第一章 チーム対抗戦④


 カミトが振り向くと、地面にできた影の中から、すーっと黒い人影があらわれる。

 

 人影はみるみるうちに、大人びた女性の姿に変化した。

 艶やかな長い黒髪。眼鏡をかけた知性的な容姿。

 スーツの上から裾の長い白衣を羽織った、その美女は――


「フレイヤ教師?」


 レイヴン教室の担任講師にしてこの試合の監査役、フレイヤ・グランドルだ。

 影の中から出てきたのは、彼女の契約精霊の能力か――


「いいんですか? 試合中に出てきたりして」

「なに、できの悪い生徒にアドバイスするくらいは問題ないさ」


 フレイヤはふっと微笑して眼鏡を押し上げた。


「もっとも、いまおまえたちが相手にしているのは、ランキング上位のチームだ。苦戦するのもしかたないか。一人一人の力はおまえたちにはるかに及ばないが、チーム力は突出しているからな。……ところで、なんでおまえは試合前から負傷しているんだ?」

「今朝、消し炭ローストにされかけたんですよ」


 横のクレアをジト目で睨むと、彼女はふいっと目をそらした。


「そもそも、五対二で試合をするのがおかしいと思いますけどね」


 こちらが二人なのに対して相手チームは五人だ。

 すでに二人は倒したが、狙撃手の雷精霊使い、格闘型の甲殻精霊使い、そしていまだ姿を見せない最後の一人が残っている。


「知るか。おまえたちのチームが二人しかいないのが悪い。今回の〈精霊剣舞祭ブレイドダンス〉は五人チームでないと参加資格がないんだぞ。どうするつもりだ?」

「期日までには見つけるわ。べつに五人全員がレベルの高い精霊使いである必要はないもの。どうせあたし一人と――この奴隷精霊とで勝ち抜くつもりだし」


 クレアがごにょごにょとつぶやくと、フレイヤは真剣な顔で彼女を睨んだ。


「チーム戦を甘く見ないほうがいいぞ、クレア・ルージュ。君はたしかに優秀な精霊使いだが、それでも連係のとれたチームには絶対に勝てない」


 それから、カミトのほうへ向きなおると、


「君は盤上遊技チェスを知っているか?」

「グレイワースの相手を散々させられてましたよ。一度も勝ったことはないですけど」

女王クイーンはたしかに強力な駒だ。一対一の戦いではまず負けることはない。だが、場合によっては、たいした能力を持たない歩兵ポーンにとられることもある」

「わかってますよ、そんなことは」

「だが理解はしていないな。君の戦い方は――ひどく、孤独な感じがするよ」


 なにも言い返せずに、カミトは口をつぐんだ。


 最強の剣舞姫ブレイドダンサー――かつてそう呼ばれた少年。

 あの狂った施設〈教導院〉で暗殺技能者として育てられてきた彼は、仲間と連係して戦うという経験をしたことがなかった。


 目標の背後に忍び寄り、首を掻き切る――それが彼の本来の戦い方だったのだ。


 精霊剣舞祭ブレイドダンス戦闘規定レギュレーションは精霊王の気まぐれで、開催の都度変化する。


 十五年前の精霊剣舞祭ブレイドダンスは、無制限戦闘バトルロワイヤル方式の試合だった。

 三年前の精霊剣舞祭ブレイドダンスは個人戦の勝ち抜き方式。

 そして、今回はチーム戦だ。


 正直、クレアとのチームワークがうまくいっているとはとても思えない。

 精霊使いとしては致命的な三年間の空白ブランク

 いまだ十分な力を発揮することのできない契約精霊。

 克服すべき要素はいくつもある。


「クレア・ルージュ、君もだ。チームで戦うということがわかっていない」

「あたしはいつも一人だったわ。こ、こいつはただの奴隷精霊だし……」

「やれやれ、前途多難だな、君たちは」


 フレイヤ教師はため息をつくと、ふたたび影の中に消え去った。


「……ふう、いまので二分は使っちまったな。残り時間はあと五分くらいか」


 このまま決着が着かなければ、双方のチームの学内ランクが下がることになる。

 いまだ下位ランクの二人にとっては大きな痛手だ。


 ――と、そのときだ。クレアの足もとに寄り添っていた火猫ヘルキャットが鳴き声をあげた。


「おい、スカーレットが何か言ってるぞ」

「ええ、森の様子がおかしいわ。野生の動物たちがざわめいてる?」


 クレアはなにやら難しい顔で眉をひそめ――


「そこっ!」


 森に向かっていきなり炎属性の精霊魔術をぶっ放した。


 火炎球ファイアボール――超高熱の炎で目標を灰燼と化す、高位の精霊魔術だ。


 灼熱の炎が地面を舐め尽くし、あたりの森を焼き払った。

 立ちのぼる黒煙の中に、無骨な人影がゆらりとあらわれる。


「はっ、おっかないお嬢さんだね」


 精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェの甲殻鎧を身に纏った少女だった。

 火炎球の直撃を喰らったというのに、焦げ痕ひとつついていない。


「意外……堂々と出てきたのね。奇襲はもうやめたの?」

「あたしらの役目は終わりさ。部隊長の準備が整ったんでね」

「準備?」


 クレアとカミトは同時に眉をひそめる。

 と、黒煙が晴れたその向こうに――


「は……?」「なんだ……あれは!?」


 巨大な木の櫓が組んであった。

 シンプルな構造ながら、堂々とした立派な祭殿だ。

 その頂上では、学院の制服を着た小さな女の子が、なにやら儀式の舞を踊っていた。

 木製の杖を手にした、プラチナブロンドの髪の美少女だ。


「我らが同胞よ、いまこそ森を荒らす者どもに鉄槌をくだすのだ!」


 巨大な櫓の上から、こちらに向かってびしっと杖を突きつける。


「な、なんなのよ、あの娘……いつのまにあんな大掛かりな祭殿を!?」

「昨日の夜中のうちに準備していたのさ、今日の試合に備えてね」


 甲殻精霊使いの少女が自慢げにハサミを持ち上げる。

 ……なるほど、あの精霊の力なら祭殿を一夜で作ることも可能なはずだ。


「ず、ずるいわよ、そんなの! 儀式神楽なんて!」

「むう、ずるくないのだ! 私の契約精霊は大規模な儀式なしでは喚べないのだ!」


 櫓の上で杖を持った少女が叫んだ。


「うるさいっ、お子様はだまってなさいよ!」

「むーっ、お子様とはなんだ、おまえの胸もお子様ではないか!」

「なん……ですって!」


 パキッ、小枝を踏み折る音がした。

 クレアの紅い髪が燃え立つ炎のように逆立つ。


樫の賢者ドルイドの一族か……」


 カミトは額の汗をぬぐいながらつぶやいた。


 樫の賢者ドルイドの一族は、オルデシア帝国の貴族ではない。

 帝国の発祥以前から精霊の森に住み、独自の方法で姫巫女の血脈を継いできた、由緒正しい精霊使いの一族だ。


「あのの精霊はちょっと特殊でね、召喚に時間がかかるのさ」

「なるほど、時間を稼いでいたのはそのためか……」


 地面が激しく震動していた。

 祭殿の周囲に灯された松明の炎が轟々と燃えあがる。

 ……すさまじい圧迫感を感じる。

 あの少女が使役しようとしているのは、とんでもない精霊だ。

 おそらくは、先日戦った軍属の巨人精霊に匹敵するほどの。


「――させないわ。スカーレット!」


 クレアがスカーレットを精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェとして展開、炎の鞭フレイムタンが地面を打ち据える。


「カミト、こいつはあたしが押さえる。あんたはあの祭殿を破壊して」

「わかった!」


 カミトはうなずくと、白銀に輝くテルミヌス・エストを手にして走った。


 クレアは精霊使いとしては天才だ。

 甲殻精霊と相性が悪いとはいえ、一対一の戦いで負けることはない。

 祭殿まではかなり距離がある――が、カミトの足ならば間に合うはずだ。


「……っ!?」


 突然、目の前の地面が弾けた。

 茂みの中から精霊魔術の雷光弾が放たれる。


 雷精霊使いの少女だ。

 無論、カミトも森の中に伏兵が潜んでいることは予測していた。

 だが――


「とりゃああああ!」

「なっ!?」


 これは予想外だ。

 ――まさか、精霊使い本人が突っ込んでくるとは。


 無視するわけにはいかない。

 カミトは足を止めて振り向いた。


(一撃で気絶させる――)


 素早く反転し、剣の柄をみぞおちに当て――

 刹那、激しい閃光が目を灼いた。

 彼女の使役していた雷精霊が、目の前で自爆したのだ。


 降りそそぐ雷撃の雨がカミトを襲う。

 痺れるような鋭い痛みが全身に走った。

 動けなくなるほどではない。

 だが、確実に足を止められた。


 目の前に、爆発に巻きこまれて気絶した少女が倒れていた。


(この、最初から相打ち覚悟で……)


 個人戦では使えない戦法だが、チームの勝利のみを考えた場合、悪くない選択だ。

 彼女の役割はあくまで足止め。そして、それは成功した。


「やられたな……」

「来たれ、暴虐の支配者! 汝、すべてを挽き潰す破軍の獣王よ!」


 祭殿の上で杖を天に掲げ、厳かな召喚式を唱える森の少女。

 召喚の儀式が完成してしまったのだ。


「――其の名は、獣群精霊〈ケルンノス〉!」


 森のあちこちから、無数の獣の雄叫びが聞こえてきた。

 あの樫の賢者ドルイドの少女は、元素精霊界アストラル・ゼロに棲む魔獣どもを呼び寄せていたのだ。


「獣群精霊……広範囲憑依型の精霊か!」


 先日の事件で、クレアのスカーレットや軍用精霊を狂わせた狂精霊と同じ、対象に憑依させるタイプの精霊だ――その広範囲版。


 ドドドドドドドドドドッ!


 獣群精霊に憑依された魔獣の群れが、地響きを立てて突進してくる。


「あー、あいつら精霊じゃないから、踏みつぶされたら死ぬな。ふつーに」

「ど、動物の扱いならあたしだって負けないわ!」


 甲殻精霊使いを倒したクレアが鞭をピシピシ鳴らすが――


「あきらめろ、クレア。俺たちの負けだ」

「――勝負あったな」


 すっと影のようにあらわれたフレイヤ教師が、試合終了の笛を鳴らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る