明日の彼女・後編

 セリオンの話を聞いた部下たちは、絶句した後に心底呆れたという顔になった。

 勢いよく立ち上がったゼノが、項垂れるセリオンの肩を揺さぶる。


「バカかお前」


 今回ばかりは反論できない。


「脳まで筋肉か?」


 反論できない。

 いつも直感で動く自分自身をセリオンは呪った。

 ユージンが感心したように唸る。


「いやー、バカだとは思っていたけどここまでとは……。どこの世界に、結婚を断った女に決闘を申し込む男がいる」


 ここにいる。

 ユージンはある意味感心したように唸る。


「初恋を拗らせるとこうなるんだね。いやーバカだね」


 言葉がグサッと刺さる。

 冷静に呆れられると余計に。


「で? いつ決闘するわけ。すぐなんだろ」

「一週間後……」


 日付だけは決めたが、後悔している。


「セリオンはさ、考えた方がいいんじゃないの。自分がどうしたいのか。それがはっきりしないうちはきっとどうにもならないよ」


 腕を組んだユージンが言う。

 そうかもしれない。

 本当はもっと考えた方がいいのだ。

 自分の立場とか彼女の思いとか、思いつくことはたくさんあるのに、深く考えることができないのがセリオンという男だ。


 内心複雑で眠れぬ夜を過ごした末に迎えた朝は、悔しいほどに眩しい晴れだった。

 彼女と会うのは一週間ぶりだ。

 覚悟を決めて待ち合わせ場所に向かえば、いつもと違う彼女がいた。

 普段は綺麗な色合いのドレスを身につけることの多い彼女だが、今日は少年のようなズボン姿だ。

 高い位置に結われた髪が、白いうなじに掛かる様子に目を奪われる。


 見惚れてばかりもいられない。

 声をかける前に彼女が振り向いた。

 まっすぐ見つめる紫の瞳に射ぬかれる。

 一週間ずっと練習した「冗談でした」という言葉が、舌の上でもつれて絡まった。


 彼女が抱えていたスケッチブックが、素早く掲げられる。


『いい朝ですね』

「……そうですね」


 特に含むところのなさそうな言葉にも意味を探してしまう。末期だ。


 結局、中止の言葉は言えないまま、場所を移す。

 立ち会いは、セリオンの部下の二人と彼女の侍女に頼んである。


 人気のない郊外の野原で、彼女と対峙する。

 とうとう、このときが来てしまった。

 セリオンの手には刃を潰した両刃剣があり、彼女の手にはスケッチブック。


 はて、と思えば、彼女はページをめくったそれを掲げた。


『賭けをしませんか』

『私があなたに一撃を入れられたら、一個だけお願いを聞いてください』


 一瞬の間、セリオンは固まった。

 首肯し、了承する。

 ……例え、その「お願い」が拒絶の言葉であろうとも、きっと頷くことしかできないのだと思う。


「私が勝ったら、あなたも私のお願いを聞いてくれますか」


 問いかけるそれが、彼の精一杯。

 約束を彼女も首肯し、受け入れる。


 深く深く息を吸って、改めて構える。

 勝負は、一瞬だった。


 踏み込んだセリオンの剣は、彼女の首筋を捕らえていた。

 ちり、と頬が痛む。幾筋かの髪が宙に散った。

 彼女の放った魔力の塊が、セリオンの頬を僅かに掠めていたのだ。


 勝ったのに、負けたみたいだ。

 そうセリオンは思った。

 間近で彼女がとても綺麗に微笑むのを見て、泣きそうになる。


 我慢した涙は、鼻先にスケッチブックを突きつけられて引っ込んだ。

 近すぎて上手く焦点が合わない。


『友達になりませんか』


 意味を理解して、セリオンはぽかんとした。

 くしゃりと顔を歪める。

 彼女は優しくて、残酷だ。

 それでもセリオンに否やはないのだ。


「……また、貴方と花を見に行きたいです」


 ささやかな願いに彼女が頷く。

 眩しい笑顔に見惚れながら、唐突に悟った。


 ああ、自分は、彼女の笑顔が見たかったのだ。

 明日の彼女の笑顔を、守りたいと願う。

 いつか、彼女が拒絶するまでは、その笑顔を見るために足掻き続けよう。

 それできっと、彼は幸せなのだ。


 言葉にならない想いを呑み込んで、セリオンは笑う。また涙が滲んだのには知らんふりをして。

ささやかな願いは胸のうちに収めた。


 願わくば、あと少しだけこのままに。

 

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