妄想彼女

どす川こい児は朝から気分ウキウキだった。

こんなに今日というが待ち遠しい日が、これまであっただろうか。

窓を開けて夏の夜の空気を胸いっぱいに吸い込む、その風景には安めの賃貸マンションやアパートが映る、とても良い景色とはお世辞にもいえないが気分がいいのか、そんな景色すら新鮮に思えた。


こい児の足取りはやけに軽い、髪をセットしお気にの靴と服で家を出て、鼻歌を歌いながらその足は河原へと向かう。


その距離、家から20メートルといったところにある大きな河原。

河原を挟んで車通りの少ない狭い道路+信号機。

それを待つ僅かな時間すら惜しいほど、こい児の心はウッキウキに弾むのだった。


信号機は青になり、こい児は土手を上り高架線の下の橋へと駆けだす。

そこにお目当ての相手がいる、今日は河川敷には人は見当たらない。

いつもなら野球少年やサッカー少年、釣りをしている地元民がいるのだが、夜だからか河川敷には生活音の響かない静かな時間が流れている。


お目当ての女性は、白いワンピースに白い帽子、赤いサンダル、帽子を深く被り下を見てうつむいている、夏らしい服装といえばそうだ。冷涼感のある服装だが、彼女の細い体だと服装も相まって余計に繊細というか病弱そうに見える。




こい児はこの河原で彼女に会い付き合うことになった。大型犬が彼女に吠えていたのを、たまたま通りかかったこい児が追い払ったのが発端だ。


それから、しばらくこい児は足しげくこの河原を通り、彼女と会話した。

こい児が通ると、彼女はいつもこの河原にいて川を眺めているのだ。


そして少し世間話をしてから脈絡なく、彼女の方から「つき合いませんか」との申し出があったのでこい児は快諾したのだった。

待ち合わせはいつもこの河原でこの場所、それに彼女はあまりこの近辺から出たがらないので、行く先はそこら辺を散歩するとか味気のないデートになる。近辺にはコンビニやスーパー、娯楽施設といえばカラオケぐらいだが、彼女は人がいるところを好まず首を横に振るばかり。


こい児は奥ゆかしい人だなあ、と彼女の横顔を見ながら思う。



それでもこい児はよく彼女に話題を振り、それにうすく微笑み相づちをうつ彼女。

彼女から会話を振ってくることは滅多にない。

傍から見れば、釣り合わなってない高値の花のような女に、媚びを売る男と見れなくもない。



こい児は散歩の途中にあるコンビニに着くと、なんか買おうかと言うと彼女は「ここで待ってると」と端的に呟くだけだ。

ガラス越しに見える彼女は赤いポストと一緒に背を向けて待っている。


ここは、こい児の知り合いである梶谷が、アルバイトしている店だ。


「おう、こい児調子はどうだ」


梶谷は、接客業とはほど無縁の気怠さを顔に醸し出しながら、面倒くさそうにパンの陳列をしている。放り投げるようにパンを陳列棚に押し込んでいく。


「かなりいい感じだ」

「あーそう」

「ところでな俺な彼女が出来たんだよ」

「え、お前にマジで!?」

「マジだって超美人、今コンビニの前にいるから見てみろって」

「へーどれどれ……どこよいねーじゃん」


と二人は窓の外にいる彼女の姿を探すのだが、そこには誰もいない。

犬がポストに向かって吠えてる、散歩中のようだ。

犬には首輪がついてて小さな女の子が、そっちじゃないと引っ張ってるのだが犬は何もない空間に向かって吠える。


「おいおい、まさかあの幼女が彼女か?」

「バカをいうなよ」

「違うってのか」

「そうだ」


カウンターの奥から上司の声が聞こえてくる。

その声は客が数人レジに並んでいるからか不機嫌だ。


「おい梶谷ぃ! ちょろちょろするな! レジ前客つまってんぞ」

「ノリさん、サーセンした、した、したぁっ」


梶谷は上司に怒られ、お軽い謝罪を返しながらレジに入り客を捌く。

こい児はジュースとアイスを買って外に出る。


彼女はポストから少し離れたところで、しゃがみながら穴の空くようにじっくりとアリを眺めていた。何が珍しいのだろうか、と少し疑問に思ったのだが些細な疑問を消し飛ばし、こい児は特に気にせず声をかける。


彼女はアリから視線を戻してこい児の家に行きたいと、脈絡もなく言い出した。

こい児の心臓は、暴れ馬のようにときめき跳ね上がった。家に来るというとこはつまりそういうことだ。


――

――――


客がいなくなり休憩に入った梶谷は、まず片手で器用にタバコを取り出し吸う。

器用に煙の輪っかを作り紫煙は宙に消えていく。


「梶谷、お前の知り合い誰と話してたんだ?」

「さあ分かんねえっす」

「なんか地面に向かって一人でぶつくさ喋ってたぞ」

「マジっすかそれはヘビーっすね」


梶谷は興味なさ気に視線は宙のままだ、タバコの煙をぷかぷかと浮かべる。

話題は途切れノリさんはカウンター前で、どっしりイスに座りスポーツ新聞を広げ呟く。


「今年のベイスはどうだろうなあ」

「どうっすかね」


味気ない会話は途切れ、客が入ってきたことでゼンマイのように停滞した時間が動き出す。ノリさんは新聞を置き、営業用スマイルで元気に「いらっしゃいませー」と言い出迎える。



その頃、彼女はこい児の部屋でシャワーを浴びていた。

シャワー室の部屋の外には彼女のワンピース、下着、帽子が無造作に投げられているた。


こい児の妄想は頭の中でレッドゾーンを超え爆発していく。


チクタク、チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。


彼女が風呂に入って、時計の針はもう1時間を過ぎている。


遅い、遅すぎる、何でこんなに時間が必要なのだ?


いくら何でも遅すぎる、しかし風呂に入ってる彼女にまだか? 急かすのもどうなのだ、礼儀にかけるのではないか、とここに来てこい児の妄想と理性は波のようにせめぎ合い打ち消し合う。


こい児は少し冷静になってコーヒーを沸かしテレビをつける、つけるのだがやはりあまりテレビに集中できない。それでも見ている内に時間を忘れていた。


チクタク、チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。


2時間経過。

しかし彼女はまだ上がってこない、さすがにおかしい。

こい児は部屋を出て、風呂場の前まで行く。

脱ぎ捨てられた服が目に付く、こい児は生唾を喉の奥に呑みこみ流し込み彼女に声をかける。


「シャワー長いようだけど、どうかした?」



返事はない。

ただシャワーの反射音だけがザーザーと一定の音を立てて聞こえてくる。

こい児は躊躇しながらも、中の彼女に声をかけつつおそるおそる、ドアを開けた。



――誰もいない。

そう誰もいない、ただ無数の長い髪の毛が狭い排水溝に詰まって、下に流れて行くお湯は不規則に、排水溝に吸い込まれてゆく。

こい児は茫然としながらそれを見ていた、そして髪の毛をおもむろに掴み上げる。


いない? では彼女はいったいどこに行ったのだ。


するとだ、バン! と強い強い音を立てながらこい児の部屋のドアが閉められる。


こい児はクビを傾げながら部屋のドアを開ける。


裸の彼女がいた。

瞳は白目がないほど漆黒の黒で塗り潰されており、一切の光を瞳に宿さない。

髪は異常に長くうねうねと、自由意思でもあるメデューサのように動き回る。

彼女の体からは怨念のような瘴気が、もくもくと漏れ出している。


こい児は理解した、こいつは人間ではない。


「ひぃい……ああ、くくるな!」

「どうして、私言いましたよね最初に憑き合いましょうって」


「ああ……いや、言ってない、言ってない!」


その声はもう、こい児の知る繊細な彼女の声ではなく、呪詛を込めた悪魔の金切り声のようで聞くだけで体から力が抜けて行くのだった。


こい児は力が入らずその場にへたりこみ、腕の力だけで後ろに逃げる。それは追い詰めれたネズミのよう。


「このストーカー」

「ななな……何を言っている!?」

「毎日毎日、私の姿を見て付きまとい声をかけてきただろう」


「な……何を言ってる! あれは君が……いつも河原にいるから」



「そうよだって私」





「地縛霊だもの」




「遠くにだって行けないもの」




「……!!!」

「や、め」

「……なに」

「」

「」








「引っかかったなクソビッチ」

「何を言って」

「見ろよこの部屋を」


こい児がの視線に合わせ女の視線も移動する、そこには奇妙な文字で書かれた札が何枚もある。女の顔が苦痛にゆがみ、口から泡を吹きそうなぐらいに奥歯に力を入れ、こい児を睨め付ける。


「俺は生粋の除霊師どす川こい児。どうやってお前をあの場から引き離すかずっと考慮した。地縛霊はそのテリトリーから離れるほど呪力を無くすからな」

「きさ……ま」

「どすこーい!」


幽霊はかな切り声を上げ消し飛んだ。



「退治終了、超きもちいい~!」


超きもちいいーというのだった。

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