第四章 キャット・ファイト⑥


「ど、どうなのカミト? 気持ちいい?」

「あら、私のほうが気持ちいいわよね?」


(ま、まて、これは……どんな状況だ!?)


 三分後。カミトの頭は完全にパニックになっていた。


 ……たちの悪い夢を見ているのだろうか。

 だが、背中に感じるこの感触は本物だ。

 一人用のバスルームで、なぜか美少女二人と泡まみれになっている。


 しかも、クレアは水着も着ていない。

 素肌にバスタオルを巻きつけただけの格好だ。


 きめのこまかい乳白色の肌に、鮮やかな真紅の髪が映える。

 小柄でスレンダーなプロポーション。

 可憐な妖精のようなその肢体は、胸などなくても十分すぎるほどに魅力的だ。


 タオルのスリットから覗く太ももに赤いベルトの跡がある。

 クレアは調教用の革鞭を太ももに巻きつけているのだ。

 その跡が妙に艶めかしい。


 カミトは懸命に二人の姿を見ないようにするのだが、なにしろ狭いので、身じろぎするだけで肌が密着してしまう。

 その感触が、かえって想像力を高めてしまうのだ。


「きゃっ……ちょっと、どこ触ってるのよ、ばか!」

「あ、そんな動くと、先のほうが擦れて……ひゃうっ」


 くすぐったさに少し身をよじるだけでこんな状態だ。


(勘弁してくれ……)


 同じ年頃の少年が聞いたら夢の桃源郷と思うかもしれないが、カミトとしてはまるで針のむしろに座らされている気分だった。


 ……なんでこんなことになっているのか、意味がわからない。

 おそらく、クレアはフィアナへの対抗心であんなことを口走ってしまい、引っ込みがつかなくなったのだろうが――巻きこまれるカミトとしてはたまったものではない。


 一刻も早くここを出るべきなのだが、ちょっとでも身動きすると肌がじかに触れ合ってしまうため、出ようにも出られないのだ。


「ほら、あたしのほうが気持ちいいでしょっ、気持ちいいって言いなさい!」

「痛えええっ、背中の皮が剥ける!」

「え、そ、そんなに? ……って、うわ、あんたの背中傷だらけじゃない」

「ああ、いつも誰かさんに痛めつけられてるせいでな」

「わ、悪かったわね……」


 カミトが半眼でうめくと、クレアは気まずそうに謝った。


「――いや、冗談だ。昔の古傷だよ」


 背中の傷は、かつて最強の剣舞姫レン・アッシュベルを名乗っていた頃についたものだ。


「……ん? フィアナ、なに見てるのよ」


 ――と、クレアが眉をひそめてフィアナを見た。


「な、なんでもないわ」

「あたしの精霊刻印が、どうかしたの?」


 フィアナは、さっきからチラチラとクレアの右手の精霊刻印を見つめていた。


「な、なんでもないって言ってるじゃない!」


 めずらしくあわてた声を出し、ふいっと目を逸らすフィアナ。

 そんな彼女を、クレアは怪訝そうに見つめると――


「……あんたの精霊刻印、そんなとこにあるのね。珍しい」


 水着に包まれたフィアナの胸の谷間に、精霊刻印の一部が覗いていた。


「たしか、聖精霊の使い手だったわよね?」

「ええ……そうよ」


 答えたフィアナの表情がわずかにこわばった。


「どんなタイプの精霊なのか、召喚してみせて」


 カミトもそれには興味があった。

 同じ任務に参加する仲間として、使役する精霊のタイプくらいは把握しておくべきだ。

 それによってチーム内での役割も決まってくる。


 だが、フィアナはなぜか不機嫌そうな表情でそっぽを向き、


「必要なときに見せるわ。精霊使いは軽々しく契約精霊を召喚しないものよ」


 たしかに、学院生の中にはそういう考え方の精霊使いもいる。

 精霊の姿形から、属性や弱点などをライバルに見抜かれてしまう可能性があるからだ。


 一方で――


「日頃から契約精霊とコミュニケーションをとらないと、信頼関係が生まれないわよ」


 と、クレアのような考えの者もいて、学院ではこちらのほうが多数派だ。

 どちらの意見も一理あるので、どちらが正しいとは一概に言えないのだが――

 なぜか、クレアのその言葉が、フィアナの癇にさわったようだ。


「……あなたにはわからないわ。クレア・ルージュ」

「……? ちょっと、それどういうこと――」

「もう出るわ」


 氷のような声でつぶやいて、フィアナがすっと立ちあがる。


 ――と、そのときだ。


「……っ!?」


 遠くで、かすかな剣戟の音が聞こえた。

 普通の人間ならば聞き逃したであろう、金属の打ち合う音。

 だが、かつて〈教導院〉で訓練を受けていたカミトにはたしかに聞こえた。


「カミト、どうしたの?」

「学院の中で戦闘が起きてる――」


 学院生同士の決闘だろうか。

 いや、それならすぐに風王騎士団シルフィードが止めているはずだ。


「いやな予感がする」


 それは純粋な胸騒ぎ――直感だった。

 無数の戦いを潜り抜け、研ぎ澄まされてきた、精霊使いとしての直感――こればかりはさすがに鈍っていないと信じたい。


(まちがいない、ヤバイ奴がいる――)


 バスルームを飛び出し、手早く制服を着ると、眠そうにまぶたをこするパジャマ姿のエストがやってきた。

 どうやらこの剣精霊も異変を感じとったらしい。


「カミト、外になにかよくないものがいます」

「ああ、寝起きに悪いな、エスト」

「いいえ、カミト。私はあなたの剣」


 カミトがエストの小さな手を握ると、少女の身体が一瞬で光の粒子となる。

 つぎの瞬間。

 カミトの手には精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェ――テルミヌス・エストが握られていた。


 いつもより剣身が小さく輝きも鈍い気がするが、寝起きなのでしかたない。

 カミトは部屋の窓から外へ飛び出した。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……ああもうっ、来なさい、スカーレット!」


 クレアはスカーレットを呼ぶと、カミトを追って跳躍した。

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