第六章 真夜中の剣舞

第六章 真夜中の剣舞①



 ――深夜二時。学院の生徒が眠りにつき、森の精霊たちがざわめきはじめる時刻。

 月明かりの照らす石畳の道を、カミトはクレアについて歩いていた。


「雰囲気がずいぶん違うんだな、夜の学院は」

「当然よ、夜は精霊の時間だもの」


 クレアは前を向いたままそっけなく答える。

 硬い靴音がやけに大きく響いた。


 先ほどからクレアは口数が少ない。

 騎士団との決闘を前に緊張しているのかもしれない。


「どこでやるつもりなんだ?」


 学院内での私闘は校則で禁じられているはずだ。

 外に決闘場があるのだろうか?


「あそこよ――」


 と、クレアが唐突に足を止めた。

 彼女が指差した先に、巨大な石の円環ストーンサークルがあった。

 地面がぼんやりと青白く光っている。


「あれは――〈精霊界の門アストラル・ゲート〉か!?」

「そうよ、この世界と元素精霊界アストラル・ゼロを繋ぐ門。こんな辺鄙な場所に学院を造った理由」

「……なるほど、な」


 学院の敷地内に〈ゲート〉が存在していたとは驚きだ。

 おそらく、あの石の円環ストーンサークルは未知の技術の使われた先史時代の遺跡で、不安定な〈ゲート〉を固定化する機能があるのだろう。


「危険じゃないのか? 元素精霊界アストラル・ゼロには人間の手に負えない精霊がごろごろいるんだぞ」

「あのね、あの〈ゲート〉は低位精霊しかいない安全なエリアに繋がっているの。じゃなきゃ、学院が放置しとくはずないでしょ?」


 ばかね、とつぶやき、クレアは石の円環の中に足を踏み入れた。

 精霊語で開門の言葉を唱えると、地面の青い光がさらに輝きを増す。


「ほら、あんたも早く来なさい」


 クレアに手を引かれ、カミトはあわてて光陣の上に跳び乗った。

 途端、視界が白い閃光に満たされる。

 全身を襲う目眩のような感覚。そして――


 

 …………。



 ――目を開けると、そこに、異世界の風景が広がっていた。

 

 ねじくれた木々の屹立する、深い闇の森。

 夜空に煌々と輝く、血のように紅い月。

 あたりには薄く紫がかった、けぶるような霧がたちこめている。

 元素精霊界アストラル・ゼロ――精霊たちの棲まう、もうひとつの世界。


「ここなら誰の邪魔も入らないわ。それに、負傷しても深刻な怪我にはならないから、学院生どうしの決闘によく使われるのよ」


 元素精霊界では、契約精霊をより純粋な神威カムイの塊として使役することができる。

 そうした場合、神威を宿す人間の肉体は精霊と同じものとして扱われ、物理的なダメージを負うことはほとんどなくなるというわけだ。


 もっとも、だから絶対に安全というわけでもない。

 痛みは同じように感じるし、肉体にダメージを受けないかわりに、精神に同等のダメージを被る。

 昏睡状態に陥る程度ならまだいいが、深刻な損傷を受けた場合、重度の記憶障害や、そのまま精神を破壊され、二度と意識を取り戻さない可能性もあるのだ。


「――炎よ、照らせ」


 クレアが精霊魔術を唱えると、手のひらに生まれた小さな火球が、森の中にひらかれた細い道をぼうっと照らしだした。


「行くわよ、カミト」


 ツーテールの髪をそっとかきあげ、クレアは静かに歩きだす。


「勝算はあるのか?」

「それはあんたの実力しだいよ。……正直、ちょっときついかも」

「そうなのか?」


 カミトは驚いた。

 クレアほどの精霊使いが、そんなことを言うのが意外だった。


「他の二人はともかく、エリスは強いわ。だてに騎士団長をしてるわけじゃない。それに、スカーレットも今朝の〈封印精霊〉との戦いで力を消耗してる。リンスレットの実力は――まあ、あたしもそこだけは認めてるけど、でも、あいつとのチームワーク最悪なのよね」

「……意外と冷静な戦力分析だな。おまえはもっと直情型かと思ってた」

「あんた、あたしをどんな目でみてるのよ」

「すぐに鞭を振り回す危険な奴――痛っ!」


 パシィッ――カミトの背中にすぐさま鞭が振りおろされた。

 

 ……しばらく歩くと、森の中に巨大な劇場の遺跡があった。

 元素精霊界アストラル・ゼロと人間界がまだひとつだった頃――遠い神話時代のものだ。

 崩れかけた石の門が二人を出迎える。どうやら、ここが決闘の舞台らしい。


「とりあえず、剣精霊使いのあんたが撃破役アタッカー。あたしとリンスレットが援護するわ」

「俺が一番危険な役なのな。おまえたちの決闘だろ?」

「なによ、文句があるの? いいわ、だったらあんたにポジションを選ばせてあげる。撃破役か消し炭か、どっちがいい?」

「わかった。俺が撃破役だ」

「賢明な判断よ」


 クレアは満足そうにうなずいた。   


「ところであんた、契約したあの〈剣精霊〉、ちゃんと使いこなせるんでしょうね」

「ん、ああ……たぶんな」

「……たぶん? どういうこと?」


 クレアの目が剣呑につりあがる。

 カミトはあわててあとずさった。


「いや、ほら、下手に喚び出して、また暴走されたらまずいだろ? だから、今朝、契約したときから一度も喚び出してないんだ」


 なんだか言い訳じみている――とは思う。実際、半分は言い訳だった。


 本当は、ほかの精霊と契約をしたことが、に対して後ろめたかったからだ。

 新しい契約精霊を使役することが、なんとなく、裏切りのように感じられた。


「一度契約に成功してるんだから、制御に失敗する可能性なんてほとんどないはずだけど――まあ、いわくつきの封印精霊だし、たしかになにがあってもおかしくないわね」


 しかし、クレアはいちおう納得したようだ。


「とりあえず、精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェを展開してみて。それくらいできるでしょ?」

「あ、ああ……そうだな」


 精霊魔装の展開は、そう誰もができるものではないのだが――


(気は進まないが、しかたないな――)


 カミトは目を閉じると、右手に刻まれた〈精霊刻印〉に意識を集中した。


「冷徹なる鋼の女王、魔を滅する聖剣よ――」


 精霊語の召喚式サモナルを唱えると、交差する二本の剣の紋章が淡く輝いた。

 契約精霊との回路パスは正常に繋がっている――が、


(なんだ?)


 ……おかしい。あれほど強大な封印精霊の存在を感じることができない。

 いや――存在自体は感じとれるのだが、なにか歯車が噛み合わないというべきか。


「――いまここに鋼の剣となりて、我が手に力を!」


 刹那、カミトの手のひらに微細な光の粒子が集まる。

 そして、あらわれたのは――


「……」


 一本のだった。


 というか、ほとんどナイフのような小さな剣だ。


 ……シン、と気まずい沈黙がおとずれる。


「……それが、あの剣精霊の精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェ?」


 クレアがひきつった顔で言った。

 あの〈スカーレット〉を一撃で切断した、強大な封印精霊の化身――にしては、

 ……正直、あまりにしょぼかった。


「み、見た目で判断するなよ、じつはすごい能力があるかもしれないだろ」

「う、うん、たしかにそうよね!」


 クレアはひきつった表情のまま、こくこくとうなずいた。

 カミトは、ためしにそばの木を斬ってみた。 


 ぺきっ。


 短剣はいとも簡単に折れて消滅した。


「…………」

「……あー、なんつーか、たぶんあれだ」


 凍えるようなクレアの視線に耐えかね、カミトは静かに口をひらいた。


「じつは、契約精霊を使役するのは三年ぶりなんだ。まだ勘を取り戻せてない」

「…………は?」


 衝撃の告白に、クレアがぽかんと口をあけた。


「うそ……だ、だってあんた、あの封印精霊をあんなに簡単に手懐けたじゃない!」

「あのときは、おまえを助けるために必死だったからな。正直、自分でもどうして契約できたのかよくわからないんだ」


 どれほど強大な精霊と契約しても、その力を十分に引き出せなければ意味がない。

 未熟な精霊使いが分不相応な精霊と契約してしまい、力をもてあますのはよくあることだ。


(……けど、俺の場合はすこし違うか)


 カミトは、革手袋をはめた左手をじっと見つめた。


(たぶん、無意識のうちに、のことを考えちまうんだ)


 ――だから、新しい契約精霊と回路パスを繋ぐことができない。


「な、なな、なんなのよ……」

 

 と、押し殺したうめき声が聞こえた。

 ハッと顔を上げると、クレアが調教用の革鞭をぎゅっと握りしめ、わなわなと肩を震わせていた。


「いや、だから、その、俺は戦力外ってことでひとつ……」

「どーいうことよっ、あんたの戦力あてにしてたのに!」


 ピシッ、ピシッ、ピシィッ!


「痛っ、ちょ、やめろ!」


 逃げるカミトに容赦のない鞭の嵐が降りそそぐ。

 と、そこへ――


「いったいなにをしていますの? クレア・ルージュ」


 暗い木立の向こうから、そんな声が聞こえてきた。

 クレアが鞭で叩くのをやめ、むっと振り向く。

 あらわれたのは、リンスレットとメイドのキャロルだった。


「遅いわよ、リンスレット」

「あら、レディの身支度には時間がかかるのですわ」


 リンスレットは豪奢なプラチナブロンドの髪を誇らしげにかきあげる。


「……? なんでキャロルまでいるんだ?」

「もちろん、お嬢様の応援ですわ」


 カミトが訊くと、キャロルはどこからか旗をとりだして振りはじめた。 


「ところで、どうしてカゼハヤ・カミトを折檻しているんですの?」


 リンスレットが人差し指を顎にあて、怪訝そうに眉をひそめた。

 それは――とクレアが答える前に、キャロルが口を挟む。


「お嬢様、それを聞くのは野暮というものですよ」

「どういうことですの?」

「これはちょっと変わった愛のカタチ。特殊で変態的なプレイなのですわ」

「ええっ、あなたたち、そ、そうでしたの!?」

「ち、ちち、ち、ちがうわよっ、な、なにいってんのこのばかメイド!」


 カアッと顔を真っ赤にして否定するクレア。

 ……どうでもいいが、テンパって鞭を振りまくるのはやめてほしい。

 痛いから。


(……なんで決闘の前にすでにボロボロになってるんだろうな、俺は)


 カミトが人生の不条理について真面目に考えはじめた、そのときだ。


「――そちらは揃ったようだな、レイヴン教室」


 真上から凜とした声が降ってきた。


「……っ!?」


 四人は揃って上を向く。

 と、崩れかかった劇場の壁の上に――

 蒼い髪を微風になびかせて立つ、凛々しい少女騎士の姿があった。


 輝く白銀の甲冑。美しい戦乙女のようなその立ち姿に、カミトは思わず息を呑む。

 彼女のかたわらに、同じく白銀の甲冑を身に着けた二人の騎士が立っていた。

 名前はクレアに聞いていた。髪の短いのがラッカ、三つ編みのほうがレイシアだ。


「――エリス・ファーレンガルト、いつからいたのよ!」

「っていうかおまえ、ひょっとして、格好よく登場するタイミングを待ってたのか?」

「なっ……そ、そんなことないぞっ、私はいま来たばかりだ!」


 カミトが半眼で指摘すると、エリスはあからさまに動揺して落ちそうになった。


 ……なんだか、いろいろ残念な騎士団長様だ。

 エリスはカミトたちを鋭く睨みつけると、腰の剣を抜き放った。


「行くぞ、レイヴン教室。夜が明けぬうちに決闘を終わらせてやる――」


 刹那。劇場の舞台に大掛かりな炎の照明が灯る。

 その明かりに照らされて――


「あれは――!?」


 巨大な翼をひろげたが、紅い夜空に姿をあらわした。


「紹介しよう、カゼハヤ・カミト。これが私の契約精霊――魔風精霊〈シムルグ〉!」


 風鳴きのような咆哮を上げ――魔風を纏う大鷲が急降下してきた。

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