第四章 キャット・ファイト⑤
(やれやれ……今日は大変な一日だったな)
あれから一時間後、カミトはバスルームに備え付けのシャワーを浴びていた。
フィアナがあとでいいと言ったので、遠慮なく先に入らせてもらったのだ。
ちなみに、クレアは部屋でスカーレットに看病されている。
いまごろベッドでうんうん唸っているはずだ。
気の毒だとは思うがカミトにはどうすることもできない。
エストはもう眠る時間だ。
それにしても――と、シャワーを浴びながらカミトはつぶやく。
(フィアナ・レイ・オルデシア……か)
オルデシア帝国の第二王女にして、あの
なぜ、カミトの正体を知っているのか。
なにが目的で近づいてきたのかも、よくわからない。
(べつに、俺の正体をバラしてどうこうってわけでもなさそうだしな)
本気で脅しているというよりは、カミトの反応を楽しんでいるだけのように思える。
(……いったいなんなんだ?)
カミトが精霊機関のシャワーを止めようとした、そのときだ。
「ねえ、カミト君、入るわよ?」
脱衣所のほうからそんな声がした。
「ん、ああ――」
と、答えかけて。
「な、なに!?」
カミトはあわてて背後を振り向いた。
ガララッ――扉が開く。
そこにいたのは――
「……どうしたの? そんなに驚いて」
バスタオル一枚を身にまとったお姫様だった。
「なっ……ななな、な……」
カミトはたちまちパニックに陥った。
「フィ、フィアナ、なにやってんだおまえ!」
「うん?」
小首をちょっと傾げ、くすっと可憐に微笑む王女様。
ほっそりとした白いうなじ。
優美にくびれた腰。
そして、大きくふくらんだ胸。
バスタオルのスリットから覗く白い素足は、十六歳の少女とは思えないほどなまめかしい。
カミトが唖然としていると――
「なによ、わ、私だって、こんなことをするのは……恥ずかしいのよ?」
膝を擦りあわせ、もじもじと恥ずかしそうにつぶやくと。
おもむろに、フィアナはタオルをはらりと落とした。
「……っ!?」
カミトは思わず両手で目を覆う――が、
「み、水着……?」
フィアナは、バスタオルの下にセパレートの黒い水着を身に着けていた。
腰をパレオで覆い、胸もとに薄いヴェールのついた、水祭の儀式仕様の水着だ。
ほどよく引き締まった両脚、優美なカーヴを描く、くびれた腰。
ほんのりと火照った彼女の身体は、まるで地上に降り立った女神のように美しい。
カミトが思わず見惚れていると――
「えっと、どう……かしら?」
「ど、どうって?」
「わ、私が素肌を晒した男の子は……カミト君、あなたが初めてなのよ」
わずかに声を震わせ、フィアナは恥ずかしそうにつぶやいた。
「な、なんで……」
カミトはごくりと息を呑む。
……意味がわからなかった。彼女がなぜこんなことをするのか。
そんな疑問を塗りつぶすように――
「ね、座って」
フィアナはそっと肩に手を触れると、カミトを逆向きに座らせた。
冷たく、やわらかい女の子の手の感触。心臓の鼓動が一気に高鳴る。
「フィアナ、いったいなにをする気――」
ふよんっ。
「……っ!」
いきなり、やわらかな弾力が背中に押しつけられた。
カミトの背中がびくっと跳ねる。
フィアナはこほん、と咳払いすると――
「お、王女様の私が背中を流してあげるわ。光栄に思いなさい」
泡立てたボディタオルでカミトの背中を洗いはじめる。
「いや、ちょっとまて、なんでそんな――」
わけがわからないカミトは、ひたすら戸惑うばかりだ。
だが、振り向くと艶めかしいフィアナの水着姿を直視してしまうため動けない。
「お、おとなしくしてなさいっ、この私に恥をかかせるつもりなの?」
拗ねたような口調で言われ、きゅっと強めに背中をこすられる。
「ど、どう? 気持ちいいかしら?」
「いや、そんなこと言われても……」
正直、気持ちいい。
というか、可愛い女の子にこんなふうに密着されて、気持ちよくないはずがない。
だが、正直な感想を言えば、人として大事ななにかを失ってしまうような気がした。
「い、意外としぶといわね……早く私に籠絡されなさいっ!」
「籠絡!?」
ふにゅっ。ふにゅんっ。
いまなにか危険な単語が聞こえた気がしたが、押しつけられる胸の感触に気をとられ、すぐに頭が朦朧としてしまう。
(これは、まずい……!)
幼少の頃に〈教導院〉で暗殺者として育てられてきたカミトも、こういう誘惑に対しての訓練はしていなかった。
まだそういうものへの対策は必要ない年齢だったし、彼の契約精霊が、近づく女性をことごとく遠ざけていたからだ。
だが、いまのカミトは年頃の青少年だ。
薄い水着越しに押しつけられる胸の感触に、もはや理性は限界寸前だった。
「お、おい……どこを触ってるんだ!?」
「お、おとなしくしなさいっ! あなたの正体、あの娘に話すわよ」
「そ、そうだ! おまえ、どうしてレン・アッシュベルのこと知って――」
カミトが振り向いて問いただそうとした――そのときだ。
バンッ――突然、バスルームのドアが開いた。
「……っ!?」
そこにいたのは――
「ク、クレア……?」
うつむいて、わなわなと肩を震わせる、クレア・ルージュだった。
「くっ、まさかもう復活するなんて……」
フィアナがキッと唇を噛む。
「あ、あ、あんたたち、な、なななな、なにをしてるのかしら?」
「ち、違うぞクレア、これはだな――」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
クレアの紅い髪が、メラメラと炎のように逆立った。
カミトは、いつものように消し炭になることを覚悟したが――
「……」
鞭を振り上げたクレアの動きが、ぴたっと止まった。
フィアナは余裕の表情を浮かべ、ぴとっ――カミトの背中に胸をくっつけた。
「フィアナ!? な、なんで火に油を注ぐようなことを――」
カミトはあわてて身体を離そうとするが、腕をがっちりとホールドされていた。
「いま、カミト君の背中を流しているの。邪魔しないでくれる?」
「くっ、あ、あんたたち……」
(ああ……俺、死んだな)
カミトが妙に穏やかな心持ちで目を閉じる。
だが。クレアがつぎにとった行動は、まったく予想外のものだった。
いつものように炎の鞭でカミトを吹っ飛ばすのではなく――
「あ、あたしも……あんたの背中流すわ」
「え?」「は?」
唖然とする二人をキッと睨みつけ――告げたのだ。
「だからっ、あたしもお風呂入るのっ!」
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