後編

 その晩、魔王の機嫌は悪化の一途をたどった。


 わたしは直接会っていないから噂に聞いた程度だが、近寄るのもためらわれる有り様だったらしい。

 原因は簡単に推察できる。代表団だ。

 交渉はうまくいっていないのだろうか。

 一日で終わる話ではないから、客人として魔王城に泊めることになったのは聞いたが。


 わたしは庭で会った男を思い浮かべた。彼が何か失言でもしたのだろうかと思う。

 弟には逆鱗がいくつもある。あの男、無神経そうだったしなぁ。

 

 他人事なわたしは、今日も自室でのんびりと食事を摂った。

 魔王の城に来てから、食事は最大の楽しみである。食べるものにも事欠く生活をしていた頃には、こうしてお腹いっぱい食べる幸せなんて忘れていたんだけどなぁ。

 食後のデザートを楽しんでいると、部屋の扉がノックされた。

 世話係の侍女にしては重いノックである。


 返事の代わりにベルを鳴らすと、遠慮がちに入ってきたのは魔王の側近、エルネスだ。

 彼はクラウィに心酔しており、クラウィが前魔王を討ったときも側にいたのだという。忠臣だが、クラウィには僕(しもべ)のごとくこき扱われている。


「夜分に失礼いたします。リーファ様、お耳汚しをお許しいただけますか」


 何か用があってきたらしい。

目線で促せば、エルネスは慎重に来用ソファーに腰をおろした。

 妙に深刻な表情だ。

 彼が弟の供としてではなく部屋に訪れるのは珍しいことである。


「今日、来客があったのはご存じですね」


 頷く。


「目的が不可侵の条約であることも」


 頷く。

 何でそんなことを今更聞くのだろう。


「相手があなたを所望したことも?」


 ……はい?


「向こうはあなたの身柄を要求しています。……調子にのって、余計なことを……!」


 拳をわなわなと震わせるエルネス。

 わたしはその腕をがっしりと掴んだ。

 その話、もっと詳しく!

 それなりに長い付き合いのお陰で、エルネスはわたしの言いたいことを察するのも早い。

 わたしの手を丁重な手つきで外し、エルネスは困った顔をする。


「よりによって奴ら、魔王の寵姫を差し出せと、そう言ったのです。それも我が王の目の前で」


 愚かな! とエルネスが身震いする。

 わたしは唖然としていた。話がさっぱりわからない。わからないが、わかったこともある。

 きっとエルネスが教えてくれなければ、わたしはこの話を知らないままだった。

 すっくと立ち上がったわたしは、すたすたと部屋の入り口に向かった。


「リーファ様!?」


 制止の声は聞かず、扉をくぐりぬけた。

 赤絨毯の引かれた長い廊下を全力で駆け抜ける。

 向かったのは謁見室だ。

 何故だかそこにいると確信があった。


 正面の扉を開け放つと、案の定そこには王座につくクラウィと、代表団らしき人間が数名いた。

 全員がこちらを見て驚く。

 クラウィが剣呑な顔で舌打ちした。


「……何で来たんだ、姉さん」


 邪悪なオーラが、どろどろと垂れ流しである。さすが魔王。

 まあそんなもの、今更怖くはない。

 わたしは迷わず玉座へと向かった。


 半歩の距離で見つめ合う。

 座る弟をわたしは見下ろした。


 クラウィ、何かわたしに言っていないことあるでしょう。


 問い詰めるようにじとっと見れば、クラウィは心なしか怯んだようだった。


「言う必要がないから言わなかった」


 嘘つき。

 わたしは小さいころ弟を叱ったときのように、しかめっ面を作った。

 クラウィは昔から嘘が下手だ。


 少し離れたところで、こちらを見て固まっていた騎士の一人が、わたしに向かって片膝をついた。


「王国騎士を努めております、セリオンと申します」


 見覚えがあった。昼間会った男だ。

 顔をあげた男は、まっすぐにわたしを見つめた。

 そのまっすぐさに、ふと怖くなる。

 セリオンと名乗った男は、大役を任されたにしては若かった。二十代後半というところだろうか。それでも恐らくわたしよりは年上だ。

 わたしは年上の男が苦手だった。この城の中でも、よく見知った者としか会話をしたことはない。

 気配を察したのか、クラウィが剣呑な声を出す。


「名乗りを許した覚えはない」

「彼女はあなたの所有物なのですか。魔王、あなたに許される必要があるのでしょうか」


 睨み合う男たち。

 わたしは ため息をついた。

 セリオンの連れとクラウィの部下たちが懇願するようにこちらを見つめている。

 こんなときほど声が欲しいと思うこともない。

 仕方なしにわたしは魔力を練った。

 ぱん、と魔力が弾ける音に皆が振り返る。

 注意を引くことに成功したわたしは、次に王座に座るクラウィに手をさしのべる。

 立ち上がるように促せば、彼は騎士たちの視線を遮るように前に出た。


「姉さん」


 わたしはクラウィに自分の喉元を指して見せる。

 わたしは話せない。

 昔魔術で焼かれた喉は、どんなに治療を施しても、意味のある言葉を紡ぐことはできなかった。

 クラウィがわたしの言いたいことを解するのは、彼がわたしの心を読んでいるからだ。

 心を許している相手にしか許さないし、それができる者もあまりいない。表層だけとはいえ、心を覗かれるのはあまりいい気分のすることではない。

 通訳になれと言う無言の要求に、渋々クラウィが頷く。その場で淡々と説明した。


「彼女は話すことができない。彼女の言葉は俺が伝えよう」

「そんな言葉が……!」


 信じられるか、というセリオンにわたしは頷いて見せた。

 不満げながらもセリオンが黙りこむ。


 さて。

 場をぐるりと見回したわたしは、セリオンに目を戻した。

 セリオンが少し顔を赤らめる。なんだか少し引っ掛かる反応だが、まあいい。


「あなたの名は…?」

『わたしはリーファ。この魔王の姉に当たるわ』

「姉君……?」


 セリオンは困惑を隠せないといった様子で呟く。

わたしのことを本気で魔王の愛妾だとでも思っていたらしい。つくづく失礼な人である。


「あなたは魔王に虐げられているのではありませんか。声をあげることもできないほど」


 とんでもない。

 クラウィがわたしに与えてくれたのは、もったいないくらい贅沢な暮らしだ。

 それを手にいれるまで……彼が魔王になるまで、どれほどの苦労をしたのか、一番身近で見てきた。

 虐げられることになれてしまったわたしは、きっと一人ならとっくに生きることを諦めていた。


『あなたの言うような事実はありません。気にかけてもらったことには感謝するけれど……』

「こんな場所に閉じこめられて、虐げられてはいないと?」

『閉じこめられてなんかいない』

「ではなおさらです。あなたにはこの場所に縛りつけられる理由はない。わたしたちと共に行きましょう」

「……勝手なことを言うなよ。姉さんを連れてこの城を出られると思っているのか」


 クラウィが口を挟む。かなりキレている様子だ。

 部下たちが怯えるほどの怒りを、抑えもしない。

 しかしセリオンに怯んだ気配はない。


「妙齢の女性が、こんな場所にいていいはずがない」


 私たちと共に行きましょうと、真剣な顔で誘いかけるセリオン。

 そのまっすぐさをわたしは眩しく感じた。

 混じりものに生まれ、魔族や人の汚い部分をたくさん見てきた。

 瞳の色を見れば、わたしが混じりものであることは隠しようがない。それでもこの人はわたしに共にこいという。……その方向性が間違っていたりするけれど。

 その事実はわたしの心を揺さぶった。

 少しの間、わたしは迷った。そして決意する。


 ねぇクラウィ、わたしの言葉を伝えて。


「嫌だ」


 クラウィ。


「……俺が何のためにこの座についたと思う」


 突然始まった独白にわたしは目を丸くする。

 わからないと首を振れば、こちらを見たクラウィが、食い縛った歯の隙間から漏らすように唸る。


「二度と俺たちのような、姉さんのような、虐げられるものを出さないためだ! 今までのことを忘れたのか!?」


 クラウィの言いたいことも分かる。

 幼い日、彼をかばって血まみれになるまで暴行され、ろくな治療もできぬまま、凍えるような夜を過ごした。あいつら殺してやるという彼の絶叫は今も耳の奥に残っている。


 でもね、クラウィ。わたしはずっと考えていた。

 このままでいいのだろうか。

 クラウィは、わたしの可愛い弟は、わたしがいるから復讐を捨てられなかった。

 魔族も人間も、まだ許した訳じゃない。彼の中には憎しみが、色褪せることなく残っている。

 でもね、もういいじゃない。

 汚いものを見る目で見られた。半端者と蔑まれ、虐げられた。

 身の内に刻み込まれた恐怖は未だにわたしを苛む。

 だけどこのままじゃ、駄目だ。わたしとクラウィは互いに依存してしまう。半身のようなきょうだいだからこそ。

 だから、伝えて。


 クラウィは顔を歪めた。

 無言のやり取りのあと、クラウィがふと力を抜いた。

 わたしの言葉をなぞる。


『あなたたちの国にいってもいい』


 セリオンが喜色満面で飛び付いた。


「歓迎します、リーファ殿」


 犬みたいな反応だ。ほだされた部分もないこともない。悪い人ではないんだろう。

 その代わりとわたしが出した条件をセリオンは呑んだ。


 こうしてわたしは魔王城を出て、初めて一人で人間の国へ向かうことになるのだった。

 聞いたところによると、あのあとエルネスは機嫌の悪い魔王にしめられたらしい。悪いことをした。


 セリオンたちに連れられていった私が、クラウィのお嫁さんになる人を連れて帰るのも、わたしがセリオンに求婚されるのも、そのときは知らなかった未来の話だ。

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