第47話

 目が焼けてしまいそうなほど眩しい雪原。

 春になっても、しばらく雪は残る。あちこちに溢れるほど残っている雪たちが溶け始めると、泥と化した土が姿を現す。


 そうなる前に、商人や旅人は一斉に移動を行う。

 冬と春の境目、北の地で起こるそれは、俗に大移動と呼ばれていた。


 冬の間は街にこもりがちな傭兵たちも、大移動の際には姿を消す。大量の大商隊が動くとなれば、傭兵は引っ張りだこになるからだ。


 そして大移動を経験した傭兵たちは皆、口を揃えてこう言うのだ。


 あれは戦場だ、と。



 ◎◎◎◎



「それで、俺はそろそろ行くからよ。その前に使いを頼まれたってわけだ」

「わざわざありがとうございます。エメレイさん」

「報酬も貰ってるから、気にすることねえよ。元気でな」


 見た目を偽ったアルテとカフリノに連れられて街の昼食に向かう途中、特区の門を越えた先でエメレイに話しかけられた。

 特区に入るためには錬金術師の知り合いがいるか、領主からの通行許可を示す書状が必要であるため、エメレイはルフィアたちが出てくるのを待っていたらしい。


「ところで、これは?」


 手渡された便箋は、白い封蝋で閉じられている。

 そこに描かれた模様にはなにか意味があるのだろうが。ルフィアはそもそも手紙というものにあまり触れたことがない。


「教会の紋章だろうが。嬢ちゃん、知らずに関係してんのか?」

「……知りませんでした」

「騙されてそうならさっさと縁を切ることを勧めるぜ。まあ、俺がとやかく言うことじゃねえんだけどよ」

「いえ、大丈夫なはずです。たぶん」


 教会からの連絡といえば、悪魔に関することのはず。

 プラーミアで起きた事件のことは、既に耳に入っているらしい。ルフィアたちがプラーミアにいることを知っている司教が、急いで連絡したといったところだろうか。


「それと嬢ちゃん、変装のつもりだろうが、髪を灰色にした程度じゃ目立つぜ。ただでさえ女だけで動いてるんだから、もっと警戒しろよな」

「警戒?」

「嬢ちゃんはいなせるだろうが、普通の女子供は大の男に襲われたら危ねえんだよ。おまけに今は色々あって治安も悪い。気をつけろよ」


 ちらと背後のシクル姉妹に目を向けると、茶髪の町娘に化けた二人は首を傾げ、にこりと微笑む。

 この二人をどうにかできるなら、大の男たちもすごいものだ。


「あー……わかりました。なんだか、親切にされてばかりですね」

「嬢ちゃんは危なっかしいんだよ。あんま無理しすぎんな」


 呆れた顔でエメレイはルフィアの肩を叩いた。

 エメレイは大体ルフィアより十歳ほど歳上のはずだ。

 これまでの経験から、純粋に心配してくれているのだろう。


「大丈夫ですよ。わたし、貴族ですし」

「うるせえ。二度は騙されてやれねえからな」

「ふふ、本当にありがとうございました。色々と」


 ため息一つ。

 エメレイが差し出した手を握り、軽く拳を突き合わせる。

 そして布に包んだ短槍を担ぎながら去っていくエメレイを見送った。


「良い人ですわね」

「あの人、わたしに二回殺されかけてるんですよ」

「でしたら、本当にお人よしですのね。わたくしなら優しくできる自信がありませんわ」

「傭兵はもともとそういうものですけど、たしかにあの人は優しすぎるかもしれませんね」

 仕事と私情はべつ。

 傭兵の仕事を続けているうちに、勝手に学ぶものだ。

 たとえ嫌でも、昨日笑いあった相手が敵になることが往々にしてある職業である以上、生活していくうちに理解することになる。

 優しいとはいえど、エメレイも軽口を叩きながらルフィアの命を何度も狙った男だ。


「それ、持ったまま移動するのは不味いかしら。一旦屋敷に戻ってもよろしくてよ」

「うーん……でも、おなかは空きましたし……」

「なら持ち帰りましょう。少しはずめば包んでくれるはずですわ」

「あ、いいですね。どうせユエンさんたちも何も食べてないでしょうから、人数分買って行きましょう」


 アルテと二人で過ごすのは、オルレニアたちがいない間に随分と慣れた。

 上品な口調と所作とはまるで想像できないほど、アルテは庶民的な考えも持ち合わせている。きっと、一人の時間が長かったからだろう。


 話していると、アルテの後ろからカフリノが覗き込んでくる。


「カフリノさん?」

「姉さまがこんなに話してるのは珍しい、ですって」

「それは、どういう?」

「……わたくし、昔は口下手でしたのよ。よくいろんなところで喧嘩して、その度にカフリノが謝る役で……思い出したくない記憶ですわ」

「なるほど」

「恥ずかしい話ですけれど、カフリノがいなくて一番困ったのはそこだったかもしれませんわ」


 そう、目を細めて笑うアルテの隣にカフリノはいる。

 その光景に、なんとなく胸にあたたかいものを覚えた。


 血を流し、必死になって『崩れた色彩』を食い止めた戦いには意味があった。


 たとえ一時の関係であっても、そこに忠実であること。

 ルフィアの思う傭兵の姿に、一歩近づけたような気がした。




 ◎◎◎◎




「司教より、事情を把握次第、追って連絡するとの事だ」


 昼食の後、便箋を開いたオルレニアは、取り出した手紙を一瞥してそう言った。


「追って連絡って……できるものなんですか?」

「教会の力は強大という事だ。我らの居場所を特定し、使いを寄越すつもりであろうな」


 たかが傭兵程度に、随分と手間と金のかかることをする。

 教会の権力が如何ほどのものであるか、見せつけるという意味もあるのだろう。

 北の地の商会のなかで三指に入るノーグ商会ですら、このような連絡方法は使わない。せいぜいが各支店に伝言を置く程度だ。


「じゃあ、プラーミアから移動しても大丈夫なんですね」

「ああ」

「おや、行ってしまうのかね」


 暖炉に向き合っていたユエンが振り向く。

 片手に持つ透明な硝子で作られた試験管のなかには半透明な朱色の液体が入っており、それを沸騰させながら何かを調合しているようだった。


「もう少し滞在してもいいんですけど、今のうちに移動しないと大変になるので」

「まあ、そうかい。なら契約も終了としよう。君たちには楽しませてもらったよ」


 それだけ言うと、ユエンは再び暖炉に向き直った。


 契約というのは、出会った頃に支払われたものだ。

 ひと月分程度の契約金に加えて住居や食事も賄われていたため、割りの良い仕事だった。


 つい二月前のルフィアであれば、目も眩むような待遇だろう。


「とは言え、まだ行き先も決まってないですからね」

「アレクセンの把握は此処までだ。他の騎士の居場所など、見当も付かぬ。故に以降は各地で情報を集めるが良かろう」

「そうですね。さすがにちょっと疲れましたし……」


 肉体的にも、精神的にも。

 短い時間でいろいろなことが起こりすぎて、少しばかり気疲れしていた。

 ルフィアの苦笑に目で応じてから、オルレニアは口を開く。


「して、ルフィアよ。大移動とは何だ」

「……オルレニアさんに初めて質問されたかもしれません」

「元より我は貴様に現代を教わるつもりであったのだがな」

「そういえば、そんなことも言ってたような」


 オルレニアが傭兵としての活動を助け、ルフィアは現代の知識をオルレニアに与える。

 そんな取引めいたものを、最初に話した気がする。

 すっかり忘れてしまっていたが。


「移動に際し、都合の良い移動手段は有難い。大移動とは、其の類か」

「ええと、そうですね」


 ん、と小さく咳払いして、ルフィアは蜂蜜入りのしょうが湯を嚥下した。

 乾いた空気にほのかに掠れたのどが、温かく潤う。

 頭のなかで情報を組み立ててから、声にした。


「大移動は、雪解けが始まるときに起こる、商人や旅人たちの移動のことです。雪が完全に溶けて土が泥になったり、冬眠から覚めた獣たちが森から出てくる前に、出来るだけ移動してしまおうということですね」

「隊商同士の諍いの仲裁や基本の護衛、数を雇い、周囲に余裕を見せつける……傭兵にとっては稼ぎ時という訳だな」

「はい。無名の傭兵でも、一斉契約で仕事にありつけます。わたしがヴァロータから離れた経験の大体は大移動のおかげです」


 ゲルダンに連れ出され、強引に隊商に放り込まれたときの不安が懐かしい。

 偶然にも往復の隊商に転がり込めたが、運が悪ければヴァロータに戻れなかったことを思うと、勉強としては強引だったと思わないでもない。


「其れだけでは無いな。大移動が起きる所以は他にあろう」


 わずかに思案したオルレニアは、便箋を閉じながらルフィアを一瞥した。


「そうですね、わたしも詳しくはないんですけど……」

「構わん」

「一応、あとでアルテさんたちにも聞いてみてください」


 前置きしてから、ルフィアは記憶をたどる。

 あまり複雑なことを考えるのは得意ではないが、傭兵として生きていくためにつけた知識だ。


 少し考えれば、言葉はある程度形をなしてくれた。


「オルレニアさんは、北の地の情勢について知っていますか?」

「地図を軽く見た程度だ。教示賜るとしよう」

「おおまかな話で言うなら、北の地は中央、東西でかなり文化に差があります。中央と東は一つの国で、西側は異民族が住まう山嶺。わたしたちがいるエイゼンシュテイン領は東よりの中央で、ノヴル・アニエ北王国の一部です」


 とん、と机の上を指しながら、大体の位置関係を示す。


「元々北王国は面する南の国と対立してたんですけど、数十年前の戦争以降、北の中央南にあるヴァロータを通して交易が行われるようになりました。戦争が長引いて南側諸国の統率が崩れたり、北王国側も西の異民族との戦いが激化したりと、なし崩し的に手を組むしかなかったというのが原因でした」

「異民族との戦いが激化とは、どういう意味だ」

「聞いた話だと、それまで雑だった戦い方が戦略的になり、受け身だったはずの異民族に逆に侵攻されかけたのだとか」

「ほう」

「関わる傭兵が少ないのであまり話は聞かないんですけど、そもそも異民族には戦力さを覆すほどの猛者が多く、長い間、膠着状態が続いてるんです。冬の間は土地の都合上、侵攻すらままなりませんから、北王国は毎年、冬の終わりに軍を動かしはじめます」


 話している途中で、オルレニアは理解したようだ。


「つまり、大移動は遠征の後援に向かう隊商の影響か」

「そう、らしいです。本当はもう少し早く動きはじめてるんですけど、冬の間、大商会以外はそこまで余裕がありませんから」


 冬の間も盛況に活動出来るのは、冬の恩恵を見る余裕のある者だけだ。


 余裕のない者からすれば、冬は厳しく、特に森などは悪魔の口と呼ばれる。

 オルレニアと出会うきっかけ――一攫千金を狙っていた商人、チオルは、そんな冬の森に食われた一人と言っていいだろう。


「理解した。何とも貴様らしい説明であるな」

「わたしらしい、ですか?」

「己の知識をそのまま口にしている。容易くは出来ぬことだ」

 褒められているのかわからない言葉に、表情が困ってしまう。

「それって褒めてます?」

「さてな」


 オルレニアは口角を上げて、薄く笑みを浮かべる。


「して、此れよりは真に貴様の旅となろう。行きたい場所はあるか」

「わたしの旅」

「我ら古き者の事情が関わらぬ、貴様の旅だ」


 一度目を瞬かせてから、ルフィアははあと頷いた。

 旅の目的は二つある。ルフィアが傭兵として育つことと、『崩れた色彩』と戦うための戦力を集めることだ。

 教会の申し出も併せれば重要であるのは間違いなく後者であり、ルフィアのためにそれを中断するのは些かためらいもある。


「良いんですか?」

「構わん。情報収集も兼ねる故に」

「それなら、実はわたし、行ってみたいところがあるんですけど」

「ほう」


 ルフィアは昔、旅の吟遊詩人に聞いた話を思い出す。


 色の薄い北の地において、夏の豊穣が見られる場所。


 かつて多数の民族が争い続けていた北の地を平定し、国を築いた王が最初に座した街。


「要塞都市アルターリалтарь。祭壇の意味を持つ、北の主要都市です」


 ――戦の前にはアルターリを通れ。


 傭兵たちの間では有名な願掛けであり、実際にアルターリを経た傭兵は精強であることが多いという。

 そして大移動の隊商のほとんどはアルターリを通る。

 これから移動するのであれば、非常に都合が良い街だった。


「アルターリに行くのかね」


 ふいにユエンが暖炉の前から立ち上がり、振り向く。


「どうでしょう、オルレニアさん」

「貴様が望むならば」

「という感じです。なにか伝手でもあるんですか?」

「いや、伝手はないがね」


 そうとぼけた顔で応えながら、ユエンは手に持っていた試験管を集合灯に透かし見る。


「あのあたりの傭兵は今、派閥争いをしている。面倒なことになると思うよ」

「派閥争いですか?」

「ああ。詳しくは聞かないでくれたまえよ? 知らないのでね」


 朱色の液体を見てなにかに満足したのか、ユエンはそれだけ言って部屋を出ていく。

 続けて質問しようとしていたルフィアは、開けた口から言葉にならない息を吐いた。

「如何する」

「……どんな派閥争いでも、崩れた色彩が関わらないなら楽なものだと思います。アルターリに向かいましょう」

「良かろう」


 我ながら、妙な自信を身に着けてしまったものだ。


 とはいえ、とても敵いそうにない相手が目の前に良かった。

 以前のルフィアであれば、貴族や錬金術師からの仕事を二つもこなせば、鼻高々になっていただろう。

 今のところは、オルレニアがいるからありつけた仕事なのだ。


 アルターリでは自分の力でなにかを成し遂げよう。

 ルフィアはそう思いながら、しょうが湯をぐいと流し込んだ。



 ◎◎◎◎



 暗闇のなかを、這いつくばっていた。


 全身が焼けるように熱い。


 いや、本当に焼かれたのだ。


 あの、忌々しい『赤』によって。


「兄上……」


 石畳の上に打ち捨てられた、小石のような欠片を手に取る。


『灰色の憲兵』にして、血を分けた兄。


 ガロと呼ばれた彼は、もはやこれだけしか残っていない。破城槌すら腹で受け止めてしまえる強大な悪魔だったはずなのに。


 つい先日まで、あんな脅威はなかった。


 サイラスたちと共に数年間、大戦時代の『色の騎士』を探し、ようやく突き止めた。


 本来ならば、応援と共に行動するはずだったのだ。


 無数のなりそこないたちを送り込み続け、疲弊したところをサイラスを含む『色の準騎士』たちが襲撃する。

 歌姫などと呼ばれる、あの間抜けな妄執癖の女はそれで片付くはずだったのだ。


「おのれ」


 呟き、血がにじむほどに拳を握りしめる。


『色』を隠すために、人の器に納めた体が窮屈だ。


 吹き抜ける冷たい風も、空から降り注ぐ温もりも、闇に輝くネズミの瞳も、朝と夕に燃える地平線も、なにもかも、すべてが煩わしい。


 この場所は既にあの双子の手中だ。


 逃げ出そうとすれば、一瞬で囚われ、壊される。


 ならばせめて、ひとつだけでも、報いを与えてやる。


『黒』は導きの力だ。先に進むための力だ。


 白い髪の奇妙な女。


 自分が、アレを殺すのだ。


「偉大なる黒の王よ、我を導きたまえ」


 呟いて、灰色の欠片を食らう。


 兄の記憶が流れ込む。


 互いに理解しあっていたことを、改めて知る。


「共に行こう、我が兄よ」


 闇の帳に身を潜める。


 静かに、牙を研ぐ。


 眠れる夜など、もはやこの身に訪れるべきではないのだ。



 

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