第3話
マハ・マカルカを屋敷に招き入れると、よく肥えたこの家の主が、玄関の正面にある大階段を転がり落ちるようにして下りてきた。
「これはこれはこれは! 遠いところを、わざわざどうも! おお、これはこれは、男っぷりの良い婿殿だ!」
そのあとはわざとらしいお世辞が続く。
先ほどの蹴りを入れようとした件を、言いつけられるだろうか……。ラシャはひやひやしながら、男二人のやり取りを見守った。
だがマハは状況がよく分かっていないのか、不思議そうに当主ガトゥールとラシャの顔を見比べるだけだった。
「そういえば、マハ殿。伴の者が見当たりませんが、ここへはお一人で?」
「いや、家を出てきたときにはいたんだがな。ここに来る途中に立ち寄った村で、食当たりを起こしてな。仕方がないから、そいつらはそこに残してきたんだ」
「それはそれは災難でしたなあ。――さあどうぞ、こちらでごゆるりとおくつろぎください」
ガトゥールはにこにこと愛想良く笑って、マハを応接間へ案内した。
「ほう……」
ガヌドゥ家の応接間へ一歩足を踏み入れた途端、マハは感嘆のため息を漏らした。婿候補のその様子を見て、ガトゥールは満足そうに頬をゆるめる。
この応接間には、代々の当主が収集した、価値ある品々が飾られているのだ。ほとんどの財産を没収されたガトゥールの、いわば「最後の砦」というべき場所なのである。
目を輝かして、マハは部屋のあちこちを歩き回り、置かれていた壷、時計、置物などの調度品を改め始めた。
マハのその鋭い目つきを、ラシャは既に知っている。あれは先ほどラシャの胸と尻を陵辱したときと同じ、物の価値を量る商人のそれだ。
「こういったものについては、門外漢だが……。だが、悪くはなさそうだ。あれはいくらで、これはいくらで売れるかな」
壁に掛けられた、ラシャなどはなにが描かれているのかよく分からない油絵を前にして、マハは腕を組み、見入っている。芸術鑑賞をしているのではなく、あくまでも品定めだ。
この青年が生まれ育ったマカルカ家は、最近になって急成長を遂げた商家のひとつである。
確か元は、糸や布を売る小さな店だったそうだ。それが衣服を扱うようになってから、一気に売上を伸ばした。
マカルカ家が商う服は品質が良く、なにより安価とのことで、若者を中心に人気に火がついたのだ。
マハはそのマカルカ家の三男坊で、年齢はラグスットと同い年。ラシャから見れば、一歳下だ。そしてその若さでありながら、彼は既に大きな店をニつ三つ任されているそうな。
「まったく、下品な……」
ガトゥールはマハの無作法な態度に、皮の弛んだ顔をしかめた。
貴族として育ったこの男の目には、商家からやってきた若者のあからさまな金勘定が、卑しいものとしか映らないのだろう。だがラシャからすれば、なにを今更、と呆れてしまう。
今回のラグスットとマハの結婚話は、一種のビジネスのはずだ。
ラグスットとの婚姻が成立した場合、マハの実家はガヌドゥ家の抱えている借金の肩代わりをし、そして義父となるガトゥールが貴族としての体面を保てるだけの生活費を、これから先援助するという約束になっているのだそうだ。それらを全てまとめると、相当な額に上るはずである。
それだけの大金を投資するだけの価値が、ガヌドゥという家名にあるかどうか。婚約者に会いに来たというよりは、それを見極めるために、マハはここガヌドゥ家を訪れたのだろう。
ラシャは先ほどマハに散々揉まれた自身の胸に、そっと触れた。
商人としての振る舞いは理解できる。しかし自分の妻となる人物まで値踏みしようとするマハの態度には、面食らってしまう。
例え戦略的なものだとしても、結婚は結婚なのだから、もう少し甘ったるい「なにか」があると思ったのに。マハが示したのは、合理的かつ打算的な行動のみである。
――男の人って、ああいうものなのかな……?
今まで仕事一筋に生きてきて、異性と交際したことのないラシャには、よく分からない。
と同時に、やはりマハという男は、ラグスットの伴侶にするには苛烈過ぎるだろうとも思った。
ラグスットは、お金よりも愛情を尊ぶタイプだ。もっと穏やかに愛を育み合える男性のほうが、彼女の夫には相応しいだろう。
などと物思いに耽っているうちに、ジーンがお茶を持って現れた。給仕を手伝ってから、ラシャは二人で外に出た。
客間の扉からだいぶ離れてから、ジーンが肘をつついてくる。
「ちょっとお、意外といい男じゃない? マハちゃんだっけ? まだ少し子供っぽいけど、ワイルドで。将来が楽しみな感じぃ」
「そうかなあ?」
先ほどセクハラされたばかりのラシャとしては、そんな感想は到底持てない。
「なによう、ノリ悪いなあ。まったく、高齢処女は、理想ばっか高いんだから」
「その言い方、やめてもらっていい!?」
こめかみに青筋を立てるラシャを意に介さず、ジーンは一方的に話を続けた。
「もうお相手がいるからしょうがないとはいえ、ラグお嬢様も勿体ないわねー。あのマハって子、いい線いってると思うんだけどなあ」
「お嬢様の相手としては、野蛮過ぎると思うわ。愛がないっていうか」
「そうお? そこがまた荒々しくて、いいと思うんだけど。ていうか、あんな美形がダメなら、ラシャの好みってどんなのなわけ?」
「…………」
どんなの。
そういえばラシャはこれまで仕事に追われて、好みのタイプだとか、理想の男性像だとかを思い描いたことがなかった。つくづく哀れな青春時代を送ってきたものだ。
うーんと唸りながら、ラシャは顎に手を当てた。
「ちゃんと働いてる人かなあ。ニートはいや」
「いや、そういうんじゃなくてね? もっとこう、顔や頭がいいとか、背が高いとか……」
ジーンに急き立てられるようにして、ラシャは再び考えあぐねる。
別に、健康で働くことが好きな人なら、顔も頭もスタイルも普通でいいのだ。
ただひとつだけ、希望を言えば――。
「私のことだけを、ずっと好きでいてくれる人かなぁ……」
「あー、それが一番難しいわね」
だいぶ譲歩したつもりだったが、しかし唯一のその望みも、百戦錬磨の女傑によって、あっさりと切り捨てられてしまう。
「えっ」
「それにそーゆー男ってしつこいから、別れたあと、ストーカーになりやすいしね」
「えっ」
言いながら、ジーンは気だるそうに、長い髪をかき上げた。ラシャの髪色も珍しいが、彼女の燃えるような赤いそれもこの辺りでは珍しい。ジーンもまた、海を渡ってやってきた移民なのである。
「――準備は万端か」
「ぎゃあ!」
いきなり話しかけられて、ラシャは思わず飛び上がりそうになった。いつの間にか、かしましいメイドたち二人の背後には、庭師の小太郎が立っていた。
この「サムライ」は、本当に気配がない……。
「あっ、うん! 任せて!」
「そうか。――ラシャ。念のために、これを」
小太郎は着物の懐からガラスの小瓶を取り出し、ラシャに手渡した。
「これは……?」
「ある植物を煎じて作った眠り薬だ。即効性で、害はない。もしものときに使え」
「う、うん……」
ラシャは渡された小瓶を高く持ち、窓からの光に透かしてみた。収められているのは、無色透明の液体である。怪しいそれを検分した目を、ラシャは次に小太郎に向けた。
随分あっさりと言ってくれたものだが、「眠り薬」なんてそんなものを、なぜ彼は持っているのだろう。それとも東国ならば、庭師はこのようなものを、簡単に作ることができるのだろうか。
「小太郎、あなたは……」
詳しいことが聞きたかったが、小太郎に問いかけようとしたところで、客間のドアが開いた。出てきたのは、当主のガトゥールである。
廊下でたむろしている使用人たちに気づくと、シミの浮いた老人の顔はみるみる怒りに染まった。
「お前ら! 何をこんなところで、油を売っとるんだ! とっとと……!」
主の小言を最後まで聞かず、ジーンと小太郎は脱兎のごとく素早く散った。
「まったく……! 給金泥棒めが! おい、ラシャ! ラグスットはどうした! 早く呼んでこい!」
「お嬢様は、ただいまお着替え中です。じき下りていらっしゃるでしょう」
「ううむ……! もうじき婚約者が来ると言っておいたのに、まだ準備ができておらんのか! あのグズめ!」
これだけ自分の身内に、愛情を持てない男も珍しいものだ。
「旦那様、お話が」
声を荒げるガトゥールを、唇の前に人差し指を立てて諌めながら、ラシャは切り出した。客間にいる娘の婚約者のことを思い出したのか、主は声量を落として聞き返す。
「なんだ! わしは忙しい! くだらない用事なら後にしろ!」
「それが、先ほど分家の方々から、急ぎの文が参りまして……。先月分の返済が滞っている件について、説明が欲しいとのことです」
「なんだ、こんなときに! ――ふん! 放っておけ! マカルカ家との婚約が成立すれば、分家の奴らに金を借りる必要もなくなるのだからな!」
借金に借金を重ねたこのガヌドゥ家当主に、慈悲深くも金を貸してくれるのは、今や隣町に点在するいくつかの分家のみとなっていた。そしてそのことについても、ガトゥールは欠片も感謝などしていないのである。
「それが……。分家の皆様のところに、マカルカ家の関係者が現れたとか」
「はあ!? なんのためにだ!」
ラシャはますます声を潜め、物分かりの悪い当主に噛み砕いて説明してやった。
「そうですね……。恐らくマカルカ家は、ラグスット様とマハ様のご結婚が成立する前に、当家の資産状況をより細かくお調べになるつもりではないでしょうか」
「なんだと……」
「ガトゥール様本人から返済の遅延について、納得できる説明がなければ、分家の皆様は、今までお貸しつけくださっていた金額を、マカルカ家に報告すると仰っています」
ガトゥールの脂ぎった顔に、ぶわっと汗が浮いた。
一般の金融機関から借りている金額に、親戚筋からの借金まで加算すれば、大変な額になる。そしてそれをマカルカ家に知られてしまえば、まずいことになるだろう。
娘が結婚してしまえば、マカルカ家が負債を肩代わりしてくれる約束になっている。しかし事前に少なくはない借金の額が分かってしまっては、今回の縁談自体断られてしまうかもしれないのだ。
「むむ……。まずいな……」
主は呻いてるが、その傍らに控えるラシャは、冷ややかな表情を浮かべていた。
――今更焦ってもねえ。
一般人ならともかく、抜け目ない商人たちの中でも群を抜いて大成しているマカルカ家が、これから結婚しようというガヌドゥ家の経済状態を把握していないなどということがあるだろうか。
恐らく向こうは、こちらの無謀な借金の額など、とっくに掴んでいるに違いない。
――こんだけマヌケな旦那様だもの。そりゃ事業に失敗するわけよねえ。
地道に生活していれば良かったものを。財産を守りながら、のんびりと畑でも耕して。そうすれば少なくとも、今のような破産すれすれの状態まで追い詰められることはなかったはずだ。
そんなことを思っているとはおくびにも出さず、ラシャは涼しい顔で提案した。
「今ならまだ間に合います。分家の皆様に返済の遅れを陳謝なさったうえで、このたびのマカルカ家との縁談についてご説明し、当家への借金のことは秘密にしていただくよう、お願いされてはいかがでしょうか」
「うーむ……!よし、分家へ行くぞ!」
あっさりとラシャの口車に乗ったガトゥールは、別の使用人を呼び、さっそく馬車の準備を申しつけた。
分家のある隣町には、馬車の通れる街道を行くとすると、片道ニ時間に及ぶ道のりになる。そこから分家の家々を回れば、帰ってくるのは六時間後だろうか。
「ラシャ! マハ殿とラグスットを頼んだぞ! この家が復活するかどうかは、マカルカ家との縁談にかかっているのだからな!」
「――お任せを」
隣町へ旅立って行くガトゥールを、ラシャはいつもより深々とお辞儀をして見送った。引きつったその顔を、隠すためである。
――やはり嘘はつき慣れない。
馬の蹄と車輪の音が遠ざかり、遂に聞こえなくなると、ラシャはようやく顔を上げた。
とりあえず主ガトゥールは、家から遠ざけた。
あとは――。
ラシャは応接間の扉を振り返った。
マハ・マカルカ。
問題は、ラグスットの婚約者である彼を、騙し通せるか、だ。
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