ゼロのルイズ②



 魔法学院の教室は、大学の講義室のようだった。

 それが石でできていると思ってもらえば、大体当たっている。

 講義を行う魔法使いの先生が、一番下の段に位置し、階段のように席が続いている。

 才人とルイズが中に入っていくと、先に教室にやってきていた生徒たちが一斉に振り向いた。


 そしてくすくすと笑い始める。

 先ほどのキュルケもいた。周りを男子が取り囲んでいた。

 なるほど、男の子がイチコロというのはホントだったようだ。

 周りを囲んだ男子どもに、女王のように祭り上げられている。

 まあ、あの胸ではしかたがない。

 巨乳はどの世界でも共通言語のようだ。


 皆、様々な使い魔を連れていた。

 キュルケのサラマンダーは、椅子の下で眠り込んでいる。

 肩にフクロウを乗せている生徒もいた。

 窓から巨大なヘビがこちらを覗いている。

 男子の一人が、口笛を吹くと、そのヘビは頭を隠した。

 カラスもいた。猫もいた。


 でも、目を引いたのは、才人の世界では架空の生物だった生き物たちだった。

 才人は感動した。驚くような生き物たちが、その辺をひょこひょこと動いているではないか!


 六本の足を持つトカゲがいた。

 あれは確か……。才人は乏しいファンタジー知識をあさった。

 バシリスクだ! ゲームに出てきた。

 巨大な目の玉がぷかぷかと浮いている。

 あれはなんだろう。ルイズに尋ねた。


「あの目の玉のお化けはなに?」

「バグベアー」

「あの、蛸人魚はなに?」

「スキュア」


 ルイズは不機嫌な声で答えて、席の一つに腰かけた。

 才人も隣に座った。ルイズが睨む。


「なんだよ」

「ここはね、メイジの席。使い魔は座っちゃダメ」


 才人は憮然として、床に座った。

 朝食もテーブルでは食わせてもらえなかった。机が目の前にあるので窮屈だ。

 こんなトコに座ってられんと思い、再び椅子に座った。

 ルイズはちらっと才人を見たけど、今度は何も言わなかった。


 扉が開いて、先生が入ってきた。

 中年の女の人だった。

 紫色のローブに身を包み、帽子を被っている。

 ふくよかな頬が、優しい雰囲気を漂わせている。


「あのおばさんも魔法使い?」才人はルイズに呟いた。

「当たり前じゃない」ルイズは呆れた声で言った。


 彼女は教室を見回すと、満足そうに微笑んで言った。


「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」


 ルイズは俯いた。


「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」


 シュヴルーズが、才人を見てとぼけた声で言うと、教室中がどっと笑いに包まれた。


「ゼロのルイズ! 召喚できないからって、その辺歩いてた平民を連れてくるなよ!」


 ルイズは立ち上がった。

 長い、ブロンドの髪を揺らして、可愛らしく澄んだ声で怒鳴る。


「違うわ! きちんと召喚したもの! こいつが来ちゃっただけよ!」

「嘘つくな! 『サモン・サーヴァント』ができなかったんだろう?」


 ゲラゲラと教室中の生徒が笑う。


「ミセス・シュヴルーズ! 侮辱されました! かぜっぴきのマリコルヌがわたしを侮辱したわ!」


 握り締めた拳で、ルイズは机を叩いた。


「かぜっぴきだと? 俺は風上のマリコルヌだ! 風邪なんか引いてないぞ!」

「あんたのガラガラ声は、まるで風邪も引いてるみたいなのよ!」


 マリコルヌと呼ばれた男子生徒が立ち上がり、ルイズを睨みつける。

 シュヴルーズ先生が手に持った小ぶりな杖を振った。

 立ち上がった二人は糸の切れた操り人形のように、すとんと席に落ちた。


「ミス・ヴァリエール。ミスタ・マリコルヌ。みっともない口論はおやめなさい」


 ルイズはしょぼんとうなだれている。

 さっきまで見せていた生意気な態度が吹っ飛んでいた。


「お友達をゼロだのかぜっぴきだの呼んではいけません。わかりましたか?」

「ミセス・シュヴルーズ。僕のかぜっぴきはただの中傷ですが、ルイズのゼロは事実です」


 くすくす笑いが漏れる。

 シュヴルーズは、厳しい顔で教室を見回した。そして、杖を振った。

 くすくす笑いをする生徒たちの口に、どこから現れたものか、ぴたっと赤土の粘土が押しつけられる。


「あなたたちは、その格好で授業を受けなさい」


 教室のくすくす笑いがおさまった。


「では、授業を始めますよ」


 シュヴルーズは、こほんと重々しく咳をすると、杖を振った。

 机の上に、石ころがいくつか現れた。


「私の二つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。『土』系統の魔法を、これから一年、皆さんに講義します。魔法の四大系統はご存知ですね? ミスタ・マリコルヌ」

「は、はい。ミセス・シュヴルーズ。『火』『水』『土』『風』の四つです!」


 シュヴルーズは頷いた。


「今は失われた系統魔法である『虚無』を合わせて、全部で五つの系統があることは、皆さんも知ってのとおりです。その五つの系統の中で『土』はもっとも重要なポジションを占めていると私は考えます。それは、私が『土』系統だから、というわけではありませんよ。私の単なる身びいきではありません」


 シュヴルーズは再び、重々しく咳をした。


「『土』系統の魔法は、万物の組成を司る、重要な魔法であるのです。この魔法がなければ、重要な金属を作り出すこともできないし、加工することもできません。大きな石を切り出して建物を建てることもできなければ、農作物の収穫も、今より手間取ることでしょう。このように、『土』系統の魔法は皆さんの生活に密接に関係しているのです」


 才人は、ははぁ、と思った。

 こっちの世界では、どうやら魔法が才人の世界でいう科学技術に相当するらしい。

 ルイズが、魔法使いというだけで、威張っている理由がなんとなくわかった。


「今から皆さんには『土』系統の魔法の基本である、『錬金』の魔法を覚えてもらいます。一年生のときにできるようになった人もいるでしょうが、基本は大事です。もう一度、おさらいすることに致します」


 シュヴルーズは、石ころに向かって、手に持った小ぶりな杖を振り上げた。

 そして短くルーンを呟くと、石ころが光りだした。

 光がおさまり、ただの石ころだったそれはピカピカ光る金属に変わっていた。


「ゴゴ、ゴールドですか? ミセス・シュヴルーズ!」


 キュルケが身を乗り出した。


「違います。ただの真鍮です。ゴールドを錬金できるのは『スクウェア』クラスのメイジだけです。私はただの……」


 こほんと、もったいぶった咳をして、シュヴルーズは言った。


「『トライアングル』ですから……」

「ルイズ」


 才人はルイズをつついた。


「なによ。授業中よ」

「スクウェアとか、トライアングルとかって、どういうこと?」

「系統を足せる数のことよ。それでメイジのレベルが決まるの」

「はい?」


 ルイズは小さい声で才人に説明した。


「例えばね? 『土』系統の魔法はそれ単体でも使えるけど、『火』の系統を足せば、さらに強力な呪文になるの」

「なるほど」

「『火』『土』のように、二系統を足せるのが、『ライン』メイジ。シュヴルーズ先生みたいに、『土』『土』『火』、三つ足せるのが『トライアングル』メイジ」

「同じの二つ足してどうすんの?」

「その系統がより強力になるわ」

「なるほど。つまり、あそこでくっちゃべってる先生メイジは『トライアングル』だから、強力なメイジというわけだね?」

「そのとおりよ」

「ルイズはいくつ足せるの?」


 ルイズは黙ってしまった。

 そんな風にしゃべっていると、シュヴルーズ先生に見咎められた。


「ミス・ヴァリエール!」

「は、はい!」

「授業中の私語は慎みなさい」

「すいません……」

「おしゃべりをする暇があるのなら、あなたにやってもらいましょう」

「え? わたし?」

「そうです。ここにある石ころを、望む金属に変えてごらんなさい」


 ルイズは立ち上がらない。困ったようにもじもじするだけだ。


「ご指名だろ。行ってこいよ」と才人が促した。


「ミス・ヴァリエール! どうしたのですか?」


 シュヴルーズ先生が再び呼びかけると、キュルケが困った声で言った。


「先生」

「なんです?」

「やめといた方がいいと思いますけど……」

「どうしてですか?」

「危険です」


 キュルケは、きっぱりと言った。教室のほとんど全員が頷いた。


「危険? どうしてですか?」

「ルイズを教えるのは初めてですよね?」

「ええ。でも、彼女が努力家ということは聞いています。さぁ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい。失敗を恐れていては、何もできませんよ?」

「ルイズ。やめて」


 キュルケが蒼白な顔で言った。

 しかし、ルイズは立ち上がった。


「やります」


 そして、緊張した顔で、つかつかと教室の前へと歩いていった。

 隣に立ったシュヴルーズはにっこりとルイズに笑いかけた。


「ミス・ヴァリエール。錬金したい金属を、強く心に思い浮かべるのです」


 こくりと可愛らしく頷いて、ルイズが手に持った杖を振り上げた。


 唇を軽くへの字に曲げ、真剣な顔で呪文を唱えようとするルイズはこの世のものとは思えないほどに愛らしい。

 本性を知っていても、才人はぐっときてしまう。


 窓から差し込む朝の光に、ルイズの桃色がかったブロンドが光っている。

 宝石のような鳶色の瞳。抜けるような白い肌。

 高貴さを感じさせるつくりのいい鼻……。

 あれで、もう少し優しいところと胸があれば、完璧なのになあ、もったいねえなあ、いくら可愛くてもあの性格じゃ願い下げだなあ、と才人は思った。


 しかし、そんな才人の感想とは裏腹に、何故か前の席に座っていた生徒は椅子の下に隠れた。

 あんなに可愛いルイズを見たくないのだろうか。

 そういえば、あんまりルイズは人気があるように見えない。

 『ゼロ』の二つ名で呼ばれ、むしろバカにされている。ちゅうかナメられている。

 こう見回しても、ルイズのように可愛い女の子はいないのに。

 唯一容姿で張り合えるのは、あのキュルケぐらいだろうか。


 ルイズは目をつむり、短くルーンを唱え、杖を振り下ろす。


 その瞬間、机ごと石ころは爆発した。


 爆風をモロに受け、ルイズとシュヴルーズ先生は黒板に叩きつけられた。

 悲鳴があがる。


 驚いた使い魔たちが暴れだした。

 キュルケのサラマンダーがいきなり叩き起こされたことに腹を立て、炎を口から吐いた。

 マンティコアが飛びあがり、窓ガラスを叩き割り、外に飛び出していった。

 その穴から先ほど顔を覗かせた大ヘビが入ってきて、誰かのカラスを飲み込んだ。


 教室が阿鼻叫喚の大騒ぎになる。

 キュルケが立ち上がり、ルイズを指差した。


「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」

「もう! ヴァリエールは退学にしてくれよ!」

「俺のラッキーがヘビに食われた! ラッキーが!」


 才人は呆然とした。

 シュヴルーズ先生は倒れたまま動かない。

 たまに痙攣しているから、死んではいないようだ。

 煤で真っ黒になったルイズが、むくりと立ち上がる。

 見るも無残な格好だった。ブラウスが破れ、華奢な肩が覗いている。

 スカートが裂け、パンツが見えていた。


 しかし、さすがである。

 大騒ぎの教室を、意に介した風もなく……。

 顔についた煤を、取り出したハンカチで拭きながら、淡々とした声で言った。


「ちょっと失敗みたいね」


 当然、他の生徒たちから猛然と反撃を食らう。


「ちょっとじゃないだろ! ゼロのルイズ!」

「いつだって成功の確率、ほとんどゼロじゃないかよ!」


 才人はやっと、どうしてルイズが『ゼロのルイズ』と呼ばれているのか理解した。

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