魔王と、その姉に関する考察
初めて彼女を見たとき、綺麗な方だと思った。美人かと聞かれると、そこまででもないが、彼女には“綺麗”という言葉が似合うように感じた。
凛としているのにどこか儚げな印象のあるその姿は、不思議と目を引いた。
何より、鮮やかな紫の瞳が人をひきつける。
ぼんやりと見惚れていた私の耳に、誰かの囁く声が届いた。
魔王の寵姫らしいよ
魔王って……あの?
囚われていた所を救い出されたんだって
魔王の……寵姫。
噂には聞いていた。
数年前に代替わりした魔王が、唯一大事にして手元に置いた姫君。
先代とは違い、人間に理不尽をぶつけてきたりはしない魔王。
その彼に大事にされるのは、どういう気持ちがするのだろう。
人間と魔族、相互不可侵条約を結ぶための使者団が、魔王の城から帰還したその日、わたしは侍女として彼女の世話を命じられた。
なんという偶然だろう。
彼女がわたしの勤める城にやって来ることは、噂になっていたからもちろん知っていた。
同じ城の中、顔を会わせることくらいはあるかもしれないと思っていたけれど、まさか専属の侍女になるとは、人生わからないものである。
遊学でこの国を訪れる彼女のために、立派な客室が用意された。
初めて彼女に挨拶したとき、我が国の威信をかけて調えられたその部屋で、彼女はぼんやり窓の外を眺めていた。
「ミシャと申します。こちらでの生活のお世話をさせていただきます。どうぞ何なりとお申し付け下さいませ」
振り向いた彼女は、わたしの挨拶にも無言であった。
聞こえなかっただろうかと訝ったわたしに、彼女は自らの喉を指して見せた。
意味がわからずに瞬けば、彼女は口をぱくぱく動かした。指してもう一度喉を指差す。
彼女の唇から声が溢れることはなかった。
それを見て漸く悟ったわたしは素早くその場に膝を着いた。できうる限りの謝罪の姿勢をとる。
「大変失礼をいたしました!」
彼女は話すことが出来なかったのだ。
知らなかったとはいえ、国賓にわたしはなんて失礼な態度をとってしまったのだろう。
頭を垂れたまま項垂れていると、不意に肩に手を置かれた。
わたしがびくりとすくむと、目の前まで歩いてきていた彼女が困ったような顔で笑う。
わたしは驚くばかりであったが、後で聞いたら彼女はこの時、膝をついたわたしに困っていたのだという。
彼女はかしづかれることを好まない。
魔王城でも居心地の悪い思いをしていたのだとか。
このときの経験を踏まえ、彼女はスケッチブックを持ち歩くようになった。
なので、意思の疎通に困ることはなくなったのだが、言いたいことが伝わらなくて困る彼女も可愛らしかったのにと今では思う。
この国で彼女は、特産品などの勉強をしているようだった。
帰ったときに役立てるつもりなのだと笑う彼女に、わたしは少し驚いた。
彼女が魔王の元に戻る気があったということに、わたしは全然気がついていなかった。
何せ巷では、魔王に囚われていた彼女は、その魔手から救いだされたことになっていたから 。
今の魔王が横暴でないことは現状を見ればわかる。
前魔王は人間を嫌い、気紛れに戦を仕掛けたり、遊び半分に虐げた。
代替わりしてからは、それがふっつりとなくなった。
それがわかっていても、魔王の元に帰るという彼女に、違和感を抱いてしまった自分を恥じる。
わたしが人間だからそう感じるのだろうか。
彼女の笑顔を見れば、嘘などないことがよくわかった。
遊学の期間は2年。あっという間に過ぎた。
少女めいた雰囲気を持つ彼女は変わらず綺麗だ。
恐れ多いことではあるが、わたしは彼女とかなり仲良くさせてもらった。
友人が少ないわたしではあるが、彼女とは馬があう。
二人で色々なことを話した。
好きなもの。興味があるもの。家族の話。
恐らくこの国で、彼女とこんなに突っ込んだ話をしたのはわたしだけに違いない。
『弟が一人いるの』
そんな風に彼女は言った。
『昔はすごく可愛かったんだよ。女の子みたいで』
その話をするとき、彼女はいつも笑顔だ。
会ったことはないけれど、わたしなりにいつも想像していた。
わたしにも弟が二人いる。
地方貴族の長女であるわたしは、財政難の領地を出稼ぎのためにさっさと出てしまったけれど、弟たちは痩せた土地で四苦八苦しているらしい。
きっといい領主とその相棒になることだろう。
数年前に仕送りはもう要らないと言われてから、実家に戻ってもよかったのだが、なんとなく仕事を続けていた。
結婚願望もないので、ここで働いていずれは侍女頭とかになるのも悪くない。
そんなぼんやりとした未来図を描いていたわたしは、彼女に一緒に来ないかと言われてもあまり驚かなかった。
この2年で彼女のことは親友のように思っていたし、知らない土地に行くのも悪くないと思う。
うちの両親もわりと度量の広い人たちなので、あっさり許可をくれた。
まあ、一生戻ってこれないわけではないのだ。
これもいい経験になるだろう。
そんな軽い気持ちで彼女に着いていったわたしは、少しばかり認識を改めることになる。
魔王が手配したという豪華な馬車に揺られること5日。
辿り着いたのは切り立った山間(やまあい)の、黒々と聳(そび)える魔王城だ。
そこで目にした二人の再開の様子は、物語のようだった。
ずらりと立ち並ぶ魔族たち。
馬車から降りた彼女に、マントを翻した青年が駆け寄る。
「姉さん!」
え? と思ったのはわたしだけだったようだ。
周りの人たちは当然のようにその光景を眺めている。
「体は大丈夫か、疲れただろう。早く部屋にいこう、食事の準備ができている」
青年の視線は彼女の全身を隈無く見渡す。
本気で彼女のことを心配しているのが見てとれた。
ぽかーんと眺めているわたしの前で、久々に出会った恋人のような台詞を吐いている、この人は一体誰だろう。
彼女がにっこりと微笑んだ。
ごん、と鈍い音がする。青年の頭に鉄拳が下されていた。
下したのは彼女である。
まっすぐ彼を見つめ、何か言いたげな顔をする。
「……姉さん」
渋々、という顔で青年がこちらを見た。
いきなり目があってどきりとする。
わたしに対して何の台詞もないまま、すいっと視線は外された。
「……我が王、感動の再会はそれぐらいにして、中へ通してさしあげたらいかがですか」
近くに控えていた男が青年に注進する。
……我が、王?
魔族の抱く王は一人しかいないはずで。
混乱するわたし。
人間の間には広まっていない話だが、彼女が魔王の姉である話は、魔族の間では有名らしい。
後で知った話ではあるが。
わたしは魔王の城で客として扱われた。
魔王の姉の友人として、話をしたり食事をしたりする。
本人は困っているようだが、彼女にはかなり贅沢な暮らしが用意されていた。
身の丈に合わないと主張する彼女は、よく魔王の執務室に押し掛けていっては抗議していた。
魔王の城で、彼女はほとんどスケッチブックを使わない。
彼女が言葉を発さなくても、意思の疎通はできているようだった。
それが少し羨ましい。
魔王の視線は常に彼女を向いており、尊重する。
となりのわたしは路端の石ころくらいの扱いである。
その事に不満はない。
麗しき姉弟愛というには少し過剰すぎる気もしたが、突っ込みはすまい。
元々彼とは他人であり、彼女を介さなければ出会うこともなかったのだ。
魔王の城を訪れてしばらくして、わたしは城内の散歩を日課とするようになった。
仕事をしていたときと比べ、体重の増加が気になっていた。
美味しいものを食べてのんびりしていれば、肉がつくのは当たり前。
彼女はたくさん食べてもけろりとしているが、それは悲しいかな、体質の違いだ。
一人で出歩くようになって、気がついたことがある。
この城、結構汚い。
男所帯らしいので手が行き届いていないのだろう。
最低限の片付けはしてあるようだが、細かいところはまだまだ手付かずだ。
裏庭の花壇だけは彼女が手入れしているので綺麗だが、そこ以外はそこはかとなく残念感が漂っている。
彼女の生活空間は完璧にきれいに保たれているが、それは例外である。
元々、きれい好きのわたしとしてはかなりうずうずする。
そのうちこっそり片付けてやろうと目論んでいる。
そんなことを考えつつうろついていたある日、偶然魔王と遭遇した。
魔王は裏庭でぼんやり花壇を眺めていた。
彼の部下に対する冷ややかな顔は見たことがあったものの、そんな姿を見るのは初めてだった。
その表情がひどく無防備に見えて、息を呑む。
なんとなく、声はかけられなかった。
何日かして、また魔王を見かけた。
城の廊下の窓から、外を眺めている。
周りには誰もいなかった。
その日も、静かに回れ右して部屋に戻った。
そんなことが数度あった。
誰かともにいる彼は気力に溢れ、精力的に働いている。
しかし一人の時の魔王は無防備で、どこか寂しげにすら見える。
彼の孤独を垣間見た気がして、わたしはその話を彼女にもしなかった。
そんなこんなで一月が過ぎ、回れ右が得意技になった頃。
初めて、声をかけられた。
「いい加減にしろ」
その台詞が自分に向けられたものだと、最初は気がつかなかった。
「……鬱陶しい。何の用だ」
重ねられてわたしは、返した踵をゆっくり元に戻す。
魔王はこちらを見ていなかった。
いつかのように花壇を見つめたまま、目付きだけが誰かといるときのように鋭い。
気づかれていたらしい。
まだ若い、と思う。
姉の彼女が恐らく20代だから、弟の彼はもっと若いはずだ。
あまり、彼女には似ていない。
同じなのは、鮮やかな紫色の瞳だけ。
それが血の繋がりを示す色ではないことは当然知っていたが、わたしはその瞳を見て彼女を思い浮かべた。
「……特に用はございませんが」
言った瞬間、魔王が唇を歪めた。
しかし言葉は発しないまま、ふつりと黙りこむ。
わたしからも特に話しかける理由はないので、沈黙は続いた。
結局、魔王が先に立ち去るまで、お互いに黙って花壇を眺めているばかりだった。
不思議なもので、それからもよく魔王には出くわした。
大抵わたしは散歩中で、大体の場合に魔王は一人だった。
何か言葉を交わすわけではなく、ただ並んで景色を眺める。
部下たちと共にいる彼は近寄りがたく、わたしは遠くから、ちらりと眺める程度だ。
噂には色々なことを聞いていたが、実際に目の前にするのとでは大違いである。
人の前に立つ彼は毅然としており、揺るがない。
冷ややかな印象を与える貌(かお)が崩れるのは、唯一の肉親である姉の前だけ。
さらに一月が過ぎて、わたしは彼女を経由して城を掃除する権利を勝ち取った。
当然、最初は客人だからと断られたが、粘り勝ちである。
当たり障りのない範囲でだが、まずは廊下の掃除から始めることにした。
彼女が「わたしもやろうかな」などと言い出したが、今は新たに始めた特産品の開発に忙しいらしく、
今日はいない。
掃除用具を貸してもらい、わたしは腕捲りした。
漸くきれいにできると思うと、心が踊る。この城で数か月耐えたわたしを、誰か誉めて欲しい。
うきうきしながら床を磨くわたしを、通りすぎる人々は不可解な目で眺めていく。
それを見てわたしは感慨に耽った。
今でこそ、人間と魔族は相互不可侵の関係を作ることができた。
しかし、これが五年も前であったら、わたしはこの城で一歩たりとも部屋から出ることができなかったに違いない。
それほどまでに長年の禍根は深く、まだ記憶に新しい。
物思いに耽っていたわたしは、ふと視線に気がついて振り返る。
数歩先に、魔王が佇んでいた。
一人ではない。後ろに側近らしき者を二人連れていた。
いつの間に来たものやら、全く気がつかなかった。
「何をしている」
「……何?」
突然魔王が口を開いた。
わたしは彼の言いたいことがわからずに、首をかしげる。
何とはなんだ。この方は何を聞きたいのだろう。
「廊下の掃除をしております」
「何故」
「……何故? 理由が必要なのですか」
強いてあげるなら、この城が汚いからだ。
しかし、城の主に向かって汚いとは言いにくい。
黙りこんでいると、俯きがちだった視界に靴の爪先が映る。
視線をあげると、無表情の魔王が目の前にいた。
冬の海のように冷ややかな色の瞳が、真っ直ぐにわたしを射抜く。
「余計なことをするな」
台詞の意味を、飲み込むまでに少し時間が掛かった。
後で考えると何故そこまでと思うのだが、瞬間的に込み上げたのは怒りだった。
自分で言うのもおかしな話ではあるが、わたしは喜怒哀楽の表現がわりと苦手である。
特に怒りの感情は、状況に心が追い付いてくるまで時間がかかるため、腹を立てるときにはもう話が終わっていることも少なくはない。
そんなわたしがその時は、瞬間的に沸きあげた怒りに塗りつぶされた。
どうしてそんなことを言われなければならないのだ。
許可は取ったのだ、何をしようとわたしの自由だ。そう思った。
「恐れながら申し上げます。この場所がきれいなら誰も掃除など致しません。手を出すなと言うのなら、出さずに済むよう片付けされたらいかがですか」
我ながら、ひどい挑発をした。
一息に言い切った台詞の声は尖っており、喧嘩腰。
しかし、この瞬間は「言ってやった」という爽快感すら覚えていたのだ。
魔王の瞳が見る間に凍えた。
激情に揺れる紫を見ても、恐ろしいとは思わなかったので、わたしは睨み返した。
「……とんだ客人がいたものだな。お里が知れる」
ひどい侮辱だった。
口許に嘲笑すら浮かべて吐き捨てられた台詞に、わたしは絶句する。
わたしや、わたしの故郷の全てをを見下しているとも取れる暴言に、怒りで頭が真っ白になった。
相手が誰だとか、ここがどこだとか、自分の立場とか、全てが脳内から吹き飛んでいた。
魔王の背後に控えていた側近から「我が王」と制止の声がかかるのと、ぱんっという乾いた音が響くのとがほぼ同時だった。
その場に、静寂が落ちる。
あとに残るのは叩かれた魔王と、叩いた女。
魔王は、避けもしなかった。
手のひらの痺れが、自分が仕出かしたことの重さを突きつける。
不意にひどく泣きたくなって、わたしは顔を歪めた。
人を叩いたのは初めてである。
「二度と顔も見たくない」
捨て台詞を吐いて踵を返した。そのまま全力で廊下を駆け抜ける。
誰にも咎められはしなかったし、留め立てもされなかった。
客室に駆け戻り、手持ちの荷物を片付けた。
わたしは魔王に喧嘩を売ったのだ。もうこの城には居られない。
招いてくれた彼女に申し訳なくて、胸が痛い。
元々大した荷物を持ってきていないので、荷造りはすぐに終わった。
それを抱えて立ち上がろうとしたとき、部屋のドアがノックされた。
3回繰り返されるノックを聞いてドアを開けに行く。
彼女が訪ねて来るときのノックはいつも同じだ。
彼女は、少し困ったような顔で立っていた。
わたしと違い、彼女は感情がかなり顔に出る。
そのまま彼女は腕をのばし、いきなりわたしをぎゅっと抱き締めた。
反応できずにわたわたしていると、頭を撫でられる。
がっしがっしと掻き回す撫で方が男らしい。
『ごめんね』
何の謝罪なのかわからず首をかしげると、さらにスケッチブックを見せられる。
『ちゃんと叱っておいたからね!』
「叱るって……」
誰を? とその答えに辿り着いたわたしは言葉を失った。
魔王!?
愕然としていると、彼女が間近に微笑んだ。
それが綺麗で、思わず見惚(みと)れる。
彼女は少し躊躇(ためら)うようにした後、わたしの手を取る。
弧を描く唇が僅かに震えた。
ありがとう
息を呑む。
彼女の喉の奥から漏れたのは、言葉とは呼べない音だった。
唇の動きについていかないその音は震えていた。
今まで、彼女が話したのを見たことはなかった。
話せないということを知っていたけれど、初めて目前に突きつけられた気がした。
『わたしと友達になってくれてありがとう』
ここまで一緒に来てくれてありがとう。
でもね、一つ覚えておいて。
わたしたちはあなたを追い出したりしないよ。
そんな風に伝えて彼女は帰っていった。
ベッドに座ったまま、わたしはぼんやりと考える。
彼女がどれだけわたしに心の内をさらしてくれたのか、今ならわかる。
きっと彼女はこれからも笑顔でスケッチブックを書き続けるのだろう。
不意に、部屋のドアがノックされた。
3回。彼女が戻ってきたのだろうかと、ドアを開けに行く。
開けたドアの先に立っていたのは魔王だった。
反射的にドアを閉めると、ガシッと縁(へり)を掴んだ手に阻止される。
靴の爪先が無理矢理捩じ込まれた。
どこの悪徳商売人ですか! という手際のよさでドアは強引に開かれた。
眼前に魔王。
どうしてこんなことになったのだろう。
……よく見ると、魔王の両頬が腫れている。
片側は間違いなくわたしだが、もう片側はいったい誰に?
「先程は言い過ぎた」
唐突に彼が言う。
ややして、それが先程のやり取りに対する謝罪だと気がついた。
思わずまじまじと眺めてしまう。
魔王はあまり背が高くない。それでも、女性としては平均的な身長のわたしから見れば、見上げる形になる。
「……気にしていません」
答えれば、魔王の視線がちらりとわたしの後ろに向けられる。
そこには、さっき荷造りしたばかりのわたしの荷物が置いてある。
「……」
沈黙が落ちる。居たたまれない。
ああ何故わたしは、こんなことをしているのだろう。
この人は、魔族の王なのだ。
世襲であることの多い人間の王とは違って、魔王は実力によってのみ成ると聞いたことがある。
つまり眼前の彼は間違いなく、魔族の最強なのだ。
「……帰るのか」
姉にどう叱られたかは不明だが、今の魔王はこちらと会話する意思があるらしい。
わたしはこの場でそんなどうでもいいことを考える。
「半年後には」
わたしは、一年の約束でこの城へ来た。
一年の期間に、特に理由はない。
区切りがいいからと、決めた期限まであと半分と少し。
ふと思う。
わたしが故郷(くに)に返ったら、彼と会うことは多分ない。
元々、出会うはずのない人だった。
人生が交わることは、きっともう二度とない。
ああ、何てことだろう。
まともに話したことすら殆どない相手だと言うのに、この距離を失うことを少しは惜しく感じているなんて。
先程は腹を立てたことも、何だかどうでもよくなった。
よく考えたら、魔王に謝罪をさせるとかとんでもないことである。
彼女と共にいたせいか、わたしの中の判断力は鈍り始めていたらしい。
「魔王陛下」
「……クラウィでいい」
「え?」
「クラウィだ」
それが彼の名前だと気づくのに時間が掛かった。
そして彼の最大限の譲歩だと気づかぬほど子供ではない。
魔王の名前を許されるという、恐らく人間で初めての快挙を成し遂げてしまったわたしは、少し図々しくなることにした。
普段から思っていたことをぶつけてみる。
「クラウィ様は姉君のことを大切にされているのですね」
「……姉は」
彼の瞳が揺らいだ。
ぎり、と歯を食い縛る。
「俺のせいで声をなくした。だからもう、何も失わせはしない 」
ぞくりとした。
彼の体から立ち上るのは、明確な憎悪。
表情は冷ややかなまま変わらずとも、眼差しだけで雄弁に語る。
どれ程の激情を飲み込んでいるのか、下ろされたまま握りこんだ拳が真っ白になって震えていた。
わたしだって家族は大事だ。
遠く離れても繋がっていると思っている。
それでも、これほどまでの強い思いは抱けない。
彼らの過去に思いを馳せる。
この世界の全てを憎むほど、幼い少年の受けた衝撃は大きかったのだろうか。
目の前の彼を、恐ろしいと思う。
けれど同時にそのまっすぐな不器用さに気づいてしまった。
「今度、リーファ様も一緒に食事でもしませんか」
「考えておく」
去っていく魔王を見送り、ぼんやりと考える。
不敬かもしれないが、恐らく年下であろう彼の年相応の表情が見たいと思う。
いつか彼が笑えるようになればいい。
故郷に戻るまで、残された時間で何ができるかはわからなくても、少し足掻いてみようか。
そしたら彼女も、きっともっと笑ってくれるに違いないのだ。
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