第34話
「つまりアレは、魔者化の兆候であるということですか?」
「ええ、そうなりますわ。首から下が黒くなった者は、一月から二月以内に魔者化します。かつて病として流行ったこともあったから、よく知ってますの」
ルフィアは家に戻ると、アルテに見たことをありのまま伝えた。
話を聞いたアルテは、すぐに検討をつける。カルロスが魔者化するということは、プラーミアにも、ヴァロータと同じように被害が出ることを示す。
出来ることならば、何かしら対処を講じる必要があった。
「現状、わたくし一人ではどうにかすることは難しいですわね。ヴィエナ様が戻れば、話は変わるのですけれど……」
しかしカルロスの問題は、オルレニアが戻るまで保留となった。
ユエンがアルテのために集めていた素材類について、もっと大きな問題が起こっていたからだ。
「この素材から、悪魔に似た気配を感じます」
「つまりこれには、『崩れた色彩』が関わっていると?」
「ただの勘ですけれど……」
「いいえ。あなたは白の色ですもの。なにか、感じるところがあるのですわ」
ユエンの用意したものに問題があるのなら、怪しいのはユエンである。
身近にいた存在が敵であったかもしれない事実に、アルテは頭を抱えた。
実際、ユエンは信用ならない男である。両方に得がある関係であったゆえに側に置いていたが、敵という可能性を考慮するのなら、警戒せざるを得ないだろう。
問題が二つ増え、しかしその両方がどうにもならないもどかしさを覚える。
深夜、ルフィアがため息をついていると、戸を叩く者が現れた。
ノーグ商会の使者であると名乗った男は、ルフィアに一枚の羊皮紙を渡した。
”エイゼンシュテイン伯より、素材が届いた。受け取り願う”
それはオルレニアたちの交渉が無事に終わり、必要な素材が届けられたという、サイラスからの連絡であった。
◎◎◎◎
光がまるで見当たらない、暗い夜のことだった。
錬金術師の特区の外は、まるで燃え上がっているように、真っ赤な光を放っている。
材料が届いたと連絡を受けたルフィアは、しっかりと準備を整え、ノーグ商会へ向かっていた。
あまり時間をかけないほうがいいだろう、という考えの下である。
アルテとウラガーンは家に残し、自分だけで行動する。
万が一何かがあったときに、損失は自分だけで抑えなければならないからだ。
「アンタ、よくこんな時間に錬金術師の下に居られるな」
「意外と悪くないですよ。ふかふかのベッドは」
特区の入り口に立つ門兵に声をかけられ、ルフィアは笑って返す。
何度か通過する際に言葉を交わしていると、門兵たちの態度も随分と軟化してきた。つまらない上に危険な仕事をしている彼らは、普段から気を張っていたのだろう。
ルフィアが出会うたびに笑顔を返していると、次第に笑顔が帰ってくるようにもなっていた。
また同じように、ルフィアは酒場ではすっかり有名人だった。
暴れた時の記憶が残っていた傭兵たちが、ルフィアに負けたことを言いふらしたのだ。
普通なら自分の負けた話、それも少女に負けた話など普通は話さないものだが、逆に少女に負けたことを言いふらしたい好き者もいるらしい。
ほとんど全員が負けたため、自分一人ではないという意識があったのも大きいだろう。
その中でかわいいやら華憐やらと褒められることも多く、ルフィア自身もその扱いには満足していた。
逆に、町人たちとの関わりはほとんどないため、街中を歩いていて声をかけられるようなことはあまりない。
アルテ達との接触が想像以上に早かったため、錬金術師の特区で過ごす時間が長くなっているせいだ。
ルフィアとしては、剣職人との関わりを持ちたいのだが、どうにも取り付く島が無かった。
ノーグ商会で斡旋してもらえないだろうかと、そんな甘えた考えを持ちながら、ルフィアは街の中を通り、商会の建物が見える場所までたどり着いた。
ふと、ルフィアは悪魔の気配を感じたことを思い出し、はじめてドルフたちに出会った酒場へ目を向ける。
気配を感じたということは、このあたりに何かがいたのだろうか。
「聞いてみよう」
小さく呟きながら、酒場の扉を開けた。
一気に人の熱気が押し寄せ、ルフィアは目を細めながら騒音の中に飛び込む。
「よお少女ちゃん! どうしたよ?」
すると、すぐに入り口付近に座っていた男に声を掛けられる。
全員には名乗っていないため、ルフィアを『少女ちゃん』と呼ぶ傭兵は多い。
嘗められているように感じるためにルフィアはあまり好きではないのだが、事実として少女である以上、言い返すのも面倒くさかった。
「ええと、ドルフさんはいますか?」
「ドルフの奴なら、今はいないな。どうした? おれらで良いなら力になるぜ?」
「んー……じゃあ聞きたいことがあるんですけれど、このあたりで怪しい人影を見た、とかありませんか?」
「おいお前ら! この辺りで怪しいやつを見かけてねえか!」
甘い声を出していた男が、周囲の傭兵たちに怒鳴りつけるように問う。
するとあちこちから、怪しいのはお前だ、という言葉が返ってきた。しかし、その波が落ち着いても、唸り声をあげるばかりで怪しい人物を挙げる声は聞こえない。
ルフィアが小首をかしげていると、その頭に大きな手が乗せられた。
「なんだあ? なにしてやがる」
「あ、ドルフさん」
「あ、なんて白々しい反応しやがって。気づいてただろうが。それで何してる」
「いえ、この辺りで怪しい人を見かけていないかと聞いていたんです」
振り返ってルフィアが言うと、ドルフは顎に手を当てて、天を仰いだ。
そして数秒ほど悩む素振りを見せてから、髭を撫でながら首を振る。
「特に見た記憶も、聞いた記憶もねえな」
「そうですか……」
「それがどうした?」
「いえ、なんでもないんです」
ルフィアは小さく笑うと、頭にのせられたドルフの手を思い切り手で払った。
周囲で笑いが起こり、ドルフは皺の多い顔に苛立ちを滲ませながらルフィアに苦い目を送る。
「女の子に触りたかったら、もう少し身綺麗にしてくださいな」
ルフィアはふん、と笑いながらドルフの視線を受け流すと、酒場から出ようと扉を開けた。
ほかに主な目的があるときに、あまり呑んだくれの相手をするものではない。無駄に時間を浪費することになるし、酒の臭いが付いては、あまり良い印象を持たれなくなる。
「気を付けろよ」
外に飛び出す瞬間、小さくドルフのそんな声が聞こえて、ルフィアは会釈する。
傭兵に危険は付き物だが、無事を祈ることは間違いではない。短い関係だが、ドルフが本当に心配をしていることは伝わってきた。
外に出たルフィアは、改めてノーグ商会に向かう。
深夜になりつつある時間ではさすがに、出入りする人間も少ないようだ。
門に近づいたルフィアは、現れた案内人に声を掛ける。
そして、錬金術師の特区に入るためのユエンの名前が入った札を見せて、サイラスを呼ぶように言った。
すると程なくして、サイラスは現れた。
「お早い対応、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。予定より早い到着だったので、驚きました」
「私めも、交渉の迅速さに驚きました。我々商会の力を以てしても、これほど早くに交渉が終わることはそうないでしょうからな」
「わたしは、ついていけば?」
「はい。誰にも触れられないように、例の部屋に保管しております」
例の部屋というのは、おそらくユエンと出会ったあの部屋だろう。
入り組んだ廊下の先にある強固な石の部屋ならば、なるほど安全だ。何者にも触れられてはいけないという点でも、サイラスは見事に仕事をこなしてくれた。
ロンバウトの斡旋というだけあって『色の力』のことまで知っているサイラスは、非常に優秀な手助けになっている。
廊下を案内され、再び冷たい空気のする奥の部屋に、ルフィアは案内された。
深夜ということもあって、先日に見かけた大商人たちさえ見当たらない。サイラスとルフィアだけが、この廊下にいた。
「この先でございます」
「念のため、サイラスさんも外にいてください」
「かしこまりました」
サイラスが味方だというのはわかっているが、そこで心を許すほど、ルフィアは適当に生きてはいない。
重い扉を開いて、ルフィアは石壁の小部屋に入った。
部屋の奥には、麻袋に詰められた材料が見える。
他にはなにもなく、ただ壁にかけられた蝋燭の炎が影を揺らしている程度だ。
ここで『崩れた色彩』が仕掛けてくる可能性は低い。
地下であり、ノーグ商会の監視の目があるこの場所に、簡単に侵入できる存在はそういないはずだ。
しかしこの瞬間を狙ってくる相手がいる可能性もある。念のためルフィアは剣に手を掛けながら、ゆっくりと麻袋に近づいた。
「一応、言われた通りのものはあるのかな」
ルフィアはアルテに渡された羊皮紙のメモを見ながら、中身を一つずつ確認していく。中には触りたくないような気持ち悪いものもあったが、それらは目で確認した。
石から始まり、よくわからない虫の死体まで、本当にこれは必要なのかと思いながら、ルフィアは麻袋を持って立ち上がった。
蝋燭の火が眩しい。
暗い小部屋のせいで自分の肌がより一層白く見えて、ルフィアは眉を顰めた。
「白の力、か」
白色は、ルフィアの嫌いな色だった。
なぜかはわからないが胸のうちがざわつき、落ち着かなくなるのだ。加えて
ふと立ち止まり、麻袋を冷たい床に置く。
自分の両手を見ると、震えているのがわかった。
少しだけ、嫌な予感がした。
「これは、」
口を開いた途端、白に感じる以外の嫌悪感が走る。
「まさかっ!!」
ルフィアは剣を抜きはらい、思い切り振り返った。
この嫌悪感は、悪魔に感じるものと一緒である。
つまり、『崩れた色彩』か『悪魔』か。
「ルフィア様! なにかありましたか!」
扉の外側から、サイラスの声がわずかに聞こえる。
かなりの防音性を誇っていたはずの部屋だが、音の一つも聞こえない深夜である。サイラスもルフィアの声に異変を感じたのだろう。
「サイラスさん! 絶対に扉を開けないで! 今すぐ逃げて!」
今、ルフィアの目に映っているのは、悪魔ではなかった。
正確には、ヴァロータで見た悪魔とは似ても似つかなかった。
例えるなら、黒い鎧。
騎士が身に着けているような、鉄製の光沢を持った、漆黒の鎧。
背丈はルフィアよりも頭三つ分くらいは大きいだろうか。肩幅も広く、大男であるということがわかる。
右手には無骨な幅広の長剣が握られていて、その腕力がうかがえた。
「何者ですか……!」
ルフィアは剣先を相手に向けて、いつでも最速の一撃を放てるように構える。
対して鎧は、両手を下げたまま仁王立ちしている。
防御の構えを取ることもなく、まるで自らの強固さに自信があるかのように。
「無礼な方ですね」
背中を冷や汗が伝っていくのを感じた。
鎧が動かない間に、手の震えが収めるために、何度か大きく呼吸を行う。
唇を固く結んで、ルフィアは震えが収まった手で、剣を握りしめた。
「言っておきますが、その程度の鎧ではわたしの剣は防げませんよ」
事実はどうあれ、揺さぶりをかけてみる。
鎧は黙ったまま、何の反応を返すこともなく、立っている。
しかし背を向ければ襲い掛かってくるだろうことは、鎧から感じる殺気から、感じ取っていた。
「わかりました。あなたがこのままいるというのなら、わたしも付き合いましょう」
時間が過ぎれば、サイラスが異常を伝え、人が集まる。
この状態を続ければ、ルフィアにはその優位性があった。
しかし、悪魔は強い。
生半可な能力では太刀打ちできない存在だ。ルフィアが最低でも一撃は入れなければ、応援も無駄な犠牲になる可能性がある。
「さあ、掛かってこないんです――」
挑発の言葉に合わせて、思い切り身を低くした。
ルフィアの足が冷たい石の床を蹴り、銀閃を残して急激に加速する。
「かっ!」
言い終えると同時に、ルフィアの『鉄をも切り裂く一撃』が鎧に向かって放たれた。
間違いなく最速。ルフィアが完璧な状態から繰り出せる、最高の一撃。
仁王立ちをしていた鎧は、それに反応して動き始める。
さすがに間に合うわけがない。
ルフィアが直撃を確信した、その瞬間。
「うそっ!」
鎧はルフィアの剣を長剣の腹で流し、勢いを緩めたところで強引に弾いた。
火花が散り、ルフィアの腕がびりびりと痺れる。
オルレニアと同じ方法で、ルフィアの一撃を防いだのだ。
しかし、ルフィアも弾かれた経験はある。反動を利用してなんとか飛びのき、両手で剣を構えなおした。
「……見事です。でも、少しは焦ったようですね?」
言葉を投げかける。
鎧が反応しないだろうとはわかっているが、腕の痺れを引かせるための時間稼ぎだ。
続けてルフィアは剣を正眼に構え、目を見開く。
相手を鎧と見越して、重い一撃を叩きこむためだけの構えだ。鎧の外側からでも強い力を叩きつければ、多少の怪我にはなる。
鎧はその構えを見て、合わせるように剣を両手持ちで構えた。
「ふっ」
再び、先手を打ったのはルフィアだった。
剣先を震わせる僅かなフェイントと共に、全身の力を利用した、重い一撃を放つ。
今度は鎧もすぐさま反応した。
ルフィアの剣の腹を殴りつけるように剣を振るってくる。
ルフィアはあえて剣の腹を殴られると、その反動を利用して回転し、その勢いを剣に乗せる。
しかし鎧は勢いの乗った剣を、それと同等ほどの力で強引に打ち払った。
今度こそ、ルフィアの手から剣が離れそうになる。
それでもなんとか手を放すことをせず、ルフィアは飛びのいた。
「くっ!」
それでも間に合わない。
鎧は距離を詰め、片手持ちにした長剣を使って連撃を繰り出す。
防戦に回ったルフィアは上下左右から襲い来る剣を何とか受け流し、その一撃一撃の重さに歯をかみしめた。
オルレニアほどではない。それでも、圧倒的な剣技である。
防戦に回って尚、ルフィアは押されていた。
受け流せない衝撃が体にまで伝わり、段々と反応が鈍くなり始める。
まだだと息を止めて集中し、大ぶりの一撃を回避した。
鎧が振るった腕の下をくぐり、脇腹に向かって斬撃を放つ。
だが、鎧は腕を強引に引き戻すと、ルフィアの剣を脇に挟んだ。
そのまま裏拳で、ルフィアを殴り飛ばす。
「ぐぅっ!」
小部屋の隅にまで吹き飛ばされ、視界に火花が散る。
剣は奪われ、鎧を間にはさんだ逆側に放り捨てられた。
小細工が通用する相手ではない。
ルフィアは外套の懐を探るが、まともに使えそうな道具はなかった。
「強い、ですね」
ふらつく頭を片手で押さえながら、立ち上がる。
まとめていた髪がほどけて、背中を隠すほど長い髪が広がった。
額から流れ出る血がぽたぽたと地面に落ちる。
鎧は急ぐことなく、ゆっくりとルフィアへと歩んでくる。
どうしようもない実力差を感じながら、それでも最後まで抗うのが、ルフィアのやり方だ。
懐に手を入れたまま、ルフィアは鎧が近づいてくるのを待った。
一歩、二歩、三歩と、鎧が特徴的な足音を鳴らす。
五歩目の足音が鳴り、鎧がすぐ目の前に来たその時、ルフィアは動いた。
「ヤァッ!!」
蝋燭の光に照らされて、煌めく銀閃。
それはゲルダンから受け取った短剣であり、彼がルフィアに託した、業物であった。
『ッ!』
鎧が、本気で剣を構えたように感じた。
しかしルフィアの狙いは、確実に一撃を与えることである。
短剣は鎧の、長剣を持つ手に向かって振るわれ、そして小指だけを寸断した。
直後、ルフィアの体を鎧が蹴り飛ばす。
圧倒的な重量から繰り出される衝撃を受けて、ルフィアは今度こそ、視界が真っ白になった。
キィィ、という耳鳴りによって音が聞こえなくなり、眩暈を起こしたような感覚になる。
ふと、意識を手放そうとしたルフィアの視界に、緑色の光が混じった
「オルレニアさんの、魔法……」
そして聞こえる、くすくすという笑い声。
ルフィアの危険を、オルレニアに知らせる魔法。
これでルフィアになにかがあったという情報は、オルレニアに伝わった。
白色しか見えない光景になんとなく嫌悪感を覚えつつもルフィアは、一人でここに来ていて正解だったと、安心した。
気絶したからか、その体に痛みは訪れなかった。
◎◎◎◎
ウラガーンは、人の姿が嫌いだった。
妙にぐらぐらするし、肌はやわらかいし、声も出しにくい。
人の世界で暮らす以上、しぶしぶイヴリアナとかいうドラゴンに変身の方法を教わったが、本心を言うのならば、狼の姿でなにがわるい、といったところだ。
夜が更けて、自分に待っていろと言ったルフィアがなかなか帰ってこないことに、ウラガーンは妙に不安を感じていた。
狼の姿であれば商会まで行くのはたやすいが、この小さな人の体では時間がかかる。
唸るようにため息を吐いた。
自分を『黒』から救ったのはルフィアである。
そのルフィアの命令だからアルテの護衛を引き受けたが、こうも不安ばかりを募らせることになるのは、些か不服だ。
『アルテとやら。私を、ルフィアのところに行かせろ』
だから、狼の姿で言った。
護衛対象とはいうが、アルテもウラガーンが幼いころの記憶では、相応に戦える人物だったはずだ。
自分がいなくても、なんとかなるだろう。
「ええ、構いませんわよ?」
『いいのか』
「わたくしも、無力ではありませんもの」
予想通り、アルテは許可を出した。
ウラガーンは人の姿になって、街に出る。
暗い街でも、明るい街でも、ウラガーンの嗅覚にかかれば関係ない。ルフィアの匂いを追って、商会へと向かうだけだ。
時々視線を感じるが、それはか弱い人の姿であるからだろう。
黒いドレスで着飾った自分が、人の目線で見ると弱々しい存在であるというのは承知している。
そういうのは、銀狼の威圧でなんとかしてしまえばいい。
ウラガーンは一直線に、商会にたどり着いた。
「君は、あの傭兵のお嬢さんの連れの子だね。どうかしたのかな?」
門の前に立ち、さてどうしようかと悩んでいると一人の男が現れた。
門の見張りだろう。なんどか見た記憶がある。
「ぁー……」
しかし問われたところで、ウラガーンは人の発声方法を掴めていない。
言葉を話そうとして、意味のない音だけが漏れる。
「傭兵のお嬢さんはどうしたんだい? 一人でここまで来るのは、危なかっただろう」
男が続けた言葉を聞いて、ウラガーンは困惑することになった。
ルフィアが帰ってきていないということは、この商会に訪れたはずである。
この男が見張りであるのなら、ここにルフィアが来たことも、わかっているはずだ。
そしてウラガーンの鼻は、ルフィアがこの先に進んだと示している。
「ん?」
何も話さないウラガーンに、困ったように笑う男。
ウラガーンはそんな男を無視して、周囲を見回した。
さすがの深夜であり、人は見当たらない。
難しいことはわからないが、恐らくは大丈夫と考えたウラガーンは目を閉じ、変身した。
長い髪の毛がぶわりと膨れ上がり、絵が描き変えられるように、ウラガーンの体が大きな銀狼のそれになる。
「う、うわぁ!」
『騒ぐな。ルフィアは、どこだ』
目を見開いて悲鳴をあげた男を真正面から睨みつけ、問う。
男はパクパクと口を動かすが、声が出てこない。
『言えと言っている! ルフィアを何処へやった』
苛立ったウラガーンは、石畳に傷をつけながら、男に詰め寄った。
腰を抜かした男が、首を勢いよく横に振る。知らないとでも、言うつもりだろうか。
「お、俺は、なにもしらない。そもそも、今日は見かけてすらないよ」
『ここに来たはずだ』
「本当だ、信じてくれ……!」
男の声の震えは、本物だった。
足も震えているし、今にも気絶しそうなほど怯えている。
ウラガーンには、それがわかってしまった。
確かに匂いは商会の中まで続いているが、途中で途切れそうなほど薄い。なにかがあったことは、間違いないというのに。
『もういい』
ウラガーンはぶっきらぼうに言うと、男の頭を前足で叩き、気絶させた。
とぼとぼと帰り道を歩く。狼の姿では一瞬でも、人の足、それも少女の足では半刻もかかる。
それでも頭が冷えるには、足りなかった。
だからウラガーンは外壁を飛び越え、雪原を走った。
たまらない不安に、襲い来る焦りに、涙が洩れそうになる。
街から遠く離れた場所で、ウラガーンは思い切り遠吠えをした。
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