか? お前」

「泣いてないわよ。誰が泣くもんですか。もういいじゃない。あんたはよくやったわ。こんな平民、見たことないわよ」


 折れた腕が、じりじりと痛む。才人は唇をゆがませた。


「いてえ」

「痛いに決まってるじゃないの。当たり前じゃないの。何考えてるのよ」


 ルイズの目から、涙がこぼれた。それが才人の頬に当たる。


「あんたはわたしの使い魔なんだから。これ以上、勝手な真似は許さないからね」


 そんな二人に、ギーシュの声が飛んだ。


「終わりかい?」

「……ちょっと待ってろ。休憩だ」

「サイト!」


 ギーシュは微笑んだ。そして、薔薇の花を振った。

 一枚の花びらが、一本の剣に変わる。

 ギーシュはそれを掴むと、才人に向かって投げた。

 その剣は、地面に仰向けに横たわった才人の隣の地面に突き立った。


「君。これ以上続ける気があるのなら、その剣を取りたまえ。そうじゃなかったら、一言こう言いたまえ。ごめんなさい、とな。それで手打ちにしようじゃないか」

「ふざけないで!」


 ルイズが立ち上がって、怒鳴った。

 しかし、ギーシュは気にした風もなく、言葉を続けた。


「わかるか? 剣だ。つまり『武器』だ。平民どもが、せめてメイジに一矢報いようと磨いた牙さ。未だ噛みつく気があるのなら、その剣を取りたまえ」


 才人はその剣に、そろそろと右手を伸ばす。

 折れているから、指先に力が入らない。

 その右手が、ルイズによって、止められる。


「だめ! 絶対だめなんだから! それを握ったら、ギーシュは容赦しないわ!」

「俺は元の世界にゃ、帰れねえ。ここで暮らすしかないんだろ」


 才人は独り言を呟くように、言った。

 その目はルイズを見ていない。


「そうよ。それがどうしたの! 今は関係ないじゃない!」


 ルイズがぐっと、才人の右手を握り締める。

 才人は力強い声で、言い放った。


「使い魔でいい。寝るのは床でもいい。飯はまずくたっていい。下着だって、洗ってやるよ。生きるためだ。しょうがねえ」


 才人はそこで言葉を切ったあと、左の拳を握り締めた。


「でも……」

「でも、何よ……」



「下げたくない頭は、下げられねえ」



 才人は最後の気力を振り絞って立ち上がった。

 ルイズをはね退け、左手で地面に突き立った剣を握った。


 そのとき……。


 才人の左手に刻まれたルーン文字が、光りだした。





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