第8話 教皇の采配

 ひかりは唇をとがらせ、横に座るトマスに文句を言い続ける。


「どうしてわたしを見て、こうやってペンダントを突きつけるのでしょうか。

 わたしは普通のかわいい女子高生ですよー。

 神父さんみたいな恰好をした男の人にそんなことされたなんて、まるでわたしは吸血鬼か悪魔じゃないですか!

 なんか悲しくて、悔しくて」


 トマスは苦笑いを浮かべている。


「他の人たちもわたしを見て、一斉に逃げて行っちゃうし、まったく。

 わたしはただお話しがしたかったでけなんですよ。聞いていますか、トマスさん」


 ひかりの矛先が自分に向かったとみるや、トマスは後部席から身を乗り出すように運転席に顔を出す。


「シモン、そろそろ到着するんじゃね?」


「はい、あの四つ角を曲がってすぐだと思います」


 話をはぐらかされたひかりは怒りモードのまま、両腕を組む。

 アルファードはでこぼこの道路を縫いながら、角を曲がった。


「この道路の突き当りなのですが。ああ、見えましたよ。

 アレッ、お兄さん!」


「どうした、また連中が待ち構えてんのか」


「いえいえ、オンボロバスが停車しておりますが、その屋根に太陽神のシンボルが」


「屋根にシンボルのマイクロバスって言えば、おまえ、ベネディクトさましかいないだろう! やっぱり、この世界だった!」


 ひかりは二人の会話の内容がわからないまま、トマスとシモンの身体の隙間から前方を見た。

 崩壊したビルや建物の先に広場があり、その奥に倒壊しかけた白い建物が見える。

 その広場に、一台のマイクロバスが停まっているのだ。

 バスはボンネットが前方に突き出ており、車体は元の色がわからないくらい変色している。今はよごれたクリーム色っぽいが。

 その天井部分の後方には教会の建物のよう傾斜した木製の屋根と、丸い太陽のシンボルが取り付けられていたのである。


「おっ、誰かが建物から出てきたぞ」


 ひかりは目を凝らした。


「センちゃんだーっ!」


 白い建物から姿を現したのは、見覚えのあるグリーンのシャツにジーンズを履いた泉太であり、もうひとりは泉太を連れ去った憎むべき市野谷であった。

 ひかりの鼓動が早くなる。怒っているのだ。

 このままだと、また市野谷が泉太をどこかへ連れて行ってしまうのではないか。

 ひかりはいてもたってもいられず、あと少しのところで走っているアルファードのドアを開けて、飛び出してしまった。


「あ、あぶねえ!」


 トマスはつかまえようと手を伸ばすが、ひかりの身体はすでに車外へ跳んでいた。

 ひかりは膝の屈伸をうまく使って着地すると、猛然とダッシュしていく。

 あっという間にアルファードを抜いて、走りながら叫んだ。


「センちゃーん! いま助けまーす!」


 泉太は、操り人形のようにぎこちない市野谷の腕を引いて歩いていたが、突然ひかりの呼ぶ声に驚いて顔を上げた。

 走る痛車を追い越して、凄い勢いでひかりがこちらへ走ってくるではないか。

 ひかりはゆがんだアスファルトを蹴りながら、知らぬ間に気を回していた。

 足から腰、腰から胴体へ練られた気が螺旋を描きながら上昇していく。

 とんでもないエネルギーに変化した気は、沸騰した水が蒸気となって膨れ上がるように、ひかりの体内で巨大化していった。

 それを知ってか知らずか、ひかりは市野谷を見据え、走る速度を落とさずに両腕を前に突き出したのだ。


「市野谷くーん! センちゃんを放してーっ!」


 ドーンッと地響きのような音とともに、ひかりの繰り出した気のエネルギーが、手のひらから爆発した。

 ひかりが発勁を炸裂させたのだ。


 市野谷は身体をくの字にして宙へ舞う。

 直後、ゴポッと口から透明の球体が飛び出た。

 レンガ敷きの地面に激突する寸前、何事かと顔を出したフランシスコが市野谷の身体を抱き留め、自らをクッションとして大地に滑り込んだ。


「ひかりっ!」


「センちゃーん! 良かった、会えたー!」


 ひかりは泉太の腕に飛び込む。

 泉太はよろめくが、しっかりとひかりを抱きしめた。


「痛ててっ」


 フランシスコは市野谷を抱いて、上半身を起した。


「大丈夫か、フランシスコ」


 駆け寄ってきたベネディクトが手を差し伸べる。


「おのれの危険を顧みず、よくぞ助けた。しかも、あれだけ憎んでいた相手をな」


 フランシスコは市野谷の身体をそっとレンガ敷きの上に横たえ、ベネディクトの手をつかんで起き上がる。


「僕は先生のおかげで、生まれ変わりました。過去の自分は、もう棄てます」


 ベネディクトは力強くうなずいた。


「お捜しいたしましたよー、ベネディクトさまー!」


 停車したアルファードから、トマスが走ってきた。


「いやあ、トマスじゃないか。久しぶりだな。

 おや、シモンまで。どうしてここへやってきたんだい?」


 トマスは呆れたように、サングラスの下の目をしばたたかせる。


「どうして、じゃあございませんですよ。

 私たち兄弟が、どれだけ苦労してベネディクトさまをお捜ししていたことか」


 ハアハアとシモンが丸い身体をゆすって走ってきた。

 その手には、自分が胸元に下げているペンダントとは別の物を持っていた。

 それの真ん中はくり抜かれた穴が開いている。


「お、おにい、お兄ぃ、フゥフゥ」


「シモンよ、あわてるな。落ち着いて深呼吸だ」


 トマスに言われ、シモンは大きく深呼吸を繰り返す。


「お、お兄さん。先ほど彼の口から、お兄さんの羅針珠が飛び出ましたから、早くこれに装着してください」


 トマスはレンガ敷きに転がる透明の羅針珠をみつけ、銀のペンダントをその上にかざした。羅針珠は真ん中のくぼみに、磁石のようにくっついた。


「やれやれ、ようやく取り戻した」


 それを見ていたベネディクトは、あらためてひかりに声をかけた。


「いやあ、お嬢さん。いまの対処方法は恐れ入りました。ああいうやり方もあるのですねえ、羅針珠を身体から抜き取る方法としては。いや、勉強になります」


 ひかりは泉太の腕から離れ、何を言われているのかさっぱりわからないまま、えへへっと曖昧に笑みを浮かべる。


「ここは、どこなんだ?」


 みんなの足元から、声が聞こえた。

 全員の視線が向く。

 眠りから覚めたように市野谷が胡坐をかいて、辺りを見回しているではないか。


「僕は塾へ行かなきゃ、いけないのだけど」


 フランシスコはニヤリとしながら、市野谷の前にしゃがんだ。


「よう、久しぶりだね、市野谷くん」


 ところが市野谷はきょとんとした表情で、反応がない。


「彼の記憶中枢が、もしかしたら羅針珠のせいで、上手く機能していないのかもしれないね」


 ベネディクトが言った。

 ぶつぶつと、独り言をつぶやく市野谷。


「ところで、なぜトマスやシモンがここに? それとこの小さなお嬢さんは?」


 トマスはかいつまんで経緯を説明する。

 そして、コンクラーベまでに教会へもどるようにとの、本部指示を伝えた。


「ふうん、そうか。それはご苦労であったな。

 それから、はじめまして、ひかりさん。私はベネディクトと申す、一介の聖職者です」


 差し出された手をひかりは握った。とても柔らかく、そして温かいベネディクトの手であった。

 世界史の教科書で見た、フレスコ画の聖人によく似ているなあと感嘆する。


「中心派の長老たちはカンカンですよ。次期教皇におなりになる可能性が一番高いベネディクトさまが、あっちへいったりこっちへきたりされて。

 枢機卿のトップのお方が今さら宣教師のように放浪されるなんて、もってのほかだって」


 トマスはベネディクトの髭面を見る。


「まあ、そう言いなさんな。私は執務室で毎日机に向かうのは、性に合わないのだよ。

 聖職者として私はひとりでも多くの、一回でも多くの世界を周って、太陽神のお言葉を伝えたいのだ。

 特にこのような世界でな。

 教皇の冠をかむるにふさわしい人物はいくらでもおろう」


「いえ、教会のトップにはやはりベネディクトさまがふさわしいと、僕も思います」


 それまで黙っていたシモンが、口を開いた。


「滅び行く世界まで出向かれて説法しようと考え、実行される方こそ僕たちをさらに導いて下さると思います。

 どうぞ、お戻りください」


「そうは、いかないぞっ!」


 シモンの声を遮る大きな声に、その場にいた全員が振り返った。

 マイクロバスと痛車の三十メートルほど先。

 そこには機関銃で武装した、『破魔の短剣』の精鋭十八名が立っていたのである。


 真ん中にはスーツ姿で頭に包帯を巻いたヨゼフが銃口をこちらに向け、顔面蒼白のまま叫んでいた。


「中心派のおまえたちは、ここから戻ることは許されない。

 教会は正福音分離派が治めてこそ成り立つのだ」


 ひかりは眉をしかめた。


「あのおじさん、食堂にきた人だよね、センちゃん」


「ああ。だけど今度は危険度が高いよ。あんな物騒な凶器を抱えていちゃあね」


 スーツ姿はヨゼフだけで、あとは全員がスータンを着ている。

 先ほどひかりから逃げて行った連中だ。


「ふむ。手にしている武器は本部から黙って持ってきたのだな。

 厳罰を覚悟の上なのであろう。そこまで決意を固めているとなると、ちとやっかいだな」


 ベネディクトはさして困ったふうでもなく、つぶやいた。

 ヨゼフは機関銃を手にする部下たちには、決して発射するなと厳命していた。

 銃を構えていただけなら、万が一の時の処罰も軽減されると踏んでいたのだ。

 それに機関銃を見せつければ、おとなしく投降するであろうと考えていたのである。


「いいか。これは、お、脅しではない! い、いつだって発射できるのだからな」


 噛みながらも、銃口をわざとオーバーに振り回す。

 たのむから、無駄な抵抗をやめてくれよ。銃なんて撃ったことないのだから。

 ヨゼフはカチカチと鳴る奥歯を噛みしめた。


「センちゃん」


 ひかりは泉太の前に立って、両腕を広げようとした。それを泉太はひょいとかわして、自分がひかりの前に立つ。


「ひかり、さすがにこの場面は僕に男らしくさせてほしいな。

 今度は僕が、ひかりを守る番だよ」


 言いながらひかりの身体を自分の背後に、そっとかばうように手を回す。


「せ、センちゃん」


 泉太は両手でひかりの身体を、自分の背につけた。


「こりゃ、絶体絶命だな。どうすっかな」


 トマスは油断なく周囲を見る。

 その時、サングラスの片隅にピカリと反射するものがあった。トマスは目を細めてそちらを注視した。


「な、な、なにーっ!」


 ヒュルルルと音を立てながらこちらめがけて飛来してくるのは、なんと砲弾ではないか。


「みんな! 伏せろっ!」


 トマスが叫んだ。

 砲弾は対峙する二組の、ちょうど中間地点に着弾した。

 ドーンッという轟音と共にレンガが炸裂する。


 驚いたのはヨゼフたちであった。

 あわてて機関銃を放りだし、頭を抱えて全員がその場にしゃがみこんだのだ。

 続けて二発目、三発目が飛来し、着弾する。轟音が響き渡った。

 泉太はひかりの上からかぶさった。


「ひかり、大丈夫?」


「うん、平気だよ! センちゃんが守ってくれているから」


 あたりは砂煙が舞い上がり、何も見えなくなっている。


「だ、誰だ、勝手に火器を使ったのは」


 ヨゼフは伏せたまま訊くが、みな顔を見合わせ、首を振る。

 若い男が手を上げた。


「弾はここからではなく、向こうから飛んできました! であれば、我々であるはずがありません」


 もっともな意見に、全員が納得した。

 トマスも身を伏せたまま、シモンに言う。


「いいか、もしもの時には俺たちの身体を張ってでも、枢機卿をお守りするんだぜっ」


「もちろん、そのつもりです。お兄さん」


 シモンは黒メガネの縁を、指で押し上げた。

 ひかりの耳が飛来する砲弾ではない、違う音をとらえる。


「うん? センちゃん、なんかドドドッて音が聞こえるよ」


「本当だ」


 泉太は砂煙の舞う宙を、目を細めてみた。たしかにドドドドッと腹に響く地響きが聞こえてくるのだ。


「あれは、エンジン音?」


 市野谷をかばうように伏せているフランシスコが、身を起こす。

 痛車アルファードに負けず劣らずのでかい排気音が、今や全員の鼓膜に届いている。

 それも一台や二台の排気音ではない。何十台とも思われるエンジンの音が、地響きのごとく轟いてきた。


 視界はまだ開けないが、『破魔に短剣』たちが身を伏せる道路のさらに向こう側で一斉に停車するブレーキ音。音からすると、どうやら大型のバイクのようだ。何十台という大型バイクがアイドリングの音を響かせているのだ。地上で雷が轟いているように。


「あれは、暴走族ってのかなー、センちゃん」


 近くに座るベネディクトが答える。


「いや、この世界にはもう誰もいないはずだ。

 私は半年かけて見て周ったが、出会ったのはフランシスコだけだったよ」


 では、いったい誰なのか。


「ウオーイ、おまえら! まだ喧嘩してんのかあ!」


 砂塵の向こうから、野太い雷鳴のような声が響きわたった。


「こんなところで勝手に喧嘩なんておっ始めやがってよう。やるんなら俺も混ぜろや!」


 ベネディクト、トマス、シモンが呆気にとられた顔で立ち上がる。

 それは『破魔の短剣』たちも同じであった。

 ひかりは興味深げに、かぶさった泉太のお腹辺りから、顔をだす。


「まさか、まさか」


 トマスは口を開いて、何かを言おうとしている。

 徐々に砂ほこりが鎮まっていく。

 黒いオートバイのシルエットが浮かんできた。その影は扇形に広がっていた。

 泉太が立ち上がり、ひかりも立った。


「グッヘッヘッ」


 下品な笑い声とともに、ハーレーダビッドソンの大型バイクにまたがる姿が見えた。

 中心にいるライダーは濃い緑に白い草木をあしらった唐草模様のハーフタイプ型ヘルメットをかむり、レイバンのサングラスをかけているようだ。

 ハーフヘルメットからは銀色に近い白髪が肩まで伸びている。鼻から下も白い髭で覆われており、年齢が読めない。

 ただ袖の無い革製のベストを直接肌の上から着ているのだが、その腕周りや胸板の厚みが尋常ではない。プロレスラーかボディビルダーのように、筋肉が盛り上がっているのだ。

 胸元にはペンダントが太陽光を反射している。

 男は左肩にバズーカ砲をかついでいた。先ほど砲弾を撃ち込んだものかもしれない。


「よう、どうせやるなら、ド派手にかまそうぜい!」


 男は真っ白な歯を見せて笑う。


「パ、パパ」


 ベネディクトの口から、声が漏れた。


「パパ? あの人はお父さんなのかな」


 ひかりは泉太を見上げる。泉太は首をひねった。


「いや、違うと思う。聖職者の人がパパと呼ぶのは、たったひとりだけと聞いたことがあるような。いや、でもいくら何でもそれはないだろう」


 バイクのアイドリング音が響く中、突然『破魔の短剣』たちが大地にひれ伏した。

 と、こちらでもトマス、シモンが謎の男に向かって地面に顔をつけるくらい伏す。


「あれ、みなさん、どうしちゃいましたか」


 ひかりは驚いた。

 ベネディクトはふらりと歩き出す。


「パパ、いったいどうなされたのですか、こんなところまで」


 バイクにまたがった男は、肩に掲げていたバズーカ砲を後ろに放り投げた。

 背後には、いったい何十台ならんでいるのか、同じような大型バイクがアイドリング音を上げている。

 全員が唐草模様柄のハーフヘルメット、サングラス、革のベストを着用している。

 しかも全員が筋肉の塊の、大男たちであった。バズーカ砲は、後部の男がキャッチする。


「どうしたってえこたあねえだろう、ベネディクトよう。おまえらがキナ臭いことやってるらしいからよ。最高責任者としちゃあ放っておくわけいくめえ。

 どうせ暇をもてあましていたしな。

 それによ、たまにゃあこいつらも、外でバイクをぶっ飛ばしたいだろうっていう、親心よ。教皇さま専属の、親衛隊どももよ。グワッハッハッ!」


「よく長老たちのお許しが出ましたねえ。教皇パパ自ら羅針珠で跳ばれることを。

 それと先ほどの砲撃。まさか、黙って」


「うっるせえ野郎だなあ、てめえもよう。いいじゃねえかよう、弾の一発や二発使ったって。黙ってりゃあ、わかりゃあしねえさ。

 あのジジイたちも、人を年寄扱いしやがってなあ」


「パパも私たちから見れば、充分お年を召されていますよ。九十六歳でしたっけ」


 教皇は横を向いて、ペッと唾を吐いた。


「馬鹿野郎、俺ぁまだ九十五歳だ!

 てめえよう、教皇さまといやあ親も同然だぞ。年齢くれえ覚えていやがれってんだっ」


「はいはい、申し訳ございません」


 ベネディクトは笑って頭を下げる。

 泉太は引きつった笑顔で、ひかりを見下ろした。


「あは、あははっ。あのお方は、教会で一番偉い、教皇さまだってさ」


「えー、どうみてもヘルスエンジェルスの親玉だよねえ。

 ヘルスエンジェルスって、知っていますか? アメリカの暴走族で有名らしいですよ」


 ひかりは真顔で、教皇と呼ばれた老人を見る。


「しかも、すっごいマッチョ! 日ごろからさぞかし鍛えていらっしゃるのだろうなあ」


 バイクにまたがったまま、教皇は言った。


「人が知らぬ間に、勝手にコンクラーベなんてぬかしやがって。

 おい、ベネディクト、てめえも俺の後釜を密かに狙ってるのかや?

 俺ぁ、まだまだ現役を通すつもりだぜえ。

 なんなら腕ずくで勝負するかい?

 俺を倒したら教皇の座をてめえにくれてやっても、いいぜい」


 ベネディクトを、下からねめるように威嚇する。


「勘弁してくださいませ、パパ。私はまったく興味ありませんね。

 私は自由に色々な世界を周って宣教活動するのが、生きがいなのです」


「けへへっ、そんなことは知ってらあ。教会でおめえほど熱心に動き回ってるやつぁ、俺さまも見たことねえや。

 だからよ、今度尼さんたちと合コン開いた時に、俺が惚れてる例のあの子と上手くいくように手をまわしてくれたらよ、俺の後釜にしてやらなくもねえぜ、おい。

 そしたら俺はよう、あの子と一緒に、蜜月の旅ハネムーンにでも出るからよ。

 後はてめえたちで好き勝手にやってくれて、かまわないぜい」


 ベネディクトは声に出して笑った。


「パパのおっしゃることは、話半分で聞いておきます。

 ところで、よくこの世界にいることがわかりましたね」


 教皇は胸ポケットから、唐草模様のケースに入ったスマートフォンを取り出した。


「こいつにさ、メールが入ってきやがったのよ」


 その声はシモンの耳にも届いていた。シモンの顔色がサッと変わる。


「俺ぁ知らなかったんだけどよう、中心派と正福音分離派が次期教皇の座を巡って派閥争いなんて、セコイことを裏でやっていたらしいなあ。

 それに絡んで関係のない世界のお人まで巻きこんじまって、エライ騒ぎになっちまっていたんだとよ。

 おめえ、知ってるかい?」


 ベネディクトはしばし考える素振りで、うなずいた。


「らしいですね。私もさいぜん、大まかな話を聴いたところでした」


 教皇はもう片方の手で、ポケットからウイスキーの入った小ぶりに銀色のアルミボトルを取り出すと、器用にフタをあけて喉に流し込む。


「クゥー、うめえっ!

 でもって、ここの世界にたどりついた云々ってしたためてあったわけよ。

 そりゃあ俺も驚いちまったさ。

 俺らの世界の事で他人さまに迷惑かけたとあっちゃあ、教皇の名折れよ。

 わかんだろう、おい。

 だからよ、長老たちをうまいこと丸め込んで、すぐに親衛隊を招集して駆けつけた、つうわけだぜい。

 おめえも、一杯やるか? うん?」


 差し出されたウイスキーボトルを、ベネディクトは丁寧に断った。

 トマスは小声でシモンに訊く。


「おい、なんで教皇さまに直接メールなんてしたんだよ」


 シモンは脂汗と、目にはうっすらと涙まで浮かべていた。


「い、いえ、僕は経過報告をせよと中心派の評議会から言われておりましたから、その旨をメールしたんです。

 だ、だけど相手先を最後に入力するときに」


 トマスは思い出した。

 シモンがここへ来る途中、クルマを停めてスマートフォンを操作していたことを。

 その時、ひかりが後部座席からシモンの座るシートを揺らしてしまっていたことを。


「おまえ、まさか相手先を教皇さまにして、送信しちゃったのか!」


 シモンは鼻をすすりあげながら、こっくりとうなずいたのである。


「あちゃー、それはまずいわ。一介の神父が教皇さまに直接メールするなんて。

 だけど、なんでおまえのスマートフォンに、教皇さまのアドレスが入っているんだよ」


「ベネディクトさまをお捜しの旅にでるときに、評議会の議長が勝手に僕のスマートフォンに入力されていたようなんです」


「ああ、あの何でも教えたがりやりたがりの議長がか。それはありうるな」


「どうしましょう、お兄さん。僕は越権行為で処罰されるのでしょうか」


 トマスはウーンとうなり、やおら立ち上がると、腰をかがめたまま教皇とベネディクトのそばに駆け寄った。


「お話し中、誠に申し訳ございません。私、トマスと申す下っ端の神父でございます。

 教皇さまにじかにお話しさせていただくご無礼、なにとぞご容赦くださいませ」


 トマスはひざまずき、頭を垂れる。


「おう、なんでえなんでえ。俺ぁまったく構わねえぜ。

 いまじゃあ教皇だなんだって持ち上げられてるけどよう。

 俺だっておめえさんの年のころには、下っ端の神父よ。俺ぁ、叩き上げよう。

 遠慮なんて、するねえ。言ってみな」


「ハッ! お許しありがたく頂戴いたします。

 先ほど教皇さまがお話しされていたメールでございますが」


 トマスは一段と頭を下げる。


「私、トマスが評議会及び議長閣下を飛び越えて、教皇さまに送ってしまいました!」


 シモンは、エエッと泣きはらした顔を上げた。


「教会の順位や手続きを無視して、とんでもない行為をしてしまいました。

 どんな処罰もこのトマスにお与えください!」


 教皇はサングラスの下の目を、ギョロリと向けた。


「おう、トマスとやら。おめえ、この俺さまを騙そうってえのかい」


「い、いえ」


「こう見えてもな、俺ぁ最新のメカニックにはすこぶる強ぇえんだよ。

 特にメールはよ、毎日メル友の尼さんたちとやりとりしてんだぜ。

 誰が送って来たかなんてのは、先刻承知よ。

 シモンってえのは、おめえさんの実弟だろうがよ。ちゃんと調べはついてんだぁ」


 トマスは、それでも食い下がった。


「わ、私がシモンのスマートフォンを使って」


「馬っ鹿野郎ーっ!」


 落雷のような声が鳴り響いた。その場にいた誰もが飛び上がって驚いた。


「俺がそんなケツの穴の小せえ男にみえるのか!

 俺が教会のテッペン張っているってことはよ、おめえら全員、俺の息子であり娘なんだよ。息子や娘が困ったことになっていたら、いの一番に駆けつけるのが親なんでい。

 組織の順位だぁ、階級だぁなんてクソくらえだ。

 シモンよう!」


 教皇に大声で名を呼ばれ、シモンは今まで見せたことのない俊敏な動きで駆け寄る。


「シモン、おめえさんが直接メールをくれたおかげで、俺が気ぃつかなかったことが今回把握できたぜ。ありがとうよ」


 教皇はシモンに頭を下げる。

 シモンは顔をくしゃくしゃにしながら泣いた。

 教皇から直にお礼をいわれたこともそうだが、兄のトマスが身体を張って自分をかばってくれたことが嬉しかったのだ。

 やりとりを見ていたひかりは、泉太にささやいた。


「あの教皇さまってコワそうだけど、すっごく温かいね、センちゃん」


「ああ、そうだね。ああいう人は何があっても自分の事より、まずほかの人のことを第一に考えるんだろうな」


 教皇は再びウイスキーボトルをラッパ飲みする。ゲフッと口を手で拭った。


「ところで、『破魔の短剣』よう」


 十八人はひれ伏したまま、ハハーッと声をそろえる。


「おめえらも、どうせジューダスの鼻垂れにいいようにこき使われ、ご法度の火器まで持ち出してここまできたんだろがよう」


「い、いえ、教皇さま、これは私の一存でしでかしたこと。

 ジューダスさまには何も関係ございません!」


 ヨゼフは悲痛な声で、申し開きをしようとした。


「よせよせ、『破魔の短剣』といやあ、教会の荒ぶる守護神。主人を売って自分たちが助かろうなんてことは絶対しないだろうさ。ちゃんと、知ってんだよ。

 さっきも言ったけどよ。俺がここへくるちゅうことは、すべて調べてあるってこった。

 心配すんな。お前たちも、ジューダスにもどうこうしようなんて、考えちゃあいねえさ。

 今回の件はもとはと言えば、この俺がしっかりしておけば起きなかったんだからよう。

 太陽神は俺さまに、あらたな試練をお与えになったつうこった。なあ、そうだろうがよ。

 すべてのケツは、きっちりこの俺が拭くさあ。教皇だからな。

 だからよ、その機関銃類はここへ置いていけや。

 親衛隊が俺の命令で持ち出したことにしとくからよ。

 すぐに自分たちの元へ帰れ。ジューダスには、俺さまが直接話すと伝えておいてくれや。

 あの小僧も抜け目ねえが、真面目に教会の事を考えているってことはわかっているさ。

 今回はいささか勇み足だったけどな。まあ、若いうちはそれくれえでいいんだよう」


 教皇の言葉に、ヨゼフたちはその場に機関銃を置いた。

 お互いに顔を見合わせ、胸の羅針珠の組み込まれたペンダントを握る。

 シュッという擦過音とともに、『破魔の短剣』は自分たちの世界へ跳んで帰ったのであった。


「パパ、ところで、この方たちなのですが」


 ベネディクトはひかりたちを見た。


「今回の件で、大変なご迷惑をおかけしてしまいました。

 知らなくてもいい羅針珠のこと、望んできたわけではない、別世界での活動。

 この方たちを無事元の世界にお届けするのは当たり前として、この経験の記憶は生涯消え去ることはないでしょう。もしトラウマになってしまったらと思うと。

 ああ、それに羅針珠を身体に埋め込んでいた彼は、どうしたものかと」


 ひかりは元気よく手を上げた。


「それは心配いりませーん! だってセンちゃんはちゃんと見つかったし、わたしはこんな体験ができたことが嬉しくて。えへへっ」


「僕も同じです。それに教皇さまはじめ、こんな素敵な方々に出会えたことを、そう、神さまに感謝したいくらいです」


 泉太はひかりと目を合わせ、うなずいた。

 教皇はうなった。ひかりはそれを火山の噴火かと思った。


「えらいっ! おまえさんがたは、俺たち大人が考えるほど、ひよっこじゃねえってことだな。

 ベネディクト、聞いたかや。こんな小さな嬢ちゃんが、嬉しいってさあ」


 ひかりは、身体の大きさなんて関係ないモンとすねた表情をする。

 泉太はまあまあと、ひかりの肩を叩いた。


「羅針珠は威力が半端ねえからな。しばらくはそんな感じだろうよ。

 なあに、放っておけば大丈夫さあ。

 実は俺も若いヤンチャだったころに、てめえの身体に直接羅針珠をぶっこんで旅したことがあったぜ。

 フッハッハッ、やっぱりだめだったわ。しばらく神経がピリピリして気持ち悪くてなあ。

 それと記憶がいくつか、ぶっ飛んじゃっていたわな」


 今よりヤンチャって、どれくらい? ひかりは思ったが口には出さなかった。


「先生!」


 フランシスコは、まだボーッと座ったままぶつぶつと呟いている市野谷の背中をさすりながら、ベネディクトを見上げる。


「先生、僕は先生について布教の旅を続けたいのです。

 どうか、僕を連れて行ってください!」


 ベネディクトはその大きな背をかがめ、フランシスコの顔を見た。


「ありがとう。私もかなうことなら、きみと一緒に行きたいよ。

 この半年間、つらいけど楽しい旅ができた」


「だったら、ぜひお願いします!」


 ベネディクトは悲しげな笑顔を向ける。


「フランシスコ。きみは私から充分学んだ。我が太陽神の御言葉は、すべてきみに教えた。人の悲しみ、苦しみ、それを救うために何をなすべきなのか。

 きみはすでにわかっているはずだ。

 私はまだこれから旅に出るつもりだ。決して楽で安易な旅ではない。

 でも私は弟子のきみが別の世界で苦しでいる人たちに、愛の手を差し伸べていると考えると、とても勇気がわくのだよ。

 きみは、本来いるべき世界へ戻りなさい。

 世界は違えど、同じ神の教えを説こうではないか。

 心からきみを愛していますよ、我が弟子、フランシスコ」


 フランシスコはひと目もはばからず、大声で泣き、師であるベネディクトに抱きついた。

 ひかりもこの美しい師弟愛に涙を流した。

 自分にも厳しくも優しい洞嶋という師がいること、そして危険を顧みず自らの身体で守ろうとしてくれた、泉太がいることを心から誇らしく思ったのである。


「かーっ、いいねえ。俺ぁこういうシーンには、めっちゃ弱いんだよう」


 教皇はサングラスの下から、大粒の涙を流していた。


「よっしゃ、そういうことなら話は決まった。

 今からこの方々を元の世界へお見送りするぜ! 野郎どもっ!」


 教皇は後ろに控える親衛隊を振り向く。

 ドドドッとアクセルを吹かす音が、死にゆく町に響き渡り始める。

 ひかり、泉太、トマスとシモンはアルファードに乗り込んだ。

 フランシスコは市野谷の腕を肩に回しながら、ベネディクトの簡易教会のマイクロバスに乗る。バスの中で退屈そうにしていたミカエルは、嬉しそうに飛びついてきた。

 バイクの排気音がどんどん高まっていく。音さえ消えた町に、最後の讃美歌のように響き渡っていったのであった。


つづく

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