第42話

 手足の長い影がまた一人、崩れ落ちて黒い染みになる。

 ルフィアの剣、あるいはウラガーンの噛みつきによって、少なくとも十を超える影たちが倒されているはずだった。

 倒しても倒しても、まるで数が減らない。どれほどの数がこのプラーミアに潜んでいたのか、これまで遭遇しなかったのが驚きだった。


『大丈夫か』

「まだ、なんとか」


 答える声が、どこか遠くに聞こえる。

 体力はすでに限界だった。 

 腕はまるで鉛のように重く、熱を起こしたように頭はぼんやりとしている。剣を握る手もぴりぴりと痺れを起こして、今にも緩んでしまいそうだ。


 思考がまとまらず、ただ目前の敵と戦うことしかできない。


『私ならまだ余力がある。すこし力を抜け』


 気遣うウラガーンに、微笑みだけを返す。

 上手く笑えているのかもわからなかったが、内心を察したのだろう。ウラガーンはこつんと鼻先でルフィアを突いただけで、なにも言わなかった。


 迫る影の攻撃を流し、返す刃で仕留める。ひどく状態は悪いのに、洗練されていく技に、ルフィアは皮肉を覚えた。


 ――きっとこの戦いのあとには、しばらく寝込むだろう。

 身体を動かすのもままならない日々で、ユエンに笑われ、アルテにすこし叱られるかもしれない。

 ウラガーンは優しいかもしれないし、逆にとても厳しくなる可能性も、あるかもしれなかった。

 

 そんな日々を、迎えるために。


「絶対に、守りきる」


 ただの戦いではない。命を懸けて、自分の限界に挑む戦いだ。

 攫われ、囚われの身となり、傷ついた尊厳を取り戻すため。

 背にあるものを守り抜くための。誇りに思い、大切にしてくれる人のため、それに報いるための戦いなのだ。

 剣を振るって一人を断てば、その穴を突いて、ウラガーンの追撃が入る。

 攻勢は止めず、反撃は許さない。

 飛び掛かる影の、突きをかわして――。


「っ!」

『ルフィアっ!』


 がくん、と右足から力が抜けた。

 影の攻撃をかわしきれず、腹部に傷が走る。血が飛び、赤い色が地面を彩る。


『邪魔だ!』


 飛び掛かる影を体当たりで吹き飛ばし、ウラガーンが庇いに入る。

 ルフィアを護るための咄嗟の判断は、大きな隙だった。影たちが一斉に襲いかかり、ウラガーンの横腹を、影たちの刃のような腕がなぞった。


 銀の毛の下に隠れた強靭な表皮は硬いが、それでも無傷とはいかない。


『”散れ”!』


 咆哮と共に不可視の衝撃波が影たちを跳ね飛ばし、距離を作る。それによってわずかな膠着が生まれたが、ルフィアはまともに戦える状態ではなかった。


『っルフィア』


 焦りの混じった声。

 ルフィアは床にぽたぽたと落ちるウラガーンの血を見ながら、立ち上がろうとして膝をつく。

 強引に直していた右足首の関節は外れ、腹部には大きな傷、もはや戦える状態とは言えなかった。

 剣が手から離れ、重い音を上げながら床に落ちる。筋肉が痙攣し、ついに立ち上がることさえ、出来なくなった。


 忘れていた痛みが、悪寒が、吐き気が、一斉に蘇る。


 腹部に触れて、自分から流れる血を目にする。

 血が、手に絡みついて赤く濡らした。光に当たって真っ赤に映るそれは、ルフィアにひどい眩暈を呼び起こした。


 ――自由に生きるんだ。フィア。


 記憶のなかから響く、懐かしい声。

 穏やかで優しい、包み込んでくれるような低い声。 

 燃え盛る部屋のなかで、黒い影たちが偽善の言葉を投げるなかで。親愛なる人は、優しい手つきで小さな身体を抱いていた。


 善も悪も、すべてを失った。

 なに一つとして、手には残らなかった。


「なんの、こと」


 ひどい眩暈のなかで、ルフィアは呟く。

 一瞬、気を失っていたようだった。目の前で傷だらけのウラガーンが戦っている。

 痛みに呻きながら、目の前に伏した名もなき剣を握る。

 力を与えてくれる人たちに報いるためにも、戦うための方法を教えてくれる人たちに報いるためにも、ここで倒れてなどいられないのだ。


『ルフィア、無茶だ』

「剣を持てるなら、戦います」


 外套を斬り裂き、きつく腹部を縛る。

 左足に体重をかけて、強引に立ち上がる。両足は肩幅ほどに開いて、右足は痛みをこらえて地面に押し付けた。


「最悪、オルレニアさんが来てくれると思うの」

『……もしかしたら、な』


 希望というには頼りないが、ウラガーンは軽く鼻を鳴らした。


「わたしに向かう敵は、一人に絞って」

『わかった』


 影たちの数が先ほどよりも増えている。ユエンたちが撤退したか、あるいは殺されたのだろう。

 歯を食いしばって、剣を構える。

 ウラガーンも過度に前に出ることを控えて、飛び掛かる敵をあしらうようにしていた。

 ルフィアは腰の捻りと腕のしなりで、向かってくる敵を切り裂いた。

 ゲルダンに聞いた、南の地で行われる剣舞の要領だ。力によって制御せず、力の動きを利用した剣の使い方である。


「まだまだ、戦えますから」


 にやりと笑うと、身体から力が湧いて出るような気がした。逆に、影たちの動きは鈍くなっているようにも見える。

 痛みも引き、普段通りに剣を振るえるような感覚がしてきた。


『なんだ、これは?』


 両手で剣を構えようとして、困惑の声に横目を向ける。、ウラガーンの身体がうっすらと銀色の光をまとっていた。


「それは、一体」


 驚きつつも視線を戻すのと、影の手が振り下ろされるのは同時だった。

 なんとか腕を引き戻し、剣の腹で刃を受け止める。しかし押し付けられる力は強く、影の刃がルフィアの頬を撫でる。


 その寸前。 

 ――影が、溶けた。

 ルフィアとウラガーンの背後から、紫の波が広がる。

 向かい合っていた影たちが火に炙られたかのように全身から黒い煙を上げて、一斉に倒れ込んだ。


「これは……!」


 ふと、耳に声が届いて、ルフィアは辺りを見回す。


 ささやくような歌声。


 はっきりと聞こえているはずなのに、うるさくはなかった。

 歌に鼓舞されるように、ルフィアの身体は調子を取り戻していく。

 ふいに腹に巻いた外套を外せば、あふれていた血は止まり、傷もほとんど塞がっていた。


『よく持ちこたえてくださいました、ルフィアさん』


 凛とした声。

 振り向くと、アルテが立っていた。

 赤い髪は真っ赤な炎のように揺らめき、瞳は光を受けた紅玉のように輝いている。口から紡がれているはずの声は頭のなかに響くようにぼんやりとしていて、まるで歌声だった。


 そして隣には、アルテの赤をそのまま青に変えたような女性が立っていた。


「成功、したんですね」

『ええ。手間をおかけいたしましたわ』


 アルテはルフィアに微笑みかけたあと、その表情を消して、影たちを見据える。

 それから数歩進んで、ルフィアの前に立つ。


『これでようやく、名誉挽回できますわね』


 その声を皮切りに、アルテの足から真っ赤な炎が広がった。

 炎は玄関広間の全体に広がり、左右階段を上って天井まで広がると、アルテ達の背後で陽炎のように揺らめく無数の楽器に変化した。


『カフリノ』

『……はい、姉さま』


 ささやくような、細い声だった。


 カフリノが両腕を大きく広げると、炎が紫に変化し、陽炎が消える。

 そして、楽器に寄り添うようにして、紫色の燕尾服に身を包んだ、半透明の奏者たちが現れた。

 いつの間にか宙に立っていた、紫色の指揮者が指揮棒を掲げる。


演奏開始ミケ・カテリエ


 音楽が奏でられると、極小の結晶が空間を舞った。歌だけで苦しんでいた影たちは結晶に触れるともだえ苦しみ、少しずつ崩れていく。

 その結晶たちが途轍もない力を持っているのだということは、『色の力』に詳しくないルフィアでも簡単にわかった。


『ラ――』


 歌声と共にアルテの全身から放たれた『赤』の色が結晶を震わせれば、耐えていた強い影たちもついに崩壊し始めた。

 アルテの凛とした力強い歌声の裏には、カフリノのものと思われるささやかで儚げな声が響いている。

 アルテの歌声を、カフリノが結晶を使って調和しているのだ。


「これが……」


 耳に届く音楽は、驚くほど耳になじんだ。

 酒場で聞く詩人の歌よりも涼やかで、粗野な凱歌よりも軽やかで、どこまでも響いていくような通りの良さがあった。

 誰が聞いても、この歌声には懐かしさを覚えるだろう。


 それはきっと歌姫が歌に込めた想い。


 古い記憶へのどうしようもない懐かしさと、今の時代を歩み始めたことを祝福する希望の歌声だった。


「……こんなものかしら」


 音楽が止み、アルテの声だけが響く。


「屋敷の周囲にいた敵は片付けました。ルフィアさん、調子はいかが?」

「ええと、びっくりするくらい元気になりました」


 率直な感想を述べれば、ふふと笑われる。


「歌姫の歌は味方を癒し、敵を排する力がありますの。怪我は治ったと思いますけれど体力までは戻せませんから、それだけは気を付けてくださいましね」

「このまま外に行くのは、まずいでしょうか」


 ルフィアが間髪入れずに返すと、アルテは驚いたように目を瞬かせたあと、少しの思案のあとに口を開いた。


「プラーミアひとつくらいなら、歌は届きます。ただ遠くになるほど効力は落ちるから、まだルフィアさんが動けるならお願いしたいくらいですわね」


 あまり無理させては、ヴィエナ様に叱られてしまうけれど。

 そう付け足すアルテに苦笑して、ルフィアは隣のウラガーンを撫でた。

 移動については、ウラガーンの背を借りればなんとかなる。

 ぐるると唸るウラガーンは少し心配げだったが、特になにも言わない限りは大丈夫だろう。


「カフリノさんへの挨拶は、すべてが終わってからにします」

「そうね。ヴィエナ様もいるところでお話しましょう」


 ルフィアは剣を鞘に納め、外套を部屋の隅に置くと、ウラガーンにまたがる。いつの間にかほどけていた髪を紐でまとめれば、気が引き締まった。


「行ってきます」


 玄関扉の前で振り向けば、頷くアルテの背後で、カフリノが小さく手を振っていた。

 なんともいえない胸中の温かさに笑顔を浮かべ、ルフィアはウラガーンと共に、屋敷の外へと飛び出した。

 背後で再び演奏が始まる。

 闇夜の空はほのかに赤く染まり、煌めく結晶に彩られていたのだった。 




 ◎◎◎◎




 遠方で落ちる雷。

 夜空を緋色に染め、雪のような結晶を降らす歌声。

 硝子窓の向こうに見える光景に、サイラスは深く吐息する。


 ――敗北。


 そんな言葉が脳裏をよぎり、しかし否定することも出来なかった。


「これは不運と、笑うべきか……」


 古き大戦の時代、千人に一人はいると言われた色使いは、もはや万人に一人も見かけなくなっていた。

 だというのに、街はこの様だ。


「あれはなんだ。騎士なのか……?」


 色使いと関わりがあるとされる商会に潜み、長い時を待った。

 商会長の懐刀と呼ばれるロンバウトは強力な色使いだったが、何とか警戒を解き、信頼を得ていたはずだった。


 支店長となってからは少しずつ『崩れた色彩』の配下を雇い、誰にも気付かれないうちに街に無数の『魔者』たちを潜伏させることにも成功していた。


 あと少しで、大戦を覆すほどの色使い『歌姫』を手にできたというのに。


「オルレニア、ヴィエナ」


 特区に潜ませた『魔者』の半数を殺し、『憲兵』になりかけていた錬金術師を開放し、『歌姫』の復活を早めた。

 そして『歌姫』の力を奪うための地下牢を使ってまで対策したサイラスを一方的に打ち倒し、『色』で補強した鎧を破壊した男。


 怒りや悲しみを通り越して、もはや大きな諦念があった。


 サイラスもかつては『色の準騎士』の位を持つ色使いだった。ほとんどの相手には負けず、『色』で強化された肉体だけで、一騎当千の力があった。


 それに食らいつくルフィアも想定外の脅威だったが、『準騎士』を超える色使いが少なくとも三人、今の時代に集うことに比べれば些事だった。


「……憲兵だけでも逃がさなくてはな」


 オルレニアにも言った通り、己の身がどうなろうと構わなかった。

 長い時をかけて増強したものの、『崩れた色彩』の兵力には余裕がない。教会が悪魔と呼ぶ『憲兵』たちは戦力の要であり、消費するわけにはいかなかった。


 サイラスは顔を上げ、執務室の隅に置いた鎧へ目を向ける。


「懐かしい感覚だ。かつても、私は殿しんがりだった」


 黒い、無骨な全身鎧だった。

 兜についた一対のねじれ角だけが特徴で、それ以外はただ重く、硬いだけの鎧だった。


「だが、その務めこそが私だったのだ」


 鎧に歩みよると、分解した部位を一つずつ、身に着けていく。

 腕だけでも子どもほどの重量の鎧だが、身体を巡る『色』によって強化された肉体は、それを容易く支えてくれる。

 身を包み、最後に兜を手に取れば、そこに刻まれた古傷を見て笑みが浮かんだ。

 恥じていた名を思い出すことになるとは。


「死なずこそ、己の強み」


 言い聞かせれば、若い頃の闘志が湧いてくる。


 死線をくぐりながら、研鑽した日々。苦しくも輝かしかった日々は、今もサイラスの記憶に強く根付いて、離れてはいない。

 兜を被り、麻布に包まれた剣を抜きはらう。

 幅広の長剣もまた、数えきれないほどの傷を柄に残していた。


「逃れさせてもらうぞ。オルレニア」


 ――まだ、敗北ではない。

 それがどうであったかは、すべてが終わったのちに決まるのだ。




 ◎◎◎◎




 屋敷の外は、血まみれだった。

 どれ程の敵に襲われたのか、エメレイは意識を失い、ドルフは石槌を支えに立っているのがやっとなほど疲れ切っていた。


 ――金さえ貰えりゃなんでもいいさ。


 そんな状態でなお、ドルフはそう嘯き、ルフィアを送り出した。

 思わず苦笑を返してしまったが、支払いはドルフの背後で平気そうに腕組みしていた錬金術師の二人に任せていいだろう。


『ルフィア、どこに行けばいい?』

「悪魔を倒さなくちゃいけないから、落雷のほうに」


 影たちは歌の効果で弱っているはずだ。

 衛兵が動いている以上、ルフィアが出しゃばる必要はない。ならば、歌で弱ってなお脅威である悪魔を仕留めることが先決だった。

 雷は一定の頻度で、特区の門の近くに落ちている。

 仕留めきれないのか、あるいは加減しているのか、いずれにせよ確認する必要もあった。


「いい加減しつこいな、君たち!」

『しつこいのは貴様だろう! 無駄な攻撃を繰り返しおって!』


 辿り着いた門前では、いささか緊張感に欠けたやり取りが行われていた。


「ロンバウトさん!」


 宙に浮かぶロンバウトに声を投げかければ、振り向いた顔がルフィアを捉えた。

 ふわりと着地したロンバウトは軽く乱れた服を整えて、碧眼を向ける。


「君か。状況を見る限り、歌姫のほうは片付いたようだね」

「はい。こっちは……」

「仕留めるだけなら容易いのだが、込み入った訳があってね。私の代わりに仕留められる人材を待っていた」


 そう話すロンバウトの肩越しに見える二体の悪魔の身体は、焦げ跡まみれだった。

 何度も雷に打たれるうちに、悪魔たちも修復の必要性が無くなったのだろう。特に石のような肌の悪魔は雷を腕で防いでいるようで、胴体に焦げ跡が見当たらない。

 しかし歌によって弱っているのは明らかで、全身から立ち上る細い煙はその証拠だった。


『私とルフィアなら、一体は倒せる』

「そうだろうと思っていたよ。どれくらい掛かる?」

「弱っているのなら、そう時間はかかりません。ただ、一体を倒した時点でわたしは使い物にならなくなると考えてください」

「なるほど。なら片方は私が引き受けよう」


 ロンバウトが指を弾くと、背後で少しずつ迫っていた悪魔たちが、稲光と共に吹き飛ばされる。

 容易く倒せるというのも嘘ではないのだろう。

 ロンバウトもまた、『歌姫』と同格である『色の騎士』なのだから。


「では、石みたいな悪魔は任せます」

「ああ、了解した」


 必要以上の会話をしないところがいかにもロンバウトらしい。

 剣を構えると、ウラガーンが走り出す。それに気づいた悪魔は立ち上がり、姿勢を低くして迎え討つ構えを取る。

 間に割って入ろうとした石の悪魔が横殴りの雷によって弾かれ、ルフィアは改めて、両手で剣の柄を握った。


「ウラガーン、あの時と同じように」


 ヴァロータで、一度悪魔を倒した一撃。

 ルフィアの最速の剣を、さらに加速することで放てる必殺の一撃。

 悪魔まで十数歩のあたりで、ウラガーンが地面を強く蹴る。


 どん、という音のあとに、十数歩は数歩になった。

 大きく息を吸って、全身に血を巡らせる。痛いほど柄を握りしめ、ルフィアは悪魔の胴体を見据えた。


『”加速しろ”!』

「ヤァッ!」


 瞬間、悪魔に肉薄したルフィアは、思い切り剣を振るう。

 ただ突くのではない。捻りを加えることで起きた風の刃で、悪魔を引き裂く。


 瞳は間違いなく加速した世界を捉え、時の流れは緩やかに映る。

 だからこそ、暴力的な金属音が鳴り響いたこと。その理由を目にして、ルフィアは思わず歯噛みした。


『なにっ』


 強靭な爪を石畳の隙間に食い込ませて、ウラガーンが滑りながら停止する。

 びりびりと痺れる腕が、目標を上手く断ち切れなかったことを証明していた。


「すまないが、殺されては困る」


 鎧のなかから響く、くぐもった低い声。それは頭のなかに響くような特殊なものではなく、中に人が入っているのだとわかる声だった。

 散る火花は、ルフィアの剣を弾いたせいで生じたもの。

 悪魔とルフィアの間に立ちふさがるのは、漆黒の鎧をまとった男だった。


「あなたは――」


 鎧の腕が動くのを見て、ルフィアは痺れる腕のまま剣を振り、追撃を受け流す。


「素早い判断ですな。天賦の才を感じさせる」


 鎧は悪魔の側を離れないように立ち止まり、向かい合った。


「いきなり失礼ですね。あなたは!」

「褒めているのですよ。よく鍛えあげたと」


 その声音に賞賛の色を感じながら、ルフィアは睨み返した。


「お褒め頂かなくて、結構です」


 傭兵同士なら、戦いのなかで褒め合うことはある。敵であろうと味方であろうと、雇い主が違っただけの関係だからだ。

 しかしこの男は違う。妙な気持ち悪さがあった。

 剣を握る手の上下を入れ替え、構えなおす。ルフィアの利き手は右手だが、ゲルダンから両手で万全に戦えるように教えられていた。


「礼が欲しいのなら、口上でも上げましょうか」


 鎧は片手に持った幅広の剣を地面に突き立てる。

 そして黒い鎧に、うっすらと紺の光をまとった。


「私は元、青の騎士団第四部隊長にして、黒堕ちの罪人」


 光は徐々に黒色に変化し、消える。

 それはかつての誇りを穢して、なおも誇り続けるという意思のようだった。


「傷の準騎士、サイラス・レア」


 サイラスという、その名は知っていた。

 だがルフィアは驚きと動揺を握りつぶし、静かにウラガーンから降りる。

 知り合いが敵になるということなど、飽きるほど経験してきた。

 そして妙な気持ち悪さの理由がわかったことに、驚きと動揺以上の苛立ちがあった。


「――商人が、戦士を気取るな」


 門の先は、炎の色で染まっていた。

 被害はおそらく、ヴァロータの比にならないだろう。

 歌の力が人を癒しても、死人は戻らず、壊れたものは直らない。

 兵が死ぬのは構わない。傭兵が死ぬことも騎士が死ぬことも、そこには金のような対価や死さえ厭わない忠誠がある。


「あなたが騎士を名乗るなら、無辜の人々を傷つけるな!」

「……これは、手厳しいな」


 叫びに呼応するように、街に響く歌声が勢いを増した。

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