エピローグ イスカリオット・グラッドストーン

 切り立った大渓谷。足元に広がる異空間。

 そして、それらを赤く染める夕日。

 楽園城郭都市エウリュメテスが内包するグレイトホールを横目に、母親の墓参り。その帰り道。

(慣れてしまえば、悪くはない風景に見えると思うんだがなー……)

 心の中でぼやくイスカリオット。

 頑張ってくれてはいるようだが、やはりヴァージニアには辛いものらしい。さほど道幅のない断崖絶壁を歩かされるのは、それほどまでに怖いものだろうか。幼少の頃からの遊び場で、足を滑らせたところで行く先は魔界と分かりきっているイスカリオットにはその気持ちが掴み兼ねている。

「イスカ」

 ぼんやりとグレイトホールを眺めていると、背後から声を掛けられた。

「ああ、ジニー」

 入り口にある花屋の横に当のヴァージニアが立っていた。

 当面の脅威は薄れたことにより、彼女は鎧を脱ぎ捨て、服飾店で一目惚れしたタブリエに着替えた。一端の街娘のようだと軽口を叩いたら、その日は口を利いてもらえないこともあった。あと、しいて言うなら、それで帯剣する姿はミスマッチだろうか。

「帰り、遅かったから様子見に来た」

「ん? そうか。思った以上にのんびりしていたかな」

 今、イスカリオットの実家には目を離すとすぐにサボる奴が居候しているので、出来ればひとりにはさせたくないのだが、そういうことならば仕方がない。

「今日はちゃんとやってたか?」

「傍目には、そこそこ、かな。性懲りもなく、デートに誘われましたけどね」

「アイツァ……」

 イスカリオットの実家には今、ふたりの居候がいる。

 ひとりは、言わずもがなのヴァージニア。

 またいきなり帰ってきた放蕩息子が同時に連れ帰ってきた年頃の女子に対し、父親がどう思っているかは分からない。今のところ、聞く機会がない。だが、鍛冶屋の仕事に興味津々のヴァージニアに対し、憎からず思っているような節は見受けられる。

 もうひとりは――

「やぁ、ジニーさん。こんな場所を待ち合わせに指定したつもりはありませんが、わざわざご足労ありがとうございます」

 やたら軽薄なノリはなんだ? と、胸中で呻きつつ、割り込んできたその声に頭を抱えるイスカリオット。

 ヴァージニアが目を離した時点で、なんとなくこうなることは分かっていた。

「お前って、そういう奴だったか? ヤヌシュ」

「何がですか。イスカ様」

「あくまでそういう態度を貫くっていうなら、俺としても言えることはないんだが……」

「今でもくっきりとこの瞼の裏に焼き付いています――瘴気漂う魔界、強大な敵を相手に繰り広げられた凄惨な戦いの果て、真の絆というものを育んだ我々の勇姿が」

「概ね間違ってはいない気するんだけど、張本人がそれ言っちゃうんだ」

「まったく……早く戻れよ。お前の作業が遅れると、それだけパメラとリリィに負担を掛けることになるんだからな」

「世知辛いですねぇ」

 肩を竦め、首を振るヤヌシュの背中を押し、先に歩かせる。

「まだ痛むか?」

「ちょっとね……」

 腹部の傷を庇って、妙な歩き方になっているヴァージニアに手を差し出すイスカリオット。素直に重ねられた手を見て、少し緊張する。彼女の白き紋章はまだそこにある。イスカリオットの右手首にも、黒い同様のものが。

 末期のアザゼルの乱入を受け、全ては有耶無耶になってしまった――というのが状況的には正しいのだろう。

 結局は、成せなかった。

 そういうことだ。

「これで……良かったのかな……」

「さぁな」

 嘘でもヴァージニアを肯定する優しい言葉をかけてやれれば、それなりにイスカリオットの株も上がったかもしれないが、本当に自分も分からないから適当なことは言えない。

「――でも、今は分からなくても、最終的に良かったと言えるようにふたりが頑張ってくれてるんだ」

 悩み抜いた末、イスカリオットとヴァージニアが出した結論は、こうだ。

 ヤヌシュの息の根を止めない限り、世界共鳴機関――白と黒の紋章のシステムは止められない。甘いと罵られても、彼にとどめを刺すことが出来なかったふたりは月の銀箱が持っていた能力を世界共鳴機関に混ぜ込めないかと考えた。つまり、紋章を消すのではなく、紋章を無効化するという方法だ。

 ヤヌシュ曰く、それは可能だということだが、月の銀箱は失われてしまったし、その開発には若干の時間が掛かるという。

 その場合、問題となったのが、今も世界のどこかで苦しんでいるであろう【勇者】と【魔王】の存在だ。ヤヌシュの言う若干の時間の合間にさえ、彼らにとって不条理な結果が訪れないとも限らない。

 そこで、パメラ――と、半ば無理矢理につき合わされているリリィ――はそんな事態を未然に防ぐため、自ら申し出て、紋章持ちを探して世界を飛び回ってくれている、いわば、時間稼ぎをしてくれているのであった。

「そう、だね。あたしも早く傷を治して、お手伝いしなきゃな」

 ふんす、と。

 鼻息荒く握り拳を作るヴァージニアだったが、腹部の傷が痛んだのか、顔を顰めて前屈みになる。苦笑しながら彼女の背中を擦るイスカリオット。

 先に歩かせていたヤヌシュが足を止め、とっておきの悪戯を思いついたような表情で振り返ってきた。

「それだけの【勇者】と【魔王】をこの街に避難させ、集めて、どうなさるつもりなんでしょうかね。魔界の深淵に攻め込みますか?」

「へぇ、面白そうだな。陣頭指揮はお前が取れよ、ヤヌシュ」

「何故、私が」

「日和見主義に転じた他の連中が許せないんだろ?」

 そう切り返されるとは思っていなかったようで、奴は微笑を打ち消した後、溜め息交じりにこう呟いた。

「やれやれ……つい最近まで、の言うことじゃありませんね」

 それはイスカリオットにとって、ヴァージニアに最も聞かれてはならないことだった。

「……ん、どういうこと? 死のうって、イスカが?」

 当然、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でヴァージニアが食い付く。

(あの野郎……)

 仕返しといわんばかりにほくそ笑むヤヌシュを睨む。

 そうしたところで奴の口から放たれた言葉が回収されるわけでもなく、どういうことか説明を求めるヴァージニアの視線がチクチクと痛いだけ。

「あぁー……そうだな。若気の至りというか、だな」

「オッサンのくせに」

「おま、それ言うなよ……いや、そのせいか。まぁ、俺も飽き飽きしていたわけよ。歳は取らないし、周りには置いていかれるしな。運良く――悪く、か? いくつか黒き紋章を統合してしまったことでますます敵はいなくなるし、死のうにも死ねなくなり、独りでウンザリしていたわけ」

「あ……」

「どうした」

「まさか、最初に出会ったとき、イスカが言ってたメリットって」

「おお。よく覚えていたな。同じ数の白き紋章を持った奴をな、探してたんだよ。対消滅させるために」

「――ま、あのとき既にジニーさんの紋章の本数が一本多かったため、その目論見は達成されなかったわけですが」

 茶化すように割って入ったヤヌシュをもう一度睨み付けると、奴は今度こそ先に歩いて帰って行った。

 その背中が見えなくなるか否か、

「ふぅん……アンタもあたしに殺されたいと思ってたんだ」

 さめざめとした声が突き刺さる。

「いや、それは誤解っつうか――」

「どこが誤解」

「そう、誤解でもなんでもないですよね」

 ヤヌシュの命を取る取らない以降、このテの話はヴァージニアにとって非常にデリケートだった。それが分かっていて、奴も意趣返しのつもりで口にしたのだろう。底意地の悪い奴だ。

(帰ったらぶん殴ってやる)

 ――の前に、この場を穏便に収めることが先決だ。が、振り上げられたヴァージニアの腕を見て、何発か、引っ叩かれることを覚悟したイスカリオット。

「ん」

 しかし、覚悟を決めてもその衝撃はいつまでも訪れず。

 恐る恐る見開いた目に映ったのは、差し出されたその手。

「なにビビッてるのよ」

「いや……」

 訳が分からず、とにかく促されるままに手を重ねると、ヴァージニアはしっかりとその手を握り返してくる

「今はもう、独りじゃないでしょ」

 ヴァージニアの微笑みは赤い夕日に照らされ、燦々と輝いていて。

 イスカリオットは眩しそうに彼女を見つめるのだった。


(了)

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偽物の勇者と偽物の魔王 しび @sivi

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