第一章 早起きのお嬢様

第一章 早起きのお嬢様①


 チュンチュン……。

 さえずる小鳥の啼き声。

 さわやかな陽光が窓から斜めに射し込んでいる。


「……う……ん」


 早朝六時。

 カミトは眠い目をこすりつつ目を覚ました。


 ぼさぼさの黒髪を手櫛で梳かし、まずはいつものようにシーツの中を確認する。


「よし、今日は大丈夫だな」


 カミトはほっと安堵の息をついた。

 最近は、全裸の剣精霊が添い寝していることがあるので油断できないのだ。

 ひと安心したところで、シーツを手早くたたんで起きあがる。


「……朝食作らないとな」


 同居人であるクレアたちの朝食は、毎朝カミトが作ることになっていた。

 まあ、もともと料理は嫌いではないし、居候の身なので文句はない。


「トーストにサラダにベーコンエッグ……今日は特別にゆで卵をつけてやるか」


 なにしろ今朝は絶対に落とせないチーム対抗戦があるのだ。

 チームメイトの二人と相棒の剣精霊には、なるべくいいものを食べて英気を養ってもらいたい。


 あの鉱山都市での任務から一週間。

 チーム・スカーレットに新たなメンバーが加わった。


 オルデシア帝国の元第二王女にして〈神儀院〉第二位の姫巫女。

 フィアナ・レイ・オルデシア。


 かつて喪失の精霊姫ロスト・クイーンと呼ばれていた彼女は、精霊契約の力を取り戻すため、カミトを籠絡して精霊剣舞祭に参加しようとしていた。


 結局、彼女は自分の力で精霊契約の力を取り戻すことができたのだが――目的がかなったあともなぜか学院に残り続け、チーム・スカーレットに入ることになったのだ。


 クレアは不満そうだったが、精霊剣舞祭ブレイドダンスまですでに数週間を切っていることもあり、しぶしぶ彼女をチームに迎え入れた。


 個人戦だった三年前とは違い、こんどの精霊剣舞祭ブレイドダンスはチーム戦だ。

 五人のチームメイトを集めなければ出場資格すら得られない。

 それに、精霊契約の力を取り戻したフィアナの実力は、クレアも認めざるをえないものだった。


 精霊姫の養成機関――〈神儀院〉出身の彼女は、戦闘訓練こそ受けていないものの、儀式神楽を舞うことによって多彩な戦闘支援ができる。


 また、彼女の契約精霊〈ゲオルギウス〉は、カミトたちが苦手とする〈防衛〉専門の騎士精霊だ。

 彼女の加入によって、チームのバランスはぐっと安定感を増した。


 鉱山都市でのSランク任務の達成。

 そして学内対抗戦による連戦連勝。

 チーム・スカーレットの学内ランキングは、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いだ。

 この調子なら、現在、第三位にいるエリスのチームに追いつくことも夢ではない。


「あとは、あの二人がもうちょっと仲よくなってくれればいいんだがな」


 やれやれ、と肩をすくめながらキッチンへと向かうと――


「ん?」


 キッチンからカチャカチャと食器の鳴る音がする。

 そして漂ってくる濃厚な甘い匂い。ちょっと焦げたビターな香りだ。


(この匂いは……ひょっとして、チョコレートか?)


 カミトは眉をひそめ、忍び足でそっと近づいた。

 ドアの隙間から、そっとキッチンを覗きこむと――


「ちょっと、あんたなに入れてるのよ!?」

「ふふっ、焼いたイモリをすり潰したものよ♪」


 クレアとフィアナの声が聞こえてきた。


「なっ、なに考えてるのよ! そんな気持ち悪いもの入れないで!」

「あら、神儀院では普通に使っていたわよ。媚薬としての効能があるらしいわ」

「び、媚薬!?」

「ええ、これを食べればカミト君も夜の魔王の本性をあらわして、真夜中に襲ってくるかもしれないわね」

「お、襲うって……い、いったいなにをするの?」

「そうね……それはもう、蕩けちゃうくらいえっちなことよ」

「と、蕩け……う、嘘よ、いくらあいつでも、そんなこと――」

「しかも二人まとめて」

「二人まとめて!?」

「カミト君ならそれくらいしても驚かないわ」

「な、なな、なんて奴なの……ゆ、許せないわあの変態、消し炭よ消し炭!」


 声を震わせながら、バシンバシンッと鞭でなにかを叩く音。


(あいつら……)


 カミトはピクピクとこめかみをひきつらせた。

 ……なんだか、ものすごい勢いで名誉を毀損されている気がする。


(……っていうか、いつのまに俺は夜の魔王になったんだ?)


 カミトが理不尽な扱いに耐えているあいだにも、お嬢様二人の会話は続いていた。


「ふふっ、でも、強引な魔王モードのカミト君もたまにはいいじゃない」

「そ、それは……ううん、と、とにかくだめよっ、そんな怪しげなもの入れて、対抗戦の前にあいつがお腹こわしたらどうするのよ」

「あら、クレアこそ、その黒焦げの消し炭を食べさせるつもりなの?」

「う、うるさいわね……」

(……消し炭?)


 カミトがキッチンを覗き込むと、なにやら黒い塊が皿の上に山盛りになっていた。

 ストーブ用の石炭……ではないようだ。


「ほんと、火猫少女の渾名は伊達じゃないわね。なんでも消し炭にするんだから」

「……っ、偽乳王女には言われたくないわ」

「あら、パッドなんてなくたって、クレアよりはずっと大きいわよ?」

「そ、その余分な脂肪ごと燃やされたいみたいね、お姫様」


 バチバチと火花を散らす二人。……朝早くから元気なことだ。

 なんだか一触即発の空気になってきたので――


「なあ、二人ともなにをやってるんだ?」


 カミトは、ようやくキッチンに姿をあらわした。


「ふあっ、カミト!?」「カミト君!?」


 二人はドキッとした様子で振り向くと、あわてて背後になにかを隠した。


「あ、あんた、もう起きてたの!?」

「ああ、今日は対抗戦だからな。いつもより早めに朝食を作ろうと――」


 そこで、カミトは思わず言葉を止めた。

 正面を向いたクレアの姿に、目を釘付けにされたのだ。


「お、おまえ、その格好……」

「な、なによ……に、似合わないっていうなら、正直にそう言えば?」


 クレアは頬を赤らめ、ふいっとそっぽを向いた。

 紅いツーテールの髪がわずかに揺れる。


 透き通った紅玉ルビーの瞳。

 なめらかな白い肌に、可憐な蕾のような桜色の唇。

 胸のふくらみこそなだらかではあるが、そのプロポーションは十二分に魅力的だ。

 認めたくはないが……本音を言えば、ものすごく可愛い。

 容姿だけなら、美少女揃いのアレイシア精霊学院の中でもトップクラスの美少女だ。


 しかも、いまのクレアは、いつも見慣れている制服姿ではなかった。

 とても可愛らしい、フリル付きのエプロンを身に着けているのだ。


 悔しいことに……一瞬、本気でくらっときてしまった。

 小さな帽子が小柄な彼女に似合っていて、これまた反則的に可愛らしい。

 カミトはまいった、というように両手を上げてみせた。


「いや、すごく似合ってるよ。……可愛いぞ」

「……〜っ、な、なな、なに言ってんのよ、ばかっ、ばかばかばかっ!」


 カアアッ……!


 ますます顔を赤らめ、ぽかぽかとカミトの胸を叩いてくるクレア。


「えっと、カミト君……私は?」


 フィアナがちょこんとひとさし指をくわえ、不満そうに言ってきた。

 こちらは黒いドレス調の制服に、クレアと揃いのエプロンを着けている。

 腰まで伸ばした艶やかな黒髪。

 制服の胸もとにのぞく深い谷間。

 可憐な睫毛にふちどられた薄闇色の瞳は、どこか神秘的な光をたたえている。

 元王女様のフィアナも、クレアに負けず劣らずの美少女だ。


「……言わないとだめか?」

「女の子はちゃんと言葉にしてくれると嬉しいものよ」


 ふふっと悪戯っぽく微笑むフィアナ。

 カミトは観念したようにため息をつく。


「綺麗だよ、フィアナも……って、朝からなに言わせるんだよ!」

「ふふっ、カミト君って意外とアレなのね」

「おまえが言わせたんだろ……」


 くすくすと悪戯っぽく笑うフィアナを、カミトは半眼で睨み――


「っていうか、二人ともなにをやってたんだ? その背中に隠してるのはなんだ?」

「そ、それは……」


 クレアとフィアナは急に顔を赤らめ、もじもじと指を絡ませた。


「うん?」


 カミトが眉をひそめて追及すると――


「…………チョ、チョコレートよっ!」


 クレアは開き直ったように叫んだ。


「チョコレート? お菓子作りにでも目覚めたのか?」

「ま、まあそんなとこね。ほら、もうすぐ〈ヴァレンティア聖祭〉じゃない。だから、その、練習してたのよ……か、勘違いしないでよねっ、あんたには味見くらいはさせてあげるけど、そ、それだけなんだからっ!」


 ――ヴァレンティア聖祭。


 数百年前、火の精霊王に仕えた精霊姫、ヴァレンティア・サーデルカを記念する、オルデシア帝国ではポピュラーな祭儀だ。


 本来は清めの炎で焼いた焼菓子を精霊に奉納する祭儀であるが――一般民衆のあいだでは『好意をよせている異性にチョコレートを渡す日』ということになっている。


「ん? でも異性って、この学院には女の子しかいないはずじゃ――」


 カミトが指摘すると――


「あ、あたりまえでしょっ、これは友達にあげる友情チョコなんだから! あんたはただの味見役。まったく、なな、なにを期待してるのかしら。まるでいやしい豚ね!」


 顔を真っ赤にしてまくしたてるクレア。


「……ひでえ。っていうか、おまえ友達いないだろ」

「い、いるわよ、友達くらい! スカーレットとか、あとは……えっと、学園の庭に住みついてる野良猫のケティとか」

「……すまん、俺が悪かった」


 ……どうやら地雷を踏んでしまったようだ。


「と、とにかく、ほら、せっかく作ったんだから、ありがたく食べなさいよね!」


 クレアは怒ったように言うと、例の消し炭の塊をカミトの前に突きだした。


「うっ……こ、これを……食べるのか?」

「な、なによ……あたしが早起きして作ったのよ!」

「いや、それはたしかにありがたいんだが……」

「カミト君、そんな消し炭じゃなくて、私のチョコを食べていいのよ」


 ふよんっ。


「フィアナ!?」


 突然、小悪魔の笑みを浮かべた元王女様が、やわらかな胸を押しつけてきた。

 パッドなどなくても十分に大きい胸の谷間には、ハート型のチョコレートがむぎゅっとはさみこまれている。


 クレアの消し炭と違い、こちらは食べられそうな見た目をしているが、騙されてはならない。

 この小悪魔お姫様、ある意味クレア以上に殺人級の料理の腕前なのだ。


(……さっき、媚薬がどうとか言ってたしな)

「カミト、早くあたしのチョコを食べなさい!」

「ちょっと、私のカミト君メロメロ計画を邪魔しないで!」


 ぎゅうぎゅうと押し合いながらチョコレートを差し出してくる二人。


「いや、その、朝からそんな甘い物はだな……」


 カミトはたじたじとあとずさる。


 と、そのときだ。

 突然、リビングのドアが開き――


「カミト、私もチョコレートを作ってみました」

「エ、エスト!?」


 あらわれたのは、雪の妖精のような可憐な美少女だった。

 燦然と輝く白銀の髪。

 しぼりたてのミルクのようになめらかな白い素肌。

 そして、淡い光彩を封じこめた、透明な紫紺ヴィオレットの瞳。


 剣精霊エスト。

 数週間前にカミトと契約を交わした、きわめて強大な力を持つ封印精霊だ。


「……」


 カミトは目を見開き、凍り付いたように固まった。

 クレアとフィアナも絶句している。


 全裸。

 素っ裸。


 ほとんど生まれたままの姿のエストがそこにいた。


 ほとんど、というのは脚に黒のニーソックスをはいているからだが――

 俗に裸ニーソと呼ばれるその格好は、ある意味、全裸よりも扇情的だ。


「エスト、それは犯罪だ」

「エストは犯罪なのですか?」


 きょとん、と不思議そうに首をかしげるエスト。


「……ああ、エストはイケナイ犯罪者だ」


 カミトは混乱してよくわからないことを口走っていた。


「残念です。カミトはこのような格好を喜ぶと思いました」

「おまえは契約者をどういう目で見てるんだ……」


 カミトは半眼で深いため息をつく。


「で、エストもチョコレートを作ったって、どういうことだ?」


 エストの手にはチョコレートらしきものは見あたらない。

 かわりに、布製の小さなチューブを握っていた。

 よくケーキなどをデコレーションするときに使うものだ。


「はい、ここに」


 エストは無表情にうなずくと――


 にゅるるんっ。


「な――」


 なんと、なめらかな白い肌に、チョコレートで文字を描きはじめた!


「……」


 にゅるにゅる。にゅるるるるんっ。


 縦横無尽にほとばしる液体状のチョコレート。

 真っ白い処女雪のようなやわ肌に描かれるのは、神聖な精霊語。

 解読すると――『私を食べて』。


「エ、エスト!?」


 精霊語の意味を理解した途端、カミトは顔を真っ赤にした。


「ふああっ、あ、あんた、契約精霊になんてこと教えてるのよ、へ、変態っ!」

「えっと……カミト君は、こ、こういうのが好きなの?」


 顔を真っ赤にして怒りだすクレアと、ちょっと引いた様子のフィアナ。


「まて、誤解だ! おい、エスト――」

「カミト、私のチョコレートを舐めてください」


 全裸のエストが、チョコレートまみれの姿で歩いてくる。

 目を覆う指の隙間から覗くその姿は、なんとも蠱惑的で、思わず心臓が跳ね上がる。


「……はやくしないと、溶けてしまいます」

「いや、ちょ、まて――」


 ドタドタドタドタッ!


 突然、廊下のほうで激しい足音が聞こえた。

 部屋のドアがバンッと勢いよく開き――


「カゼハヤ・カミト、いったいなにをして……なっ!?」


 あらわれたのは――

 学院の制服の上に、紺碧の軽甲冑を身に着けた少女騎士だった。


 凜とした鳶色の瞳。

 きゅっと引き結んだ薔薇色の唇。

 目の覚めるような青い髪を、リボンでくくってポニーテールにしている。


 学院の風紀を取り締まる風王騎士団シルフィードの騎士団長。

 エリス・ファーレンガルト。


 部屋に飛びこんできた途端、彼女は鳶色の目を大きく見開いた。


「お、おのれ……な、な、なんという破廉恥な……」

「ま、まて、エリス、違うぞ、これは俺の趣味というわけじゃなくてな――」

「見苦しいぞ、そんな言い訳が通用するとでも思っているのかっ!」


 ゴゴゴゴゴゴゴ……!


 眉を吊り上げるエリスの周囲で、轟々と凄まじい烈風が吹き荒れる。

 彼女は学院でもトップクラスの風精霊の使い手なのだ。


「君たちの部屋が騒がしいと通報を受けてきてみたが……まさか契約精霊に、こ、こんな変態的なことをさせていたとはな!」


 渦巻く烈風は部屋の家具を薙ぎ倒し、やがて巨大な魔鳥へと姿を変えた。

 ファーレンガルト家に仕える高位の魔風精霊――〈シムルグ〉だ。


「わ、私はっ……君のことを見直していたのにっ!」


 キッとカミトを睨む目に、わずかに涙がにじんでいた。


「エ、エリス、ちが――」

「問答無用っ、いまここでパエリアにしてくれるっ!」


 ゴウッ!


 すさまじい暴風の塊がカミトめがけて放たれた。

 カミトの身体は一直線に吹っ飛び、部屋の窓をぶち破って宙を舞った。

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精霊使いの剣舞《ブレイドダンス》 志瑞祐/MF文庫J編集部 @mfbunkoj

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