第六章 真夜中の剣舞③



 それは――虚空に浮かぶ巨大なアギトだった。


 頭部も胴体も尻尾も存在しない。

 ただ、ズラリと歯の並んだ不気味なあごだけが、ガチガチと音を鳴らしていた。


「あれは……まさか、魔精霊!?」


 突然、姿をあらわしたその精霊に、カミトは慄然としてうめいた。


 魔精霊――それは、その精神構造の在り方が人間とあまりに異なる故に、精霊使いが決して手懐けることのできない異形の精霊だ。


「魔精霊が、どうしてこんな場所に……?」


 と、その刹那。 


 ヴォ……ルォォオオオオオォン――


 魔精霊の上げた耳をつんざくような咆哮に、少女たちは身をすくませた。

 すさまじい威圧感。肌に感じるその神威は魔人級の精霊に匹敵する。


 しかも――


(狂乱……している?)


 カミトは声を押し殺し、上空の魔精霊を注意深く観察した。

 魔精霊は確かに異形の存在だが、理由もなしに狂乱することはありえない。


(……どういうことだ?)


 胸中でうめき――カミトは、ふと思い出した。

 そういえば、決闘の前――クレアの部屋で精霊機関の水精霊が暴走した。

 普通なら考えられない現象だが、あのとき水精霊が狂乱していたのなら、クレアが制御できないのも当然だ。

 ……あの現象と、なにか関係があるのだろうか?


 それに――


(クレアは、このエリアに強力な精霊が出没することはないと言っていた)


 偶然にしては、あの魔精霊の出現はあまりに不自然だ。


(なんなんだ、いったい――)


 虚空に浮かぶアギトは森の木々を薙ぎ倒し、古代の遺跡を粉々に噛み砕いた。

 砕け散った石の破片が頭上から激しく降りそそぐ。


「クレア・ルージュ、ひとまず決闘は中止だ。いいな?」

「……わかったわ」


 クレアはエリスの言葉に素直にうなずいた。

 あの魔精霊の危険性は、この場にいる全員がわかっているはずだ。


 あれは契約精霊のように純化形態で召喚されているわけではない。

 あの歯で噛み砕かれれば、人間の身体など紙屑同然だ。


「避難するぞ。私が殿を務める、君たちは気絶した二人を運んでくれ」


 風翼の槍レイ・ホークを構えたエリスが、颯爽と遺跡の中央に降り立った。


「いや、殿は俺がやる。あれは並の精霊使いがどうにかできるもんじゃない」


 精霊との戦いは、人間の精霊使い相手の戦い方とはまったく異なる。

 無論、彼女たちも精霊との戦い方を学んでいないわけではないのだろうが――エリスといえど、一人で戦うには危険すぎる相手だ。


「冗談はよせ。契約精霊も満足に使役できない君になにができる」

「それは……」


 カミトはぐっとうめいた。

 たしかに、あの頼りない精霊魔装エレメンタルヴァッフェで戦える相手ではない。


「言いあってる時間はありませんわ。ここはエリスにまかせて、急ぎますわよ!」


 リンスレットが口笛を吹くと、白狼の姿になったフェンリルが、気絶したレイシアとラッカを背中に乗せてやってきた。

 キャロルもぱたぱたと走りこんでくる。


「クレア、なにをぼーっとしてますの!」


 リンスレットがクレアの袖をくいっと引っぱった。


 ――と、なにか考えこむようにうつむいていたクレアが突然、顔を上げた。


「エリス、殿しんがりはあたしが務めるわ」

「なんだと?」


 目を見開くエリス。

 クレアは革鞭を鳴らし、契約精霊の火猫を呼びよせた。


「……」


 クレアの紅い瞳は、暴風のごとく荒れ狂う魔精霊の姿に釘付けになっていた。


 ……


 そんなクレアの様子に――カミトはハッと気付いた。


(こいつ、まさか――)


 クレアは、強大な精霊を手に入れることにこだわっていた。

 姉であるルビア・エルステインに関わる真実を知るために、力が必要だと。

 だから、危険な封印精霊にまで手を出そうとしていたのだ。


「おまえ、まさかあれを――!?」

「……」


 クレアは答えない。

 ただじっと虚空の魔精霊を見つめている――


「無茶だ! あれは魔精霊だぞ、しかも狂乱してる!」

 

 カミトが叫ぶと、クレアはツーテールの髪を揺らし、やっと振り向いた。


「……千載一遇のチャンスなのよ」


 唇をきゅっと噛み、思いつめたような表情でつぶやく。


「〈精霊の森〉で、あれほどの精霊と遭遇することなんてまずないわ。それに、過去に魔精霊と契約した精霊使いがいなかったわけじゃない」

「グレイワースのことか? あいつは魔女だ」

「あたしにも魔女の素質があるかもしれないわ」

「ばかなことはやめろ、死ぬぞ」


 カミトはいまにも駆けだそうとするクレアの腕を掴んだ。

 クレアはカミトをキッと睨みつける。


「邪魔しないで。あたしが強い精霊を求める理由、言ったでしょ?」

「ああ、わかってる。でも、あれはだめだ。おまえの手には負えない」

「……っ、うるさいわねっ、離して! 弱いあんたは黙ってて!」


 クレアはカミトの腕を振りきって叫んだ。

 カミトを睨む紅玉ルビーの瞳に、本物の怒りが浮かんでいた。


「あたしの封印精霊、横取りしたくせに! あんな弱い精霊魔装エレメンタルヴァッフェしか使えないあんたに、なにか言う資格があるの?」

「それは――」


 カミトはうつむいた。

 クレアが苛立つのも無理はない。

 あれほど強大な精霊と契約しておきながら、その力をまったく引き出すことができないのだから。


「なによ……ちょっとは、期待してたのに」


 クレアは、ばつが悪そうにふいっと目を逸らした。


「あれはあたし一人でやるわ。あんたたちは逃げなさい」

「クレア・ルージュ、君は――」

「エリス、あんたはみんなを守ってやって。考えたくないけど、もしあたしが――」


 クレアはその先を口にしなかった。


 そして――


「――スカーレット!」


 相棒の炎精霊の名を呼ぶと、森を食い荒らす魔精霊に向かって駆けだした。


「クレアっ!」


 カミトがあわてて手を伸ばす――


 刹那、魔精霊が咆哮した。


 叩きつけられる衝撃の塊。

 あたりの木々が根こそぎ吹き飛ぶ。


「風よ、我らに加護の手を――風絶障壁ウインドウォール!」


 とっさにエリスが精霊魔術を唱え、後ろにいた全員を守った。


(くそっ、クレア――)


 吹きつける砂礫を防ぎながら、カミトはクレアの姿を目で追った。


 クレアは――宙を舞っていた。


 風にのって、まるで空へ舞いあがる火の粉のように。

 その手には、精霊魔装に展開された炎精霊――〈炎の鞭フレイムタン〉が握られている。


 燃えさかる紅蓮の斬閃が、夜の闇を切り裂いた。

 クレアはタッと地面に降り立つと、木立の隙間を駆けながら、魔精霊に接近する。

 魔精霊が巨大なアギトを開き、ズラリと並んだ歯をガチガチ鳴らした。


(……だめだ、無謀すぎる!)


 カミトの知るクレア・ルージュという少女は、少なくとも戦闘においては、冷静な判断力と戦術眼を備えた優秀な精霊使いだ。


 だが、いまの彼女は自分を見失っている。

 姉であるルビア・エルステインへの想いが、冷静な判断力を失わせている。


 裏切った姉への怒り。

 それでも捨てきれない愛情――いくつもの葛藤がないまぜとなって、強大な力への渇望に転化しているのだ。


「しぶといわねっ、あたしのものになりなさいっ!」


 炎の鞭フレイムタンが華麗に舞う。

 紅いツーテールが闇夜に踊る。


 あれが――精霊使い、クレア・ルージュの剣舞ブレイドダンス


「……」


 綺麗だ――と思った。

 こんなときなのに、カミトは一瞬、すべてを忘れてその姿に見惚れた。


 ……あのときと同じだった。

 暴走する剣精霊に、ひとり立ち向かっていたあのときと。

 カミトは静かに拳を握りしめ、背後を振り返った。そして――


「エリス、リンスレット、あとは任せた」

「なっ……君はばかか!?」

「ばかですの!?」


 二人が同時に叫んだ。

 耳がキンキンする。


「……ああ、ばかだよな。ほんとばかだ」


 グレイワースがこの場にいたら、容赦なく毒舌を浴びせてくるだろう。


 この三年間、失った大切なものを取り戻すために、死んだ目をして生きてきた。

 なのに、こんなとこで無駄に命を捨てようというのだから。


 けれど――


「俺は、あいつの契約精霊だ」

 

 だから――


「あのはねっ返りの火猫娘を、助けてやらないとな――」

「待て、カゼハヤ・カミト!」


 止めようとするエリスの手を振りきって、カミトは走りだした。


 紅蓮の焔が魔精霊と剣舞を踊っている。

 あの気高い焔を消してはいけない。

 ――あいつを死なせたくない。


 だって、あいつは――


 わがままで、怒りっぽい。

 強がりで、寂しがり屋で……ほんとは優しい。

 缶詰と恋愛小説が好きな――

 どこにでもいる、ただのお姫様だ。


 オォォォオオ……ォォン――


 魔精霊の咆哮が轟く。

 森を吹き飛ばすような衝撃波が放たれ、クレアを地面に叩きつけた。


「――クレアっ!」

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