第三章 クラスメイトはお姫様
第三章 クラスメイトはお姫様①
学院の廊下に硬い靴音が響きわたる。
支給された制服に袖を通したカミトは、揺れるポニーテールを追って歩いていた。
制服は、グレイワースが専用に作らせた特注品だ。
基調となるカラーはほかの学院生と同じ純白だが、下に穿いているのはもちろんスカートではない。
生地に聖性を織り込んだズボンで、穿きごこちはとてもいい。
(サイズもぴったりか……くそっ、最初からこうなることがわかってたな)
カミトは胸中でグレイワースを罵った。
「教師棟と学生棟は二階の廊下で繋がっている。食堂は一階だ」
校舎を案内してくれているのは、先ほどの少女、エリス・ファーレンガルトだ。
カミトが制服に着替えているあいだに、グレイワースが呼びつけたらしい。
最初はあからさまに不服そうな顔をしていたが、生真面目な性格ゆえか、途中で投げ出すこともなく律儀に案内を続けてくれていた。
校舎の設計がやたらと複雑なのは、精霊にとって心地よい空間をつくりだすため、最新の精霊工学とやらを応用した建築様式を採用しているためらしい。
なんにせよ、使う人間のことを完全に度外視したデザインであることは確かなようだ。
左右に揺れるエリスの髪を見つめながら、カミトは先ほどの会話を思い返していた。
結局、あの魔女の思惑通りになってしまったのは気に入らないが――
あの名前を聞いてしまった以上、カミトに選択肢はなかった。
レン・アッシュベル――三年前に突如あらわれた、最強の
そして、そのレン・アッシュベルの契約精霊は――
人間の少女の姿をした闇精霊だというのだ。
「……」
歩きながら、カミトは革手袋をはめた左手に目を落とした。
(……いや、彼女なはずがない。だって、あいつは――)
カミトは首を振った。
理性では否定するものの――あるいは、という思いもある。
(……まあいい。俺がこの目で確かめてやるさ。いまはあんたの手の上で踊ってやるよ、グレイワース)
「君――」
と、前を歩くエリスが急に足を止めた。
腰に手をあて振り向くと、けわしい顔でカミトを睨む。
「さっきから、聞いているのか? 君のために説明しているんだぞ」
「……ああ、悪い。ちょっと考えごとしてたんだ」
「む、考えごとだと?」
エリスはなぜか顔を赤らめ、すたすたと歩いてきた。
「き、貴様っ、私の後ろ姿を見て、なにを考えていたというのだ!」
「ちょ、まて、こんなとこで剣を振り回すな!」
至近距離でぶんぶん振るわれる剣を、カミトはあわてて避けまくる。
(っていうか……こいつもか!)
どうやら、男に対して免疫がないのは、学院生全員に共通することのようだ。
ひょっとすると、さっきから早足で歩いていたのも、男であるカミトを意識していたからなのかもしれない。
「いいか、勘違いするな! 私は決して君を認めたわけではないからなっ。学院長のご命令だから、しかたなく君を案内しているのだからな!」
「ああ、わかってるよ。けど、そんなに目の敵にしなくてもいいだろ。今日から同じ学院生なんだから」
「う、うるさいっ、私は認めない。男の精霊使いなど、ぜったいに認めないからな!」
ふいっと踵を返すと、エリスはまたすたすたと歩きだした。
「まったく、なぜ学院長はこんな男を編入させたのか……」
……どうやら、ずいぶん嫌われているようだ。
(まあ、しかたない。なにしろ由緒正しい乙女の園に、男が一人だからな)
ウサギの群れの中に突然、ライオンが放りこまれたようなものだ。
超箱入りのお姫様が、同年代の男に警戒心を抱くのはあたりまえだった。
〈
学院生活の中で、少しずつ信頼を得ていくしかない。
(ん、そうだ。生活といえば――)
ふと気になることがあった。
「なあ、エリス」
「なんだ」
エリスが不機嫌そうに振り向く。
気安く名前を呼ぶなと怒られるかと思ったが、そんなことはないようだ。
「俺は、今日からどこで寝泊まりすればいいんだ?」
学院に男子寮があるはずもないし、まさか女子寮の空き部屋に間借りするわけにもいかない。
山の麓にある学院都市から通えということだろうか。
「なんだそのことか。安心しろ、学院は君のために、莫大な費用をかけてすばらしい宿舎を用意した。わざわざ寄付金の一部を建設費にあててな」
「微妙にトゲのある言い方だな」
……まあいい。〈精霊の森〉で野宿しろといわれるよりは、よっぽどマシだ。
「ちょうどここの窓から見える――あそこだ」
カミトはエリスが指差したほうを見た。
「……ん、どこだ?」
広大な敷地内を見まわすが、宿舎らしきものはどこにも見あたらない。
「よく見ろ、あれだ。あそこの広場の隅」
エリスが指していたのは――
「あれが……俺の宿舎?」
大きな屋根のついた立派な建物だった。
普通の家屋よりもはるかに広く、中にはたくさんの部屋がある。
そばには専用の水浴び場。
入り口には飼い葉桶がたっぷり積み上がり――
「って、馬小屋じゃねーか!」
カミトは大声でつっこんだ。
「君の目は節穴か? よく見ろ」
「は?」
(えーと、俺の目がおかしいのか?)
馬小屋にしか見えない。
いや、どうみても馬小屋だ。
なにしろ馬がいっぱいいる。
(ん?)
――と、そこでカミトはようやく発見した。
馬小屋の横に、木の板を張り合わせて作ったような掘っ立て小屋が、ぽつんとあった。
ところどころ、長さのちぐはぐな板が釘で打ちつけられている。
屋根はボロボロ。ちょっと強い風が吹いたら壊れそうな、そんな小屋だった。
「なあ、ひょっとして……あれか?」
「そうだ」
エリスはこくりとうなずいた。
「どこが素晴らしい宿舎だ! あんなの三日で作れるだろ!」
「三時間だ。私の契約精霊の力を侮るな」
「おまえが作ったのかよ! っていうか莫大な費用をかけたんじゃなかったのか?」
「莫大な費用だ。この私が君のために時間を浪費したのだからな。なにか不満か?」
「不満だらけだ。あれはほとんどいやがらせだろ」
「ちゃんとベッドもあるぞ。藁葺きのな」
「俺は馬と同じ扱いか……」
「ふん、君は自惚れが強すぎるようだな。馬のほうが大切に決まっているだろう」
うなじにかかるポニーテールをかきあげ、きっぱりと言うエリス。
なんだか泣きたくなってきた。
「トイレは? 風呂は?」
「トイレは小屋の裏手にあるものを使え。悪いが風呂は共用だ」
「共用って……馬とかよ」
カミトがぼやくと、エリスは「文句があるのか?」と睨んできた。
「いいか、もし万が一にでも、君が学院内のトイレへ侵入などしたら、私の契約精霊で君をキノコソテーにしてやるからな」
「なんかうまそうだな。おまえ、料理が好きなのか?」
「ああ、趣味でな。いつか理想の殿方と添い遂げたとき手料理を振る舞えるように、日頃から鍛錬しているのだ」
「そっか。じゃ、機会があれば俺にも食わせてくれ。味見くらいはできるぞ」
「ああ。ではいつか私の自慢の料理を――って、誰が君などにふるまうかっ!」
ザンッ――放たれた剣の一閃を、カミトは紙一重でかわした。
「……おまえな。料理とか以前に、これじゃ嫁のもらい手なんてないだろ」
「う……」
半眼でつっこむと、自覚はあるのか、エリスはふいっと目を逸らした。
「っていうか、じつは騎士団長のおまえが、いちばん風紀を乱してるんじゃないか?」
「う、うるさいっ、き、君が変なことを言うからだ!」
カミトはやれやれと肩をすくめ、廊下のほうへ向きなおった。
「宿舎のことはひとまず置いておこう。で、俺の教室はどこなんだ?」
「レイヴン教室だ。優秀な問題児ばかりが集められた、君にお似合いの教室だな」
「優秀な問題児?」
「言葉通りの意味だ。……ん、なぜ苦い顔をする?」
「いや、ちょっと心当たりがあってな」
カミトが脳裏に思い浮かべたのは、森の中で出会った、紅い髪の少女だった。
まさかとは思うが――一抹の不安をぬぐいきれない。
「おまえも、そのレイヴン教室なのか?」
カミトはいちおう訊ねてみた。
優秀な問題児というフレーズは、この少女にもぴったりな気がしたのだ。
「なんでそうなるっ、私は最優のヴィーゼル教室だっ!」
刹那、ひらめく剣閃。
こんどは予想して下がっていたので、前髪をわずかに切られるだけですんだ。
「……っ、ファーレンガルト家に伝わる秘剣をかわすとは!」
「……だからナチュラルに秘剣を放つなよ、おまえは!」
階段を上って長い廊下を進んでいくと、ようやくカミトの教室が見えてきた。
両開きになった木製の大扉に、抽象化された精霊の姿が彫刻されている。
アレイシア精霊学院の教室は、各階ごとに離れて配置されているらしい。
教室同士が近いと、すぐに決闘騒ぎになるからだそうだ。
「ここに通う学院生は、全員が名のある貴族の姫君だからな。中には家同士の因縁のある者もいる。規則では学院内での私闘を禁じているが、日頃から決闘沙汰は絶えない」
嘆息しながら、エリスは拳を強く握りしめた。
「それを仲裁して平穏な学院を守るのが、私たち
「いや、平穏を乱してるのはおまえ――」
――言いかけて。カミトは口をつぐんだ。
つぶやいたエリスの横顔が、とても真剣だったからだ。
すぐに剣を振り回す危険な少女だと思っていたが――少しその印象が変わった。
彼女は、騎士団の仕事にプライドを持っているのだ。
存在するだけで学院に波乱を呼びかねない、男の精霊使い。
そんなカミトを、風紀を守る騎士団長の立場で認められるはずがない。
にもかかわらず、こうしてきちんと向き合って話してくれる。
ちょっと固いところはあるが、心根はまっすぐないい娘なのだ。
「……む、なぜ私の顔を見ている」
エリスが不審そうに眉をひそめた。
「いや、さっきはいろいろからかって悪かったな」
「……? な、なんだ君は、急に!」
照れてそっぽを向くその仕草が、なんだか妙に可愛く見えた。
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