魔王の姉君
芍薬
本編
前編
魔王が天涯孤独なんて、誰が決めた。
ごうおうと燃える家を、わたしと弟は離れた丘から呆然と眺めた。
大事なものが全部全部焼きつくされていくのを、ただ絶望と共に見つめる。
隣の弟が繋いだ手をぎゅっと握ったのでそちらを見た。その顔に浮かぶのは恐怖ではない。
わたしと同じ紫の瞳を憎悪の色に染めながら、弟は食いしばった歯の隙間から唸った。
「ぜったいに殺してやる……!」
その言葉は本当になり、わたしは虐げられることのない生活を手に入れた。
はじまりは何処にでもある幸せな家族の物語。
唯一他と違うのは、両親が魔族と人間だったということだろう。
両者の大きな違いは魔力の有無だ。
両者はお互いの種族をよく思わない。
魔力を持つ魔族と持たない人間、その差を彼らは愛で埋めた。
やがて彼らは二人の子供に恵まれる。
しっかりものな姉と甘えん坊な弟。
姉は人間である母親似、弟は魔族である父親似の容姿であるが、二人とも瞳の色はどちらとも違う紫だ。
紫の瞳は魔族と人間の両方を親にもつ証であった。その瞳を持つ者は混じりものと呼ばれ、どちらの種族からも迫害される。
両親は子供たちを守るため、人里離れた場所に家を構えてひっそりと暮らしたが、子供たちの笑顔が曇ることはなかった。
愛妻家で子煩悩な父。そんな父を支える芯の強い母。
己の半身のようなきょうだい。
幸せな家族だった。
そんな幸せも長くは続かない。
きょうだいの存在が魔族たちに知れた。
魔族たちは憤慨し、彼らを抹殺しようとした。
己らの種族に誇りを抱く魔族たちにとって、人間との間の子など目障りでしかない。
両親は彼らの要求を断固として拒否し、その結果命を奪われた。
一夜にして両親を失ったきょうだいは、頼れる人もなく、血を吐くような地獄の日々の中を生きることになる。
弟は復讐を誓い、姉はただ呆然と現実に揺さぶられたのだった。
時が過ぎて、青年と呼べるほどになった弟……クラウィは父母を殺した連中を片っ端から血祭りにあげ、魔王の座まで這い上がった。
それをわたしはなにもできずに眺めているばかりだった。
混じりものは時に純血を凌ぐ魔力をもつ。弟もそうだった。
両親を失った夜に声も失ったわたしは、魔王の姉として魔王城へと招かれた。
弟の教育が行き届いているからだろう、そこにはわたしを混じりものとして迫害するような者はいなかった。
今や魔族の頂点に立つクラウィは、わたしの生活にはこれでもかというくらい気を使ってくれた。
一人で過ごせる南向きの部屋。調度品は使いやすさが売りの特注品。
いくら本を買っても怒られないし、もちろん殴られたり蹴られたりもしない。
夢を見ているみたいだった。
たくさんのドレスを渡されて、これが全部わたしのものなのだと言われたときは困ってしまった。
着た切りの生活が長かったから、一日一着どころか十人でファッションショーができそうなくらいある服の山には戸惑うばかりだ。
抗議しに行ったらクラウィは書類から顔をあげ、
「気に入ったのを着ればいい」
とのたまった。
「全部姉さんに似合いそうなものを見繕わせたから。好きなのを着たらいいよ」
気に入らなければまた集めるよ、と気軽に彼は言う。
そんなもったいないことできない……!
と思えば、ふぅとため息をついたクラウィが仕事用の眼鏡をはずす。
魔王になったクラウィは法律をつくろうとしている。もう二度と迫害される混じりものを出さないためだとか。我が弟ながら勤勉な男である。
「いい、姉さん。姉さんは魔王の姉なんだ。もう暴力に怯える必要もないし、やりたいことがあるなら俺が叶えてあげる。好きなように生きていいんだよ」
きっぱりと言い切る態度に、今更ながら彼の成長を実感した。
もう子供じゃないんだね。
……わたしの甘えん坊な弟はどこへいってしまったのだろう。頼もしいけど何だか寂しい。
そもそもわたしは、何が自分の望む生き方なのかよくわからない。
幸せとかそういう感情は、とっくに擦りきれてしまっていた。
よくわからないまま、なんとなく日々を過ごす。
ほかほかの食事がいつでも食べられるし、あわあわで贅沢な香りのお湯がたっぷりのお風呂と、ふかふかで柔らかなベッドがあって、こういうのを幸せというのだろうか?
そうやって魔王の姉になって、半年くらいが過ぎただろうか。
人間の代表たちが魔王城を訪れた。
元々人間に対しよい感情のない魔族たちは色めき立ったが、代表たちは不可侵の条約を結ぶためにやって来たのだと言った。
混じりものであるクラウィが魔王位についたことで、両者の間の溝は埋まりつつあった。
代表として訪れたのは某国の騎士たちだという。
まあ、わたしに直接は関係のないことだ。
だから、わたしはその日ものんびりと庭を散歩していた。これはこの城に来てからなんとなく始めた習慣だ。何か日課を作らないと1日を漠然と過ごしてしまうのだ。
立ち止まって庭を眺める。
魔王城の庭は驚くべき趣味の悪さなのである。
そのうち改造してやろうなどということを考えながら歩き出すと、背後で物音が聞こえた。
基本的に他人といることが苦手なわたしは、いつも一人でいる。
振り向くといくつか年上だろうと思われる青年が、離れた場所に立ち尽くして目を丸くしていた。
瞳の色から人間なのだとわかる。
「あなたは……?」
どうやら魔王城に女性がいるということに驚いているらしい。
答えようにもわたしには声がない。
長年の記憶はわたしを後ずさらせた。知らない者に近づいて痛い目を見ることは何度もあった。
「魔王の……愛人か?」
ほんの小さな呟きをわたしの耳はしっかりととらえていた。失敬な。
確かにわたしと弟は似ていない。瞳の色以外は容姿に共通点はない。
それでも失礼なことに変わりない。
わたしは踵を返して足早にその場を立ち去ることにした。
「待って」
と後ろから呼ばれたけど、待つつもりはなかった。
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