精霊使いの剣舞《ブレイドダンス》

志瑞祐/MF文庫J編集部

精霊使いの剣舞 剣と学院と火猫少女

第一章 あんたはあたしの契約精霊!

第一章 あんたはあたしの契約精霊!①



 穏やかな木漏れ日の射し込む、閑かな森の中。


 ちゃぱあっ。


 と、そんな水音が響きわたる。


 カミトは――

 ぽかん、と口をあけ、その場に立ちつくした。


 女の子だ。目の前に全裸の女の子がいる。

 しかも可愛い。めちゃくちゃ可愛い。


 大きく見開かれた紅玉ルビーの瞳。艶やかに濡れた桜色の唇。

 ミルクみたいになめらかで、まぶしいくらいに白い肌。

 池の水面に立つ、すらりと細い美脚。


 そして、なによりも目を惹くのは――

 華奢なガラス細工のような肢体にはりついた、燃えるような真紅の髪だ。


 ただし


 すっ裸。


「……」


 カミトの背筋を、つーっと冷たい汗が伝った。

 ヤバイ。

 全裸ヤバイ。


 ……ッテイウカ、ハヤク逃ゲロヨ。


 理性はたしかにそう告げている。

 だが、身体のほうが動いてくれない。

 正直、

 あまりに現実離れした、その光景に。


 女の子は――


 濡れた綺麗な目をパチパチさせ、ふいにあらわれた闖入者ちんにゅうしゃの姿を見つめている。


 きょとん、とした表情。まだ状況が呑み込めていないようだ。

 膨らみかけの小さな胸を隠そうともしていない。


 ぴちゃん。


 少女の前髪から水が滴った。

 その音に、カミトはハッと意識をとりもどす。


「あー、えーっと……」


 カミトは、こほんと咳払いした。

 立ち尽くす少女の裸体から、わずかに視線を逸らし、


「なんつーか、事故みたいなもんだろ、これは。おたがいにとっての不幸な事故だ」


 このとき、カミトはふたつの致命的なあやまちを犯した。


 ひとつは無論、その場でつまらぬ釈明などをはじめたことだ。

 最善の選択は、少女が呆然としているうちに、さっさとその場から逃げることだった。


 そして、もうひとつは――


「まあ事故とはいえ、その、君のそんな姿を見てしまったことは、謝る。すまなかった」


 ここまではいい。が、その直後。


「けど安心してくれ。俺は健全な男子だ。。俺は――」


 と、女の子の――


「子供の裸には興味ないから」


 盛大に地雷を踏み抜いた。


「……」


 凍えるような沈黙。


 女の子は――


 無言で、紅い髪のまとわりついた腕をすっと持ちあげた。

 肩が小刻みに震えている。

 それが寒さのせいではないことに、カミトは気づかなかった。


「十六――」

「え?」


 少女の唇から洩れた小さなつぶやきに、カミトは眉をひそめる。


「あ、あたしはっ、十六歳っ!」


 叫んだ瞬間、少女の紅い髪がぶわっと逆立った。


「なっ!?」


 カミトは驚愕に目を見開き――


「十六!? って嘘だろ、十六でそんな残念な胸って――」


 ハッとして口をつぐんだ。

 が、もう遅い。


「……許さない」


 少女が底冷えのするような声でうめいた。


「ぜ、ぜったい許さないわ……こ、ここ、こ、この覗き魔、変態、淫獣!」

「よく知ってるな、淫獣なんて言葉……」


 カミトが半眼でつぶやいたそのときだ。 


「ん?」


 ……ふと気づく。森の木々がざわめいていることに。


(風か? いや、これは――)


 ――紅き焔の守護者よ、眠らぬ炉の番人よ!

 ――いまこそ血の契約に従い、我が下に馳せ参じ給え!


 少女の可憐な唇から紡がれる、流暢な精霊語の召喚式サモナル

 刹那。空気の爆ぜるような音と共に、少女の手に炎の鞭があらわれた。


(――精霊使いか!)


 カミトは胸中で叫んだ。

 精霊使い――この世界とは別の次元層に存在する〈元素精霊界アストラル・ゼロ〉。

 そこに棲まう精霊と契約を結んだ姫巫女のことだ。


 精霊使いは様々な属性の精霊を使役し、その力を自在に振るうことができる。

 どうやら、目の前の少女は炎属性の精霊と契約を結んでいるようだ。

 少女が精霊使いであることそれ自体は、そう驚くことでもない。

 なにしろここは、帝国中の優秀な精霊使いが集まる場所だからだ。


(――にしても、まさか、精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェまで使えるとはな)


 元素精霊界に棲まう精霊をこちらへ召喚するときの形態は、大きく分けて二つだ。


 ひとつは、質量がなく不定形の神威の塊としてあらわれる原形態。

 これはたんに精霊の力だけを喚び出すもので、精霊魔術などを行使する際の貯蔵庫バッテリーとして使われる。


 もうひとつは、精霊の存在の一部をそのまま喚び出す純化形態だ。

 こちらは膨大な神威カムイを必要とする上に制御が難しいため、これができるのは精霊使いの中でもひと握りしかいないといわれている。

 しかも、この少女はただ精霊を使役するのではなく、より高度に最適化した精霊魔装として使役しているのだ。


(……ってことは、あれ? いまひょっとして俺、命の危機なのか?)


 はたと思いつき、カミトの頬がひきつった。

 灼熱の炎の鞭フレイムタンが池の水面に触れ、じゅっと白い蒸気が噴きあがる。


「い、い、いい度胸……」


 少女が、震える声でうめいた。

 顔を赤らめているのは、怒りか、それとも羞恥のためか。


「ほほ、ほんとにいい度胸、このクレア・ルージュの水浴びを、の、覗くなんて……」

「ま、まて、誤解だ! 話せばわかる!」

 

 カミトはあわてて首を振るが、


「言い訳は聞かないわ。消し炭になりなさいっ、この変態っ!」


 燃えさかる炎の鞭が、池の水面を舐めるように振るわれた。


「うおっ!?」


 カミトはとっさに近くの茂みに身を投げだした。


 間一髪。頭上を薙ぎ払う炎の鞭。


 紅い残滓が閃き、あたりの木々がまるで冗談のように切断される。 

 切り株の断面は驚くほど滑らかで、焦げ痕ひとつついていない。

 斬撃が速すぎるため、炎が燃え移る間もないのだ。


 カミトの前髪が、はらりと舞い落ちた。首筋に冷たい汗が浮かぶ。


(……えっと、冗談だろ? こんなとこで死ぬのか、俺?)


 ヒュッ、ヒュンッ――森の中を縦横無尽に舞う真紅の斬閃。

 茂みはあっという間に薙ぎ払われ、身を隠す場所を失ったカミトはあわてて飛びだした。


「よけるな変態っ、当たらないじゃない!」

「無茶言うなっ、あと俺は変態じゃねえっ!」


 叫んだカミトの足もとに鞭が振り下ろされ、激しい火花が散った。

 地面に跳ね返った鞭はあさっての方向へしなり、森の木々を容赦なく切断する。

 不幸中の幸いといえるのは、少女――クレアの狙いがそれほど正確でないことだ。

 なにしろ片方の手はあの残念な胸を隠すために使っているし、もっと大事な部分を隠すために池に屈みこんだ姿勢になっている。

 もっとも、そんな姿勢でもそれなりに鞭を使いこなせていることを考えると、本来の技量は相当なものなのだろうが。


「このっ、変態のくせに生意気っ、おとなしく消し炭になりなさいっ!」

「変態じゃねーって言ってるだろ! っていうか」


 カミトは立ち止まって振り向くと――

 さっきから気になっていたことを指摘した。


「おまえこそちゃんと隠せよ。指の隙間、微妙に隠しきれてないぞ」

「……え?」


 瞬間。クレアの表情が凍りついた。

 そして――


「きゃあああっ!」


 真っ赤になった彼女は妙に可愛らしい悲鳴を上げ――

 ぎゅっと両手で胸を抱きすくめた。


「あ、ばか!」


 カミトは思わず叫んだ。 

 手を離れて制御を失った炎の鞭が、彼女の背後に立つ木を、スパッと切断したのだ。


 ゆっくりと、斜めにずり落ちてくる巨木の幹。

 だが、クレアは気づいていない。

 羞恥に目を閉じたまま裸の胸をかき抱いている。


(くそっ――)


 とっさに、カミトは地面を蹴った。

 池に向かって全力で走り、飛びこむようにしてクレアの肩を掴む。


「な!?」


 クレアの紅い瞳が大きく見開かれる。

 カミトはかまわず、そのまま強引に水の中へ押し倒した。

 クレアの手が水に触れた瞬間、じゅっと蒸気が噴きあがり、炎の鞭が消滅する。


 直後。あたりの木々を薙ぎ倒し、巨木が倒れこんできた。


 ドオオオオオンッ!


 耳をつんざくような轟音。

 盛大に立ちのぼる水柱。

 炎の熱を吸収し、いい湯加減になった池の水が豪雨のように降りそそいだ。


 ……数秒後。


「う、ん……」


 そんな悩ましげな声をあげながら、クレアがゆっくりと目を開いた。

 きょとん、とした表情で目をパチパチと瞬かせる。


 カミトは、クレアにのしかかるような体勢で、しばしその目を見つめかえした。

 だれかが背中を軽く押せば、唇が触れそうなほどの超至近距離。

 うなじにぺったりとはりついた真紅の髪。濡れた桜色の唇。

 硝子細工の人形のように端正な顔立ちが、いま目の前にある。

 一瞬、思わず見惚れてしまいそうになり、あわててかぶりを振った。


「……えーっと、大丈夫か? その、怪我とか」


 こくり、とうなずくクレア。どうやらまだ状況を呑み込めていないらしい。

 カミトが安堵の息をつき、立ち上がろうとした――そのときだ。


 ふにゅっ。


 水中の手が、なにかやわらかいものに触れた。


「ひゃうっ!」


(なんだ? 泥か?)


 むにゅっ。もにゅっ。


「んっ、や、ひあんっ――」


 濡れた唇から洩れる甘い声。 

 水に浸かったクレアの裸身が、なぜかビクンッと跳ね上がる。


「……えーっと?」


 ここにきて、カミトはようやくある推論にたどりついた。

 とても……おそろしい推論に。


(いや、待て、落ち着け。これは違う……よな?)


 ありえない。そんなはずはない。冷や汗を流しながら必死に否定する。


(だって、さっき見たときは、――)


「な、なななな、ななな、な、に、をして、るのよ、こ、こここ、この――」


 クレアの唇がわなわなと震えていた。

 真っ赤な顔。目には涙を浮かべている。


 どうやら、泥の塊を掴んだ……わけではなさそうだ。


「この、ヘンタイ―――――ッ!」

「ごはっ!」


 みぞおちを膝で思いっきり強打され、カミトは水の中に倒れこむ。


 ゴゴゴゴゴゴゴ……!


 ゆらゆらと背後に陽炎を立ちのぼらせ、ゆっくりとクレアが立ち上がった。

 その手には、いつのまにか炎精霊の化身である炎の鞭がふたたび握られていた。

 池の水が一瞬で沸騰してボコボコと泡立ちはじめる。


「ち、ちがう、誤解だ! まて、それはほんとに死ぬ――」

「う、うるさいヘンタイっ、いっぺん死になさいっ!」


 耳をつんざくような轟音と共に、カミトの身体は空高く舞いあがった。

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