第五章 クレアの想い②
「カミト、あたしにおかわりをよそいなさい!」
「……よく食うなおまえ。太るぞ」
あれから数分後。
テーブルにはカミトの作った手料理の数々が並んでいた。
ホウレン草とベーコンのパスタに、ツナポテトのサラダ。サーモン缶のグラタン、カボチャのポタージュ、デザートにフルーツヨーグルトまでついている。
棚に山ほどあった缶詰の材料などを使ったものだが、クレアにはずいぶん好評のようだ。
目を輝かせてパスタをほおばるしぐさは、なんだかやけに可愛らしい。
火猫の姿をした炎精霊も、クレアのかたわらでツナ缶にがっついている。
精霊はみずからの存在を維持するのに物質を必要としないが、高位の精霊の中には、まれに人間の食べものを好むものもいる。
……あくまでも嗜好品としてだが。
「平気よ、あたし太らない体質だもの」
パスタを皿によそってやると、クレアはしれっとした顔で言ってきた。
たしかに、精霊の使役は体力を消耗するので、スレンダーな体形の娘が多いのは事実だ。
「おい、デザートを先に食べるな。お嬢様のくせに行儀悪いぞ」
「む、うるさいわね。そんなのあたしの勝手でしょ、このパンツ泥棒!」
「ぐっ……」
カミトは短くうめいた。……それを言われるとなにも言い返せない。
「あんたは奴隷精霊からパンツ泥棒精霊に格下げよ」
「……どんな精霊だよ」
どうやら、また新種の精霊が誕生したようだ。
「ほんと最低だわ。よ、よりによって、一番お気に入りのパンツを盗るなんて!」
「だからわざとじゃねーって言ってるだろ!」
「なに? 開きなおるわけ?」
クレアがキッと睨んでくる。
「……いや、すまん」
カミトはばつが悪そうに頭を下げた。
まあ、今回はどう考えても自分が悪い。
クレアはツナポテトサラダを口に運びながら、片目をちらっと向けてきた。
「ま、あんたの料理の腕だけは認めてあげるわ。これ、すごくおいしいもの。あたしのために毎日ご飯作ってくれるんなら、料理精霊に格上げしてあげてもいいわよ」
「そいつはありがたいな。っていうか、それはほとんどプロポーズの言葉だぞ」
指摘すると、クレアの顔がカアッと真っ赤になる。
「ば、ばっかじゃないの! 消し炭になりたいの? ねえ、消し炭になりたい?」
「わ、わかったから、人にフォークを向けるのはやめろ」
「ふん……こ、こんどばかなこと言ったら、ほんとに燃やすわよ!」
クレアは唇をとがらすと、ふいっとそっぽを向いてしまった。
カミトはやれやれとため息をつきながら、サーモンのグラタンを切りわける。
「……醤油があればもっとよかったんだけどな」
「なにそれ? 食べ物?」
「俺の故郷に伝わる調味料だよ。ま、ここじゃ手に入らないだろうけどな」
カミトが肩をすくめて言うと――
「故郷、か……」
クレアは、睫毛をそっと伏せ、ぽつりとつぶやく。
なぜか――ひどく寂しそうな表情だった。
それから、しばらくのあいだ、食器のカチャカチャ鳴る音が響いていた。
満足な夕食を食べて、クレアの機嫌も少しはなおったようだ。
なんとなく、なごやかな空気がそこにあった。
と、ふいにカミトは顔を上げ、目の前のクレアを見つめた。
――いまなら、聞ける気がしたのだ。
今朝、森の中で出会ったときから、ずっと聞きそびれていたことを。
「そういや、おまえさ――」
「なによ?」
クレアは、紅茶のカップをとん、と置いた。
「なんでそんなに強い精霊が欲しいんだ?」
素朴な疑問だった。
スカーレットほどの精霊を使役する彼女が、身の危険を冒してまで〈封印精霊〉に手を出そうとした、その理由を知りたかった。
「……」
クレアは――
すこし迷ったように目を伏せ、ぽつりとつぶやいた。
「どうしても、会いたい人がいるから」
「会いたい人……?」
カミトは、黒い革手袋に覆われた自分の左手に目を落とした。
三年前に失った、かけがえのない大切な絆がそこにある――
(俺と、同じなのか……)
手の甲に刻まれた傷痕がズキリと疼く。
クレアはため息をつくと、制服の襟にすっと手を差し入れた。
「……そうね、話すわ。隠してもしょうがないもの」
胸もとからとりだしたのは、銀の鎖のついた、小さなペンダントだ。
真ん中に、輝く真紅の精霊鉱石が嵌め込まれている。
そこに彫刻された紋章を目にして――カミトは驚きの声をあげた。
「炎の獅子……エルステイン公爵家の紋章!?」
クレアは、無言でこくりとうなずいた。
エルステイン公爵家。
オルデシア帝国の建国以来、代々王室に仕えてきた大貴族。
精霊使いの頂点に立つ五人の姫巫女の一人――
否――だった、というべきか。
――四年前、あの事件が起きるまでは。
ルビア・エルステイン。
オルデシア帝国に未曾有の大災厄をもたらした――
彼女もまた、目の前の少女と同じ、燃えるような真紅の髪をしていた。
「おまえ、まさか……」
「そう、あたしは妹よ。災禍の精霊姫――ルビア・エルステインの」
クレアは、カミトの目をまっすぐに見つめてうなずいた。
「……」
クレア・ルージュ。偽名だとは思っていた。
だが、まさか――
(……そうか。捨てたのはエルステイン家の名前、か)
この大陸で、あの事件のことを知らない者はいない。
四年前、
精霊姫の裏切りを知った火の精霊王は憤怒に燃え、狂乱した。
エルステイン公爵領をはじめとするオルデシア帝国の領地を焼き払い、帝国に甚大な被害をもたらした。
それでも精霊王の憤怒はおさまらず、それから約一年のあいだ、オルデシア帝国内ではいかなる方法を用いても一切火を熾すことができなくなったのだ。
火の精霊姫が、なぜ突然姿を消したのか――知る者はだれもいない。
オルデシア国民は彼女を激しく呪い、憎しみを込めてこう呼んだ。
――
「あたしは姉様に会いたい。会って、
そのために、強くならないといけない。
最強の精霊を手に入れなくてはならない。
〈
たったひとつだけ、望む〈願い〉を叶える権利を手に入れるために。
クレアの表情には、悲壮な決意がこめられていた。
「それに――」
と、クレアはわずかにうつむいて、つぶやいた。
「こんどの〈精霊剣舞祭〉には、あのレン・アッシュベルが参戦するそうよ」
「……っ!? けほっ、けほっ――」
クレアの口から出たその名前に、カミトは思わず咳き込んだ。
「……? どうしたの?」
「あ、ああ、悪い……」
レン・アッシュベル――前回の〈精霊剣舞祭〉の優勝者。
三年前、突如としてあらわれた、最強の
その
決勝戦では
彼女の奉納した剣舞によって、火の精霊王はようやく憤怒を鎮めたのだ。
「三年前、あたしは会場で彼女の剣舞を見ていた。あたしも、あんなふうに、気高くて、強い精霊使いになりたいと思った」
クレアは顔を赤らめ、ちょっと恥ずかしそうにうつむいた。
「あの日から、ずっと、あ、憧れの人よ……」
「……そうか」
カミトは、複雑な表情でクレアを見つめ――拳を静かに握りしめた。
……それからは、奇妙に静かな時間だった。
何度かどうでもいい会話はあったが、どれも長くは続かなかった。
テーブルの上の料理を食べ尽くすと、クレアはふあっと可愛らしいあくびをした。
お腹がいっぱいになったら眠くなったらしい。
まあ、スカーレットほどの精霊を、一日に二度も使役したのだから無理もない。
「時間になったら起こして。変なことしたら消し炭だからね」
「……待て。ってことは、俺はずっと起きてなきゃならないのか?」
カミトが文句を言う前に、クレアはすぅすぅ寝息をたてていた。
びっくりするほどの寝付きのよさだ。
「……ったく、風邪ひくぞ」
カミトはクレアの小柄な身体を、お姫様のように抱きあげた。
そのまま部屋の隅のベッドまで抱えていく。
スカーレットがとてとてと歩いて先にベッドに跳び乗った。
(……にしてもこいつ、寝顔だけはほんと天使だな)
おだやかな寝息をたてる顔を見下ろしながら、カミトは苦笑する。
ベッドに寝かせようとしたそのとき、クレアの桜色の唇が、かすかに動いた。
「姉様……お父様、お母様……」
(寝言……か)
なんだか、聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。
たしか、
「――ん、カミト」
「……!?」
突然、名前を呼ばれ、ドキッとした。
「もう、なにするのよ、ヘンタイ……ばか」
「……いったいどんな夢を見てるんだよ」
ため息まじりにつぶやくと、カミトは自分の手をじっと見つめた。
三年前のあの日から、革手袋に覆われた左手を。
(俺もおまえと同じだよ、クレア)
(俺はこの三年間、大切な人を取り戻すために生きてきた)
自らの過ちによって失った、かつての契約精霊を――
◇
同時刻。
クレアの住む女子寮の各部屋で、ちょっとした事件が起きていた。
キッチン、バスなどの精霊機関に利用されている精霊が、突然暴走をはじめたのだ。
あとになって精霊調査会が寮を調査したが、このささやかな事件は原因不明の一言で片付けられることになる――
蒼月の照らす夜闇の中――黒翼の天使が、学院の塔に静かに舞い降りる。
漆黒のドレスに身を包んだ、黒髪の少女だ。
女子寮の屋根にそっと降り立った少女は、可憐に微笑んだ。
「――逢いたかったわ、カミト」
少女の手のひらには、うごめく闇の塊が浮かんでいた。
「けれど、あなたはまだ、本当のあなたじゃない」
そっと虚空に手を伸ばすと、闇色の球体は夜空を漂い消えていく――
「だから、私が思い出させてあげる」
くすくす、と少女は笑う。
残酷な童女のように。
無垢な悪魔のように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます