第50話

 じゃらりと音の鳴る重い袋を片手に、ルフィアは扉を開けた。


 昼前の明るい日差しが視界を染める。白い光の下では大男が寝台に寝転び、退屈そうにあくびをしているところだった。

 その右腕はだらりと下がっていて、まるで重荷のように見える。


「あ?」


 あくびをしたままの顔で、片眉を上げる。


「おはようございます、ドルフさん」


 声をかければ、ドルフはめんどくさそうな顔をした。


「なんだ。謝罪はもういらねえぞ」

「あまりに意味がないようなので、わたしも飽きました。勝手にかばって謝罪も聞きたくないとか少し身勝手じゃないですか?」

「言うじゃねえか。やっと落ち着いたか」


 ドルフにかばわれてから、三日が経っていた。

 その右腕は、まるで元通りに見える形で治療された。

 しかしオルレニアが言った通り、その腕にはこれまで培った肉体の記憶がなく、まともに動かせるようになるには数年かかるだろう。


 何度謝罪の言葉を重ねただろうか。


 最初こそドルフも複雑だったようだが、やがて吹っ切れたように嫌悪感を示しはじめた。

 それでようやく、ルフィアも謝ることをやめた。


 それが、昨日のことだ。


「腕を失う覚悟だったってのに、数年で回復出来んなら不満はねえよ。お前ぇが悪いわけでもねえしな。……アイツ、悔しがってたか?」

「悪魔ですか? 悲しそうでしたね」

「はっ、アイツは考えが甘えな。木っ端の傭兵一人もすぐに殺せねえ野郎が待ち伏せしたところで上手くいくわけねえだろ」


 そんな話を聞きながら、ルフィアは寝台の隣の丸椅子に座る。

 そして、小さな脇机の上に持ってきた巾着袋を置いた。


「なんだ? それ」

「命の対価です」


 のそりとドルフは半身を起こし、怪訝な顔をする。

 それから丁寧に左手だけで巾着を開き、中を覗いた。


「……冗談か?」

「冗談だったら、どう思いますか?」

「性悪だなァ。加えて、迂闊だ」

「わたしもそう思います。冗談なら」


 ドルフが開いた巾着の中には、光に当たって金色に輝く貨幣があった。

 一枚にとどまらず、重なり合うように厚みを持つそれは、少なくとも十枚を超えるだろうと簡単にわかる。


「何枚ある」

「金十一と、銀二十五」

「十一だと!?」


 ドルフは目を瞠り、巾着を再度覗き込む。


 ルフィアの生活費は、一月、およそ三十三日で銀貨八枚。

 一年、十月で八十枚。

 この周辺の換金を基準にすれば、変動はあるものの銀貨三十枚で金貨一枚になる。

 つまり、この袋に入っているのは銀貨三百五十五枚分以上の価値であり、ルフィアの生活費でいえば四年は安泰だ。


 そしてこれは、ルフィアがケビンとユエンから受け取った金額の八割に相当する。

 これだけあれば、ドルフは腕の問題に注力できる。

 快復とは行かずとも、まともに仕事ができるようにはなるはずだ。


 そんな意図を汲んだのか、ドルフは軽く息を吐いて寝台に身を戻した。


「誰に、何を吹き込まれた? どこから出た金だ?」

「わたしが、あなたに支払おうと思いました。わたしの懐から出た金です」

「貴族ってのは、本当なのか」


 そういえば、そんな嘘をついていた。

 思い出してから、ルフィアは小首をかしげる。


「どうでしょうね?」

「貴族の金なら受け取らねえぞ。何されるかわかったもんじゃねえ」


 さすが、熟練の傭兵は違う。

 金にがめついからこそ慎重に物事を判断する。ルフィアなら思わず飛びついてしまうだろうが、これが経験の差というものだろう。


「じゃあ、嘘です」

「はっきりしやがれ」

「本当に嘘です。わたしはヴァロータ出身のゲルダンの弟子で、つい二年ほど前に傭兵になったばかりの駆け出しですよ。ヴァロータに行けばすぐわかりますよ」


 両手を上げてひらひらとしてみれば、ドルフは尚更眉間にしわを寄せた。


「嘘だろ?」

「これは本当です。なんで疑うんですか」

「二年で、その戦いぶりか?」

「稼業を始める前にゲルダンさんに鍛えられたんですよ。知り合いの傭兵とか、たくさんの人と手合わせして、必死に学びました」

「……仮にそうだとして、この大金はなんだ」

「ヴァロータでカルデロン男爵から受け取った報酬です」

「お前、なんだ……そりゃ」


 嘘は口にしていない。

 ドルフの目は懐疑的だが、これ以上の真実もないのだから仕方がない。

 しばらくドルフは額に手を当てて悩んだ後、口を開いた。


「オルレニアのせいか」

「たしかに、あの人の影響も大きいですね」

「どんくらいの関係だ」

「ええと、二月、くらい?」


 は、と乾いた笑いが上がった。


「なんなんだお前ぇは。意味がわからねえ」

「わたしもずっと驚いてます」


 何度か軽く頷いて、それでなにかを納得したらしい。

 ドルフは大きなあくびをしてから、ルフィアに向いた。


「これ、受け取っていいんだな?」

「あなたの腕が調子を取り戻すまで、好きに使ってください」

「調子を取り戻したら?」

「わたしの良い噂を広めてください」

「おぉ、飲んだくれ傭兵の口からでいいならいくらでもしてやるよ」

「出来るだけ飾ってくださいね?」


 飲んだくれ傭兵、と言いながら、ドルフはいつも酒場の入り口付近にいた。

 それは酒場の主人に門番として認められているということであり、ドルフがそれだけの男であるという証明だった。


 初めにルフィアの手刀を受けたとき、自分から吹き飛んで無傷で済ませたくらいだ。

 酔っていてそれなのだから、実力は間違いない。

 加えてドルフの知り合いになってからは、酒場で面倒なからみを受けることも無くなった。それが、ドルフがプラーミアで受けている評価なのだ。

 あくまで傭兵という立場だが、適当に話を聞いて回ればドルフの話は簡単に集まるだろう。一部では、悪評かもしれないが。


「あなたと長い付き合いができれば、きっとわたしの益になる」

「その交渉ならオルレニアとしたんだがな」


 何度か、瞬きをする。


「えぇ?」

「だが、お前ぇのほうが愛嬌があっていい。アイツはどうにもおっかなくてたまらねえ」

「結果的には?」

「同じだ。断る理由もほとんどねえからな」


 たしかに、ドルフからすれば断る理由もないだろうか。


 視界の端に、金色がちらつく。

 ルフィアは軽く考えてから、巾着袋を握って押し付けた。


「もういいので早く受け取ってください。気が変わる前に!」

「お、おう」


 決意はしたものの、やはり金額が金額だ。

 誘惑を振り切るように、ドルフが袋を受け取ったのをしっかり目に焼き付ける。

 これで、偶然と他人の力で受け取った大金は、自らの手から離れた。


 はぁ、と小さくため息が洩れる。


「なんだ。返さねえぞ」

「ぜひ受け取ってください。わたしには、重くて」


 激しい日々を送っても、自分はそれに適う人間にはなれていない。

 オルレニアやロンバウト、ケビンやユエン。

 彼らは大金を容易く稼ぐことが出来る力を持っている。

 ルフィアは違う。

 偶然に転がり込んだものを、大事に握りしめていただけだ。


「実は、やりたいことが出来たんですよ」

「ほぉ」

「きっとこの先、今回やヴァロータのような妙な事件が増えます。それの芽を潰しながら稼ごうかなと」


 囚われ、身に覚えなく狙われていると理解した。

 だからこそ、抗うと決めた。

 街が燃え、人々と魔者が争う姿を見た。

 それを見て、街を救える力を持った者の一助をしようと思った。

 そして自分を庇い、人が大きく傷ついた。


「教会からも頼まれていたんですけど、わたし自身があまりやる気になれなくて。これまでは、あくまでオルレニアさんの手伝いだったんですよね」


 ルフィアは悪魔を相手にできる実力がある。

 なら、各所で起きる事件を早々に捉えれば、一人でも対処できる。


「ドルフさんが怪我したのを見て、どうせなにをしていても他人を巻き込むんだなと思って。ならいっそ、もっと自分から行こうと思ったわけです」


 ドルフは話を聞きながら、短く刈った髭を撫でて笑う。


「よくわからねえが、お前ぇは好戦的だからな。そのほうが合ってるだろうよ」

「好戦的って」

「悪い意味じゃねえよ。冷静に考える頭はあるしな」


 言われて、否定はできない。

 戦いに感じる血の昂ぶりは、決して気の迷いではないとわかっている。


「まあ、そういうわけですので。わたしの宣伝はお願いしますね」

「あー……」

 立ち上がろうとすると、ドルフが眉間にしわを寄せて間延びした声を上げる。

「どうしました?」

「いや、大金貰ったからな。教えておいてやる」


 座れ、と手で促され、再び腰を下ろす。


「宣伝のやり方と、恩の売り方。あとは雇い主を裏切る際の上手いやり方。……お前ぇには、必要そうだからな」


 言われて、思わず笑ってしまった。


「たしかに、特に最後のひとつは気になります」

「まあ、小手先の技術だな」


 なんだかんだ、傭兵がひとつの街で暮らしていくのは技術がいる。

 まともに生活できる額を稼いでいるのだから、ドルフの専門は口のほうだろう。


 

 そうやって始まった話は窓から差す光が夕色に染まる頃まで続いた。

 ためになる話かと言われれば、そうだったのだろう。

 しかし嫌というほどに身に付いたのは、ドルフが嘘に塗れた占いがもっとも得意なのだという事実だった。



 〇〇〇〇



 復活の儀式に使われていた地下室に、蝋燭の明かりによく似た二つの影が揺れる。

 頭蓋骨が露出し、半ば壊れた山羊頭が青い糸によってがんじがらめにされていた。


 カフリノへの抵抗にほとんどの力を使ったのだろう。もはや肉体を修復する力もなく、ただされるがままに悪魔は濁った目で周りを見ていた。


「あなたは、ルフィアさんを傷つけようとした」


 細く、掠れの混じったその声はカフリノのものだ。

 言葉が紡がれるたびにその身を包む青い光が揺らめき、悪魔を縛る糸が震える。

 白い指が悪魔の顔に触れ、その酷く冷たい瞳が悪魔を映す。


「あなたは、ルフィアさんの知り合いを傷つけ、その心に傷を与えた」


 一言一言を、ささやくように告げていく。


「わたしは、それが許せない」


 カフリノの肉体は、どこまでも人と類似した物質で構成されている。

 だというのに、生気を感じないほどに冷たい表情。

 アルテはそれが、本来のカフリノであると知っている。


「ねえ、わかりますか」


 声をかけられた悪魔の頭を、青い光が包む。

 虚ろだった悪魔が表情を変え、苦悶の呻きを上げる。


「罪には罰を。わかりますか?」


 悪魔の黒い瞳が、青く染まる。

 その頭の崩れた断面から、黒い液体がどろりと垂れる。


『ぐ――ァぁッ!!!』

「傷は、痛むもの。わかりますか?」


 これは、カフリノの力だ。


 アルテの歌は物の形で表れ、影響を与える。

 カフリノの歌は印象の形で表れ、影響を与える。

 その二つが合わさることで、『歌姫』の力は完成する。


「悪いひと。あなたは悪だから、深く、罰を受ける」


 しかし、アルテが自らの力だけでサイラスを破壊したように。

 カフリノも、己の力だけで相手の思考に触れ、破壊できる。

 文字通りの感動を与え、狂わせる。


 痛みを味わうことのない悪魔に痛みを与え、人が味わう強い痛みを奪える。

 それはあくまでそういった印象を覚えるだけに過ぎないが、使い方を理解してしまえば、人の喜怒哀楽すら自在に操れる力だ。


「あなたは何者でしょうか。あなたはどこから来て、なにをしたくて、どうなりたいのでしょうか。望みは、かなうでしょうか」


 だからこそ、カフリノは最高の尋問官だった。


 悪魔の『黒』に、青い線が混じっていく。

 もはや、まともに思考は機能していないだろう。『色の力』のほとんどを消耗している悪魔は完全に無防備な状態で、心のそこまでカフリノに浸食されてしまう。


『俺、は』


 悪魔が口を開き、言葉を溢しはじめた。


『憲兵として、サイラス様と共に、歌姫をとらえ、その色を糧として、王の復活を』


 悪魔の瞳は焦点を失い、ぐるぐると回っている。

 口の端からは黒い液体が滴り、顔に青いひびが入っている。


『しいたげられた黒の民――再び、安寧の世界をえるために――六人の騎士よ、我らを導きたまえ――』

「美しい場所、名前をつけましょう」

『ジフルエ、我ら終の城――深き山領の先に――』

「きっと覚えています。あなたは、同胞を愛しているから」

『意思の山――ひとつとなり――琥珀に眠る――』


 そう言い切ったとき、悪魔の顔が灰の山に触れたときのようにぐしゃりと崩れた。


 そのまま、ぼろぼろと黒い滓になって床に積み重なっていく。

 繋がれていた青い糸がほどけ、カフリノの身体に戻った。


 一息吐いて、カフリノが振り返る。


「……終わりました。アルテ姉さま」

「おつかれさま、カフリノ」


 つい数拍前までのような冷たい表情は溶けて、やわらかな微笑を湛えている。


「久しぶりだと緊張します」

「すこし緊張しているくらいがいいと思うわ。危険だもの」

「そうですね。魔者の方々はとても心が強いですから」


 カフリノの力は他人の心を浸食する。

 しかし、それは相手の『色』に深く干渉することであり、相手の『色』がカフリノを呑み込もうと力を発揮すれば、カフリノ自身が危うくなる。


 少なくとも、同格には使えない能力だ。

 正直アルテとしては、どんな相手にもあまり使ってほしい力ではない。


「カフリノ、調子は大丈夫?」

「はい。この部屋を出ると危ういかもしれませんけれど、口を噤んでいれば」

「安定するのが待ち遠しいわ。本当に」


 そう言って触れれば、カフリノの『青』が身体に入ってくる。

 痛みもなく、身体に馴染む感覚がする。


 カフリノは、宝石だ。

 人を魅了し、人を映し、人を呑む。

 アルテはそんな宝石に、ずっと魅せられている。


 傷がつかないように守り、もっと輝くように磨き、肌身離さずに側にいる。


「姉さまがいれば、わたしは安定しなくても大丈夫ですわ」


 そう口にするカフリノの身体に、アルテの『赤』が入っていく。


 生まれる前から二人の『色』は絡み合い、互いを変質させている。それは通常であれば、『黒』に堕ちるほどの変色だ。

 しかしそうでなければ、二人は完成しない。

 深く交わることで、二人は『歌姫』となるのだから。


「……さ、ヴィエナ様に報告しましょう」

「はい。内容は覚えていますか?」

「……わたくしは覚えていないけれど」


 眉をひそめるアルテに、カフリノが失笑する。


 きっと交わった力を使う最初の時は、そう遠くない。

 悪魔の言葉を精いっぱいに思い出しながら、アルテはそんな予感を覚えていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白雪の傭兵 あたりひ @touca

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ