第九章 チーム・スカーレット②


 ――前触れの合図などはない。剣舞は突然はじまった。


 甲高い金属音。

 銀の剣閃がひらめき、洞窟内に激しい火花が散った。


 カミトが振り下ろしたテルミヌス・エストが、ジオの剣によって弾かれる。

 カミトはさらに踏み込み、剣を薙ぐ。

 ジオは重心をわずかにずらして紙一重で回避、けたたましい哄笑を上げながら真上に跳び上がった。

 蜘蛛のように天井に張り付きながら――


「はっ、前戯なしかよ! 少しは会話ってもんを楽しもうぜ、最強の剣舞姫レン・アッシュベル!」

「悪いな、俺に騎士道精神なんてもんはないんだ――あんたと同じでな!」

「……なっ!?」


 ジオが紅い目を見開いた。

 カミトが壁を蹴り上げ跳躍したのだ。


 空中で振るったテルミヌス・エストが、ジオの剣を打つ。

 金属の擦れるような悲鳴を響かせ、ジオの剣精霊は粉々に砕け散った。


 カミトは止まらない。

 ふたたび壁を蹴って方向転換すると拳で側頭部を殴打。

 重力に引かれ地面に落下するジオを追い、さらに天井を蹴って加速。

 空中で獲物を狩る猛禽のような動きで胸ぐらを掴むと、そのまま地面に後頭部を叩きつけた。


 鈍い音が響いた。

 一切の容赦のない一撃。


 精密機械のような動作でさらに拳打を叩き込む――が、その寸前。

 ジオの右手の精霊刻印が輝いた。

 危険を感じ、咄嗟にジオの上から飛びのく。

 刹那、ジオの手のひらから銀の剣閃が突き出した。


 ジオの手にあらわれたのは新たな精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェ

 装飾のついた細身の剣だ。

 刺突専用のレイピアという突剣。

 カミトは後退して間合いをとった。

 テルミヌス・エストを両手に構える。


「さすが最強の剣舞姫レン・アッシュベル――滅茶苦茶な動きしやがる」

「閉鎖環境での高次立体移動――〈教導院〉で真っ先に教え込まれる技だ。

「……」


 ジオが沈黙する。


「さっき、剣を打ち合わせてわかったよ。あんたは俺と同じ〈教導院〉の遺児――


 教導院――それは、カミトが幼い頃に暗殺技能者としての訓練を受けた施設の名だ。

 一部の貴族によって設立された秘密の訓練施設。

 そこでは大陸各地の孤児院から精霊使いの素質を持った少女を集め、優秀な暗殺者集団を育てていた。

 設立当初は、貴族連中に暗殺者を供給するための機関だったはずだ。

 だが、教導院の教師たちはいつしか貴族の手を離れ、独自の狂信的な教義を抱くようになっていった。


 ――すなわち、魔王の再臨。


 歴史に遺る唯一の男の精霊使い。

 七十二柱の精霊を使役し、大陸を破滅に導いた魔王。

 


 そのために、彼らがとった手段は至極単純だった。

 歴史に遺る唯一の男の精霊使い――ならば当然、その後継者も男でなくてはならない。

 その思想のもと、わずかでも精霊と交感する能力があると思われた少年を集め、催眠、薬物投与、精霊憑依実験などをほどこした。


 だが、実験の成功例は皆無だったはずだ。

 だからこそ、八年前にカミトが発見されたとき、連中は狂喜したのだから。


「――ご名答だ」


 ジオ・インザーギは凄絶な笑みを浮かべた。


「ヒトの手による魔王再臨の実験――その最初の成功例が、この俺だよ」


 カミトは――

 皮肉げに口もとをゆがめ、肩をすくめた。


「最初の成功例? 冗談だろ?」

「認めたくない気持ちはわかるぜ。ところが冗談じゃねえんだよな、これが」

「そういう意味じゃない」


 カミトは哀れむように首を振った。


「七十二柱の契約精霊を使役する男の精霊使い――それを成功とするなら、あんた、

「……なに?」


 紅い目を見開き、ジオの表情が憎々しげにゆがんだ。


「俺も最初は騙されたよ。あんたが、本当に七十二柱の契約精霊を使役しているんじゃないかってな。――だが、違った」


 カミトは淡々と告げた。


「あんたの精霊は契約精霊じゃない。――ぜんぶなんだ」

「……っ!」


 そう――ジオ・インザーギの使役する精霊は、契約の儀式を交わした精霊ではない。


 


 カミトがそれに気付いたのは、ジオが一度使った精霊を二度と使わなかったからだ。


(……それに、奴は同じタイプの剣精霊を何体も使役していた)


 最初から使い捨てにするつもりがなければ、あんなふうに大量の剣精霊と契約する意味はない。

 複数の剣精霊を扱うよりは、一体の剣精霊を成長させていたほうがよほど効率がいいはずだ。


 それに、いかにエストの精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェが強力であるとはいえ、耐久力においては最硬と名高い剣精霊が、あれほどたやすく砕けるのはおかしい。


「……ようするに、フィアナが精霊鉱石を使い捨てていたのと一緒だ」


 契約の儀式を交わしていない以上、精霊を成長させることもできないし、精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェとしての真の力を引き出すこともできない。

 無尽蔵にあると思われた神威カムイもただの錯覚だ。


「あんたは偽物の魔王だよ、ジオ・インザーギ。いや、精霊使いですらない」


 たしかに、あれほどの封印精霊を身体に宿しながら、肉体を維持していられるというのは一定の成果ではあるのだろう。

 常人ならば拒絶反応で発狂しているはずだ。


 だが、魔王を――精霊使いを名乗るには、はなはだ不完全。

 あたかも複数の精霊と契約しているかのように見せかけた、まやかしにすぎない。


「……はっ、だからどうしたよ」


 ジオは紅い目を炯々と輝かせ、吐き捨てた。


「それがわかったところで、てめーが俺に勝てねーことに変わりはねーだろーがっ!」


 ジオが地面を蹴った。

 レイピアの剣精霊を手に爆発するような加速。


「俺は魔王だ! その証明は――最強の剣舞姫レン・アッシュベル、貴様を殺すことで達成される!」


 直前でふっと身を沈め、カミトの喉もと目がけ、迅雷の突きを放ってきた――

 カミトはわずかに首をそらして回避。

 軸足を回転させ、カウンターの蹴りを見舞った。


 靴裏がジオの胸板をえぐる。

 勢いのままカミトはエストを上段に振りかぶった。


「――っ、顕現せよ、炎狼精霊バーゲスト!」


 ジオの腕の刻印が輝き――刹那、燃えあがる炎の牙がカミトを襲った。


 黒い炎を纏った溶岩の猟犬だ。

 振り上げた左腕に灼熱の牙が食らいつく。

 全身の血が沸騰するような激痛。だが――


「……っ、らああああっ!」


 カミトは回転をつけて腕を振るい、喰らいついた溶岩の猟犬を壁に叩きつけた。


 爆散する炎。

 砕け散る溶岩石。

 契約精霊ならば主人を守るために再び向かってくるところだが――強制的に解放されただけの封印精霊は、そのまま虚空に消滅した。


「ぬるいな……クレアの焔のほうが、よっぽど熱いぜ!」


 凄絶な笑みを浮かべ、カミトはすぐさまテルミヌス・エストを真横に薙ぐ。

 風圧でジオの体勢がわずかに崩れた――その一瞬の隙をカミトは見逃さない。

 白銀に輝く剣を上段に構え、渾身の一撃を放つ――


「――顕現せよ、盾精霊エイジス


 だが、その一撃はジオの解放した盾精霊によって阻まれた。

 剣精霊と盾精霊――いかにエストといえど、属性の相性が悪すぎる!


 だが。カミトはひかない。

 そのまま――さらに剣を押し込んだ。


「――いくぞエスト、おまえの本気を見せてやれ!」


 カミトの叫びに応えるように、テルミヌス・エストの光が輝きを増した。

 光輝は一条の閃光となって聖剣を覆い――

 刹那、カミトの身の丈をはるかに超える巨大な大剣へと姿を変えた。


「なん……だと!?」

「おおおおおおおおおっ!」


 カミトが吼えた。

 展開された盾精霊に亀裂が入る。


 そして――真っ二つに砕け散る!


「ばかなっ……剣精霊が盾精霊を破壊するだと!?」

「これが、精霊刻印で結ばれた契約精霊の力だ――ジオ・インザーギ!」


 カミトがふたたび大剣を振り上げた、そのときだ――


「……っ、貴様あああっ!」

(――なんだ?)


 ジオが突き出した手の中に、

 その石を目にした途端、カミトの背筋に言いしれない悪寒が走った。

 手にしたテルミヌス・エストがかすかに震動する。

 刃が石の表面に触れた途端――


 ピシッ――エストの剣身に、小さなひびが入った。


「……っ!?」


 まばゆい光輝を失った、魔王殺しの聖剣デモン・スレイヤー

 ひび割れた箇所から、黒い染みのようなものが広がってゆく――


(――っ、エストが侵蝕される!?)


 カミトがエストを引こうとした、その刹那。

 ジオが嘲笑う。


「それがてめーの弱さだと言ったはずだぜ――レン・アッシュベル」

「くっ……!」


 放たれたレイピアが、カミトのわき腹を貫いていた。

 黒く塗りつぶされてゆくエストを握ったまま、カミトはその場に膝をつく。


「精霊を道具と割り切れない。だから貴様は弱いんだ」


 紅く輝く勾玉を片手で弄びながら、ジオが静かに立ちあがった。


「その精霊鉱石は……まさか――」

「ああ? ……そうか、あのお姫様が同じものを持ってたな」

精霊王の血ブラッド・ストーン……か」


 最高位の精霊の力を封じることのできる国宝級の秘宝。


(こいつ、なぜそんなものを――)

「そうだ。これこそ俺の力の根源――数多の精霊を支配する狂王精霊ネブカドネザルの力」


 ジオが石を手に哄笑すると、全身に刻まれた刻印が禍々しい輝きを放った。


「……っ、なるほどな、あんたがそれだけの数の封印精霊を使役していたのは、その石に封印されている高位精霊の力だったってわけか」


 フィアナの持っていた精霊王の血ブラッド・ストーンが解放式だったのに対し、ジオの所有するそれは身につけているだけで効力を発揮するものらしい。


「……徹底して偽物なんだな。とんだ魔王様だ」

「ほざけ、いまここで貴様の剣精霊も俺のものにしてやるよ――」


 テルミヌス・エストを侵蝕していく黒い染み。

 ジオの哄笑が洞窟内に響きわたる。


 だが。

 カミトは、唇の端にかすかな笑みを浮かべた。


「ジオ・インザーギ、知ってるか? この坑道、けっこう声が響くんだ」

「ああ? なに言って――」

「俺が、なんであんたの手品の正体をわざわざ講釈していたと思う?」

「なに?」


 そう、意味もなく喋っていたわけではない。

 カミトは伝えようとしていた。

 彼の使役する精霊が、契約精霊ではなく、ただの封印精霊であることを。


「勘違いするなよ。あんたが戦ってるのは、最強の剣舞姫レン・アッシュベルなんかじゃない」


 刹那、放たれた炎の鞭フレイムタンがジオの右手に絡みつく。


「――チーム・スカーレットだ」

「……っ!?」


 開け放たれた真祭殿への扉。

 そこに――

 紅いツーテールの髪をかきあげ、炎の鞭を手にしたクレア・ルージュが立っていた。


「よくやったわ、カミト。さすがはあたしの奴隷精霊ね!」

「おまえな……」


 わき腹の傷を押さえながら、カミトが半眼でうめく。

 ジオが炎の鞭を振りほどき、クレアを睨みつけた。


「はっ、ありがたいな――わざわざ真祭殿の扉を開けてくれたのか」

「ええ。貴方を倒すために、ね」


 クレアの背後から声がした。

 厳かな儀式装束を身に着けたフィアナが、悠然と歩いてくる。

 小悪魔を演じていた少女でも、恐怖におびえていた無力な少女でもない。


 凜として立つ――白衣の精霊姫が。


「みせてあげるわ。帝国第二王女、フィアナ・レイ・オルデシアの儀式神楽を」

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