第49話

 大剣と聞いて想像するのは、刃渡りが足の長さほどもある剣だ。

 力仕事に従する男でさえ振り回されるほどの重さを持つそれは、力自慢と見目の良さから、田舎の英雄がよく好む。

 そんな大剣が、まるで玩具に見えるほどの剣。

 大男の身長ほどもある特大の剣を見たのは、ドルフにとってひとつの転機だった。


「オラァッ!!」


 腰を落とし、思い切り引き寄せながら石槌で凪ぐ。

 先端についた石球が、突き出された太い腕をひしゃげさせる。


『貴様……!』

「っええいッ!」


 めり込んだ石球を離し、踏み込んで腹部に打ち込む。

 勢いと体重をかければ、悪魔の巨体がぐらりと揺れた。

 それで片付く相手ならばドルフは軽口でも叩いていただろう。

 急いで石槌を手繰り寄せ、後ろに振る勢いで身体を翻す。直前に立っていた石畳の地面が、巨大な拳でひび割れる。


「ふ……っ」


 短く息を吐いて、動向を図る。

 一撃でももらえば致命傷だ。


「ろくでなしを続けてよかったぜ」


 いつもより視界がはっきりと、鮮明に映る。


「こんな戦いが出来るなんてよ!」


 今、『大熊』を名乗る男。

 身の丈ほどの特大剣を操りながら、小細工が上手い男。

 力自慢のドルフを軽く正面から打ち破り、戦場をかき回した化け物。

 名前はゲルダン。どこの出身か知る者はいなかった。


 そして、過去に『大熊』と呼ばれた巨大な熊の魔獣。

 伝え聞いただけの話でありながら、頭にこびりついて離れない。

 身体を起こせば小山ほどはある魔獣だったらしい。

 投石をかわす身軽さ、大弩さえ弾きうる表皮。領主が集めた兵を蹴散らし、それは文字通り森を支配していた。


 それを打倒したのが、ゲルダンだ。


 そうだ。

 『大熊』はこの悪魔程度では済まない。


 ゲルダンは魔獣を倒し、代償に致命傷を負い、噂すら消えた。

 再戦を望む心もむなしく、居場所さえわからずに、数年が経ち。

 小柄な白い少女が話に上げるまでは、ドルフは腐っていた。


「お前ぇは、大熊の余興だ」


 腕が震える。

 いっそ気を失いそうなほど、血が昂っている。

『大熊』が姿を消して以来、何事もやる気になれなかった。

 呑み仲間が持ってくる適当な仕事だけして、あとは酒を浴びるだけで、まるで起伏のない日々を送っていた。


 十年前より力は衰り、冴えた勘も失った。


 だが、腐っていた時間を燃料に、燃え上がる興奮が身体を包んでいた。


「ハハッ!!」


 突き出された手刀を屈んでかわし、振り上げる足を石槌で受け流す。

 流しきれない勢いを利用して反転し、そのまま横腹に石球を叩きつける。

 噛みつこうとする頭に組み付き、悪魔の目に短剣を突き刺す。

 与えた傷が、数拍のうちにふさがっていくが、息吐く間もなく攻撃しなければ、勝ち目はない。


 理不尽だ。

 だが、怪物とはこういうものだろう。


『気狂いめが……っ』


 振られた腕をかわしきれず、石槌で受け止めて吹き飛ばされる。

 細かい血が飛び散った。

 どこかに傷が出来たようだ。

 大通りの中央に転がれば、悪魔はとどめを刺そうと足を上げる。


「下手くそが」


 持ち上げた足の下を駆け、石槌を軸足に叩きつける。

 足首がへし折れ、悪魔の身体が倒れた。

 間髪入れずに、その首に石槌を振り下ろそうと構える。


『仕方、ないッ』


 刹那、悪魔の気配が変わった。

 目を見開き、決意を固めた顔。


『”止まれ“!』


 どろりと、嫌な空気が肌を撫でた。

 突然、ドルフの身体が停止する。


「あぁ?」


 特別頑丈な糸で全身を縛られているように、ぴくりとも動けない。


 石槌は勢いで振るものだ。持ち上げた姿勢のまま停止することは、ドルフであってもそう長く続けられるものではない。


 しかし、動かない。

 腕を上に向けたまま、石槌を持ち上げたまま、身体が固まった。


『勘付かれる前に』


 折れた足首を治し、悪魔は空を見上げる。

 その全身から、黒いもやのようなものが立ち昇っている。


 似たものを見たことがある。

 錬金術師の二人組が、屋敷の前で投げていた。


「……つまんねえことしやがる」

『急がねば』


 悪魔はまるでドルフに興味がないかのように、明後日の方向を見る。


 逃がさない。


 興奮が煮え立たせる心中が、動けと身体に命じ続けている。

 脳内に、次の瞬間の光景が絶えず更新されていく。

 砕いてやる。

 目の前の悪魔を。


 ――悪魔が、手刀を突き出した。


「動けェ!!」


 肉体の底から吹き出るような声が上がれば、身体も動いた。


 手刀と石槌が衝突し、強い衝撃にたたらを踏む。

 だが、悪魔も咄嗟の出来事に驚いているようで、動きを止めた。


『……馬鹿な! 加減しすぎたか!』


 悪魔は自身の手を見ながら、驚きの声を上げる。


 ちょうどいい。

 深呼吸して、腕のしびれが引くように身体から力を抜く。


 石槌を握り直し、地面を踏みなおす。

 見上げれば、悪魔の目がドルフに向いていた。


『貴様、なぜ我の邪魔をする』

「お前ぇが強いからだ」

『あの娘を守るためではないのだな?』

「ルフィアのことか? なんでアイツが出る」


 わずかな時間だが、会話のなかでしびれは引いた。

 この悪魔は、戦いに慣れていない。

 すべての攻撃が安直で読みやすく、中途半端に考えるせいで行動が遅い。

 会話に意識を割いている状況なら、一瞬でも反応は遅れるだろう。


『ならば、後に殺してやる。今は邪魔をするな』

「あ?」


 会話に応じる素振りをしながら、石槌を振り上げる。

 それは確実に、悪魔の下顎に直撃した。

 バカリ、という音。巨大な骨を砕く手ごたえが確かにあった。

 だが悪魔は大きくのけぞりながら、明後日の方向に身体を向けた。


「あ、おい」


 力強い足音を鳴らして、悪魔が特区の入り口に向かって走り出す。


「っ待ちやがれ!」


 悪魔の一歩の大きさに歯噛みする。

 ぐんぐんと遠ざかっていく悪魔の背を、ドルフは全力で追いかけた。



 ◎◎◎◎



 特区の門をくぐり、通りの隅を歩いていた。


 気のせいではない。

 胸騒ぎがする。

 ルフィアはウラガーンとカフリノを背後に、腰に帯びた剣に手を伸ばした。


 ぴり、と緊張の気配が背後から伝わってくる。

 声はない。

 二人とも、声は出せないからだ。


「なにかいます、気を付けてください」


 静かな夜のなかで、妙な胸騒ぎだけが強くなっている。

 今の服装は戦いに向いていない。裾の長い貫頭衣に、同じく長い外套は動きの妨げにしかならない。


 この感覚は、悪魔が近くにいるときの気持ち悪さだ。

 現状で戦うのは、あまり得策とは言えない。


「おそらく、崩れた色彩の生き残りかと」


 剣を抜く。

 月明かりに、鈍色の刀身が光る。


 臨戦態勢の相手に不意打ちを行うのは、そう簡単なことではない。

 攻撃されるにしても、敵も慎重になるはずだ。

 そう考えて視線を巡らせれば、人影が見えた。


「あれは……」


 大柄に、特徴的な形の大槌。

 焦茶色の髪と髭を短く刈った男が走ってくる。

 その胸当てには血が付着しており、その様相は警戒するにふさわしい。


「ドルフさん?」


 一度は敵になった男だ。

 再びそうなってもおかしくはない。

 ドルフに向かって剣先を向ける。

 剣の間合いまで十歩ほどのところでドルフは驚いた顔をして、口を開いた。


「ルフィアッ!!」


 声が掠れるほどの大声。

 背後で、ウラガーンが狼の姿になるのがわかった。

 カフリノの『色』が膨らんだのがわかる。


「家んなかだ!!」


 ドルフが指したのは、ルフィアのすぐ隣の壁。

 ルフィアが立っていた左には、錬金術師の屋敷がある。

 丈夫な煉瓦作りの、小さな屋敷だ。

 そう簡単に壊れるわけがない、ルフィアが最も警戒を解いていた方向。


 ――壁が砕け、山羊頭の緑の目が光った。


「くッ!」

『死ねェエエッッ!!』


 感覚が加速する。世界が緩やかに見えるようになる。


 悪魔の両手の爪が煌めく。

 開いた口から、腕の太さほどもある牙が生えている。

 全身から黒い瘴気があふれ出て、呑み込もうとしている。


 持ちうるすべてを使って、悪魔はルフィアを殺そうとしていた。


 痛みが来る。


 その予測に、背後へ跳びながら脱力しようと息を吐く。


 その視界で、青い光が揺らいだ。


「”アケルテ・ネテルエ”」


 細い声が響き、青い結晶が悪魔の全身を刺し貫く。

 青く光る糸が絡みつき、引きちぎる。

『黒』の瘴気を払いながら、繊細な破壊が悪魔を包む。

 腕が吹き飛び、頭の半分以上が砕け散る。

 ルフィアに到達するまでの一瞬。


 わずか一歩の間で、悪魔の身体の半分以上が破壊される。


『”ヤロ・ティケルテ(我を守れ)”ッ!』


 だが悪魔は叫び、青色に抵抗した。


 緩やかに見える光景のなかで尋常ならざる執念を持つ目が、ルフィアだけを捉えている。

 カフリノの全身から放たれる青い光が悪魔の上半身を溶かす。両腕が千切れ跳びながら、それでも悪魔は片腕に『黒』をまとって、突き出した。


 間に合わない。


 悪魔の貫手が、胸に突き刺さる。


 そんな状況を幻視する。


 かわせない。

 息が、詰まる。


「はッ」


 そう思った時には尻もちをついていた。

 緩やかだった世界が、元に戻る。

 なにが起きたのか。

 誰かが、ルフィアを後ろに引っ張ったのだ。


「残念だったなァ、悪魔さんよ」


 石槌が地面に落ちる。

 ゴォンと音が鳴り、石畳の割れるその衝撃はルフィアにも伝わってきた。


 目の前で、悪魔の身体が首だけを残して消滅している。残った頭さえ、無数の青い糸に絡みつかれ、半壊している。


「俺と戦ってたほうがまだマシだっただろうに」


 ルフィアの手に、熱いなにかが触れた。

 視線を向ければ、わかりやすく真っ赤に濡れた手があった。

 その原因を辿れば、石槌を握ったままの腕が根元から落ちて血を流している。


「ドルフさん」


 こぼれ落ちるように、名前を呼んだ。


「おう」

「なに、してるんですか」


 右腕ごと肩口が大きく抉れ、ドルフの半身が血に塗れている。

 その理由は、考えるまでもなかった。

 ルフィアをかばい、悪魔の貫手を受けたのだ。


「あー……コイツと戦ってたんだよ。逃げ出したから、追いかけて来たとこだ」

「そんなことを、言ってるわけじゃありません」


 頭が真っ白になりそうな感覚に眩暈を起こしながら、立ち上がる。


「その怪我――うそ、カフリノさん、治療しないと!」

「無茶ァ言ってやんなよ」


 カフリノに目を向ければ、険しい表情を浮かべながら、ドルフにその手をかざす。

 青い光がドルフの傷に集まり、血の流れが緩やかになる。

 しかし傷がふさがることはなく、あくまでも治癒には至らない。


「ほぉ、こりゃいい」

「なにがいいんですか! そんな、怪我で!」


 立ち上がり、立ったままのドルフの半身に外套を思い切り巻きつける。

 思い切り締め付けても、血はまるで止まらない。応急処置ができる傷ではない。

 治療院に連れていけば助かるだろうか。


 だとしても、悪魔をどうすればいい。

 このまま、殺していいのか。


 考えている間にもドルフは脂汗を浮かべ、呼吸を荒くしている。


『ルフィア』

「ウラガーン」

『その男を私に乗せろ。錬金術師に診せればいい』

「わ、わかりました!」


 そうだ。屋敷にはオルレニアもいる。

 連れていけばなんとかなるかもしれない。

 すでに意識が朦朧としているのだろう。なんとか立っているドルフの半身を支え、半ば押し倒すようにウラガーンの背に乗せる。


「”この魔者はお任せください”」


 カフリノの声が、『青』をまとって響き、その周囲の石畳が結晶化した。

 悪魔の目が、ルフィアを見ている。

 ただ微動だにすることも出来ず、その目だけが執念を伝えていた。


「……行こう、ウラガーン」


 風を切る。

 ドルフの半身を支えていれば、その体の熱を、鼓動を感じる。

 その一拍が鳴るほどに、生命が削れているように思える。


 命の音が、減っていく。

 その事実に、強い吐き気を覚えた。



 ◎◎◎◎



 屋敷の談話室で、ルフィアは暖炉に当たりながら、乾いた血のついた腕をぼうっと眺めていた。頭のなかを暗い渦が回っていて、考えがまとまらない。

 血を見るのは珍しいことではない。

 よくあることなのに、全身が腐ったかのように苦しく、重い。


「傷は治るが、その記憶は引き継がれぬ」


 談話室に来て「死ぬ事はない」と告げてから沈黙していたオルレニアが口を開いた。


「……どういう、ことですか?」

「色の力により、欠損を修復する事は可能だ。だが、其れは肉体を新たに生成する事に他ならぬ。肉体の記憶は失われ、動かす事すら儘ならぬであろう」

「元通りには出来ない、ということですか」

「数十年の経験を失った腕が肉体に馴染むには長い時が必要だ。色に親しき者であれば問題は無いが……奴に、素養は無い」


 オルレニアは小さく息を吐いた。

 言うまでもなく、ドルフはただの人間だ。

 腕を失うほどの大けがで生きていられるだけ幸いとは言えるだろうが、その理由がルフィアにあるのだから、そんな風には笑えない。


 ――笑えないなんて、どの口が、どの思考が言うのだろうか。


 そんな言葉を思うことすら無礼で、恩知らずだ。

 原因は、自分にあるのに。


「ルフィアよ」


 ふと、オルレニアがルフィアの側に腰かけた。


「所詮は、他人の行動だ」

「……自分を助けてくれた人に、そんなことは思えません」

「如何にも。貴様は奴に救われた。其れは、貴様の中では完結し得ぬ問題である。其れが例え奴の勝手な行為であったとしても、その行為に報いる事が貴様の誠意であろう」


 視線を隣に移せば、オルレニアは暖炉の炎を瞳に映していた。

 しかりつけるような言葉だが、その声色は落ち着いている。


「信頼は誠意に依って生まれ得る。貴様は、何を以て其れを示す」


 オルレニアはいつも、ルフィアを肯定する。


 事実を告げ、筋道を示し、問いかけによって自責の念を和らげる。

 実際に、その問いを思考すると気分が落ち着いてくる。

 自分が今、ドルフに出来ることをしなければ。

 償いの方法を考えなければと、光明に手を伸ばせてしまう。


 それでも。


「自分を許さないことです」


 自責が、他人に寄与することなど滅多にない。

 それをわかっていて尚、今はそう答えたかった。

 苦しい心を責め立てることで、自分の過ちを心に刻み付けたかった。

 二度と、こんなことがないようにと。


「それが、誠意です」


 ドルフはきっと、馬鹿野郎と鼻で笑うだろう。

 大けがを負って尚、あんな態度だったのだから。

 それでもルフィアはそこまで強く在れない。人に犠牲を強いて、自責に苦しまない人格にはなれない。


「そうか」


 オルレニアは、否定しない。

 静かに、低く響く声で。


「其れは一つの答えであろう」


 はっきりと、こちらの領分に踏み込まないような言葉を突きつけてくる。

 あくまでルフィアを尊重する。

 それはきっと優しさに見えるもので、ルフィアが信じたいもの。


 カフリノから教えられた疑念を、忘れてしまいたくなる。


「わたしは……」


 波乱万丈と呼んでいい日々が続いて、緊張と緩和に疲れているのかもしれない。


 思考が回らない。


 暗い渦に沈んでいくように、眠気によく似たなにかが這い上がってくる。


 暖炉の灯がぼやけ、視界に染み付き、次第に膨れ上がっていく。


 そうやって、意識がまどろんでいるときほど、音はよく聞こえた。

 壁の向こうからだろうか、よく通る声は、『歌姫』らしい。


 ――殺すべきと、考えます。


 カフリノの細い声。


 ――罪に見合う、苦痛と代価を与えましょう。


 ひどく酷薄で冷徹な声色で響くのは、たしかにカフリノの声。

 どこかに優しさを湛えたまま、ひどく恐ろしく聞こえる声。


「……今は休め」


 そう告げて、オルレニアが部屋を出ていったのがわかる。


 いつの間にか、肩から毛布をかけられていた。


 その裾を強く握りしめて、丸くなる。

 香木を焚いて付けたのだろう、穏やかな香りに力が抜ける。


 どこかで、似た香りを嗅いだような、そんな記憶が溢れてくる。


 ――こんなでも明日は来るんです。辛抱してくださいよ。


 粗野な男の声。


 雪が積もる森を幻視する。


 ルフィアにとってそれは、どこかに根ざした傭兵の声。


 義理高く、誇りを持った傭兵の声だった。

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