第六章 真夜中の剣舞②



 挨拶がわりの一撃、といったところか――


 滑空してきた魔風精霊は、四人のいる地面めがけてダイブした。

 耳をつんざく轟音。

 石畳が剥がれ、大量の土砂が舞い上がる。

 爆心地から発生した強風に殴られ、カミトの身体は軽々と吹っ飛んだ。


「……がはっ!」


 壁に叩きつけられる。

 骨が砕けるような衝撃に、一瞬、呼吸が止まった。


 純化形態となった精霊の攻撃を受けても肉体が傷つくことはないが、叩きつけられた衝撃や瓦礫の破片による物理的なダメージはべつだ。

 突風で舞いあがった石礫がカミトの全身を切りつける。

 両腕で額をかばいながら、カミトは舌打ちした。


(……なんて破壊力だ! まともに喰らったら一撃で昏倒するぞ)


 あの魔風精霊……シムルグといったか。

 破壊力だけならクレアのスカーレットさえ凌ぐかもしれない。


(そうだ、クレアは――?)


 立ち上がってあたりを見まわすと、味方の二人はそれぞれの配置についていた。

 クレアは中距離からの直接援護。

 リンスレットは遠距離攻撃による後方支援。

 キャロルは……劇場の外へ逃げて旗を振っている。


 吹き荒れる轟風が止んだ。この隙にカミトは走り出す――


「まだよ、カミト!」

「……っ!?」


 クレアが叫ぶと同時、魔風精霊の咆哮が響きわたった。

 地面にあいた大穴から、巨大な魔鳥がはばたく――


「なにやってるのよ、さっさと精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェを展開しなさい!」

「んなこと言ってもな――」


 刹那。膨大な質量を持った風の塊が、地面をえぐりながら突進してきた。


 一直線に剥がれていく石畳。

 カミトはとっさに横に跳んだ。

 地面を転がりながら、口の中で素早く精霊語の召喚式サモナルを詠唱する。


 淡く輝く精霊刻印――だが、相変わらず契約精霊との回路パスが繋がらない。


(……っ、だめか!?)


 あきらめかけた、そのとき――手のひらに光り輝く短剣が構築された。

 相変わらず頼りない精霊魔装だが、ないよりはましだ。


「逃げるだけか、カゼハヤ・カミト、見損なったぞ!」


 エリスがポニーテールの髪を揺らし、タッと地面に降り立った。


「ああ、戦えばいいんだろっ――」


 短剣を構えたカミトはエリスに向かって突進した。

 先手必勝だ。先に精霊使いを倒せば、召喚されている契約精霊は消滅する――


「カミト、後ろ!」


 背後からクレアの声――カミトはそのまま真横に跳んだ。

 魔風精霊の翼が、たったいまカミトのいた場所を薙ぎ払った。


「……っ、なんてスピードだ!」


 五大元素精霊の中で最速を誇る風属性の精霊。

 エリスはそれを完璧に制御していた。


 夜空へ舞いあがった魔風精霊は弧を描くようにターン――急降下してくる。

 カミトはふたたび跳んだ。

 地面に激突した魔風精霊が大量の土砂を巻き上げ――直後、無数の風の刃となってカミトの腕を斬り裂いた。


「……くっ!」


 右腕にすさまじい激痛が走る。

 実際に腕を斬り落とされたわけではない――が、その痛みはカミトの意識を激しく揺さぶった。


(――まさか、あのタイミングで風の刃に変化するとはな)


 カミトは内心で舌を巻く。

 エリスの精霊使いとしての技量は相当なものだ。


「カミト、援護するわ!」


 声と同時、燃えさかる炎が夜空を赤く照らす。

 クレアがスカーレットの精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェ――〈炎の鞭フレイムタン〉を振るったのだ。


 炎の斬撃が弧を描き、襲い来る風の刃をすべて薙ぎ払う――


「団長の邪魔はさせない!」


 三つ編みの騎士、レイシアがクレアに向かって突撃した。

 手にした精霊魔装は透明な氷の剣――リンスレットと同じ氷精霊の使い手のようだ。


 とはいえ、精霊の格はリンスレットのフェンリルにまったくおよばない。

 契約精霊を精霊魔装に展開する技量はあるようだが、それを自分のものにできていない。


 クレアの敵ではない――そう判断して、カミトは眼前のエリスに向きなおった。

 刹那。激しい爆砕音と同時に、目の前の地面がごっそりえぐられる。


「……っ!?」

「はんっ、精霊魔装――〈破岩の鎚〉、受けてみろよ!」


 男勝りな口調で叫んだのは、短髪の騎士ラッカだ。

 得物は柄の長い大鎚。

 それを少女の細腕で軽々と振り回している。


 カミトは跳びさがって距離をとった。

 こちらはレイシアよりはやるようだ。


 間合いをとって対峙しながら、目の端でエリスを追う――

 エリスはラッカの攻撃と連動して、すでに動いていた。

 さすがに騎士団長だけあって、エリスの指揮能力は高い。


 まずは魔風精霊による先制攻撃で戦場を混乱させる。

 中衛のクレアにレイシアを、前衛のカミトにラッカをぶつけ、二人を抑えているあいだに、最も戦闘能力の高いエリスが後衛のリンスレットを叩くという作戦だ。


(……っ、エリスを叩く前に、まずはこいつをなんとかしないとな)


 カミトは素早く踏み込み、斬撃を放った。

 銀の剣閃がラッカの腕を浅く斬り裂く。


 精霊魔装の攻撃なので、血は流れない――だが、痛みは同じように感じるはずだ。


「このっ……!」


 ラッカの顔が怒りに染まった。

 カミトの脳天めがけて〈破岩の鎚〉を振り下ろす。


 轟音。


 地面がえぐれ、瓦礫が舞いあがった。

 おそらくは土属性の精霊だ。

 さすがに破壊力はたいしたものだが、動きが大振りなので簡単によけられる。


「ちいっ、ちょこまかと!」


 彼女もまだ精霊魔装を使いこなせてないようだ。

 あるいは、契約精霊の格が彼女の実力に対して高すぎるのか――使役しているはずの精霊に振り回されてしまっている。


「逃げるなっ、ちゃんと戦え、男の精霊使い!」

「ただ逃げてるわけじゃない。集団戦ではもっと周りを見たほうがいいぜ」

「なに?」

「腕利きの狩人が狙ってる」


 瞬間。飛んできた氷の矢弾が、少女の胸を貫いた。


 派手に吹っ飛び、地面をバウンドするラッカ。

 精霊魔装の〈破岩の鎚〉が光の粒子となって消滅する。


「ふっ、ナイスショット、ですわ!」


 背後からの声にカミトが振り向くと―― 

 劇場の外壁の上でふふん、と髪をかきあげるリンスレットの姿があった。


「……って、なんで支援役のおまえが、そんな目立つ場所に立ってるんだよ!」

「あら、わたくしがクレアより目立つ場所にいるのは当然ですわ!」

「あ、あのバカ犬……! あんたは動き回って狙撃っていったでしょーが!」


 クレアが噛みつくように怒鳴った。


「ふっ、高貴なるローレンフロスト家のレディたるもの、ダンスパーティーでは一番目立つ場所にいないと気がすみませんの」

「それでこそお嬢様ですわ!」


 キャロルが地上から嬉しそうに旗を振る。


「ふん、ずいぶんと余裕だな、レイヴン教室!」


 ――と、その刹那。背後で強烈な突風が巻き起こった。


 翼をひろげた魔風精霊が咆哮を上げ、リンスレットめがけて飛び上がる。


「いい的ですわ! 凍てつく氷牙よ、穿て――〈魔氷の矢弾〉!」


 リンスレットが素早く氷の矢弾を放つが――

 魔風精霊は即座に無数の風の刃へと変化し、リンスレットめがけて襲いかかった。


「きゃあっ!」

「リンスレット!?」


 駆けよろうとするクレアの前に、三つ編みの騎士が立ちはだかった。


 クレアの注意が逸れた隙に素早く鞭の間合いに入り込み、氷剣で斬りつける。

 一度間合いに入ってしまえば、剣のほうが圧倒的に有利だ。

 クレアが徐々に押されていく。


「このっ、よくもラッカを!」

「くっ――カミト、エリスを追って!」

「ああ!」


 クレアも窮地だが、いまはエリスを止めなくてはならない。


 エリスは劇場の階段を駆けていた。

 リンスレットを完全に戦闘不能にするつもりだ。


 カミトはエリスの足もとを狙って短剣を投擲した。

 無視するのは危険と判断したのか――エリスは横に跳んでかわし、観客席に降り立った。

 あたりに甲高い音が響きわたる。

 精霊魔装の短剣が壁にあたって砕け散った。


「ふん、ずいぶんと脆い精霊魔装だな」


 エリスは言いながら、魔風精霊を手もとに呼びよせた。

 そして――


「――凶ツ風よ、怨敵の心臓を貫く魔槍となりて我が手に宿れ!」


 精霊語の展開式を唱えた途端――風が吹き荒れ、その手に長大な槍が出現した。

 柄に精緻な紋様の刻まれた、儀式用の長槍だ。

 紅い月光に輝く穂先は鋭い風を纏い、かすかに風鳴りの音をたてている。


 腰まで伸びたポニーテールの髪が、風にあおられ流れるように揺れた。

 エリスは槍を片手でくるりと回すと、凜とした表情でカミトを睨み据えた。


「これが私の精霊魔装――〈風翼の槍〉だ」


 カミトは――


「綺麗……だな」


 思わず、そんな声を洩らした。


「ふっ、君にもわかるか――この〈風翼の槍〉の美しさが」


 自慢げに槍を見せつけ、ちょっと嬉しそうに頬をゆるめるエリス。


「ばか、おまえがだよ。言わせんな恥ずかしい」

「なっ……わ、私……!?」


 エリスは真っ赤になって、わたわたとあわてた。


「おのれ、わ、私を愚弄するかっ、カゼハヤ・カミト!」

「いや、普通に見惚れてただけなんだけどな」

「み、見惚れっ……あ、ううう~っ……」


 エリスはますます顔を赤らめ……邪念をはらうかのように、首をぶんぶん振った。


「ええいっ、そのような戯れ言をっ……やはり私を愚弄しているのだな!」

「いや、ほんとに綺麗だと――おわっ!」


 激昂したエリスが、真っ赤な顔で槍を突き込んできた。

 心が乱れているためか、かわすのはたやすい。


 が、魔槍の穂先がカミトのわき腹をかすめた、瞬間――

 放たれた風の刃が、全身を切り裂いた。


(ぐっ……!?)


 鋭い痛みに、カミトは胸中で舌打ちする。


(――風の刃を生み出す精霊魔装か!)


 全身を襲う激痛をこらえながら、カミトは後方へ一気に跳びさがった。

 風の刃を生み出すあの魔槍は、紙一重で回避しても意味がない。

 だが、エリスはさらに踏み込み、嵐のような連撃を放ってくる。


「逃がすかっ、この不埒者! ティラミスにしてやる!」

「なんだよ、お菓子作りも得意なのか? この可愛いむっつり乙女め」

「お、お菓子はいま練習しているところだ。将来添い遂げる殿方のために――ええいっ、な、なにを言わせるのだっ! そしてむっつり乙女とはなんだっ!」


 エリスの渾身の一撃が劇場の壁を穿ち、瓦礫の破片が飛び散った。


(……っ、こいつ、マジで強いな!)


 さすがは精霊使いの集うこの学院で、騎士団長を務めているだけある。

 精霊を愉しませる〈神楽〉の手本のような、美しい剣舞だ。


 ズキリ――と、左手の傷がうずいた。


 感覚が、徐々に研ぎ澄まされていくのがわかる。

 本気の剣舞に血がたぎる。

 身体が、三年前のあの感覚を思い出していく――


(けど、こんなものじゃない――)


 思うように動かない脚がもどかしい。

 相手の手を読む直感力も落ちている。


(俺は――)


「このっ、逃げるなっ!」


 鋭い殺気を放ち、烈風を纏ったエリスが突撃してきた。

 小手先の突きではない。勝負を決めるための渾身の一撃。

 だが、そこに致命的な隙が生まれる――


「凍てつく氷牙よ、穿て――〈魔氷の矢弾〉!」


 復活し、狙撃の機会を窺っていたリンスレットが、すかさず氷の矢弾を放った。

 

 同時に――


「舞え、破滅呼ぶ紅蓮の炎よ――〈炎王の息吹〉!」


 レイシアを片付けたクレアが炎属性の精霊魔術を放つ。


「……っ!?」


 エリスの双眸が驚愕に見開かれた。


 タイミングは完璧。

 放たれた氷牙と獄炎はまっすぐに標的を捉え――


 パリィィィィンッ!


 空中で互いに衝突した。


「……な!?」


 カミトの顔がひきつった。

 目の前のエリスも唖然として立ち尽くす。


「ちょっと、リンスレット! あんたなに邪魔してんのよ!」

「な、なんですのっ、あなたこそわたくしの邪魔をしないでくださる?」


 たちまち口喧嘩をはじめる二人。


「あ、あいつら……」


 カミトは決闘の最中だということも忘れ、深いため息をついた。


(……実力はあるのに、チームワークはほんとバラバラだな)


「――愚かな、仲間割れとは!」


 エリス・ファーレンガルトがふたたび精霊魔装の槍を振りあげた。

 轟々と、これまでにない強烈な風が巻き起こる。


「わ、私を綺麗だなどと愚弄したこと、後悔させてやる――」


 もう逃げ場はない。カミトが観念した、そのとき――


「まて、エリス! なにか様子が変だ……」

「なに? いまさら命乞いなど――」


 言いかけて――エリスは口をつぐんだ。

 彼女も気づいたようだ。


「なんだ、この気配は……?」


 あたりの空気が重い。

 背筋の冷たくなるような、この感覚は――


「なに?」

「なんですの?」


 クレアたちも気付いたようだ。

 霧にけぶる夜空を見あげ、訝しげに首をかしげる。


 突然、雷鳴のような音が轟いた。


 そして――空の裂け目から、それがあらわれた。

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