第二章 アレイシア精霊学院

第二章 アレイシア精霊学院①



 アレイシア精霊学院。


 帝国各地から集めた姫巫女たちを、一人前の精霊使いとして訓練する養成校である。

 城壁の内側に美しい庭園を抱き、瀟洒な尖塔が立ち並ぶ校舎は、さながら姫君たちの住まう宮殿のようだ。

 ――そして事実、その通りでもあった。

 この学院に通う生徒は、ほぼ全員が本物の貴族の令嬢たちなのだ。


「しかし、いきなりひどい目に遭ったな……」


 赤い絨毯の敷かれた校舎の二階廊下を歩きながら、カミトは独りごちた。


「森の中で道に迷うわ、〈封印精霊〉と契約するはめになるわ、おまけに――」


 封印精霊をしたことで、あの紅い髪の少女に目をつけられてしまったらしい。


 あのあと――クレア・ルージュはカミトを学院の校舎まで案内してくれた。

 それはいいのだが、どうやら、カミトを自分専用の契約精霊にするという言葉は本気だったらしく、鞭でぐるぐる巻きにされ、案内というよりは連行といったほうがしっくりくるようなやりかたで森の中を歩かされた。  


 無論、カミトとしてはそんなお嬢様の遊びにつきあってやる義理はない。

 クレアがトイレに行った隙に鞭をほどき、逃げ出してきたというわけだ。


「あっ、に、逃げたわね、この裏切り者ーっ!」


 トイレの中からそんな声が聞こえてきたが――


(どうして逃げないと思うんだよ……)


 あの少女、精霊使いとしては優秀だが、根っこはやはり世間知らずのお嬢様らしい。


「なんにせよ、またあいつに見つかる前に、さっさとグレイワースに会わないとな」


 廊下を進みながら、カミトは小さくため息をついた。

 ……気が重い。

 なにしろ、これまであの魔女にかかわって、ろくな目にあったためしがない。


(……けど、さすがにを無視するわけにはいかないな)


 カミトは懐から一枚の便箋をとりだした。

 四日前に、学院長のグレイワースから届いた手紙だ。


 もし、ここに書かれていることが本当ならば――

 ようやく、彼女についての手がかりを掴んだことになる。 

 無論、これがカミトを呼び寄せるための餌である可能性は否定できないが。


(……考えても無駄か。なにしろ相手はあのだ)


 と、そこでカミトは足を止めた。

 目の前に重厚な木製の扉がある。

 学院長の執務室だ。

 カミトが扉を叩こうとすると――


「学院長、私は納得できません!」


 突然、部屋の中からそんな声が聞こえてきた。

 ややトーンの高い、少女のアルトボイス。

 どうやら、お取り込み中らしい。


(……しかたない、しばらく外で時間を潰すか)


 カミトは扉から離れようとして――


「なぜ、神聖なる姫巫女の学舎に、お、男などを迎えなくてはならないのですか!」

 

 ぴたっ、と足を止めた。


(……ん、男?)


 そのまま耳をそばだてる。


「この私が必要だと言っているんだ。理由はそれで十分だろう?」


 抑制された静かな声。

 だが、扉越しに聞いてさえ震えが走るほどの凄みがあった。

 何度聞いても恐ろしい魔女の声だ。


「わ、私たちでは力不足だと、おっしゃるのですか?」

「無論、騎士団の力を軽んじているわけではないさ。けどね、

「……男であるにもかかわらず精霊と交感できることが、ですか?」

「それもある。が、それだけじゃない」

「どういうこと――」


 と、少女はそこで急に口をつぐんだ。

 一瞬の沈黙。そして――


「何者だ!」


 しまった。

 どうやら立ち聞きしていることを感づかれたらしい。

 カミトがあわてて離れようとすると――


 バンッ


 ――突然、執務室の扉が乱暴に開いた。

 扉を蹴り開け、あらわれたのは――

 すらりとした美脚を高々と振り上げた、ポニーテールの美少女。


 切れ長の双眸。

 凛々しい端正な顔立ち。

 制服の上に銀の胸当てを身に着け、まるで騎士のようないでたちだ。

 めくれあがったプリーツスカートの中、レース付きの下着が目に飛びこんでくる。


「黒!?」

「なっ……お、おのれっ、不埒者!」


 思わず声をあげたカミトの腹に、少女は渾身の蹴りを叩きこんだ。


「ぐおっ!」


 不意を突かれ、受け身もとれずに吹っ飛ぶカミト。

 少女は一瞬で距離を詰めると、カミトを床に組み伏せ、腰に差した剣を抜き放つ。

 頬をかすめるように、剣の切っ先を突き立てた。


「……」


 射貫くような冷たい眼差し。

 と、その透き通った鳶色の双眸が大きく見開かれる。


「貴様……まさか、お、男!?」


 凛々しい少女の顔がカアッと真っ赤になった。

 そのとき――


「ふん、ずいぶん遅かったじゃないか。カゼハヤ・カミト」


 執務室の奥から不機嫌そうな声がした。

 カミトは少女に組み伏せられたまま、ゆっくりと視線を上げた。


 そこに――三年前とまったく変わらない、魔女の姿があった。


 ゆるやかに波打つアッシュブロンドの髪。

 妖艶な大人の色気をたたえた美貌。

 小さな眼鏡の下で、髪の色と同じ灰色の眼が、こちらをじっと見つめている。


(……出やがったな、魔女め)


 カミトは胸中で苦々しく吐き捨てた。

 黄昏の魔女ダスク・ウィッチ――グレイワース・シェルマイス。


 姿こそ妖艶な美女だが、彼女は帝国の十二騎将ナンバーズに名を連ねていた歴戦の精霊騎士だ。

 最高位の精霊使いは年齢を超越するというが、その噂は本当なのかもしれない。


「――三年ぶりだな、カミト。ずいぶん人相が変わったようだ」

「……あんたが変わらなさすぎるんだ。黄昏の魔女」


 仰向けに組み伏せられたまま皮肉を返すが、魔女はふっと微笑するだけだ。


「カゼハヤ・カミト!? では、こいつが例の――」


 ポニーテールの少女がキッと眉をつりあげる。


「なあ、そろそろどいてくれないか」


 カミトは、胸の上に乗っている少女に向かって半眼でつぶやいた。


「なんだと、この破廉恥な不届き者め!」

「いちおう、おまえのために言ってるんだがな」

「……どういうことだ?」

「いや、なんつーか……さっきから、おまえのふとももが身体にあたってるんだが」


 ほどよく引き締まった、やわらかいふとももの感触。

 指摘するのは少しもったいないような気もしたが、さすがに、この状況を役得と楽しめるほど擦れてはいない。


「……~っ!?」


 凛々しい少女の顔がカアアッと火照る。

 バッとスカートを押さえて立ちあがると、容赦なく剣を振り下ろした。

 間一髪。身をひねってかわすカミト。


「な――おまえ、なにするんだ!?」

「お、おのれ破廉恥なっ……そこになおれっ、サーモンマリネにしてくれる!」

「まて、落ち着け! あと俺はサーモンじゃないぞ!」


 ザンッ――鋭い斬撃がカミトの前髪を切り払った。

 本気だ。眼に一片の曇りもない。


(……うん、俺はなんで一日に何度も殺されかけてるんだ?)


 厄日か。それとも黄昏の魔女ダスク・ウィッチの呪いなのか。


(っていうか、この学院の女の子は、みんなこんな連中なのか?)


 壁際に追い詰められる。カミトが本気で命の危機を感じた――そのときだ。


「剣を収めろ、エリス。学院内での私闘は禁じているはずだ」

「……くっ!」


 グレイワースの声に、エリスと呼ばれた少女はぴたっと動きを止めた。


「が、学院長……ですが――」

「私に同じことを二度言わせるつもりか? エリス・ファーレンガルト」

「……いえ、も、申し訳ありません」


 エリスはキッとカミトを睨みつけながら、しぶしぶ剣を収めた。

 グレイワースが眼鏡を押し上げて微笑する。


「ふむ、しかしおまえもそういう年頃になったのだな。まあ、甲冑の下に隠れたエリスのわがままボディを押しつけられては、たいていの少年は我慢できんだろうが」

「が、学院長!?」

「まて、誤解をまねくようなことを言うな! 俺は――」


 あわてて抗議するカミト。

 だが、その視線は思わずエリスの胸もとへ――


 ……なるほど。

 甲冑を身に着けているからわかりにくいが、たしかに、クレア・ルージュの残念なものとはくらべものにならない。


「き、貴様っ、ど、どこを見ているっ!」

「わ、悪い……!」


 カミトはあわてて目を逸らす。


「くっ、学院長の客人でさえなければ、貴様などポトフにしてやるというのに!」

「……なんでポトフなんだよ」


 喩えがよくわからないが、なんとなく怖そうだ。


「エリス、君はもう下がれ。目の前でイチャラブされるのは不愉快だ」


 グレイワースが冷たい声で告げる。


「だ、だめです! 同じ部屋で二人きりになど……この男が、その、が、学院長に不埒な欲望を抱くということも――」

「ねーよ!」


 カミトは激しくつっこんだ。

 ……なに言ってんだこいつは。


「ふむ、それならそれでかまわんさ。私はいつも勝負下着を身に着けている」

「なっ……」

「ん、顔が赤くなったな少年、なかなか可愛いぞ。ちなみに色は――」

「聞きたくねえ!」

「冗談だ。なにを照れている?」

「くっ!」


 くすくすと愉快そうに笑う魔女に、カミトは殺気のこもった視線を向ける。


「し、しかし、護衛もなしに、このような輩と学院長を一緒にするわけには――」

「エリス・ファーレンガルト」


 その静かな声音に、エリスの肩がびくっと震えた。


「私に同じことを二度言わせるつもりか?」

「も、申し訳ありません!」


 グレイワースがよほど恐ろしいのか、エリスは震える声でうなずくと、足早に廊下を去っていった。

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