第36話

 白のキャンパスに落とすだけでは、赤と青は交わらない。

 意味もなく落とされた二つの色を、絵画だと見る者もいない。


 手を取り合えば、赤と青は絵画となった。

 互いで違いを補い合って、美しい絵画となった。


 それはやがて傑作けっさくとなり、その名は世界に轟いた。

 それはしかし疎まれて、長きを渡らぬ愚作となった。


 一度生まれてしまった色は、もう消して白には戻らない。

 捨てられ、堕とされ、くすんだ二人は、それでも赤と青だった。


 混じわることはできなかった。二つは一つにはなれなかった。

 だから二人で耐え忍び、大きな世界を見渡した。


『この世界にはなにが足りない?』

『この世界には歌が足りないわ』


 争いの時代。

 古き大戦に生まれた二人の歌姫は、変わらずずっと二人であった。





 ◎◎◎◎





 カラン、と家の前に置かれたカウベルを鳴らしても、反応はなかった。

 カルロスの家は、ユエンの家に比べると一回りは小さい。白い壁は角の部分が色あせ、生い茂ったつるたちが壁に絡まって不気味な様相をしている。

 窓はすべて布のカーテンで閉め切られ、外から内側の状態はわからないようになっていた。


「さて、手遅れだった場合は頼んだよ?」


 からすを模した仮面を被ったユエンは、片手に銀色の注射器を持ったまま、くすんだ緑色の玄関扉へ手をかけた。

 その背後に立つのは、オルレニアである。


 アルテとウラガーンはカフリノを護るために屋敷に残し、半ば悪魔と化しているというカルロスの様子を、二人で探りに来たのだ。


 ドアノブを回すと途中で引っかかり、止まる。内側から鍵が掛かっていた。


「退け」


 ユエンがノブから手を離すと、オルレニアが思い切り扉を蹴った。

 丈夫に作られているはずの鉄の鍵が弾け飛び、扉が吹き飛ぶ。

 そのままオルレニアが中に入ると、薄暗い玄関の先に正面階段と、右手側にある扉が目に入った。


「上か」

「分かるのかね?」

「気配がある。粗末な隠れ方だ」


 静かな湖畔こはんを魚が泳いだ波紋のような、そんな気配の乱れがあった。

 階段を登り、オルレニアはまっすぐ続く廊下の突き当たりを睨む。


「貴様から先に入るがいい。見知った顔である方が良かろう」

「さて? 大した効果はないと思うがね」


 軽い口調で応えながら、ユエンはオルレニアの横を通り、突き当たりの扉を開けた。

 次いでオルレニアが部屋に入り、扉を閉める。


 そこは暗闇だった。

 締め切られたカーテンのせいもあるだろう。一切の明かりが点けられていないそこは、数歩先を見通すことさえ出来ない。


「右だ」


 目を左右に向けて、暗闇が見通せないユエンにオルレニアが助け舟を出す。

 そんなオルレニアの視線の先には、両手首を縄で縛り合わせ、ボロボロの木椅子に座り込む男の姿があった。


「『満天』、君かね」


 徐々に目が慣れてきたユエンが男に歩み寄り、問いかける。

 うなだれ、乱れた髪のまま、あちこちが破れた服をまとうその姿は錬金術師の目から見ても異常であった。

 声に反応したのか、ゆっくりとその顔が上がっていく。


「あぁ、あぁ、『形無し』!」

「酷い様相じゃないか。あの享楽主義きょうらくしゅぎの君が」


 ユエンが笑った。

 乱れた長い髪の隙間からのぞいた茶色の瞳が、見開かれていく。扉の先から入り込んだ光によって、その瞳はわずかな光を取り戻したように見えた。


「私を殺せ、『形無し』。手遅れになる前に」

「ふむ、それは私の望むところだが、その前に試すことがあるのだよ」


 そのやつれた姿に似合わない、カルロスの整った服を破る。

 中から現れたのは、黒い霧が集まって、人の形を作っているような身体だった。


 一息吐いてから、ユエンはオルレニアへ振り向いた。

 そのわずかな時間は、驚きの表明だろう。


「かなり危険な状態だ」

「助ける事は不可能かね」

「黒が本来の色の半分ほどを染めているのだ。我は黒を引きはがすことができるが、たった半分の色だけでこの者が生存できるかどうかはわからぬ」

「生命活動には色が必要なのだったかな。ふむ、血のようなものか」


 一歩下がると、ユエンは銀の注射器を懐に収めた。

 そして、片手でカルロスの頭を鷲掴みにすると、強引に顔を上に向ける。


「『満天』、君はこれから素晴らしい現象の実験体になる。頼まれてくれよ?」


 な、とカルロスが反論を口にしようとするが、痛みがあるのか、顔を顰めるだけで言葉にはならない。

 その反応に頷くと、ユエンは手を放した。


「元より殺す予定だったんだ。存分にやってくれたまえ」


 肩をすくめて、まるで逃げるように入口のそばへ移動する。

 そんなユエンを一瞥してから、オルレニアはカルロスの前に立って見下ろした。


『黒の力』を操るオルレニアの、他人に入り込んだ『黒』を引きずりだすという行為は、ユエンが例えた通りに血を抜き出して吸い取るようなものである。

 当然、抜き取られる相手には相応の苦しみが与えられる。


「“眠れ”」


 カルロスの体から力が抜け、まるで気絶したかのように眠りに就く。

 快適な眠りとはいえないだろうが、オルレニアなりの配慮だった。


「離れていろ、ユエン」


 落ち着かない様子でのぞき込もうとするユエンに声をかけてから、オルレニアはカルロスの肩に片手を置いた。

 まるで血液を侵す毒のように、『色』を浸食する『黒の力』が暴れているのがわかる。そしてそれは、ケビンの時と同じく何者かの意思がこもっている・・・・・・・・・・・・・


 間違いなく『崩れた色彩』が関与していた。


 オルレニアは目を細めると、口を開く。


「開始する」


 オルレニアが言った瞬間、部屋の中から影が消えた。

 すっかり見通しが良くなった部屋は、へたくそな画家が描いた影のない絵のようだ。


 オルレニアが部屋の中にある『黒』を吸い取ったのだ。


 数秒遅れて、カルロスの体からオルレニアの腕へと、『黒』が徐々に動き始めた。

 部屋中の影が一瞬で消えるほどの勢いであっても、カルロスの内に溜まった『黒』を抜き取るには時間がかかる。

 それほどまでに、カルロスは『黒』に染まっていた。


 指圧を変えるように、荒れ狂う『黒』を小分けにしながら自分の体へと移していく。その最中に、そこに潜む何者かの意思を押しつぶし、支配する。


 カルロスの体が強張っていくのがはっきりとわかる。眠らせていなければ、痛みで死んでいる可能性すらあった。

 肉と骨、そして体を巡るあらゆる液体が悲鳴を上げる。そんな痛みを耐えろというほうが、無茶な話だ。


 徐々に『黒』が波打ち、その勢いが増していく。

 堰が外れたように、一気にあふれ出ようとする力を強引に押さえつける。


 カルロスの体の表面に、黒いもやが掛かりはじめた。

 それを見て、オルレニアは空いている片手も肩に乗せた。


「”溢れよ”」


 そして押さえつけていた勢いを、一気に開放する。


 はじけるように膨張した『黒』を思い切り体に取り込んだ。


「――ふん」


 オルレニアが何度か深呼吸をしたあと、部屋の中に影が戻ってきた。

 カルロスの肌が、北の地の人間特有の黄色がかった白色に戻っている。


「これで、終わりかね」

「さて、生きていれば良いのだがな」


『色』を失えば、人は死ぬ。

 身体の半分以上が侵されていたカルロスが、その生命活動を維持できるかどうかは、本人次第である。


「“目覚めよ”」


 ぴくりと体が動く。

 生きているならば、オルレニアの『色の力』による強制で、目覚めない理由はない。

 徐々にカルロスのまぶたが持ち上がった。


 ユエンのため息が静かな部屋のなかに溶け込んでいく。


「……いたいな」


 目を大きく開いたカルロスが、呻いた。


「まだ貴様の全身には痛みが残っている筈だ。二、三日は体を動かすべきではなかろう」

「わたしは、たすかった、のか?」

「常人ならば痛みで死んでいてもおかしくはない。貴様は、痛みに慣れているのか」


 オルレニアの言葉に、カルロスは無言のままにうなずいた。

 錬金術師は異常な思考をしている者が多い。自分の体を使って実験を行うなどは、朝飯前のことなのだろう。

 錬金術師ならば『黒』に適応してもおかしくはないというのが、オルレニアの感想だった。


「ユエン、事は済んだ。戻るぞ」

「ああ、少し待ってもらえるかね」


 振り返ると、ユエンがカーテンを開けるところだった。

 片手に持った金色の注射器を見る限り、何かをするつもりなのだろうか。暗闇のなかでは、動きづらい。


 しかし、オルレニアは咄嗟とっさにユエンに近づくと、その肩を思い切り引っ張った。

 半ばまで開いたカーテンの先の窓に、黒い影が映る。


「やはり、見張りでも着けていたか」


 窓ガラスが割れ、飛び込んできた黒い影にオルレニアの剣が突き刺さる。

 人の形をした黒い影、『崩れた色彩』の刺客だ。


「多いな。面倒な事だ」

「また気配を察知したのかい? それはどうやっているのかね」


 家の周囲に、十を越える気配があった。

 楽しそうなユエンを無視して、オルレニアは部屋の中央に立ち、思考を巡らせる。


「ユエン、貴様はどれほど対応出来る」


 敵は一人目を除き、慎重に距離を詰めているように感じられる。それはこれまでの『崩れた色彩』の刺客に比べると、異常な動きだった。

 警戒しているのか、あるいは時間稼ぎか。

 ルフィアをさらったということは、事を動かす気であることは間違いない。その点で障害となるのは、オルレニアである。


「私一人なら、二人が限界だ。家ごと破壊していいなら、四人でもいいがね?」

「二人で充分だ。頼むぞ」


 部屋の扉を開けて、待ち伏せしていた一人を斬り飛ばす。

 予想通り、黒い影たちはそれぞれが離れた場所で待機している。


「狙いは、アルテか」


 黒い影たちの目的は時間稼ぎだ。

 オルレニアは眉間にしわを寄せた。アルテは構わないが、ルフィアを救いだす時間が遅れるのは如何ともしがたい。


 音もなく、剣を振りぬく。

 家の外から、人が倒れる音がいくつも聞こえた。


 気配が一斉に動く。とどまっていては危険だと判断したのだろう。

 オルレニアは歩を進め、家を出た。


「下らん」


 待ち伏せしていた影を刺し貫き、同時に掛かった二人をすれ違いざまに斬る。どうやらルフィアを倒した相手はいないようだった。

 オルレニアを相手取るのは厳しいと判断したのか、あるいはアルテの方へと向かったのか。


 オルレニアは視線すら向けずに影たちを倒していく。

 影たち一人一人の技術は大したことはない。隠密の技術はあれど、剣技については衛兵に劣る程度だろう。


 オルレニアは増援とばかりに現れた影たちを見て、眉間のしわをさらに深くした。


「これほどまでに潜んでおれば、サルマンの下へ連絡が行きそうなものだが」


 妙な予感を覚えて、オルレニアは影を切り捨てながら、路地の先へと目を向けた。

 元々日当たりが良い場所ではない路地は、影を帯びているようにも見える。しかし、空から降り注ぐ光に対して、そこは暗すぎた。


 なるほど、とオルレニアは理解する。

 アルテがこれまで襲撃を受けなかった理由は、気づかれていなかった訳ではない。『崩れた色彩』は、準備をしていたのだ。


 錬金術師の特区、その路地には、うっすらと『黒』の気配が漂っていた。



 ◎◎◎◎



 二人も入れば窮屈きゅうくつな、薄暗い部屋の作業台の前にアルテは立っていた。ユエンの作業場であり、ぐちゃぐちゃに物が置かれたそこにはさまざまな道具がある。

 アルテはそこから蜜蝋燭みつろうそくを取り出し、火を点ける。その光の側に指鎧を置くと、その中を覗き込んだ。

 真っ暗闇のようにも見える指鎧のなかは、光に照らされても、まるで黒い絵の具を注ぎ込んだかのように暗いままだ。


「黒の力を満たしているのね」


 アルテは指鎧を作業台に置くと、指先に小さな炎を作り出した。

『赤』の色により作り出されたそれは、本物の炎とは違ってどこまでも真っ赤だ。

 そして指鎧を摘み上げると、いぶすように炎の上に掲げた。


 すると、数秒のうちに炎は弱まり、火の粉となって消えてしまう。


「色の力に対する抵抗も強い」


 羊皮紙をひっぱりだすと、爪に『赤の力』を宿し、後で情報を整理するために爪の先で文字を記す。


 どうやら鎧の持ち主――あるいは製作者――は、相当な『色の力』の持ち主であったらしい。アルテは指鎧を手の平に乗せて、顔の前へ運ぶと、大きく口を開けて息を吸った。


「“砕けろ”」


 音が、指鎧を細かく振動させる。

 数秒が経ったところで、ぴしりと指鎧に一筋の罅が入った。


 しかし割れるまでは至らず、形は残ったままで終わる。


 アルテは眉をひそめると、指鎧を作業台の上に戻した。

 簡単に力が通じないとなると、加減が難しくなる。破壊することは容易いが、オルレニアが求めているのは、ルフィアの居場所を探すことだ。


 指鎧の『色』を抜き取ることができれば、照らし合わせるようにして、足跡を追うことができるようになるが、それをするために必要なのが、破壊しない程度の手加減であった。


 アルテが悩んでいると、ドンドンと部屋の扉が鳴る。

 この乱暴な叩き方は、ウラガーンだ。


「どうしましたの?」


 扉を開けると、薄暗く細い廊下に、人型のウラガーンが立っていた。かと思えば、すぐに絵が書き換えられるように、銀の毛並みを持つ狼が現れる。

 その体は廊下をふさぐほどに大きく、もうすこし広い場所でないと窮屈そうだった。


『臭いがする。ルフィアが消えた場所にあった臭いだ』

「崩れた色彩が来ていると?」

『すぐ、近く。玄関の前に』


 アルテは目を細めると、廊下を進み、玄関広間に出た。

 来てみると、わずかな空気感の違いを感じる。ピンと張りつめたような空気は、かつて戦場に身を置いていたアルテにとって、懐かしいものだった。


「ウラガーンさん。カフリノの側に付いていていただけるかしら」

『地下室だな。任せておけ』


 人型に変身すると、ウラガーンは玄関の正面にある扉の先に去っていく。先にある長方形の部屋、その暖炉の火を消した先に地下室の入り口はあるのだ。


 そして残ったアルテは、ガラス窓の外が黒く染まっている玄関扉を睨んだ。


「強い力ね。さっき見た色と、同じ感覚だわ」


 片手は緋色のヴィンテージドレスの裾を摘み、片手は胸の前に添える。全身に流れる『色の力』に思考を向けて、アルテはその奔流ほんりゅうを少しずつ制御していく。


 窓の外に広がる『黒』の色は、徐々に玄関の内側へ侵食してきている。アルテはそれを見つめながら、細く息を吸い、吐き出した。


「――来なさい」


 すぐ背後から、ギィ、と床板の軋む音がする。シャンデリアの光を背後にした巨大な鎧の影がアルテに落ちた。

 殺気が洩れる。アルテは機敏に振り向くと、振り下ろされた剣を紙一重で回避した。


 二撃目を飛びのいてかわすと、攻撃は中断される。


「指を取り返しに来たの?」


 視線の先に立っていたのは、漆黒の全身鎧だった。

 アルテよりも二回り以上大きな体は力強く、背負っている大剣はその印象を深めている。

 あちこちに付いた浅い傷はその戦いの数を示し、堂々と構える姿からは、その自信が見て取れる。

 その剣を持つ手は、小指が第一関節から綺麗に落とされていた。


 鎧はアルテの問いに応えることなく腰に備えた剣を抜くと、切りかかった。


「“止まれ”」


 アルテは手の平を向けて言葉を放つが、鎧は止まらない。

 突きを放ち、それをアルテがかわすと、さらに踏み込んで連撃を繰り出した。


「いい剣技だわ。速くて、重い」


 空を切る音が玄関広間に響く。 鎧の剣は一太刀たりともアルテを掠めることはない。

 赤い長髪をなびかせながら、アルテはわずかな動作で剣をかわしていた。


「でも、かつての色の騎士たちには及ばないわ」


 アルテの瞳が赤く光る。同時に長髪とドレスにも赤い光が宿り、鎧は攻撃をやめて飛び退いた。

 その隙を見て、アルテは両手を喉に添える。


「“アケルテ・ネテルエ”」


 歌うようにアルテが声をあげると、鎧の持つ剣にひびが入り、弾け飛んだ。そのまま、鎧は何かに押さえつけられるように膝を着く。


「一人で歌を唄うのは、少しにがてなのよ。細かい調整はカフリノのほうだもの」


 平坦な声を掛けるアルテの背後に、等身大の炎が現れた。その炎は形を変え、やがて無数の楽器となる。

 金管楽器や弦楽器などの形をしたそれらは、アルテが両腕を大きく広げたのをきっかけに、音楽を奏で始めた。

 静かに始まり、その音量は徐々に大きくなっていく。


 同時にアルテの足元から、炎が広がり始めた。


「だから威圧的な演奏になるけれど、いいかしら」


 流麗な動作で、アルテは再び喉に手を添えた。

 膝を着いていた鎧が、顔を上げる。


『”弾け”』


 空洞に音が響くような声を放ち、鎧は重圧から解放されて立ち上がった。アルテの『色の力』に対して、自らの『色の力』で抵抗したのだ。

 鎧はそのまま背負っていた大剣を抜きはらうと、身を低くして両手で構えた。


 アルテが口を開くより早く、床を蹴って間合いを詰める。


「”サーカテ無意味”」


 鎧は横凪ぎに大剣を振るう。

 アルテが唄うと、その剣は空を切るようにアルテの体をすり抜けた。


 ラ、と続く歌声によって、アルテの周囲に広がった炎が茨の形を取る。鎧がもう一度大剣を振るよりも早く、炎の茨はその身体に巻き付き、宙へ持ち上げた。


『”運べ”』

「”ナリィダ守れ”」


 鎧が『色の力』を発動し、その姿を消す。アルテは歌に言葉を交えながら、小さく笑った。


 アルテの背後に現れた鎧が、槍に形を変えた炎の攻撃を転がってかわす。それから鎧は追い打ちとばかりに迫った炎の茨を切り裂き、炎の槍を踏みつぶした。

 しかしそんな抵抗をものともせずに、炎は蛇の形になり、飛び掛かる。


『”消えよ”』


 鎧の言葉によって蛇は消えるが、アルテの炎は既に広間のほとんどに広がっていた。

 炎は形を変え、鎧へ襲いかかる。大剣で捌きながらも、その数によって鎧は徐々に圧されていく。


 最初に茨が四肢を拘束し、無数の剣や斧、槍が鎧を打つ。

 鈍い金属音が演奏と交わり、物騒な音楽が生まれ始めた。


 アルテが歌を唄っている間、炎は広がり続け、鎧を襲う武器は数を増していく。大剣を落とし、両膝を着いて拘束された鎧は、うなだれて抵抗をやめた。

 演奏に紛れるようにして、小声で言葉を紡ぐのが聞こえる。アルテは舌を回した。


「”キューテ切れ”」

『”運べ”!』


 鎧が叫ぶ瞬間、その左腕が炎によって斬り飛ばされた。

 ひるみながら、炎の拘束を逃れて鎧が消える。アルテの背後を取った『色の力』を、そのまま逃亡に利用したのだろう。

 ルフィアが消えた理由も、恐らくは同じ方法だ。


 アルテが喉から手を離すと演奏が止まり、まるで幻だったかのように炎が消える。アルテの『色の力』が形をとっただけである炎は、本物ではない。

 残ったのは鎧が動いたことにより出来た、床の傷だけだった。


「ルフィアさんが負けるのも納得ね。いい対応力だったわ」


 肩から力を抜き、アルテは片手で頭を抱えた。

 本来、アルテはカフリノと二人で最大の力を発揮する『歌姫』だ。一人で戦えば、安定しない『色の力』によって、少なからず体力を奪われる。

 その危険を負ってまで戦ったのは、鎧のことを探る機会だったから。そして結果的に、鎧はその片腕を失った。


 鎧が指鎧を取り戻しに来たのであれば、それは指鎧が手掛かりになるという証拠になる。ならば、片腕という大きな手掛かりを手に入れたならば、ルフィアの救出の大きな後押しになるはずだ。


 アルテは籠手を拾おうとして、その重さに顔をこわばらせた。


「”ウラガーンさん、手伝ってもらってよろしいかしら”」


『色の力』を使って、声をウラガーンの下にまで飛ばす。

 物理的な話でいえば、アルテはルフィアにも大きく劣るほどに非力であった。







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