第八章 フィアナの告白②


 フィアナ・レイ・オルデシア第二王女――ルビア・エルステインに次ぐ精霊姫候補と期待されながら、彼女がその地位を退き、王家から抹消された理由。

 それは、使――だった。


「契約精霊を使役できない姫巫女に、精霊王に仕える精霊姫たる資格はないわ」


 フィアナはうつむいて、自嘲するようにつぶやいた。


「……」


 精霊を使役できない精霊使いは――文字通り、もはや精霊使いではない。

 そして、精霊使いが突然、精霊を使役できなくなるという事態は、それほどめずらしいことではないのだ。


 たとえば、身体を穢されるとか、契約時に交わした誓約を破棄した場合――そういうケース以外にも、なんらかの心的外傷によって精霊と交感できなくなることはある。


 つまるところ、精霊との交感は、精霊使いの精神状態に大きく依存しているのだ。

 その原因となった事件が何なのか――それについては彼女も語らない。

 カミトもそこまで訊くつもりはない。


(しかし、四年前といえば――)


 オルデシア帝国を揺るがすあの大事件。

 災禍の精霊姫カラミティ・クイーン――ルビア・エルステインの叛逆があった年だ。


 そして、フィアナは彼女と同じ〈神儀院〉の姫巫女だった。

 精霊姫候補に、精霊契約の力を失わせるほどの心的外傷をもたらすほどの事件。


 偶然――とは思えない。


「隠していて悪かったわね。いずれ話そうとは思っていたのだけれど……精霊と交感できないことが知られたら、この学院にいられなくなるから」

「でも、どうやって試験をパスしたの? たしか実技の試験があったはずよ」


 カミトはグレイワースの権限で例外的に無試験でパスしたが、本来、学院には厳しい実技試験があるのだ。

 精霊使いの才を持つ者なら誰でも入れるというわけではない。


「精霊鉱石を何個か袖口に忍ばせて、順番に解放したのよ。あたかも精霊を使役しているかのように見せかけてね。一応〈神儀院〉の精霊姫候補だった実績があるから、あっさり騙されてくれたわ」

「貴重な精霊鉱石を、不正入学なんかに使ったの?」

「試験監督も、まさかそんなことをする奴がいるなんて思わなかったんだろうな」

「ばかね、そんなので編入したって、すぐにバレるに決まってるじゃない。そんなことまでして、なんでこの学院に来たのよ?」

「それは――」


 フィアナはチラッとカミトのほうを見た。


 彼女の目的は、最強の剣舞姫レン・アッシュベルとチームを組んで精霊剣舞祭ブレイドダンスに優勝することだ。

 だが、それをクレアに話されると困る。……とても困る。


 すると、フィアナは、カミトだけにわかるようにふっと微笑んだ。


「それは、カミト君とちゅっちゅするため――」

「違うからな。おい、クレア、鞭を取り出すのはやめろ」


 クレアが眉を吊り上げるのを見て、フィアナがくすっと笑った。


「冗談よ。私の目的は、精霊剣舞祭ブレイドダンスに優勝して〈願い〉を叶えること。失った精霊契約の力を取り戻すためにね」

精霊剣舞祭ブレイドダンスの勝利を目指すのはみんな同じよ。でも、どうしてあたしたちと組もうと思ったの? あたしが言うのもなんだけど、うちのチームは最底辺よ」

「……」


 すると、フィアナはふと、考え込むように唇に指をあて――


「……そうね。あなたたちなら、私を受け入れてくれると思ったから」


 いつものフィアナの小悪魔みたいな口調とは、微妙に違っていた。


「どういうこと?」

「だって、男の精霊使いに、災禍の精霊姫カラミティ・クイーンの妹よ。そこに精霊使いの資格を失った喪失の精霊姫が加わっても、そんなに違和感ないじゃない」


 冗談めかしたその口調。

 どこか自嘲するような、寂しげな表情。


 フィアナが学院にやってきて、カミトに近づいた理由。

 精霊剣舞祭ブレイドダンスに勝利するために、かつての最強の剣舞姫ブレイドダンサーであるカミトを利用する――と、そう言っていた。


 けれど本当の理由は――案外、こっちのほうなのかもしれない。

 孤独で嘘吐きで、小悪魔なお姫様は、――


「さて、私は秘密を告白したわけだけど――」


 こほん、と咳払いしてフィアナが言った。


「どうする? 契約精霊を使えない精霊使いなんて、チームにはいらないかしら?」


 お姫様は寂しげな表情で、目の前のカミトとクレアを見つめた。

 口調こそ冗談めかしているが、黒い瞳が不安そうに揺れていた。


 そして、クレアもたぶん気付いている。

 彼女の指先がかすかに震えていることに。

 やがて――


「関係ないな。そんなのは」


 カミトはふっとため息をついた。


「フィアナは命がけで俺たちを守ってくれた。チームの仲間だ」

「……っ!」


 フィアナがきょとん、と目を見開く。


「で、いいよな?」


 カミトがクレアのほうを振り向くと――


「そうね」


 クレアはうなずきながら、薄くなったフィアナの胸に目をやった。


「フィアナ、あんたは仲間よ。胸なし同盟の仲間」

「い、一緒にしないで! クレアよりはあるわ!」

「な、なんですって!」


 ゴゴゴゴゴ……クレアがメラメラと紅い髪を逆立てた、そのときだ。


「……っ!?」


 突然、地面が揺れた。

 崩れかけた天井から、瓦礫の破片がパラパラと落ちてくる。


「……また地震!?」

「まさか……戦略級軍用精霊ヨルムンガンドがもう目覚めかけてるのか?」

「そうみたいね。でも、ジオ・インザーギが〈真祭殿〉を見つけていない以上、封印を完全に解くことはできないはずよ」

「じゃあ、もし先に真祭殿を見つけられたら――」


 言いかけて、クレアがハッと息を呑んだ。


「学院から盗まれた封印指定の資料――あれに真祭殿の場所が記されているかも」

「そうか! 奴が資料を盗んだ目的がそれだとしたら――」

「いや、軍の資料はすべて暗号化されている。解読にはそれなりに時間がかかるはずだ」


 声を上げたのは、地面から半身を起こしたエリスだった。

 いまの地震で目を覚ましたらしい。


「エリス、もう動けるのか?」


 カミトが声をかけると、


「いや、まだ歩くことはできない。情けないことだが、毒で脚が麻痺している」


 動かない膝を叩きながら、エリスは悔しそうに唇を噛んだ。


「わたくしも、戦闘ができるほどには回復していませんわね」


 こんどは壁にもたれたリンスレットが声を上げた。


「フィアナ、精霊契約の力を失っても、儀式神楽は舞えるのか?」

「ええ、〈神儀院〉にいたころのようにはいかないけれど、再封印を強化することくらいはできるわ。さすがに、できもしない任務を受けることはしないわよ」


 フィアナがうなずいて、そっと顎に手をあてた。


「といっても、まずは隠された真祭殿を見つけて押さえることね」

「この広い鉱山の中を探すのか……」


 なにしろ数十年前に廃鉱になった鉱山だ。

 坑道は整備されていない上、さっきのような小さな地震でも簡単に崩落する危険があった。


「それに、あのジオ・インザーギとまた遭遇するかもしれないわね」


 クレアの発言に全員が沈黙した。


 無数の精霊を使役する、男の精霊使い。

 学院でもトップクラスの実力を誇るメンバーが、束になっても敵わなかった。


(あいつはレスティアのことを知っていた……)


 カミトは思わず、革手袋に覆われた左手を握りしめる。


(いったい何者なんだ?)


「あの男、まるで本物の魔王みたいでしたわね……」

「ああ、さっきはフィアナの不意打ちで退けたが、あれで奴を倒せたとは思えない」


 リンスレットのつぶやきに、エリスが神妙な表情でうなずいた。

 と、そのときだ。


「カミト、真祭殿の場所なら私が知っています」


 壁に立てかけてあった剣から声がした。


「エスト?」


 カミトはエストの柄に触れると、精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェの状態を解除した。

 魔王殺しの聖剣デモン・スレイヤーは光の粒子となって虚空に消え、一瞬で可憐な少女の姿に変化する。


「真祭殿の場所を知ってるってのは、どういうことだ?」

「はいカミト、ここが鉱山になるよりも遙か昔――数百年前はこの山そのものが精霊を祀る高位の祭殿でした。剣に封印される前の私はここを何度もおとずれていたのです」


 なるほど。本来のエストは数百年前に封印された最高位の精霊だ。

 聖山で人々に祀られていたとしても不思議ではない。


「真祭殿の場所に案内できるのね?」

「当然です」

「偉いぞ、エスト」

「はい、カミト。ではエストの頭をなでてください」

「ああ」


 すりすり。なでなで。


「ん、気持ちいいです、カミト」


 顎をなでられる猫のように目を細めるエスト。


「……」


 そんな二人を――


 ビョオオオオオオ……!


 女の子一同が凍てつくような視線で見つめていた。


「な、なんだよ……」

「前から思ってたけど、カミトってなんかエストに甘いわよね」

「そ、そんなことはないと思うぞ?」


 じーっと睨んでくる女の子たちの視線に、思わずあとずさる。

 と、そのときだ。


「……っ!」


 また揺れた。

 ……こんどはさっきよりも大きい。


「急いだほうがよさそうね」

「ああ――」


 カミトはうなずくが――ふと、振り返って足を止める。

 負傷して動けないエリスたちを、ここに残していくわけにはいかない。

 カミトの考えていることに気付いたのか、エリスが首を振った。


「私たちなら大丈夫だ。君が気絶しているあいだに、魔風精霊シムルグを学院へ放っておいた。夜明けには騎士団が応援に駆けつけてくれるはずだ」

「エリス……」

「行ってくれ、カゼハヤ・カミト。私たちは任務に失敗した。あとは君たちに託す」

「わたくしも戦闘は無理のようですし、彼女たちの治療に残りますわ」

「……」


 カミトはぎゅっと拳を握りしめ――


「……わかった。なるべく早く帰ってくる」

「行くわよカミト、フィアナ」


 クレアが炎の鞭フレイムタンを振り上げ、道を塞ぐ瓦礫の山を吹き飛ばした。

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