精霊使いの剣舞3 風の誓約

プロローグ

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 三年前――精霊剣舞祭ブレイドダンスの試合会場。



「娘よ、ヴェルサリアの剣舞をよく見ておけ。いずれおまえも帝国の威信を背負い、精霊剣舞祭を戦うことになるのだから」

「はい、お祖父様」


 老齢の祖父――ファーレンガルト公の言葉に、少女は凜とした声でうなずいた。


 強い光をたたえた鳶色の瞳。

 鋭く吊り上がった柳眉。

 目の覚めるような蒼い髪をポニーテールにしてくくっている。


 誰もが振り向くような可憐な美少女だが、その表情に媚や甘さは一切ない。

 触れれば切れそうな、抜き身の刃のような雰囲気だ。


 エリス・ファーレンガルト。


 幼少の頃から精霊使いとしての才能をあらわし、来年の春にはオルデシア帝国で唯一の精霊使い養成機関、アレイシア精霊学院への入学が決まっている。

 前途有望な帝国精霊騎士のエリート候補生である。


 エリスは観覧席から身を乗りだし、真下の闘技場を見下ろした。

 やわらかい胸が鉄柵にあたって擦れる。

 彼女の最近の悩みは、おなじ年頃の少女たちとくらべて胸がやや成長しすぎていることだった。


(……まったく、胸など剣を振るう邪魔になるだけではないか)


 この話をすると、周囲の少女たちは決まって羨ましがるのだが――

 色恋沙汰にまったく興味のないエリスにとっては、大きな胸など邪魔でしかない。


(……恋愛などくだらない。私は騎士になるのだ。義姉上のような立派な騎士に)


 エリスが拳を強く握り締めた、そのときだ。

 闘技場に割れるような喝采がわき起こった。


 西門から、オルデシア帝国代表の精霊使いが入場してきたのだ。

 それは、星の輝きを集めて精錬したような、美しいブロンドの髪の少女だった。


 繊細な彫刻のほどこされた白銀の甲冑。

 赤い外套をなびかせるその姿は、さながら凱旋する将軍のようだ。


 ヴェルサリア・イーヴァ・ファーレンガルト。


 ランバール戦争で没落した下級貴族の娘。

 精霊使いとしての才能を見込まれ、ファーレンガルト家の養子に迎えられた、エリスの二つ年上の義姉である。


 アレイシア精霊学院の初等生にして、各国の精鋭が集まる精霊剣舞祭ブレイドダンスの代表選手。

 精霊剣舞祭の代表が初等生から選ばれるのは、アレイシア精霊学院の長い歴史の中でも前代未聞の出来事だ。


 そんな義姉に、エリスは理想の騎士の姿を重ね、彼女を心から尊敬していた。

 彼女が舞台の中央に進み出ると、こんどは東側の門から相手の精霊使いがあらわれた。


 腰まで伸ばした長い黒髪。

 裾に大きな切れ目の入った異国風の衣装。

 顔立ちはまだ幼いが、同性のエリスから見てもハッとするほど美しい少女である。


 その手には、可憐な容姿に似つかわしくない、禍々しい闇色の剣が握られていた。


「お祖父様、あの娘は?」

「レン・アッシュベル――無所属の精霊使いだ」

「無所属……どの国家や組織にも属していないということですか?」

「ああ。どうやら有力者の後押しがあったらしい。歳はおまえとおなじ十三だそうだ」

「……」


 エリスは唇を噛んだ。

 おなじ年齢でありながら、すでに精霊剣舞祭に出場している少女がいる――その事実が、純粋に悔しかった。


 そして、試合開始の鐘が鳴った。

 五大精霊王に奉納する最高位の神楽――精霊剣舞祭の火蓋が切って落とされたのだ。


 即座にヴェルサリア・イーヴァの甲冑が展開――一瞬で戦闘形態に移行シフトした。

 きらめく光の粒子が複合装甲を構築。両肩から大型の主砲二基がせり出した。

 あれこそが、地上に君臨する難攻不落の要塞。

 ヴェルサリア・イーヴァの精霊魔装エレメンタルヴァッフェ――静寂の要塞サイレント・フォートレス


(……なんという契約精霊だ。いや、讃えるべきはあれを使役している義姉上か)


 ヴェルサリアの契約精霊は、とある古城の地下に封じられていた古代の封印精霊だ。

 その凶暴さゆえに、並の精霊使いには契約することさえ不可能といわれる封印精霊。

 それを、彼女は完璧に制御していた。


 いまのエリスは、契約精霊を精霊魔装エレメンタルヴァッフェに展開することさえできない。

 目標とする義姉との実力差を思い知らされ、忸怩たる思いに駆られる。


(私は、いつか義姉上の背中に追いつけるだろうか……)


 ヴェルサリアが手を振り上げ――両肩の主砲が一度に火を噴いた。

 彼女は優美な剣舞を好まない。

 立ち向かってくる相手には、常に全身全霊の最大火力を叩き込む――きわめてシンプルな戦闘スタイルだ。


 耳をつんざく轟音。

 闘技場に無数の火柱が上がった。

 終わった――エリスだけではない、数千の観客全員がそう確信した。


 だが。


「え?」


 エリスがハッと目を見開く。


 土煙が晴れたそこに――

 あの黒髪の少女の姿はなかった。


(まさか!?)


 刹那、甲高い金属音が響いた。


 いつのまにか――少女は、ヴェルサリアの眼前に移動していた。

 黒髪をなびかせた少女の魔剣が、静寂の要塞サイレント・フォートレスの複合装甲を貫いている。


 直後、血飛沫のようにほとばしる黒い霧。

 装甲を破壊されたヴェルサリアが、ゆっくりと地面にくずおれた。


 おとずれる静寂。


 そして――


 ようやく事態に気付いた観客のあいだから、割れるような喝采が上がる。

 信じられない結果だった。

 武門の筆頭であるファーレンガルト公爵家の騎士を、まだ年端もいかない無名の精霊使いが倒したのだ。


「……」


 エリスは困惑しながらも、ヴェルサリアを倒した黒髪の少女に魅入っていた。


 尊敬する義姉を倒した精霊使い――本来ならば、憎むべき相手なのかもしれない。

 だが、そのときエリスが胸に抱いたのは、憎しみとは正反対の感情だった。


 十三歳。

 おなじ年齢でありながら、圧倒的な強さをみせつけた少女。


(いつか私も、あんなふうに――)


 芽生えた淡い憧れは、やがて明確な目標となってエリスの胸に刻まれる。


 最強の剣舞姫ブレイドダンサー――レン・アッシュベルの名と共に。

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