第46話

 身体が上手く動かないうちの日々は、驚くほど早く過ぎた。


 最初のうちは微熱や気だるさ、吐き気に加えて、長時間の会話だけでも酷く疲れてしまうほど弱っていた。

 休むべきとわかっていながら、無茶をするのが癖になっているのか、ユエンと庭で会話したのが響いたらしい。

 身体が回復するまではなにもするなと全員に言われてしまった。


 体調は二日ほどで快復に向かい、それからは暇になった。


 なにせ、自分一人で外に行くことすらままならない。

 オルレニアから絶対に外へ出るなと言われていたせいで、庭以外に出ることもできず、ただ屋敷のなかを徘徊していた。

 

 とはいえ、ずっと暇だったわけでもない。


 アルテとカフリノは常に屋敷にいて、なにかしらをしている。


 気になったことを尋ねたり、雑学を教わっていると想像以上にためになった。

 カフリノは声を出せないものの、筆談で様々なことを教えてくれた。とくに料理に関しては、アルテよりも教え方が上手かったかもしれない。


 所詮付け焼刃の知識だとは思うが、一度学んでいれば何かの機会に思い出すことも多いだろう。


 ドルフたちが会いに来たこともあった。

 ルフィアとしては嘘を吐いた手前で気まずかったのだが、意外にも二人は「これからもよろしく」という挨拶に来たのみだった。

 話を聞いてみれば、オルレニアが上手く交渉してくれたらしい。


 エメレイは雪解け次第、街を離れるということで旅装を整えていた。

 多くの伝手があるらしい彼は、次は知り合いの商会を目当てに移動するらしい。ヴァロータとプラーミアは例外だと苦々しい笑顔を浮かべていた。


 対するドルフはプラーミアを活動拠点にしている傭兵だ。

 騒動のなかで『崩れた色彩ケルミデ・ケルラィ』と戦う姿を見せていたのが名を広めることに繋がったらしく、一年は死なずに済みそうだと話していた。


 自分のことについて考えをまとめたこともあった。


 これについては、結論は出ない。


 自分のなかにたくさんの自分がいるような感じがして、答えを求めるべきではないのだろうと、ひとまず考えることをやめた。

 これはきっと、旅の目的のひとつになっていくだろう。


 ほのかにヴァロータに対する郷愁を覚えたこともあったが、これも寝て起きたら消えていた。

 オルレニアに相談すると、「帰る場所が在る限り、付きまとう感情だ」と答えられた。


 そうやっているうちに五日が経ち、体調は思ったよりも回復してくれた。


 まだ微熱は残っているものの、食事が喉を通るだけマシだ。


 これが一人だったらとふと思ったときの恐怖は大きかったが、それはウラガーンが察して宥めてくれた。

 ウラガーンには迷惑をかけっぱなしのため、なにかお返しをしなければならないだろう。


 そんなこんな、気が付けば騒動が収まってから七日が経っていた。



 ◎◎◎◎



 冷たい風が頬を撫でる。

 差し出された手を取って、ゆっくりと歩き出した。


 自分より一回り以上も大きな手は温かく、どこか安心感があった。


「大丈夫か」

「大丈夫です」


 石畳の上に足を下ろせば、靴裏がこつんと音を鳴らした。


 雲が掛かりつつも、空は明るい。


 絶好の外出日和ですねとオルレニアに言うと、少しだけなら良いだろうと、オルレニアが同伴することでお許しが出たのだ。


「まだ少し、ふらつく感じはありますが」

「もう暫し、外に出す心算つもりは無かった」

「オルレニアさんがいれば危険はないでしょう?」

「貴様の体調は貴様次第だ。……妙な方向に思い切った様に見えるな」

「いろいろ、悩んだんですけどね」


 小さく笑えば、オルレニアはそうかと応えた。


 オルレニア自身、外に出られないことでルフィアが心労を重ねていたことを理解していたのだろう。外に出したくないとは良いつつも、強引に止めようとする気配はなかった。


 大きな手。

 その指先が握り込まれ、慣れない感覚に面映ゆくなる。


「どこに行きますか?」

「無理をさせる心算はない。カルロスの屋敷程度の距離になるだろう」

「そう、ですか」

「不満か?」

「いえ、そんなことはないんですけど」


 遠くにいけない。

 その遠くという言葉が、街の中で収まっていることが胸に刺さった。


 ――もし、自分がもっと丈夫だったなら。


 そんな考えが、薄く頭のなかに渦巻き始める。


「ルフィアよ」

「はい?」


 顔を見上げれば、オルレニアは眉間にしわを寄せていた。


「用を思い出した。半刻程度、我に付き合えるか」

「大丈夫です、けど?」


 そう答えた瞬間、ぐいと身体が引き込まれた。


「わ、え、オルレニアさん!?」

「口を閉じろ」


 抱き上げられたと思ったときには、オルレニアの足が地面を蹴っていた。

 だん、という音と共に、ルフィアの視界が二階建ての家の上に昇る。


「な、なにを」

「急ぎではないが、移動による無駄な消耗は控えるべきであろう」


 そんなことを聞いているわけではないのだが。


「ついでだ。我等の見ている景色を共有してやろうと思ってな」


 緩やかながら、ぐんと身体を引っ張られるような加速が来る。


 風を切る音。

 

 下を見れば、通りが見えた。

 その風景も一瞬のうちに過ぎ去って、髪が荒々しい風に靡く。


 視界を回せば、街全体が見下ろせる。


 ルフィアはそこまでを追い付かない思考で理解して、オルレニアが今、屋根の上を駆けているのだとわかった。


 思わず固く繋いだ手を握りしめれば、しっかりと握り返された。

 軽く息を吸い、ルフィアはオルレニアの行く先へ目を向ける。


「すごい……」


 煙突や屋根が、目が追い付いたときには後ろに流れている。


 燃えにくく無骨な家が多いプラーミアだが、それでもこの速度で見れば、新鮮で綺麗なもののように見えてくる。


 これが、オルレニアの見ている景色。

 改めて、凄まじいものだと思わされる。


「この辺りか」


 小さな呟きと共に、速度が緩まった。

 屋根から路地に飛び降り、オルレニアはルフィアを地面に下ろす。


 時間にすれば、ほんのわずかだったかもしれない。


 しかしオルレニアが止まったあとも、ルフィアは数呼間ぼうっとしていた。

 意識が戻ってきたのは、カァンと鉄を打つ音が耳を突いたからだ。


「あ、ここは」

「職人区だ。貴様も落ち着いて訪れた事はあるまい」

「はい。特に用事もなかったので」

「丁度良い。不調を迎えぬ内に見て回るとしよう」


 路地から目抜き通りに移動すると、熱気が顔をなぞった。


 鉄を打つ音だけではない。何かをすり潰す音や、金属を研磨する高い音が響いている。


 職人といえば偏屈で引きこもっている印象があったが、むしろ他の区画に比べて、家屋の数は少ないだろう。

 その分、石畳の敷かれていない広場のあちこちで大きな炉が輝きを放ち、炉の数だけ水路が伸びている。


 露天商に見えるのは、職人たちの作った物を売っているのだろうか。


 見習いの作った出来の悪い物に始まり、細かく金属を編んだ装身具まで、そう簡単には目にかかれないような商品が並んでいる。


「何の用事なんですか?」

「特定の場に用が有る訳では無い。必要な物を探す為に来ただけだ。貴様も欲しい物があるならば、探すと良い」

「欲しいもの……」


 言われて、思案する。

 ふいに片手で空を切り、腰に剣を帯びていないことを思い出した。


 ルフィアの使っている剣は、ヴァロータを訪れていた職人が安くで作ってくれたものだ。

 細くて切れ味がよく、固くもしなり、簡単に折れることはない。北の地では滅多に見かけない血溝の引かれた剣であり、軽い上によく風を切る。


 銀貨数枚で譲られたが、本来ならば騎士の剣に比べられる値であってもおかしくはない。手入れすれば短くともまだ十年は使い続けられるだろう。


 つまり、剣は必要ない。


 では、防具についてはどうか。


 攻撃から身を守るというよりは、動きやすい防寒具としての意味合いのほうが強い。


 長靴下を内に着て、暗褐色のズボンの裾を絞り、腰紐で固定する。

 肘丈の肌着、その上から暗緑色の上着を着込み、幾つかの留め具で前を閉じる。

 その上から袖なしの薄革の中衣ちゅうえを羽織り、これを帯革で身体に合わせる。

 最後に白い外套を羽織れば、普段のルフィアの服装だ。


 準繰りに思い出して思うのは、やはり守りが弱い。


 外套の下に着ている薄革の中衣は刃を引っかけて止めてくれるが、勢いよく切り付けられれば、あまりに脆弱な抵抗だ。


 しかし重い装備をまとって長時間は戦えない。


 それにかわして戦うのが基本である以上、動きが阻害されるものもいけない。


 そうなると、どうしても守りに割ける余裕がない。

 必要なのは、防具だ。


「何か、思い当たる物が有ったか?」


 顔を上げれば、オルレニアはこちらを見下ろしていた。


「あ、ごめんなさい」

「謝る必要は無い。慣れぬ物事に長考するのは当然だ」

「そう言ってもらえると助かります」

「して、何を求めている」

「胸当てとか、籠手とか、身を守るもの……を考えていたんですけど、あまり詳しくないので、なにが良いのかわからなくて」


 そもそも、自分に合う大きさのものがあるかわからない。

 いくら血気盛んな北の地の人間でも、戦士のほとんどは男である。


「ふむ……」


 オルレニアは一瞬だけ思案する素振りを見せ、すぐに視線を戻した。


「金属の腕輪などは、貴様に適するやもしれぬ」

「腕輪、ですか?」

「本来装身具として用いられ易いが、存外に防具としての役割も担う。かつて、貴様と似た剣士が使っていた」

「なるほど……」

「腕は重くなろうが、貴様ならば利用する手もある筈だ」


 ルフィアの剣は、全身の勢いで振ることが多い。

 むしろ剣の重量に負けないように、腕を支えるものがあれば楽だろう。


凡庸ぼんような防具では無いが、此の場であれば見当たるやも知れぬ。少し、探してみるか」


 オルレニアに手を引かれて、ルフィアは歩き出す。

 騒動から少し経ったとはいえ、人の数は随分と多かった。北の地にはあまり見られない顔立ちも多く、春に合わせて買い付けに来た者が多いのだろう。


 そんな人ごみでも、オルレニアに手を引かれて歩けば、一度も立ち止まることは無かった。一体どんな技術なのか、注視してみてもルフィアにはわからなかった。


 露店から露店へ。


 ルフィアを見た店番の男たちは気のいい笑顔を浮かべる。

 今のルフィアは貫頭衣の上から外套を羽織っただけで、誰が見ても傭兵とは思わないだろう、とはアルテの言だ。


 そんなまさかと思っていたが、自分の顔が知られていないこと。オルレニアが付き添っていることも加えれば、ルフィアが傭兵やそれに類する人間だと見抜く者はいなかった。


「あら」


 ふいに見慣れないものが視界をよぎり、足を止める。

 鈍い色の、貨幣のようなものだった。


「これ、なんですか?」

 

 露店に座り込んでいる店番は、ルフィアを見て目を細めた。 


「ずいぶん前の領主様が出していた硬貨を真似たものですよ。意外と人気がありましてね。古硬貨を貰って見習いに削らせてるんです」

「なるほど……おいくらですか?」

「まあ、銅貨五枚ってとこですかね」


 小銅貨一枚で黒パンがひとつ。

 その小銅貨五枚で銅貨一枚。

 高くはないが、この鉄貨一枚でそれほどの値がするものだろうか。


「……そのうちのいくらが見習いに?」

「あー、二割ってとこでしょう」

「では残りは?」

「細かくは話せませんよ。うちにはうちのやり方がありますからね」


 ボロが出ると思ったのに。

 む、と口を噤めば、オルレニアが身を屈め、ルフィアから鉄貨をつまみとった。


「鉄粉が付かぬ。表面を上塗りしているのか」

「ええ、まあ」

「其の割に随分と薄く、厚さが揃っておらぬ。実際の貨幣に似せるとはな」

「はは……勘弁してくださいよ。銅貨四枚でどうです?」

「二枚だ」

「さすがにそれは……」

「貴様が足元に隠す金槌の手入れ分を加えよう。銅貨二と二分の一」

「あー……いや、二枚で良いでしょう。金槌のことは、存じ上げませんがね」


 店番の男は思い切りため息を吐きながら、オルレニアから銅貨二枚を受け取った。

 

 少し離れてからルフィアは鉄貨を指でなぞり、首を傾げる。


「どういうことなんですか?」

「屑鉄を熱し、刻印の型に挟み、金槌で打ち抜いた物だ。……貨幣の型は基本、発行元の貴族や大商会が権利を持っている。認可を得ておらぬ事が露わになれば牢送りだ」

「見習いが削っているっていうのは、やっぱり嘘ですか」

「ああ。貴様も気付いたまでは良かったが、踏み入り方を違えたな」


 弱みを突かれれば、そこを守る。

 当たり前のことだが、正攻法ではそこで終わってしまう。


「何かを足元に隠す様に座っていた。組合にすら報せておらぬのだろう」

「なるほど」


 交渉を学びつつ、いくつかの露店を巡れば、大体売っているものの予測が着いた。


 鋏や火箸といった道具から、鎖帷子や兜、糸を編んだ装身具など。

 職人区といわれるだけあって、細かな仕事が必要になる物が多い。


 そして、見ているうちにわかった最たることは、派閥があるということだ。


「意匠を主とする人たちと、実用性を主にする人たち、ですね」

「何処であろうと聞こえる話だ」


 よく見れば、店によって幌の色が違う。


 大きな露店のほとんどは、ちょうど広場を縦に割って、茶色と黄色に分けられている。

 茶色が実用性、黄色が芸術性、ということらしい。


「そう言いつつ、良いものを作ろうとするとどちらも必要なんですよね」

「其れを互いに理解しながら、相容れぬ様に努めているのであろう。競争とは、双方を後押しする力である故に」


 話しながら、ルフィアは黄の幌の露店に置かれた銀色に輝く腕輪を手に取った。


 内と外が細い鎖で繋がれており、鎖を絞ることで腕に合わせるものだ。外側には狼の意匠が彫られており、なんとなくウラガーンを彷彿とさせた。


 思い切り鎖を絞れば、ルフィアの腕にぴたりと嵌る。


「これはこれは、お嬢様は中々目の付けどころが良いようで」


 ほのかに目を輝かせて、店番が愛想笑いを浮かべた。

 どうやら、ルフィアが手に取ることを狙っていたらしい。


「そうなんですか?」

「そうですとも。そちらは錬金術師が作り出した合金を打って作られた物でしてね。固く、汚れに強く、錆びにくいと聞いております」

「さすがに冗談でしょう? そんな凄いものなら、どうして放置されてるんですか?」

「冗談かもしれませんがね。私らが普段使っている鉄合金に、錬金術師が妙な金属を入れまして。実際に良い物にはなったんでしょうが、どうにも職人たちの受けも悪ければ、作成の経緯を説明するだけでみんな怖がってしまうんですよ」


 店番の話を聞きながらオルレニアへちらと目をやると、小さく頷きが返ってくる。

 この男は、嘘をついていないらしい。


「この狼の紋様は?」

「それも錬金術師からの要望だそうで。よくわかんねえ奴ですよ」


 ふと脳裏をよぎる、くくくという笑い声。

 ユエンであるという確証もないが、優れた金属を生み出しながらも畏怖されている錬金術師が、銀色の狼の意匠を求めていると聞けば、しっくり来る。


 ルフィアは腕輪を何度か付け外ししてから、よしと頷いた。


「これ、買います。いくらですか?」

「まあ、銀貨十五枚ってとこですがね……まあ、うちとしても錬金術師の手がかかった物を引き取ってくれるならってのもありますし、少しまけときましょう。十二枚でどうです?」


 これでも破格の値引きといえるが、男の顔にはまだまだ余裕がある。

 恐らくは、銀貨十五枚は大幅にふっかけている。


「わたしに似合ってると思いませんか? 宣伝になりますよ」

「お嬢様は交渉が苦手と見える。……十一と四分の一」


 無精ひげをなぞりながら、男は首を傾げる。


「ねえおじさま。わたし、もう少し辺りを見て回ろうと思っているんです。特にあちらの宝飾品のお店とか、気になって仕方なくて。いろいろ買ってしまおうかと」


 それに対して、両手を合わせて小首を傾げる。

 暗に「わたしは金払いが良いから媚びを売れ」と言うルフィアに、店番の男は失笑した。


「かわいい顔して厚かましいことで。十と二分の一、これ以上は無理です」

「ありがとう存じます、おじさま」


 こういったやり取りは、ヴァロータでもよく行っていた。


 損得よりも、相手に面白いと思わせればいいだけ。

 交渉事は不得意だが、生きるための術は意外と応用が利くものだ。


 整った容姿で生まれたことに感謝する。


 ルフィアは自らの懐を探り、そして手を止めた。


「あ、」


 懐もなにも、今、自分は財布を持っていない。

 なにせ、ほんの少し散歩するだけのつもりだったのだ。


 迂闊な声に、店番の表情が変化する。


「銀貨十と二分の一だな」


 まずいと思った瞬間には、オルレニアの手が伸びていた。

 小さな巾着袋が店番に手渡され、中身が確認される。


「はい、毎度あり。またのご利用をお待ちしておりますよ」


 店番の男は腕輪を革袋に入れると、ルフィアに手渡した。


 受け取って店番に会釈すると、オルレニアに手を引かれるまま歩き出す。


 緊張で、しばらくは頭が回らなかった。

 路地に連れられ、オルレニアが立ち止まってようやく、思考が身体に追い付いた。


「あっ、ありがとうございます。オルレニアさん」

「何がだ」

「あの、お金、用意するのわすれてて……」


 銀貨十枚といえば、安いものではない。

 銀貨一枚で数日分の生活費になる。オルレニアと出会う前のルフィアであれば、十枚でひと月は余裕をもって暮らせるだろう。


「元より我が支払う心算であった」

「そ、そうだったんですか」

「当然だ」


 言われてみれば、オルレニアが連れてきたのだ。


 ルフィアが財布を持っていないことなど、判っていただろう。

 ただ、それとこれとは、違うような気がする。


「でも、これはわたしが勝手に欲しがったものなので。また、返しますね」

「……何を勘違いしておるかは知らぬが、我は貴様に買い与える為に連れて来た。気にする必要は無い」


 そう言ったあと、オルレニアは困ったように眉をひそめた。

 気を遣ってくれたのだろう。


「では……いただきます」

「実用的な物で無くとも良かったのだがな」

「役に立たないものは、持っていても仕方ありませんから」


 言いながら、ルフィアは革袋に入った腕輪を取り出した。


 屋根の隙間から差し込む陽光に、腕輪が銀色に煌めく。


「さっきの人が妙なことを言っていましたけれど、これ、本当にそんな金属なんですか?」

「……恐らくは、かつて騎士鉄鋼きしてっこうと呼ばれた物だ」

「騎士鉄鋼、ですか?」

「我も詳しくは無いが……多分の鉄と細かく複数の金属、内一割を特殊な金属を混ぜ合わせる事で完成する合金だと聞いた。堅く錆びぬ故に、騎士の誓いに準えたのであろう」

「へぇ……」


 前腕を上下に挟み込み、細い鎖を絞れば、腕輪は予想通りにぴたりと嵌る。


 昔付けたことのある籠手に比べれば、随分と軽い。本調子であれば、戦いに備えて付けていても負担にはならないだろう。


 何より、腕飾りのようで見栄えもいい。


「いい買いものができました」


 腕輪同士を軽く打ち合わせると、キン、と綺麗な音が鳴った。


「そういえば、オルレニアさんの買い物は」

「既に終えた」


 気が付けば、オルレニアは片手に革袋を下げていた。


 いつの間に、とは思わない。

 ルフィアが何やら迷っている間に買っていたようだった。


「何を買ったんですか?」

「清掃用具や小道具だ」


 質の良い武具でも、手入れを怠れば劣化する。


 その点でいえば清掃用の道具などはたしかに重要だ。

 しかし、わざわざ職人区に来てまで購入するほど、大切なものではない。


「それだけですか?」

「いや……目的は、他に在った」


 珍しく歯切れ悪そうに呟いたオルレニアは、軽く息を吐いてから手を出した。


「此れだ」


 きらりと陽光を反射する、手のひら――オルレニアの手は大きい――に収まる程度の、ルフィアには見慣れないもの。


「髪留め、ですか?」


 オルレニアが手に持っていたのは、白銀色の鈴蘭が付いた挟みだった。

 葉脈のような模様が細かく彫られ、ところどころに緑に煌めく小さな宝石が嵌っている。


「有事の際、貴様が髪を纏めているのを見た故に」

「オルレニアさんが着けるんですか?」

「……貴様が着ける他無かろう」


 目を瞬かせる。

 それから視線を落として、腕輪を見てから、顔を上げる。


「これも、もらっていいんですか?」

「ああ」

「でも、高いものですよね。こんな、宝石みたいなのまで……」

「此れは、我が貴様に贈る物だ」


 オルレニアはルフィアの手に髪留めを置くと、そっと握らせた。


 手を広げようとすれば、思ったよりも強い力で抵抗される。

 しばらく、力の押し引きをした。


 到底勝てる相手ではないのだが、ルフィアの気が済むまでの数度、オルレニアは抵抗を受け容れた。

 そして最後には、オルレニアの手に握り込まれる。


「受け取って貰うぞ」

「……わかりました」


 ルフィアは髪留めを受け取ると、普段通りに髪に指を通して、横髪を後頭部でまとめあげる。

 ぱちんと留めれば、冷たい風が首元をなぞった。

 少しだけ違和感があるが、すぐに慣れるだろう。


「どうですか? 変じゃないですか?」

「問題無い。少々、貴様が白すぎるがな」


 横目に問えば、オルレニアは小さく笑った。

 あまり見ない、どこか、気の抜けた笑みだった。


「如何した」

「いえ……オルレニアさん、なんだか楽しそうだなって」


 思えば自分を抱えて走ったあたりから、普段の慎重さは潜んでいた。


 刺々しい気配も薄く、どことなく声色も明るいような。

 じっと顔を見上げれば、オルレニアはほんの僅かに瞠目していた。


「楽しそう、か」


 それから顔を背けたかと思えば、ルフィアの身体を抱え上げる。

 同時に、冷たい短刀のような気配が帰ってきた。


「わ、」

「貴様の言葉通りだ。少々、浮かれていたやもしれぬ」


 背けられた横顔からは、上手く表情を伺えなかった。

 声色はあまり変わっているように感じなかったが、なにか、琴線に触れてしまったのかもしれない。


 オルレニアが身を低く構えると、ルフィアは咄嗟にオルレニアの服を掴む。


 直後、オルレニアは一気に屋根の上まで跳び上がった。

 視界が広がり、青い空が視界に眩しく映り込む。


「貴様の体調を慮れば、斯様かような事をするべきでは無かったか」

「このくらいなら大丈夫ですよ」


 オルレニアの言葉に、思わず唇を尖らせる。


「わたしだって、お姫さまじゃないんですから」

「其の様な事は、快復の後に宣うが良い」


 帰り道は、行きほど速く駆けることはなかった。


 屋根から屋根に駆ければ、それでも道のりを行くよりは十分に早い。


 オルレニアは誰に気付かれることもなく、ルフィアにわずかな衝撃も伝えないようにしながら、屋敷へ向かっていく。


「あの、気にしないでくださいオルレニアさん。わたしも楽しかったですよ」


 微かな緊張の空気に言葉を投げる。


 オルレニアは、そうかと小さく一言を返しただけだった。

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