第一章 あんたはあたしの契約精霊!②



「……うう、ん」


 数分後。カミトが意識を取り戻すと、目の前に森の木立が広がっていた。


 起きあがろうとして――


 ふと、首に何かが巻きついていることに気付く。

 調教用の黒い革鞭だ。なんだこれ――と、外そうとした途端、


「やっと目覚めたわね、覗き魔の変態」


 首をぐいっと締め上げられる。


「ぐえっ!? けほっけほっ……」


 カミトが咳き込みながら見上げると――


 真紅の髪の少女――クレア・ルージュが、片手を腰にあて立っていた。


 細い眉をキッとつりあげ、鋭い眼差しでカミトを見下ろしている。

 こんどは全裸ではない。少女は可愛らしい制服姿に着替えていた。

 純白に黒のラインをあしらった、〈アレイシア精霊学院〉の制服だ。


 胸元を飾るリボンタイ。ボタン代わりに縫い込まれた精霊護符。

 ニーソックスとプリーツスカートのあいだから覗く、すらりとした美脚が目にまぶしい。


 焔のように紅い髪を小さなリボンで左右にくくっている。

 いわゆるツーテールという髪形だ。

 髪先がまだ濡れそぼっているところを見ると、それほど長い時間気を失っていたわけではないようだ。


 クレアは、カミトの首を締め上げたまま小さな胸をそらした。


「ふん、感謝しなさいよね。死なないように手加減はしてあげたんだから」

「嘘だ。ぜったい殺す気だっただろ!」

「なに言ってるの? あたしが本気だったら、あんたいまごろ消し炭よ」


 ……平然とおそろしいことを言ってくる。

 ちなみに消し炭というのは、薪の火を消して作った柔らかい炭のことだ。


「炭にするのは勘弁して欲しいもんだな。俺は一応、おまえを助けたんだぞ」

「そうね。あたしは公平フェアな貴族だから、それについては一定の評価をしてあげるわ。あんたは普通の変態よりもちょっとグレードの高いハイグレード変態よ」

「結局変態って評価は変わんないのな。っていうかハイグレード変態って、普通の変態よりもひどいんじゃないか?」

「な、なによ……助けるふりして、あ、あたしのむ、胸、触ったくせに!」


 さっきのことを思い出したのか、クレアはふいにもじもじと顔を赤らめる。


(ん?)


 そんな彼女の反応に――

 カミトは、ははん、と思いついた。

 ……こいつ、ひょっとしてアレなのか?


「そういうお嬢様は、男を鞭でいたぶる趣味をお持ちの変態じゃねーか」


 からかうように言ってやると――


「――なっ!? ち、ち、ちがうわよっ、あたしはそんなんじゃないっ!」


 やはり効果はてきめんだった。カアアッと耳まで真っ赤にしてぶんぶん首を振る。


「ん、じゃあ鞭でぶたれるほうが好きなのか?」

「……~っ! あ、あ、あんた、な、ななな、な、に、言って――」


 くるくると目をまわし、頭のてっぺんからぷしゅーっと湯気をたてるクレア嬢。

 ちょっとびっくりするほどの狼狽えぶりだ。


(あー、思った通りだ……)


 カミトは内心で苦笑した。


(こいつ、ほんとは


 おそらく、この少女だけが特別というわけではない。

 なにしろ、ここアレイシア精霊学院は、精霊使いの姫巫女たちの集う学舎なのだ。

 元素精霊界の精霊と交感できるのは清らかな乙女だけ。

 中でも契約精霊を使役できるほどの神威を宿すのは、何世代にもわたる婚姻によって精霊使いの血を強めてきた、由緒正しい王侯貴族の娘だけなのだ。


 そんな彼女たちは、心身の清らかさを保つため、幼い頃から男を徹底的に遠ざけた環境で教育される。

 いわば精霊使いのエリート教育だ。

 だから、この学院に通う女の子たちは、全員が男に慣れていないなのである。


 少女の思わぬ弱点を見つけ、カミトはちょっとだけ意地悪してやりたくなった。

 膝立ちの姿勢のまま、真っ赤になったクレアの顔を見上げ――


「ああ、あとな、さっきから言おうと思ってたんだが」

「……な、なによ、変態!」

「その角度だとパンツ見えるぞ」

「ふわあっ!」


 紅い瞳にぶわっと涙を浮かべ、クレアはあわててスカートの裾を両手で押さえた。


「み、みみ、見た?」

「ん、ちらっとだけな。にしても意外と大胆だな。おまえの髪の色と同じなんて」

「……っ、う、嘘っ! あ、赤なんてはいてないわっ、白よ、白!」

「そうか白なのか」

「……っ!?」


 ひっかかったことに気付いたクレアは、ぎゅっと唇を噛みしめ――


「う、ううう~っ……」


 ……なんと泣き出してしまった。


 予想外の反応に、カミトは狼狽えた。


「いや変態はおまえだろ、パンツの色を告白するなんてはしたないお嬢様だな」


 と、さらにいじめてやるつもりだったのだが……さすがに可哀想になってきた。

 クレアがテンパっている隙に首に巻きついた鞭をほどくと、


「悪い、ちょっとからかいすぎた。ごめんな」


 立ちあがって彼女の頭にぽん、と手をのせた。

 クレアはいったん泣くのをやめ、きょとんとした顔になる。


「おまえの水浴びを見ちまったのも、その、おまえの胸を……触ったのも悪かった。だけどわざとじゃない。信じてくれ」

「な、なによ……」


 カミトの真剣な眼差しに、クレアはふいっと目を逸らした。


「……なんなのよ、あんた。変態じゃないなら、


 当然の疑問だった。

 この森は、アレイシア精霊学院の敷地内にある〈精霊の森〉だ。

 清らかな姫巫女たちの集うこの学院に男がいる道理はない。

 変質者ではないにしても、不審者であることに間違いはないのだ。


「俺は、グレイワースに呼ばれて来たんだ」

「グレイワース……って、まさか学院長!?」


 クレアが疑わしげに訊きかえした。まあ、疑うのも無理はない。


「嘘じゃない。ほら、これが証拠だ」


 カミトは肩をすくめ、焦げたコートの内ポケットから一枚の便箋をとりだした。

 便箋には学院長の署名サイン

 そして、五大精霊王エレメンタル・ロードの似姿を象った紋章印が捺印されている。


「これって……まさか、帝国の第一級紋章印!?」


 クレアの唇から驚愕の声が洩れる。

 第一級紋章印とは、特殊な技術で精霊を封印した紋章印のことだ。

 帝国が発行している紋章印の中では最高位のものであり、複製することは絶対に不可能といわれている。

 当然、一般には出回っていない代物だが、精霊使いである彼女には、その真贋がひとめでわかったようだ。


「……本物みたいね。でも、学院長がなんでここに男なんかを?」

「さあな、そいつはグレイワースの婆さんに聞いてくれ。俺だって戸惑ってるんだ」

「ば、婆さんですって!?」


 途端、クレアの顔がひきつった。


 黄昏の魔女ダスク・ウィッチ――グレイワースといえば、精霊騎士を目指す姫巫女たちが、もっとも憧れとする人物だ。

 オルデシア帝国内においてその人気は、最強の剣舞姫レン・アッシュベルと肩を並べるともいわれている。

 精霊騎士団の最精鋭である十二騎将ナンバーズを引退し、十数年が経ってなお、伝説の魔女の名は最大限の畏怖と崇敬を集めているのだ。


(ま、俺にとっては、悪夢そのものでしかないんだがな……)


 便箋をふところにしまいながら、カミトは肩をすくめた。


「グレイワースとはちょっとした知り合いなんだ。で、はるばる来てみたはいいんだが、まさか学院の敷地がこんなに広いなんて思わなくてな」


 アレイシア精霊学院の敷地は信じられないほど広大だった。

 なにしろ、山の麓にある学院都市を包括し、さらにその周囲に広がる〈精霊の森〉をまるごと所有しているのだ。


「ひょっとして、森の精霊に惑わされたの? ダサイわね」

「……ま、そういうことだ」


 ぷっと吹きだしたクレアに、カミトはやや憮然としてうなずいた。


 大陸の各地に存在する精霊の森には、元素精霊界アストラル・ゼロの〈ゲート〉を通って、こちらの世界へ迷いこんできた精霊たちが棲みついている。

 ほとんどの精霊は人間になど関心がないので無害だが、なかにはいたずら好きの精霊もいて、森に迷いこんだ旅人をわざと道に迷わせたりすることもある。

 精霊の囁きに導かれて森の奥へ進んでいるうちに、学院への道を見失ってしまったというわけだ。


「ま、とりあえず人に出会えてよかったよ。精霊の森で遭難するなんてゾッとしないからな。ここから学院へ行くにはどっちへ向かえばいいんだ?」

「どっちって……あのね、言っとくけど、学院はここから徒歩で二時間はかかるわよ」

「そんなに遠いのか!?」


 それほどの距離を歩くとなると、また森の精霊に惑わされかねない。

 学院生である彼女がいるからには、もっと近くにあるものだと思っていたのだが。


(……ん? それじゃ、なんでこいつは、こんな場所で水浴びなんてしてたんだ?)


 ふと素朴な疑問が思い浮かぶ。

 たしかに今日はちょっと暑いが、なにもこんな場所までこなくても、沐浴する施設なら学院の中にいくらでもあるはずだ。

 どうせ学院には女の子しかいないのだから、べつに恥ずかしいということもないだろう。

 たずねると、クレアは濡れそぼったツーテールをめんどくさそうにかきあげて、


「精霊契約のために禊ぎをしていたのよ。祠のそばにある泉の中じゃ、ここがいちばん聖性が高かったから。精霊が心身の清らかな乙女を好むことくらい、知ってるでしょ?」

「精霊契約?」


 その言葉を聞いた途端、革手袋に覆われた左手の甲が、ズキッと疼いた。

 火傷のような鋭い痛みに、カミトは思わず顔をしかめる。


「ここからちょっと離れた場所に、古代の聖剣を祀った祠があるの。噂では強大な〈封印精霊〉を宿しているらしいんだけど、学院の創立以来、誰一人として契約に成功した姫巫女はいないそうよ。ずいぶん気位の高い精霊みたい」


 封印精霊――それは元素精霊界に棲まう精霊ではない。


 精霊の中には、古代の強力な精霊使いによって、武具や装具に封印されたものがいる。

 その大半は人類に恐ろしい災厄をもたらすものであり、古代社会において、魔神ジン鬼神イフリートなどと呼ばれ畏れられていた存在だ。

 無論、人間の精霊使いなどに扱える代物ではない。

 そのため、古代の偉大なる精霊使いたちは、それらが二度と喚びだされぬよう、武具や装具の中に封印したのだ。


「おまえ、まさか封印精霊と契約しようっていうのか?」

「そうだけど、なんか文句があるわけ?」

「やめとけ、危険すぎる」

「ふーん、けっこうくわしいのね。精霊使いでもないくせに。危険なのは十分わかってるわ。でも、あたしは


 クレアは、ぎゅっと唇を噛みしめ、つぶやいた。

 ひどく切迫したその表情に、カミトは思わず口をつぐむ。


「けど、おまえ、さっきの炎精霊と契約してるんだろ? あれもずいぶん強力な精霊だ、あいつを育ててやればいいじゃないか」


 炎精霊は、精霊の属性としてはそれほどめずらしいものではない。

 だが、あれほどの精霊を〈精霊魔装エレメンタルヴァッフェ〉として使役できる精霊使いは、帝国内にも数えるほどしかいないはずだ。

 それに、複数の精霊と契約する精霊使いは、いないわけではないが――精霊同士が干渉しあって神威のバランスが崩れるため、よほどの才能がないと制御できない。


「〈スカーレット〉は大切なパートナーよ。でも――」


 あたしには力が必要なの――と、クレアは静かに首を振る。


「あたしには目的がある。そのために、強力な精霊がいる」

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