第五章 クレアの想い
第五章 クレアの想い①
(……はあ、めんどうなことにまきこまれちまったな)
学院の石畳をとぼとぼと歩きながら、カミトは本日、何度目かの溜息をついた。
目の前には、その元凶である紅いツーテールの髪が揺れている。
あいかわらず空腹だし、家は失うし、おまけに精霊使いどうしの決闘沙汰だ。
……いくらなんでも不幸すぎる。
「む、まだぶつぶつ言ってるの? 男らしくないわね!」
クレアが振り返ってびしっと指を突きつけた。
「俺の家」
「う……」
カミトが半眼でうめくと、クレアはあさっての方向へ目をそらす。
「放火魔。犯罪者」
「……わ、わかったわよ。あ、あたしも、ちょっとは悪かったわ!」
顔を赤らめ唇をとがらせる彼女。
いちおう罪の意識はあるようだ。
カミトはここぞとばかりに、あからさまな溜息をついた。
「あーあ、宿無しの俺は〈精霊の森〉で野宿するしかないのか」
「……」
「夜の精霊の森で眠るなんてマジで自殺行為だよな。でも仕方ないよな、なにしろ家が燃えちまったしなあ」
わざとらしく肩を落としてみせる。
クレアはくっと唇を噛んだ。それから、ぐいっと背伸びして――
じっとカミトの目をみつめた。
顔が近い。
ふわっと鼻孔をくすぐる女の子の匂いに、カミトは思わずドキッとする。
「……いいわ。う、埋め合わせはするわよ、ちゃんと!」
「埋め合わせ?」
なんだかいやな予感に、カミトの顔がひきつった。
◇
――カミトが連れてこられたのは、レイヴン教室の女子寮の前だった。
寮といっても普通の建物ではない。
大貴族の邸宅のような瀟洒な館だ。
「……えーと、どういうことだ?」
「しばらくあたしの部屋に居候させてあげるわ。感謝しなさいよね」
「は?」
……いきなりなにを言いだすんだ、このお嬢様は。
「だって、外に放りだしたらまたリンスレットがちょっかいだしてきそうだし……あんたはあたしの奴隷精霊なんだから、精霊使いのあたしが世話をするのは当然でしょ」
クレアはない胸をそらして告げてくる。
「いや、そうじゃなくてだな……おまえもいちおうは年頃の女の子なわけだし、俺がなにかするかもとか、考えないのか?」
「あ、あたしになにかするつもりなの?」
クレアがキッと睨みつける。
カミトは首をぶんぶん横に振った。
「スカーレットが見張ってるもの。なんかしようとしたら……消し炭よ」
「寮則違反じゃないのか? 男の俺が女子寮に入るのは」
「大丈夫、あんたはあたしの契約精霊って扱いだから。スカーレットと一緒よ」
「ぜんぜん大丈夫じゃないだろ」
カミトが半眼でつっこむと、クレアは苛々と髪をかきあげ、びしっと指を突きつけた。
「ああもうっ、泊まりたいの? 消し炭になりたいの? どっち?」
「……なんでその二択しかないんだよ」
カミトは肩を落とし、あきらめのため息をついた。
クレアの部屋は、貴族の邸宅のような女子寮の二階にあった。
「あんまり声出さないでよ、うちの寮監、すごい怖いんだから」
「あ、ああ……お邪魔するぞ」
この傍若無人を絵に描いたようなクレアが怖がる寮監……ちょっと興味あるな。
そんなことを思いながら、おそるおそる部屋に足を踏み入れる。
どんなにアレな性格であろうと、クレアは女の子だ。
それも、とびぬけて可憐な美少女であることは……カミトも認めざるをえない。
部屋に入るのは、さすがに緊張する。
「――炎よ、照らせ」
クレアが精霊魔術を唱え、部屋に明かりをつけた。
クレアの部屋は――
「……」
めちゃくちゃ散らかっていた。
崩れた大量の本の山。
服はしわくちゃのまま放置され、ぬいぐるみや小物など、あれやこれやが足の踏み場もないくらい散乱している。
家柄のよいお嬢様の部屋とは、とても思えなかった。
「……おまえ、掃除くらいしろよな」
「い、いつもはスカーレットが掃除してくれるもん。ほら、さっさと入りなさい」
クレアはカミトの背中を蹴って部屋の中に押しこんだ。
「痛っ……ったく、あれほど強大な炎精霊を部屋の掃除なんかに使ってるのかよ、世の中の精霊使いが聞いたら全員泣くぞ」
「ふん、スカーレットはあんたと違っておりこうなのよ。ゴミは焼やしてくれるし」
「あー、そうかよ。便利でいいな」
そんなやりとりをしているそばから、クレアの足もとに炎を纏う
……なるほど、紙くずはその場で焼却するらしい。
「……おまえもそれでいいのかよ」
このクラスの炎精霊ともなれば、大型の竜種にも匹敵する存在だ。
……いったいなにが悲しくて、部屋の掃除などさせられているのか。
「ありがと、スカーレット。いい子ね」
すりすり。なでなで。
ニャー。ニャー。
「猫か!」
嬉しそうに甘える炎精霊に、カミトは思わずつっこむ。
(……誇り高き精霊が、すっかり飼い慣らされちまいやがって)
まあ、すくなくとも外見だけは美少女のクレアにあんなふうに優しく撫でられたら、懐いてしまうのもわからなくはないが。
とりあえず、足の踏み場もないのでカミトも掃除を手伝うことにした。
昔、グレイワースにこき使われていたおかげで、家事全般は得意なほうだ。
足もとに山積みになっている本を部屋の隅にどけようと持ちあげる。
と、そのとき。本の表紙に書かれているタイトルが目に入った。
『伯爵とイケナイお姫様』
『もっと苛めて御主人様!』
『海賊に攫われた姫君』
……いかにも十代の少女が好みそうなティーンズ向けロマンス小説が十数冊ほど。
「ふーん、おまえこういうのが好きなのか。ちょっと意外だな」
「……ばっ、み、見るなあっ!」
ぼふんっ。
クレアが投げてきた枕が顔面に直撃、カミトはひっくりかえって本の下敷きになる。
「見られたくないなら片付けとけよ。べつにいいと思うぞ、こういう小説が好きでも」
「う、うるさいっ、べ、べつに好きじゃないもんっ! ……えーっと、そ、そう、友達に借りて、し、しかたなく読んでるんだからっ!」
「ふーん、そうか。おまえは好きじゃない小説を十四冊も借りるんだな」
「う、うるさい~っ!」
ぽかぽかぽかっ。
クレアは半分涙目になって殴ってきた。
いまひとつ力弱いのは気恥ずかしさのせいか。
カミトは肩をすくめ、立ち上がろうとして床に手をついた。
と、ちょうどその手のあたりに――
(……ん?)
なにか手触りのよい布があった。
シルクだろうか? やわらかくて、すべすべして、とても手触りがいい。
なにげなくそれを掴むと、端のほうに白いヒラヒラがついていた。
(――って、白いヒラヒラ!?)
ひきつった顔で手もとを凝視する。
カミトの手は――繊細なレースのついた下着を握りしめていた。
……意外にも、ちょっと大人びたシルクのパンツを。
じわり、と額に冷たい汗が浮かぶ。
「ん、なにやってるの?」
「おわっ!?」
カミトはあわててそれをポケットに押しこんだ。
――って、押しこんでどうする!
(なにやってんだ俺! これじゃ本物の変態じゃないか!)
「なに? なんでそんなに驚くのよ?」
クレアが眉をひそめ、不審そうに顔を近づける。
「い、いや、なんでもねーよ!」
カミトは首をぶんぶん振りながら立ち上がった。
なにか、彼女の気を逸らすような話題はないかとあたりを見まわし……ふと気がつく。
「……そ、そうだ、この部屋って、相方はいないのか?」
いくらお姫様の通う学院の寮とはいえ、一人で住むにしてはちょっと広すぎる。
部屋をこんなに散らかしてしまって、相方の女の子は怒らないのだろうか。
というか、相方に許可もとらずに男を連れこんでいいのか?
すると、クレアはきゅっと唇を噛んでうつむいた。
「いないわ。誰もあたしなんかとは同室になりたがらないし」
「……? おまえ、ひょっとして、精霊使いのパートナーが一人もいないのか?」
「パ、パートナーなんていらないわ。強力な精霊さえいれば、あたしひとりで十分よ」
腕組みして言い放つクレアは、精一杯強がっているようにみえた。
(……どうしてだ?)
こいつはたしかに性格に難はあるが、精霊使いとしての実力はトップクラスだ。
あれほどの実力があれば、どのチームも放っておかないと思うのだが。
「でも、五人揃わないと〈
「……な、なんとかなるわよ。いざとなればなんとか頭数だけかき集めるわ」
クレアはふいっと気まずそうに視線をそらした。
どうやら、この話題にはあまり触れられたくないようだ。
「そ、そんなことより、あんた、お腹空いてるんでしょ?」
クレアがわざとらしく咳払いした。
「ん、ああ……せっかく恵んでもらったスープも食べ損ねちまったからな」
誰かさんのせいでな――と、カミトはクレアをジト目で睨む。
「ふん、しかたないわね。今日は特別にあたしが餌付け――ご馳走してあげるわ」
「いま餌付けって言ったな? 言ったよな?」
「気のせいよ。ほら、そこのテーブル出して」
ため息をつきながら、カミトがテーブルを出すと。
クレアはそこに、棚からとりだした大量の缶詰を並べはじめた。
ツナ缶。焼き鳥。塩漬けのタラ。野菜の煮付け。牛肉のシチュー……エトセトラ。
カミトは唖然として缶詰のピラミッドを見下ろした。
缶詰といえば兵士が長い行軍の際に携行する保存食だ。
すくなくとも学院に通うお嬢様の夕食ではない。
「……な、なんで缶詰ばかりなんだ? さすがに身体に悪いぞ」
「愚問ね、缶詰が好きだからよ」
「いや、いくら好きでも缶詰だけってのは――」
「なによ、べつにいいじゃない好きなんだから。文句あるならあげないわよ」
むっとした顔で缶詰の山を抱えこむクレア。
……その顔が微妙に赤い。
それでピンときた。
……ははあ。なるほど。
「おまえ、料理できないんだな」
ズバリ指摘すると、クレアはギクッと肩をこわばらせる。
「そ、そそ、そんなこと、ないもんっ!」
「その反応でバレバレだぞ。口は嘘つきでも身体は正直だな」
「い、いやらしい言い方しないでっ、ばか!」
「ごく普通の発言を曲解するおまえのほうがいやらしいと思うぞ。そういう小説の読みすぎだ。クレアはいやらしい妄想お嬢様だな」
「う、ううう~っ!」
紅い瞳にうっすらと涙を浮かべ、クレアはギリギリと奥歯を噛みしめる。
……しまった。ちょっといじめすぎたか。
(……なんつーか、ついからかいたくなっちまうんだよなこいつは)
やりすぎるとあとが怖い。カミトは素直に謝ることにした。
「す、すまん……悪かった。ちょっと言いすぎた」
「……~っ!」
クレアは喉の奥でぐるるーっと唸っている。猫科の猛獣のようだ。
「そ、そんな睨むなよ。……そうだ、代わりに晩飯は俺が作ってやるから、な?」
すると、髪を逆立てていたクレアが、きょとん、と目を見開いた。
「あんた、料理なんて作れるの?」
「まあな、けっこう得意なほうだぞ。調味料はあるか?」
「そういうのはぜんぶ寮の共有スペースにあるわ」
「よし、この缶詰も、ちょっとアレンジすれば料理っぽくなるだろ。火は――」
「スカーレット」
パチン――クレアが指を鳴らすと、スカーレットがぶわっと小さな火球を吐く。
火球はふわふわと宙を漂うと、カミトの手の上で静止した。
「……便利だな」
「でしょ?」
――と、そんなわけで、数分後。
部屋の中に、ジャーッと炒めものをする音が響いていた。
ホウレン草とベーコン、スライスしたニンニクをバターで炒めているのだ。
フライパンの横では、鍋でちょうど二人ぶんのパスタを茹でている。
「たしか、
ためしにパスタを一本噛んでみる。
「ん、これくらいでちょうどいいだろ。クレア、食器はどこに――」
フライパンを置いて振り返ると……部屋にはだれもいなかった。
「……あれ? あいつ、どこにいったんだ」
部屋の中をキョロキョロと見まわす。
と、カミトの足もとで寝ていた火猫が、ニャーッと鳴いて前脚を伸ばした。
いったん火を消し、つられるように前脚の先を見つめると――
部屋の奥にあるドアの向こうから、かすかな水音が聞こえてきた。
「なんだシャワーか」
部屋に備え付けのシャワーは、水精霊の力を利用した精霊機関の一種だ。
いかなるときも心身を清らかにしておくべし――精霊使いの鉄則である。
ほっとしたカミトは、ふたたび火をつけようとして――
(……って、シャワー!?)
もう一度振り返る。
(あ、あいつ……なんで肝心なとこはやたら無防備なんだ!)
「……」
カミトは、ごくりとつばを呑みこんだ。
サアアアアアア――
一度意識してしまうと、部屋に響きわたる水音が、妙に艶めかしく聞こえてくる。
いくら子供みたいな胸とはいえ、あいつも十六歳の女の子だ。
しかも、顔はお世辞抜きに可愛い。めちゃくちゃ可愛い。
胸だってかなり残念ではあるが……それでも、あるにはある。
ふいに、今朝、森の中で出会ったときの記憶がよみがえった。
紅い髪のはりついた美しい裸身。
手に触れた、ほどよい弾力のある、あの感触。
(うおおっ、思い出すな、俺!)
煩悩を振り払おうとぶんぶん首を振る。
と、そのときだ。
「きゃああっ!」
バスルームの中から悲鳴が聞こえた。
カミトはハッと我に返った。
(……悲鳴?)
水精霊の制御に失敗して、冷水でも出してしまったのだろうか。
(いや、あいつほどの精霊使いが、精霊機関の制御に失敗するなんて――)
「いやああああああああああっ!」
バンッ――いきなりバスルームのドアが開き、クレアが飛び出してきた。
「なっ!?」
濡れそぼった髪を振り乱し――
すっ裸で、こっちへ向かって一直線に走ってくる!
「……っ、ちょ、おまえ、なんて格好――」
そこでカミトの顔が凍りついた。
彼女は――全裸ではない。
全裸だが全裸ではない。
透明なゼリー状の水が、なめらかな彼女の素肌にぬるぬると絡みついているのだ!
「ど、どうしたんだ!? いったいなにが――」
「……っ、カ、カミト、たす……け……て……ぁんっ!」
目の前でドタッと床に倒れこみ、悶えるように喘ぐクレア。
「……や、見ない……で、ばか、あ、あんっ!」
ビクッ、ビクンッ!
赤く火照ったクレアの裸身が、痙攣するように跳ねあがった。
(……すまん。ドキドキするなってほうが無理だ!)
カミトはあわてて視線を逸らすが、聞こえてくる喘ぎ声はかえって想像力を刺激する。
「あ……ひゃうっ……そんな、とこ……だめぇ……」
どうやら精霊機関の水精霊が暴走しているようだ。
クレアは必死に制御しようとしているのだが、あんな状態で集中できるわけがない。
「待ってろ、いま助けるからな!」
カミトは目を閉じて意識を集中した。
「荒ぶる水の精霊よ、我が命に応じて鎮まり給え!」
小声で鎮守の精霊語をつぶやきながら、右手に
「クレアっ、俺の手を掴め!」
「や、あふっ……ん!」
クレアは熱い吐息を洩らしながら、なんとか手を伸ばした。
指先が触れあった、瞬間。
パァンッ!
暴走していた水精霊は形質崩壊し、すーっともとの水にもどった。
クレアは水浸しの床に倒れこんだまま、火照った顔で荒い息をついている。
ほどけた紅い髪が肌にはりついて、妙に色っぽい。
カミトはあわてて顔を背けた。
「どうしたんだよ? おまえほどの精霊使いが、なんでこんな――」
「う、うん、シャワーを使ってたら水精霊が突然暴れ出して……こんなこと、いままで一度もなかったのに」
クレアはうーっとうめきながら、ゆっくりと起きあがる。
「と、とりあえず身体ふけよ。風邪ひくから、な」
カミトは顔を背けたまま、ポケットからハンカチをとりだして手渡した。
「あ、ありがと……」
クレアはこくん、とうなずいてそれを受けとると――
…………。
「ねえ、カミト」
「ん、なんだ?」
「これは、いったい、どういうこと?」
クレアの声が震えていた。
それに、なんだか部屋の室温が急に上がったような。
「あ」
カミトは、ようやく気付いた。
……そうだ。制服のポケットに入っていたのは、ハンカチではない。
それは、さっきあわてて隠した――
シルクのパンツ、だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
クレアの手のひらに精霊魔術の火炎球が生まれる。
「ま、まて、落ち着け。違う、これは違うからな、話せばわか――」
「うるさいっ、け、消し炭になりなさいっ、このヘンタイ―――――っ!」
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