第三章 クラスメイトはお姫様③



 カミトが教壇に上がると、教室内に静かなざわめきがわき起こった。


 男の精霊使いが編入してくる、という噂はすでにひろまっていたようだが、めったに触れ合う機会のない同年代の少年に、不安と好奇心を隠しきれないようだ。


「あれが男の精霊使い……」

「目つきが悪いわ。人殺してそう」

「あのクレア・ルージュをもう手籠めにしたらしいわよ」

「て、手籠めってなに?」

「わ、わからないけど……と、とにかく、えっちなことよ!」

「でも、ちょっと不良っぽくてカッコイイかも♪」

「外見に騙されちゃだめよ。男なんてみんな変態の淫獣なんだから」

「噂ではエリス・ファーレンガルトもお手つきになったらしいわ」

「ええっ、あの生真面目な騎士団長が? ……ところで、お手つきってなに?」

「わからないけど……と、とにかく、いやらしいことよ!」


 ……ひそひそひそひそ。


(……なんか、むちゃくちゃ言われてるな)


 古代の劇場のような造りの教室を見まわしながら、カミトはため息をついた。


 生徒の数は十四、五人ほどだろうか。

 みんな育ちのよさそうなお姫様だ。

 ほとんどはカミトに興味津々な視線を向けているが、なかには本気でおびえている娘もいるようだ。


(まあ、だいたい予想通りの反応だけどな)


 なにしろ男の精霊使いと聞いてだれもが真っ先に思い浮かべるのが、かつて大陸に破壊と混乱をもたらした古代の魔王の名前なのだ。

 ……あまりにイメージが悪すぎる。


 教室中からそそがれる針のような視線に、カミトはさっそく逃げ出したくなった。

 中でもとくにきつい視線を送ってくるのは――一番前の席に座る紅い髪の少女だ。

 クレアは睨むだけで人を燃やせそうな視線でカミトをじっと見つめ、


「燃やす燃やする燃やすれば……」


 ぶつぶつと活用形でつぶやいていらっしゃる。

 どうやら、さっきのことをまだ怒っているらしい。……あたりまえか。

 あれについては、カミトもちょっとやりすぎたと反省していた。


(あとでちゃんと謝っとかないとな)


「消し炭消し炭消し炭消し炭……」


 ……謝っても許してもらえるかどうかはわからないが。


「あー、さえずるな。静かにしろ。単位減らすぞ貴様ら」


 担任講師のフレイヤ・グランドルが名簿で机を叩くと、教室はしんと静まった。

 彼女は実技ではなく座学の専門講師で、大陸各地の〈精霊の森〉に出向いては、精霊のフィールドワークをしている精霊調査会のメンバーらしい。


「ほら、おまえもとっとと自己紹介しろ」


 眼鏡をかけた理知的な容姿の美女だが、口を開けばこんな感じだ。

 まあ、よく言えば豪快な性格。すくなくとも悪い人ではなさそうだ。 


 カミトは教壇の前に一歩踏み出し、手短に自己紹介した。


「カゼハヤ・カミト、十六歳。見ての通り男の精霊使いなんだが……その、あまり怖がらずに仲よくしてくれるとありがたい」


 シンプルすぎるかと思ったが、なにしろほかに語ることもない。

 ならば、いくつかあるが。

 クラスメイトたちの反応は――


「なんか、ふつー……だね」

「うん、ふつー。あんまり魔王っぽくないし」


 ……あれ?


「でも、なんか、キュンときたよね♪」

「あ、わかる。ツンツンしてて、なんかこう、保護してあげたくなる感じ?」


 いったんは静かになった教室が、ふたたびざわめきだした。


(……な、なんだ、このふわふわした甘い感じは?)


 女の子たちの意外な反応に、カミトはとまどった。

 もっとこう、冷たい目とか、蔑みの目で見られると思っていたのだ。


 それに、さっきから感じていたことだが、彼女たちの反応は全体的にとても軽い。

 そんなカミトの疑問を察したのか、フレイヤ女史が耳もとで囁いた。


「あー、ここのお姫様たちはな、一般市民にくらべて感覚がズレてるんだ。なにしろ人間にとって最も不可解な隣人である精霊と、いつも触れ合っているんだからな。ま、おまえが精霊使いうんぬんってよりも、とにかく同年代の少年にいろいろ興味津々なのさ」


(なるほど、そんなもんか――)


 そういうことなら、すこし気は楽かもしれない。


「あ、あの、カミト……君?」


 と、女の子のひとりがおずおずとした様子で手を挙げた。


「う、うん、なんだ?」

「え、えーっと、す、好きな食べものは、なんですかっ?」

「え? まあ、なんでも……強いて言えば、グラタンかな」

「ふつーよ!」「ふつーだわ!」「女体盛りとか答えると思ってたのに!」「可愛い!」


 ざわざわざわざわ。

 ……なんだこれ。女体盛り?

 その女の子を皮切りに、つぎつぎと質問が浴びせられた。


「故郷はどこなの?」「スリーサイズは?」「お、お風呂でどこから洗うの?」


 ……お姫様、それはほとんどセクハラだからな。

 というか、質問しているほうが顔を耳まで真っ赤にしていた。


「チームはもう決まってるの?」

「チーム?」

「決まってるでしょ、こんどの〈精霊剣舞祭ブレイドダンス〉のチームよ」

「ああ――」


 二ヶ月後に開催される〈精霊剣舞祭〉は五人制のチーム戦方式だ。

 カミト一人ではエントリーできないため、ほかの精霊使いとチームを組む必要があった。


「まだチームは組んでない。仲間のチームメイトはこれからさがすつもりだ」


 あと二ヶ月で、本当にそんな相手が見つけられるかどうかはわからないが。


「あのだれも契約できなかった、剣の〈封印精霊〉を手懐けたって、本当?」

「ん?」


 カミトは怪訝そうに眉をひそめた。

 今朝の話がもう学院にひろまっているらしい。

 いったいだれが――


「そうよ、そしてその精霊を手懐けたカミトを手懐けてるのがあたし!」


 おもむろに立ち上がり、ない胸を自慢げにそらすクレア。


「……って、やっぱりおまえか!」


 お姫様たちがキャーッといっせいに色めきたった。


「カミト君っ、クレアとはどんな関係なの?」

「御主人様と奴隷精霊の関係よ!」

「そんなわけあるか! っていうかおまえが答えるな!」

 

 腰に手をあて答えるクレアに、カミトはあわててつっこんだ。


「なによ、生意気な奴隷精霊ね」

「だれが、いつ、おまえの奴隷になった!」


 そんな二人のやりとりを見て、ますます興奮する少女たち。

 収拾がつかなくなってきたところで――

 フレイヤ女史がバンッと机を叩いた。教室がしんと静まりかえる。


「あー、おまえらいいかげんにしろ。ほら、おまえもとっとと好きな席にすわれ」

「は、はい……!」


 フレイヤ女史の出してくれた助け船に、カミトはありがたく乗った。

 当然ながら、紅い髪のお姫様からなるべく遠い、一番後ろの席を目指して歩きだす。

 瞬間。パシィッ――と、調教用の革鞭が首に巻きついた。


「おあぐっ!」


 首を絞められ、そのまま、ぎりぎりとうしろへ引き戻される。


「けほけほっ……な、なにすんだよ!」

「どこへいくつもりよ。あんたはあたしの隣の席」

「はっ、だれがそんな危険な席に座るか、うおおおっ――」


 首を絞められながら、カミトも意地になって前へ進もうとする。


「む、逆らうつもりね。いいわ、誰がご主人様かはっきりさせてあげる!」


 ギリギリギリギリギリ……!

 カミトは鞭をほどこうとするが、クレアはたくみな鞭さばきでそれを許さない。


「うぐぐ……く、そ……」


 息ができない。

 いよいよ脳に酸素がまわらなくなってきた、そのときだ。

 ヒュッと風鳴りの音がして、カミトの身体は突然解放された。


「おわっと……!」


 バランスを崩して階段に転倒するカミト。

 いったいなにが起きたのか――


「……っ!?」


 振り向くと、目の前の床に、突き立った鋭い矢があった。

 金属の矢ではない。

 透き通った氷の矢が陽光を反射してきらめいている。


(……これは、精霊魔装エレメンタルヴァッフェ?)


 クレアの使う炎の鞭とおなじ、武装として変成された精霊の化身。

 いったい誰が……?


「はしたないですわよ、クレア・ルージュ」


 気品あるその声は、教室の一番上から聞こえてきた。


 カミトが倒れこんだまま上を見上げると、そこに――

 豪奢なプラチナブロンドの美少女が、腰に手をあて立っていた。


 高貴なお姫様を絵に描いたような顔立ち。

 処女雪のように白い肌。

 瞳の色は、淡い光彩をとじこめたエメラルドグリーン。

 あでやかな微笑を浮かべ、クレアを悠然と見下ろしている。


「……っ、なんのつもり、リンスレット・ローレンフロスト!」


 クレアが低くうなった。紅玉ルビーの瞳に剣呑な色を浮かべ、いまにも噛みつきそうだ。


「あきらめなさい、彼はこのわたくしの隣に座りたいと言っているのですから」


 ふっ、とプラチナブロンドの髪をかきあげ、言い放つお姫様。

 そんなことは一言も言っていないが――とにかく助かった。


 カミトが立ちあがろうとすると、金髪のお姫様は優雅に階段をおりてきた。

 カミトの前にすっと屈み、値踏みするように見つめてくる。

 可憐な美少女にまじまじと見つめられ、カミトは思わず目をそらした。


「……ふーん、顔はまあまあですわね」


 リンスレットは満足そうにうなずくと、


「ねえ、あなた、わたくしの下僕にならない?」

「は?」


 いきなり、とんでもないことを言いだした。


「か、勝手に手をださないでっ、こいつはあたしの奴隷精霊よ!」


 階段を駆けあがってきたクレアが、カミトの腕をすかさず掴んだ。


「いつ俺がおまえのものになった」

「うるさい!」


 クレアが腕をぐいっとひっぱった。

 二の腕に彼女の胸が触れ、カミトは思わずドキッとする。


 ほとんどとはいえ――そこはやはり、十六歳の女の子なのだ。

 ほどよい弾力のある感触に、不覚にも心臓がドキドキしてしまう。


 だが――


 ふよよんっ。


 もう片方の腕に、まったく


「あら、べつにあなたの所有物というわけではないでしょう?」


 リンスレットが、カミトの左腕を両手でがっちりとホールドしていた。

 クレアの残念なものとは違い、こちらはかなり、その……存在感ボリュームがある。


(ちょ、ちょっと待て、これは……!)


 両方から押しつけられるやわらかな感触に、カミトの顔がカアッと熱くなる。


「は、離しなさいよ、ばか!」

「なんですって、この残念胸!」


 バチバチと火花を散らし、睨みあう二人のお姫様。


 ふにゅ。ふよんっ。ふゆんっ。


 ……どーでもいいが、腕を離してほしい。心臓が破裂しそうだ。

 と、そのとき。


「あわわっ、お、お嬢様っ、おやめください、編入生さんが困ってますから!」


 教室の上から、メイド服の少女がだだーっと駆け降りてきた。


(……は? メイド?)

 

 カミトは目を見開き、少女の格好を見つめた。


 ひるがえるフリル付きのロングスカート。

 ショートボブに切り揃えた黒髪。

 頭にちょこんとのったホワイトブリムがよく似合っている。

 どう見ても立派なメイドだった。


(……なんで学院にメイドがいるんだ!?)


 お嬢様、と呼んでるところを見ると、この金髪お姫様のメイドらしい。

 だが、格好はともあれこの娘はまともそうだ。

 きっとこの不毛な争いをいさめてくれるにちがいない。

 カミトがかすかな期待を抱いた、そのときだった。


「お嬢さ……きゃっ!?」


 メイドが、転んだ。

 階段の途中で、それはもうみごとにすっ転んだ。


「キャロル!?」

 

 リンスレットの顔が青ざめる。


(……くそっ!)


 カミトは二人の腕を振りはらい、床を蹴って跳んだ。


「ひああああっ!」


 悲鳴をあげながら落ちてくるメイドの身体をなんとかキャッチすると、少女が頭を打たないよう腕をまわし、階段を転がり落ちる。


 二人は抱き合ったままごろごろと転がって、ようやく止まった。


「……っ、おい、怪我は――」


 と、口を開きかけ――そこでカミトの思考が凍りつく。

 目の前に。ふよんっ、と大きくやわらかいものがあった。

 清楚なメイド服の下に、リンスレットのものよりもさらに大きなメロンが。


「あ……あ、の……ふあっ、すみませんっ!」


 メイド少女の黒い瞳にぶわっと涙が浮かんだ。 

 カアッと顔を赤らめ、あわあわと立ちあがろうとして――


「お、おい……む、むぐぐぐ~っ!」


 カミトの鼻先に、ますます胸を押しつけてしまう。


(ヤバイ……息ができな……)


「きゃ―――――っ!」


 床で絡み合う二人の姿を見て、教室の女の子たちが黄色い悲鳴をあげる。


「へ、変態っ!」「や、やっぱり淫獣よ!」「魔王の生まれ変わりだわ!」

「ち、違っ、俺は……むぐぐぐ……!」


 あわてて否定しようとするが、その声は豊満な胸に吸収されてしまう。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!


「……?」


 ふと、頭上からなにかの鳴動するような音が聞こえてきた。


 ……地震、ではない。たぶん。

 なんだか、ものすごくいやな予感がする。


 胸の谷間から上を見上げると――


 そこに、燃えさかる炎の鞭フレイムタンを手にしたクレアの姿があった。


「こ、ここ、こここ、このエロ精霊~っ!」

「まて、いまのはどう見ても不可抗力……」

「う、うるさいっ、消し炭になりなさいっ!」


(なんでこうなるんだろうな……)


 なかばあきらめたようにうめくカミトに、鞭は容赦なく振りおろされた。

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