明日の彼女・前編
よく晴れた秋晴れの日、セリオンは彼女を散策に連れ出した。前もって暦で確認したところでは、今日は1年に1度の吉日だそうである。
つれてきたのは景色のきれいな草原だ。
秋桜の咲き乱れる草原を見て、顔を輝かせた彼女が嬉しそうに笑うから、セリオンは思わず見惚れた。
彼女の鮮やかな紫の瞳は初めてあったときと変わらず彼を惹きつける。
ずっと見つめていたかったけれど、セリオンは意を決して声を掛けた。
名前を呼ぶと、彼女が振り返る。
彼は胸を高鳴らせながらもう一度彼女を呼んだ。
何? というように彼女が首を傾げる。
彼女の手をとったセリオンは、今日のために準備してきた言葉を紡いだ。
「結婚してください」
その言葉を聞くと彼女は目を丸くした。
きょとんとした表情は可愛いが、不安になる。自分の言葉は伝わっているのだろうか?
彼は緊張したまま、腕に抱えていた花束を彼女に差し出した。
しばし驚いたような顔をしていた彼女はやがてはにかむように微笑んだ。そして首を振る。 胸に抱えたスケッチブックを開くと、懐から取り出したペンをさらさらと滑らせる 。
『ごめんなさい』
書かれた言葉は一言だけ、だった。
セリオンのぱたりと落ちた腕が力なく垂れた。
後には石像と化したセリオンと、困ったように笑う彼女が残された。
彼の渾身のプロポーズは、こうして呆気なく終わったのだった。
*****
「ぶはははは!」
狭い室内に野太い爆笑が響き渡った。
憮然としたセリオンは、声をあげて爆笑する男をじろりと睨んだ。
隣で腹を抱えてひぃひぃ言っている男にも、不機嫌な一瞥をくれる。
「笑うな」
「いやだってさ、笑うでしょ。一国の騎士隊長がだよ、女性にプロポーズして華麗にスルーされたわけだし」
滲んだ涙を拭った隣の男ーー騎士隊の副隊長ゼノは、また思い出したようにククっと笑った。
場所はセリオンの執務室。
打ち合わせのために集まったはずが、こうして隊長(セリオン)の失恋話で盛り上がっている。
向かいで笑い声を収めた、副隊長のユージンが真面目な顔をする。
「まあ正直なところ、望みはないだろうと思っていた」
「確かにな」
「おい」
あまりの言い様に、セリオンは半眼で突っ込んだ。こいつら俺が上官だってことを忘れてないか。
3人は年齢が近いこともあって、行動を共にすることが多い。お互いに腹を割って話せる友人同士でもある。
友人甲斐のないやつらだ、とセリオンが嘆けば、ゼノが「そもそもさ」と話を混ぜ返す。
「彼女は人間を恋愛対象に見れるのかな」
「……どういう意味だよ」
一段低くなったセリオンの声に怯んだ様子もなく、ゼノは指摘する。
「彼女は魔王の姉だぞ。しかも“混じりもの”だ」
「だからなんだよ」
混じりもの、とは人と魔族の混血の子供を指す。混じりものの最大の特徴は、紫色の瞳だ。人ではなく、魔族でもない中途半端な存在である。
「魔王の姉ということは、魔族寄りということだろう。人間にいい印象がないのでは?」
混じりものは迫害されてきた。
人間と魔族の間に不可侵条約が結ばれた今ですら、差別は色濃く残る。
混じりものである彼女がどんな扱いを受けてきたか、想像するに難くない。
セリオンは沈黙した。
“彼女”の姿を思い描く。
淡い色合いの髪と、対照的に鮮やかな紫の瞳。
……不吉だと言う紫の花が咲いていて、綺麗だと思っていけないことがあるのだろうか
彼女には声がない。
恐らく、生まれつきではない。
なんとなく事情は聞けないままだ。
セリオンの知る彼女は、魔王の姉だ。
恐ろしいとは思わない。それでは、駄目なのだろうか。
「何にしろ、よく考えてみた方がいい。急いで嫌われたくなければ」
重々しくユージンが締める。
「そうなんだよなあ」
がっくりと肩を落としたセリオンは唸る。
嫌われるのは嫌だ。
彼女が魔王の元を離れ、この国に遊学に来ている今がチャンスなのだ。
じっくり、とか、ゆっくり、とか彼とは相容れない言葉だが、少しずつ進めていく他ないのだ。
打ち合わせを終え、部屋を出て歩いていると、彼女を見かけた。
庭園の中のベンチに腰掛け、花を眺めている。
セリオンは性懲りもなく彼女にふらふらと歩み寄った。
ふられたばかりなのにと自分でも思う。
「リーファ殿」
彼女がゆっくりと振り返る。
その瞳に拒否の色がなかったことに安堵して、もう少し歩を進める。
「……花が好きなんですね」
言葉に詰まった挙げ句、セリオンはそんな台詞を呟いた。
そんなことは承知の上だ。でなければ花を見に外出など誘わない。
彼女はスケッチブックを取り出した。話すことのできない彼女は、常にスケッチブックを持ち歩いている。
『落ち着くので』
癒されるということだろうか。
「わたしも花が好きです」
『花びらの分厚い花がよいと思います』
花びら? いったい何の話だろう。
『食べごたえがあるのがよいのです。生で食べることも多かったので。非常食として』
「!?」
花びらを食べる……? しかも生?
その状況はセリオンの理解を越えていた。
セリオンにとって、花は愛でるものであり、食べ物ではない。
衝撃を受けている間に彼女……リーファはうっとりと書き散らす。
『こんなにたくさんあったら、クラウィにもたくさん食べさせてあげられたのに。』
クラウィって誰だ。
セリオンは納得のいかない気持ちになる。
こちらは色々思い悩んでいるのに、彼女はいたって自然体だ。この間のプロポーズすら気にしている様子はない。
それが妙に悔しくて、口をついて出たのは思ってもみない言葉だった。
「勝負しませんか」
キョトンとする彼女に言い募る。
「あなたは魔術が使える。わたしは代わりに剣が使える。一回手合わせしませんか」
言った傍から後悔した。
彼女が受けるはずがない。
彼女には受ける理由がない。それでも他に、思いつかなかった。
セリオンにあるのはこの剣の腕くらいのものなのだ。他にどうすればいい。
言葉で伝わらないのなら、彼に差し出せるものなどこれくらいしかないのに。
暫しの沈黙が落ちる。元より、喋っていたのはセリオンだけだが。
ふと、リーファが笑った。
セリオンがその笑顔に引き付けられている間に、彼女はさらさらと何事かを書いていく。
スケッチブックを向けられて、セリオンは息を飲む。
『お受けします』
ぽかんとセリオンは立ち尽くした。
立ち上がって一礼した彼女が立ち去って、その姿が見えなくなってからようやく我に返る。 頭を抱えた。
「馬鹿か!?」
馬鹿なのだと思う。
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