第二章 お嬢様たちの午後

第二章 お嬢様たちの午後①


「むぐぐぐ……」


 クレア・ルージュがクリームパンを喉につまらせていた。

 貴族たるものいつも優雅にあれ――を信条とする彼女にしては珍しい光景だ。


「やけ食いするなよ、太るぞ」


 カミトが半眼で睨むと、クレアは悔しそうにテーブルを叩いた。


「だって、だって、うぐぐぐ〜!」

「クレア、それは私のジャムパンです」


 冷静に抗議するエスト。

 ここは学院の中にあるサロン・カフェだ。

 オープンテラスからやわらかい陽の光が射し込んでいる。

 三人は窓際の丸テーブルに座って、ちょっと遅めの昼食をとっていた。


 真ん中に置かれた籐のバスケットには、ジャムパン、メロンパン、ソーセージパンなど、様々な種類のパンが山盛りになっている。

 カフェは学院生なら誰でも利用できる上に、ただで焼きたてのパンが食べ放題なのだ。コーヒー、紅茶もおかわり自由。


 学院にはいちおう食堂もあるのだが、帝都の高級レストラン並みの料金をとられるため、もともと貴族でもなんでもないカミトや、財産ごと領地を召し上げられてしまったクレアには、とても利用することができないのだった。


「またチームのランキングが下がったわ」


 クレアはテーブルに突っ伏したまま、うーっと唸った。


「上位チームと当たっちまったんだ。しかたないさ」

「そうだけど……でも、実力はあたしたちのほうが絶対に上だった」


 クレアはきゅっと唇を噛みしめる。

 数で不利だったとはいえ、精霊使いとして格下の相手に負けたことに納得がいかないのだろう。


 たしかに、精霊使いとしてのレベルはこちらのほうが上だった。

 敗因は、二人の連係がうまく働かなかったことだ。

 クレアは自分の力を過信して相手を深追いしすぎたし、カミトもまた、決定的な場面でクレアを頼ることができなかった。


 女王の駒だけでは勝つことはできない――つまりは、そういうことだ。


「こんなところで、つまずいてる場合じゃないのに……」


 クレアがパンをやけ食いするほど焦っているのには理由があった。


 二ヶ月後に開催される精霊剣舞祭ブレイドダンスの規定は、個人戦だった三年前とは違い、五人のチームを組まないと参戦できないことになっている。

 そして、アレイシア精霊学院から参加できるのは、学内ランキング上位の三チームのみなのだ。


 いまだ新たなメンバーが集まらないことに加え、ランキングの成績も伸び悩んでいた。

 学院に来たばかりのカミトは、ランキングを上げるような功績を何も残していない。


 ランキングを上げるには、今朝のような公式の訓練試合に勝つか、学院の割り当てた任務をこなせばいいのだが、そのどちらも達成できていなかった。

 先日の巨人精霊を倒したのも、風王騎士団長エリス・ファーレンガルトとの決闘も、狂乱した魔精霊との戦いも、すべて非公式の戦いであり、ランキングには反映されない。


 一方、精霊使いとしてはずば抜けて優秀なはずのクレアはというと――

 驚くことに、なんと最下位クラスの成績だったのだ。


 理由はただひとつ。

 彼女がすべての任務を

 本来ならチームでこなすはずの任務に一人で挑戦しては失敗し、公式試合では上級生相手に一人で戦いを挑んでは負けていた。

 そんなことをしていれば、いくら精霊使いとして優秀でも、ランキングを上げられるわけがない。


 クレアが学院で孤立しているのには、理由があった。


 ルビア・エルステイン。

 四年前、火の精霊王に仕える精霊姫の立場にありながら、精霊王を裏切って失踪し、帝国に未曾有の大災厄をもたらした――災禍の精霊姫カラミティ・クイーン

 その妹であるクレアは、ほとんどの学院生から恐れと蔑みの目で見られているのだ。


 クレアが精霊剣舞祭ブレイドダンスに参加する目的は、エルステイン家の再興と――なによりも、姉のルビア・エルステインについての真実を知ることだ。


 ――こんなところでつまずいてる場合じゃない。


 クレアの吐き出した言葉には、血の滲むような想いがこもっている。


「とりあえず、俺たちも早く仲間を見つけないとな。今日の試合でわかったよ。いまのままじゃ、精霊剣舞祭を勝ち抜くどころか、出場条件の上位三枠にも入れない」


 三年前、最強の剣舞姫と呼ばれた少年は、素直に力不足を受け入れた。


 クレアに目的があるのと同じように、カミトにも目的がある。

 最初はグレイワースの要請で学院にきただけだったが、いまでははっきりと、三年前の強さを取り戻すべき理由があった。


 闇精霊レスティア――かつての契約精霊。

 彼女をこの手に取り戻すことだ。


 暗闇に囚われていたカミトの人生に、はじめて光をあたえてくれた少女。

 そして、傷心のクレアに狂精霊を与え、街中で巨人精霊を暴走させようとした少女。

 ふたたび出会ったレスティアは、カミトが知っていた少女とは大きく変貌していた。


 ――いったい、彼女になにがあったのか?


 それを知るためにも、精霊剣舞祭ブレイドダンスへの出場資格は絶対に手に入れなくてはならない。


「カミト、どうしたのよ。そんな難しい顔して」

「コーヒーにお砂糖を入れ忘れたのですか?」


 クレアとエストが心配そうに顔を覗きこんでいた。


「いや、悪い、ちょっとな……」

「ひょっとして、あんたの昔の契約精霊のこと?」


 こういうときは妙に鋭い。

 カミトは、覗きこんでくる紅玉ルビーの瞳からふっと目を逸らした。


「……ま、いいわ。でも、話したくなったらちゃんと話しなさいよね」


 クレアはそれ以上、踏み込んでこようとしなかった。

 いつもは傍若無人なくせに、たまにこういう気遣いを見せるところがあるのだ。


「……ああ、わかった」


 カミトがうなずいた、そこへ――


「あら、みなさん、昼食ですの?」


 ツンとした気品のある声がかけられた。

 カミトが振り返る。と、そこに――

 豪奢なプラチナブロンドの美少女が立っていた。


 高貴なお嬢様を絵に描いたようなたたずまい。

 なめらかな乳白色の肌に、淡い光彩を閉じ込めたエメラルドの瞳。

 腰に手をあて、ふぁさっと髪をかきあげるその姿が妙に様になっている。


 リンスレット・ローレンフロスト。


 カミトたちと同じレイヴン教室の生徒で、自称クレアのライバル。

 クレアへの対抗意識からカミトを下僕にしようとしている、困ったお嬢様だ。

 そんな彼女のかたわらには――


「ふふっ、おいしそうな匂いですね」


 メイド服に身を包んだ少女が、穏やかな微笑みを浮かべて立っていた。

 清楚なフリル付きのロングスカート、ショートボブに切り揃えた黒髪、頭には可愛らしいホワイトブリムをちょこんとのせている。


 リンスレットの専属メイドのキャロルだ。

 どうして学院にメイドがいるのかわからないが、彼女以外に学院でメイドの姿を見たことがないので、きっとローレンフロスト家の特例なのだろう。


「……なにしにきたのよ、リンスレット」


 クレアはパンを呑みこむと、彼女をキッと睨みつけた。


「偶然通りかかっただけですわ。パンだけなんて、ずいぶん質素な昼食ですわね」


 ふぁさっと髪をかきあげ、悠然と三人を見下ろすリンスレット。


「お嬢様は、みなさんと一緒に食事をされたいとおっしゃっているんですよ」

「なっ……キャロル、なにを言うんですの!」


 顔を真っ赤にしてキャロルの肩をぽかぽか叩くリンスレット。

 さすが専属メイド、みごとな通訳だ。


「二人とも座れよ。せっかくだし、一緒に食べようぜ」


 カミトがうながすと、クレアがぎゅっと足を踏んできた。


「いてっ、なにすんだよ!」

「べつに? 節操ないわねって思っただけよ。……ばか」

「わ、わたくし、べ、べつにあなたたちと食事をご一緒したいわけじゃありませんわ!」

「お嬢様はカミトさんの隣がいいとおっしゃっていますわ」

「キャロル〜っ!」


 真っ赤になったリンスレットを、キャロルがまあまあとなだめて椅子に座らせた。

 カミトの隣に座ったリンスレットは、ふいっと目を逸らしたまま話しかけてきた。


「……け、怪我の様子はどうですの?」

「ああ、だいぶ治ってきた。治癒の精霊のおかげだな」


 巨人精霊と戦ったときに負った怪我のことだ。

 だいぶ無理をしたからもう少しかかると思っていたが、さすがに学院の精霊医療は優秀だ。


「ふふっ、お嬢様は、カミト様のことをずっと心配なされていたのですよ」

「キャロル、よ、余計なことを言わないで!」


 ガーッと噛みつくリンスレット。


「でも、お嬢様が心配なさるのももっともですわ。だって、カミト様はクレアお嬢様と一つ屋根の下、なにがあってもおかしくありませんもの」

「なっ、なに言ってんのよ、このばかメイド! そんなことあるわけないでしょ!」


 こんどはクレアが噛みついた。


「……どういう心配だよ」


 やれやれとため息をつくカミトの横で、エストがメロンパンをぱくぱく食べていた。


 そんなわけで、リンスレットたちも一緒に昼食をとることになった。

 最初は不機嫌そうにしていたクレアも、やがてリンスレットに今日の試合のことを話しだすと、あとはどこそこのお店のケーキが美味しいだとか、精霊学基礎概論の講義が退屈だとか、普通の女の子らしい会話に華を咲かせはじめていた。


 なんだかんだでこの二人、けっこう仲がよかったりするのだ。

 とくに学院で孤立しているクレアにとって、彼女は唯一の友人といっていいかもしれない。


「そういえば、レイヴン教室に新しく編入生が来るそうですわね」

「うちの教室に? この前カミトが入ったばかりなのに」

「ええ、なんでも、さる高貴な身分のご令嬢とか」

「ふーん、でも、この学院でいまさら高貴な身分っていわれてもね。ファーレンガルト家にローレンフロスト家、高貴な身分のバーゲンセールじゃない」

「ちょっと、武門のファーレンガルト家と、由緒正しきローレンフロスト家を一緒にしないでくださる?」

「知らないわよ、そんなの……ん、どうしたの、カミト?」

「いや、どんな娘が来るんだろうなと思ってな」


 なにしろ、の集まることで有名なレイヴン教室だ。

 クレアやリンスレットみたいなのが増えたら、大変だなと思っただけなのだが。


「午前中に行われた実技の編入試験では、〈聖精霊〉を使役したそうですよ」


 メイドのキャロルが胸もとからメモ帳を取り出して言った。

 キャロルのメイド手帳――『キャロルノート』には、学院生や教師たちのデータが詰まっているのだそうだ。

 ……いったい、なんのために使うのかはよくわからないが。


「ふーん、聖精霊の使い手か……」


 聖精霊は五大元素精霊の一種ではあるのだが、使役する精霊使いはそれほど多くない。

 どうにも気位が高く、使い手を選ぶ精霊なのだ。

 姫巫女の中でも、とくに清らかで高潔な乙女にしか心を開かないといわれている。


(三年前の対戦でも、聖精霊の使い手には苦戦させられたからな……)


 なにしろ聖精霊は、カミトの契約していた闇精霊とすこぶる相性が悪いのだ。

 もっとも、あのときはカミトの力が相手の精霊使いを完全に上回っていたため、負けることはなかったが。


「あ、ちなみに、すごく可愛くて胸の大きい娘みたいですよ」

「キャロル、いったいどこでそんな情報を仕入れてくるんだ?」

「あら、カミトさん、興味がおありなんですか?」


 口もとに手をあて、ふふっと微笑むキャロル。


「ふーん、あんた、そ、そんなに胸の大きい編入生の情報が気になるわけ?」

「え?」


 ゴゴゴゴゴゴゴ……!


 カミトが振り向くと、クレアが眉を吊り上げて睨んでいた。


「本当に殿方ってばかですわね!」

「カミトは見さかいがないのですか? 理性のないケダモノなのですか?」


 なぜか、リンスレットとエストにまで睨まれ――


 ぎゅうううううっ!


 カミトは三人から頬をつねられるのだった。


(理不尽だ……)

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