第三章 クラスメイトはお姫様②



 講堂のような教室を覗くと、中には誰もいなかった。

 この時間帯は全員外に出払っているようだ。

 野外訓練場で実技の訓練をしているのかもしれない。


「ここまでで大丈夫だ、あとはクラスメイトに聞くよ。案内ありがとな」

「ふん、れ、礼など不要だ。きちんと案内をしておかないと、君がトイレに侵入するかもしれないからな」

「俺はどんだけ信用ないんだよ……」


 わりとひどい台詞を残して立ち去るエリスに、カミトは深いため息をつく。

 初日からこの調子では、クラスメイトの信頼を得るのはなかなか厳しそうだ。 


 ぼやきながら、カミトは無人の教室に足を踏み入れた。

 と、その刹那。

 ヒュッと空気を切り裂く音がして――


「ぐえっ!」


 カミトの首に鞭がいきおいよく巻きついた。

 突然の不意打ちにあらがうすべもなく、そのまま廊下へと引き倒される。


(な、なんだ!?)


 けほけほと咳き込みながら、あたりを見まわすと――


「カゼハヤ・カミト!」


 頭上から、聞きおぼえのある少女の声が降ってきた。

 ……正直、あまり聞きたくなかった声だ。


「よ、よ、よくも逃げてくれたわねっ、あ、あたしの契約精霊のくせに!」

「ひゅー、るるー」

「無視するなっ!」

「ぐおっ!」


 知らぬ存ぜぬを決めこんで口笛を吹いていると、ぐいいいっと首を締めあげられた。


(最悪だ……)


 仰向けに倒された、カミトの目の前に――

 燃える紅い髪の美少女が、キッと腕組みしてカミトを見下ろしていた。


 窓から吹きこむ風に、制服のプリーツスカートがふわっとひるがえる。


「クレア、おまえ……」


 カミトは喉の奥でうめいた。


「なに、言い訳でもするつもり?」

「いや、その位置だと、ぎりぎりパンツ見えるぞ」

「なっ!」


 クレアは顔を真っ赤にして、バッとスカートをおさえた。


「こ、こここ、この変態~っ!」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!


 クレアの全身からゆらゆらと陽炎がたちのぼる。

 否。

 それは陽炎ではない。

 すべてを焼き尽くす元素精霊界アストラル・ゼロの炎だ。


「どうやら、本当に消し炭になりたいようね、カミト?」

「ま、まて、早まるな!」


 本気で命の危機を感じたカミトは、あわてて首を振った。


「おまえに黒はまだ早い」

「……っ!」


 カキン――と、クレアの全身が固まった。

 首から耳の先まで、ゆでだこのように赤くなっていき――


「く、黒じゃないもんっ! あたしはいつも白っ、黒はたまにしか……って、な、なに言わせるのよ、ばかーっ!」


 ぼふんっ。


 ……オーバーヒートしたようだ。

 脱力したようにへなへなとその場にへたりこむ。

 超箱入り育ちのお姫様ならではの弱点だ。


 ……それにしても、精霊使いがこんなにうぶで大丈夫なのだろうか。


「ううっ、二度も見られた……もうお嫁にいけない……」


 床にぺたんと両膝をついたクレアは、うっうっとしゃくりあげる。

 ……なんだか、ものすごく悪いことをした気分だ。


「わ、悪かった……泣くなよ、な?」


 カミトが立ちあがって近づくと、クレアはギンッと睨みつけてきた。

 ……怖い。視線だけで人を燃やせそうだ。

 彼女は制服の袖で涙をぬぐい、革鞭をぎゅっと握りしめる。


「カゼハヤ・カミト」

「な、なんだ?」

「あ、あたしは寛大だから、い、一度だけ、釈明のチャンスをあげるわ」


 口調はとても穏やかだが、あきらかに声が震えていた。

 ……ずいぶんお怒りのようだ。


「さっきは、どうして逃げたの?」

「いや、普通は逃げると思うぞ」

 

 カミトは思わず即答した。

 答えてから……しまったと後悔する。


「……わかった。逃亡奴隷には死あるのみね」

「ま、まて、落ち着け。あと精霊から奴隷になってるぞ!」

「奴隷よ、あんたはあたしのよ!」

「新種の精霊誕生だな、精霊調査会にでも発表したらどうだ」


 ちなみに、大陸のどの〈精霊の森〉でも、そんな種類の精霊は見つかっていない。


「く、口の減らない奴隷……いえ、奴隷精霊ね!」

「おわ、ぐ……ギブ、ギブ、本気で死ぬ!」


 ぐいぐいと首を容赦なく締めあげられ、軽く意識が飛びそうになる。


(騎士団はなにやってんだ! いままさに学院内で殺人がおこなわれようとしてるぞ!)


 あたりを見まわすが廊下に生徒の気配はない。


「そういえば――」


 と、クレアが顔を寄せ、不機嫌そうにつぶやいた。


「さっき、騎士団のエリス・ファーレンガルトと話してたわね、。あれはどういうこと?」

「けほっ、おまえ、あれが仲よさそうに見えたのか? 学院を案内してもらってたんだよ」

「案内? なんで?」

「俺は今日から、この学院に編入することになったんだ」

「は? ……編入って、あんたが? アレイシア精霊学院に?」

  

 クレアは目を見開き、いまさら気付いたように制服姿のカミトを見まわした。


「嘘……だってあんた、男じゃない!」

「ああ。けど、おまえは見ただろ、俺が精霊契約をするところを」


 カミトはかぶりを振りながら、右手に刻まれた精霊刻印を見せつけた。


「俺は使なんだ。グレイワースに呼び出されたのはそのせいだよ」

「……」


 すると、クレアは――

 じっと考え込むように、桜色の唇に指をあてた。


「そう、なんだ……編入生……」


 ぶつぶつとなにか独りごとをつぶやいている。


(……こうやっておとなしくしてれば、普通に可愛い女の子なのにな)


 と、彼女の横顔を見つめながら、カミトはそんなことを思う。

 クレアは突然パッと顔を上げると、こっちを振り向いた。


「ねえ、ここにいるってことは、ひょっとして、あんたもレイヴン教室?」

「そうだよ。……ってことは、おまえも同じ教室か」

「そうよ、あたしもレイヴン教室!」


 こころなしかクレアは、上機嫌に声をはずませた。

 なんだかやけに嬉しそうだ。

 不覚にも、思わず見惚れてしまいそうな笑顔だった。


「いいわっ、そういうことなら、カミトにもう一度だけチャンスをあげる」

「なんだチャンスって」

「契約よ。カミトは、こんどこそあたし専属の契約精霊になるの」

「あのな、なんで俺がそんなことしなくちゃならないんだ」

「ふん、当然でしょ! あたしが契約するはずだった精霊を横取りしたんだから」


 残念な胸をそらし、クレアはびしっと人差し指を突きつける。

 あいかわらず傍若無人な理屈だった。


(……めんどくさいやつだな)


 カミトはさすがにちょっとカチンときた。

 べつに恩をきせるつもりはないが、命を助けてやったのに、横取りという言い方はないだろう。


 ――傍若無人なお姫様に、ちょっとお灸をすえてやらないとな。


「……わかったよ。おまえと精霊契約を結べばいいんだな」


 しかたない、というふうにカミトはうなずいた。


「……え? う、うん、そうよっ、ようやく素直になったじゃない」


 もっと抵抗されると思っていたのだろう。

 予想外の返事に、クレアはちょっと戸惑ったようにうなずいた。


「なら――」


 おもむろに、カミトは指先でクレアの顎をくっと持ちあげた。


「は? な、なな、なにすんのよ?」

「なにって、精霊契約だろ? 高位の人型精霊との契約は……?」

「あ……」


 クレアの表情が凍りついた。

 高位の人型精霊との契約。

 それは、つまり――


、だろ?」


 カミトが言うと、クレアはカアッと顔を真っ赤にした。


「う、いや、そ、そこまでは……しなくてもいい、っていうか、その」


 あわあわとテンパってぶんぶん首を振る。


「そ、そんな正式なやり方じゃなくても、あ、あたしはべつに……」

「なんだ怖いのか?」

「べ、べつに怖くなんかないわ! えっと、ただ、その……」

「じゃ、目つむれ」


 身体をきゅーっと縮めたクレアの耳もとで、カミトは意地悪く囁いた。


「え、ちょっと……ひわぁっ!?」


(……ほんとに、こういうことにはぜんぜん耐性ないんだな)

  

 そんな反応が可愛くて、つい苛めたくなってしまう。

 薄い桜色の唇にゆっくりと顔を近づける。


「あの、ごめん、あやまる……から……ゆるして」

「もう遅い――」

「そ、そんな……きゃうっ!」

 

 クレアは、観念したようにきゅーっと目を閉じた。


(素直なやつ……)


 カミトは内心で苦笑する。

 もちろん、本当に契約の口づけをするつもりはない。


 さんざんいたぶられた仕返しとはいえ、女の子にそこまでするほど鬼畜ではない。

 そろそろ勘弁してやるか――と、身体を離そうとした、そのとき。


「なあ、キミ?」


 ぽん、と背後から肩を叩かれた。


「……」

 

 カミトは、ゆっくりと、おそるおそる振り向く。


 そこに――


「神聖なるアレイシア精霊学院の学舎で、なにをしているのかな君は、ん?」


 おだやかな笑みを浮かべた美女が立っていた。


 年齢は二十代半ばほど。

 伸ばした黒髪に、黒縁の眼鏡をかけている。

 ダークグレーのスーツの上に羽織っているのは、裾の長い白衣だ。


「私はレイヴン教室担当のフレイヤ・グランドル。君のことは学院長から聞いているよ。学院はじまって以来初の男の精霊使い」


 貼りついたような笑みを浮かべたまま、その美女は名乗った。

 けれど、もちろん目は笑っていなかった。


「で、なにうちのお姫様泣かしてんだテメエは?」

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