第28話

“ティーオ、アユティカィデリカ。ア、イアーケ、ダルネリオゥカ、ソタィテ、ハーキゾレカ、クィゾクィカ――“


 煌々と炎が輝く街の中で、静かな歌声が響く。

 遠く、遠くまで響く歌声は、しかし誰にも届かない。それは一人歌だから。


「――アルテ」


 背後から、声が掛かる。


「まだ歌っていたのかね?」


 フードを被り、怪しげな装いの男。

 しばらくの間世話になっているが、この一族は皆こうだ。

 趣味の悪いことだと思う。


「もう寝るわ。心配しないで」


 振り向かずに歌を続けると、男が引いて行く音が聞こえる。


 そしてまた、屋根の上に腰掛けて、夜空を見上げながら歌う。


 ”ティーオ、アユティカィデリカ。ア、イアーケ、ダルネリオゥカ、ソタィテ、ハーキゾレカ、クィゾクィカ――“


 あの人は、今何処にいるのだろうか。


 私たちを救えるのは、恐らくは彼だけなのだ。私たちが助かるには、彼の力が必要なのだ。


 遠く、虚空の闇を見ながら思いふける。


「まだ夜風は冷えるわね。戻りましょうか、カフリノ」


 隣に座る人形・・に目を向け呟くと、その無機質なガラスの瞳がくるりと動き、ゆっくりと立ち上がった。


 声も、表情も、何もかもを奪われたその姿は、何度見ても胸が苦しくなる。


「早く、来てほしいわね……」


 首を振ってついつい浮かんだ暗い感情を払うと、私は家の内に下がるのだった。




 ◎◎◎◎






 気まずい雰囲気の中、気がつくと眠りに落ちていたルフィアが目を覚ますと、部屋にオルレニアはいなかった。

 窓の外は日が沈んでおり、人の気配を見る限り、かなりの深夜のようだ。


 目が冴えて、再び寝ることも苦しいルフィアは、軽く身だしなみを整えて宿を出た。


 消えない炎が灯り、こんな時間でも街は明るい。


 違和感が拭えない感覚にしきりに髪を弄りながら、宿の周りを見て見るが、オルレニアはいない。


 姿が見えないと、途端に不安を感じ始めた。


「もしかして……」


 信頼を裏切るようなことを言ったせいで、自分を置いてどこかに行ってしまったのだろうか。


 いままで助けてくれていたのは、ほとんどオルレニアの厚意によるものだ。

 信頼を裏切った以上、ルフィアを放ってどこかへ行くことくらい、あってもおかしくない。


「……とにかく、探そう」


 小さくかぶりを振って、足を動かした。


 向かう先は酒場。


 深夜でも開いている場所はあるだろうし、オルレニアが情報収集に出ているなら、きっとそこに居るはずだから。


 小走りぎみになりながら探すと、明かりの点いた酒場は、すぐに見つかった。


 迷いなくその扉を開けて、若干騒がしく感じるその中に身を投じる。


「――お、こいつぁ昼間に見かけた噂のお嬢ちゃんじゃねえか」


 すると、扉のそばの席に座っていた男が声を上げ、ルフィアに注目が集まった。

 男はどうやら酔っているようで、傷のある顔を真っ赤にしながら立ち上がり、ルフィアに近づいて来る。


「おお、ほんとに真っ白だなぁ。まるで人じゃねえみてえだ」


 じろじろと舐め回すようにルフィアの頭の先からつま先まで目を通し、何が面白いのか、男は大きな声で笑った。


「あの、わたし、人を探しているんです」


 これまでに何度も受けた反応ゆえに、気にしない。

 若干むっとしつつも、ルフィアは酒臭い息を吐く男と目を合わせた。


「ぉぉ?昼間の怖ぇ男のことか?」


 意味もなくにたにたと笑う男に、頷く。


「おぅいお前ら!この娘が人探しをしてるらしいぞぉ!」


 酔っ払い特有の、周りを憚らない大声に顔を顰めながらも、ルフィアは成功したと思った。

 酒場にオルレニアは見当たらないが、この人数に話を聞けば、誰か一人くらいは情報を持っているだろうと考えたのだ。


「人探しなら、金貨一枚だな!」

「サルマン様お墨付きのシュテイン金貨一枚!」


 しかし、酔っている者も、酔っていない者も、所詮は真夜中に酒を飲み暴れる男達だ。

 そう簡単に行くわけがない。


「はぁ……」


 ため息を吐き、話にならないとルフィアは酒場を出ようとした。


「おっとぉ、一度聞いたんだ。ちゃぁんと最後まで話を通して貰わなくちゃあ困るぜ」


 扉とルフィアの間に割り込み、赤ら顔の男。


 おそらくは、しょっちゅうこんな事をして金をふんだくっているのだろう。

 オルレニアがいないことで不安になっていたこともあり、ルフィアの顔にわずかに苛立ちが芽生える。


「金を払わねえなら、俺らとあそんでもらうぜ?」


 外套の内側に、金貨一枚くらいは用意がある。


 だがまともな情報が手に入るかわからない状態で、意味もなく金貨という大金を支払うわけがない。


 にたにたと笑う男に小さく愛想笑いを浮かべて、ルフィアは口を開いた。


「では、遊びましょうか」


 次の瞬間、ルフィアの手刀が男の首にめり込み、その体を吹き飛ばした。


 オルレニアとの手合わせでなんども練習した、最初の一撃。

 それを手刀で放ったのだ。


「店主さん、いいですか!」


 そして振り返り、おもしろいと笑う酒場の主が頷くことを確認すると、ルフィアは動いた。


「ははぁ――ッ!」


 一斉に酒場の荒くれ者たちが沸き上がり、ルフィアへ襲いかかる。


 右から突き出された拳をしゃがんでかわし、足払いから間髪入れずに、左から襲い来る男の腹に回し蹴りを入れる。


 体当たりを紙一重でいなして、背後の男と衝突させると、蹴りを放った男の軸足を払って転ばせて。


「おらぁ!!」


 投げられた椅子が見当はずれの場所に落ち、酔っ払いだな、と場違いなほど呆れた思考をする。

 恐らく全員、呑んだくれていだのだろう。全ての動作に於いて、キレがなく鈍重だ。


 背後からドタドタと足音を立てながら近付く男の脇腹を思い切り蹴り、正面から迫る男の腕を掴み、押し、体幹が崩れたところで床に引き倒す。


 まだまだ人数はいるが、この程度ならば、ヴァロータで戦った暗殺集団には遠く及ばない。


「……?」


 そうしてしばらく暴れていると、入り口の扉が開かれた。

 冷たい風が酒場に入り、全員の注目が入口へと向けられる。


「お……」


 そしてそこに立つ男を見て、ルフィアは固まった。


「……何をしている」


 同時に、その場を凍りつかせるような殺気。

 ルフィアに襲いかかっていた男達も、ルフィアも、思わず息を詰まらせて動きを止めた。


「お、オルレニアさん……」


 暗闇にいると、見えないほどの黒づくめ。


 長い外套を寒風に靡かせながら、オルレニアが立っていた。


「騒がしいと思って覗いてみれば、起きていたのか」


 とん、とん、と静かな足音を響かせながら、ルフィアへ近付くオルレニア。


「随分と暴れた様だが……」


 オルレニアを見て酔いが覚めたのか、唖然としながら動かない男たちを見回し、オルレニアは呆れたように首を振った。


「店主よ。連れが失礼をした」


 店主に有無を言わせず銀貨を三枚カウンターに置き、振り返る。


「迷惑ついでに一つ、話を聞きたい。この街の、錬金術師達の特区に入る方法を知っている者はいるか」


 男達がそれぞれ顔を見合わせ、ひそひそと囁き合う。


 突然現れたオルレニアへの不信感と、何やら錬金術師についてのことで言うべきか悩んでいるように見えた。


「情報を寄越せば、情報を寄越した者の酒代を全て支払ってやろう」


 そこに、オルレニアの一言。


 男たちは目を丸くして、一人、また一人と口を開き始めた。

 どうやら、馬鹿にならない程度には呑んでいたらしい。


「れ、錬金術師の知り合いがいるやつなら入れるって聞いたぜ……」

「サルマン様から許可が下りたらってのも聞いたことがある……」

「……あとは、忍び込むか?」


 酔っているからか、あるいは酒代のせいか、オルレニアを恐れてか。


 男たちは次々に口を開き、すぐに情報は集まった。

 金貨を要求されたルフィアに比べて、随分と安値で動いたものだ。


 ちらりとオルレニアの方を見ると、オルレニアもルフィアへと視線を向けて、わずかに口角を上げる。


 ルフィアが暴れたことを前提にした情報収集のようだった。


「助かった。諸君に礼を言うとしよう」


 じっくりと時間を置いて、オルレニアは笑った。


 なぜそれほど時間を待ったかと言うのは、周りを見ればわかる。


「さて、店主よ。我らは今起きている者たちから情報を聞いたな?」


 振り向き、椅子に座って肩を鳴らす店主が気だるそうに頷くのを確認。

 今、酒場で意識を保っているのはオルレニアとルフィア、店主ともう三人の男だけだ。


 オルレニアはそのまま銀貨を一枚置き、ルフィアを連れて酒場を出た。


 宿までの道、少し気まずい空気が流れる。


「お、オルレニアさん。どこへ、行ってたんですか?」

「ノーグ商会の支店へ挨拶に行っていた。昼間に訪ねるのは迷惑であろう故にな」

「あ……なるほど」

「捨てられたとでも思っていたのか?」


 オルレニアの言葉に、心臓が飛び上がるような感覚を覚える。


 夜闇の中でその黒い瞳は、何も映さない。

 だがオルレニアは、ルフィアの赤い目からその心情を読み取っていたようだった。


「昼間の事だが、一つ、謝罪しよう。貴様が『白の騎士』になり得る才覚を持つという事は、今貴様とこうして共にいる事に一因として関係している。

 だが、それは最初に貴様を救おうと思った理由であり、今現在貴様と旅を続けている理由とは関係はしておらぬ」


 ただの言い訳だがな、と一言添えて。


 ルフィアの納得のいく言い訳ではなかったが、それでも随分と気が軽くなる思いだった。

 オルレニアの言い訳は、嘘を吐くには不恰好なもので、だからこそ、打算的な思考は感じ取れない。


「不安に思わせて、すまなかった」


 ぽん、とルフィアの頭に大きな手が乗せられる。

 そして気付くのは、自分が弱気になっていたことだ。


 何もかもが今までと違うという環境に、意識しないところで不安があったのだろう。


「はい」


 珍しくバツの悪そうな顔をするオルレニアへ笑みを浮かべ、ルフィアはそう答えたのであった。





 ◎◎◎◎






 眩しい陽射しに照らされてきらきらと煌めく赤い屋根は、ヴァロータでも何度か見たものだ。

 しかしその周りの騒々しさはヴァロータとは比にならないほどの喧しさだった。


 なぜならばここは職人の街。


 ノーグ商会に訪れる者は、弟子を連れた暑苦しい職人たちだからだ。


 商談になにか問題があったのだろうか、時折怒号の飛び交う中を歩き、商会の来客用の窓口へ向かう。

 プラーミアの支店には、ロンバウトからルフィア達の手助けをするように連絡が入っている筈だ。


 窓口にいる女性に声をかけて、オルレニアは懐から一枚の紙を取り出し、それを渡す。

 なんらかの書状だったのだろうか、女性は焦った顔で立ち上がり、お待ちを、と一言言うと小走りで去って行った。


「これはこれは、昨夜ぶりですな」


 代わって現れたのは、齢にして五十は行っているだろう穏やかな顔つきの男だった。

 恐らくは、ここの支店長だろう。


「少々尋ねたい事が出来たのでな。立ち寄らせて貰った」

「左様でございますか。して、そちらのお二方はお連れ様で?」

「ああ」

「ありがとうございます。ではご案内致しますので、付いてきてください」


 案内された部屋は、元々商談用の部屋なのか。


 壁に寄せられた棚には秤や砂時計、分銅などが置いてあり、水瓶と杯だけが机の上に鎮座していた。


「何かお飲みになりますかな?」

「遠慮しておく。貴公は忙しい身であろう、すぐに話は終えるべきだ」

「わ、わたしも大丈夫です」


 これは手厳しい、と苦笑しながら、男は席に着いた。


「さて、先に挨拶をしておきますが、私の名はサイラス。以後お見知りおきを」

「あ、わたしは――と、先に聞いてますよね」

「ルフィア・エリンツィナさんと、ウラガーンさん。存じておりますよ」


 ロンバウトが情報の伝達を誤る訳がない。


 しっかりとこちらの事は事前に伝わっているのだ。


「……我らの用は一つ。錬金術師についての事だ」

「ほう。あの偏屈な者共にご用が?」

「余計な事は良い。聞くには、奴らと接触するためには伝手や許可が必要な様だが、ノーグ商会はそれに類する手段を持っているのか」


 冗談めかして言った言葉を断たれ、サイラスは好々とした笑顔から一転、真面目な老紳士へと変貌する。


 ルフィア達がノーグ商会に来たのは、彼らが錬金術師たちとの繋がりを持っているだろうと予測したからだ。


「ふむ。その件については、あまり大きな声で言うのは憚られますね……」

「我らが情報を漏らす事を懸念しているのであれば無用な心配だ。書状は見ただろう?」

「……具体的に言いますと、この情報については商会内の者にも伏せてほしくございます。本当に誓えますかな?」


 嘘を吐いている目ではない。

 静かな威圧感を受けながら、オルレニアは頷いた。


「まあ、誓うとは言ってもただの口約束ですが……私の気休めですな。では話すとしましょう」


 ほう、と肩の力を抜き、サイラスは杯に水を注いで飲み干した。


「私含め、この商会の中である程度の地位を持つ者は、月に一度、とある錬金術師と取引をしております。

 その者の名はユエン。若々しい見た目の、謎の多い男です」

「ノーグ商会の情報を以てして、謎の多い、と言わしめるか」

「はい。我々にとっての、悩みの種でもあります」


 思わず眉間に皺を寄せてしまうほどには、悩んでいるようだ。


 一支店の主として、聞かれた情報を確実に提供できないというのは、商会の沽券に関わると考えているのだろう。


「それ自体は構わん。その男と接触することは可能か?」

「ええ、呼べばすぐに来るでしょう。月に一度の取引ですが、日時は我々のほうから指定しておりますので」

「そうか、ならなるべく早く頼みたい」

「かしこまりました。では明日の早朝、訪ねてください。彼を呼んでおきましょう」


 即決即断とはまさにこの事だ。

 話を始めるまでの時間のほうが、長かっただろう。


 サイラスなりのもてなしのつもりだったのだろうが、オルレニアにことごとく断られていたせいで、どうにも無駄な時間を掛けた気がした。


 話が終わると、サイラスはルフィア達を出口まで案内すると、やや小走りで店の中へ消えていった。


「……そんなに忙しいなら、早く話を始めたらよかったのに」

「暇であったか?」

「ウラガーンがうずうずしていたので……」


 そういいながら隣で物珍しそうに周囲を見回すウラガーンを見下ろし、ルフィアは苦笑する。

 野生に生きる狼にとっては、話し合いというものはつまらないものの様だった。




  ◎◎◎◎




 翌日、早朝にノーグ商会を訪れると、サイラスはすでに門の傍に控えていた。


 そしてオルレニアと目が合うと、軽く会釈して、ゆっくりと歩き始めた。

 下手に言葉をかわして、情報が洩れることを恐れているのだろう。


 多くの人々と通りすがるが、誰もこちらに気を向ける余裕などないのか、見向きもしない。

 前日に会談した部屋を通り過ぎて、サイラスは奥へ奥へと突き進んでいく。


 徐々に人通りも少なくなり、時折見かけるのは眉間に皺を寄せて考え込む豪奢な服を着た大商人たち。

 空気感も冷たく、声を出すのが憚られる雰囲気に、ルフィアは思わず呼吸を浅くする。


 ついには石造りの壁に囲まれた、明かりの少ない廊下にたどり着き、ジグザクに進んだ先にある、ひとつの扉の前で、ようやくサイラスは立ち止まった。


「こちらに、彼はおります」

「……罠ではあるまいな」


 扉の先へ進むことを促すサイラスへ、オルレニアは問う。


「もし、罠であったならば、如何しますか」

「そうだな……まずは貴様に傭兵の恐ろしさを見せてやろう。石の壁が裂ける姿を見た事はあるか?」

「なるほど。これは笑えませんな」


 サイラスはおどけた様子で小さく首を振る。


 冗談だと思ったのか、恐れている様子はないが、ルフィアはオルレニアならば言葉通りのことをする可能性があると分かっている。


 罠を恐れる必要はないだろう。


 ドアノブに手をかけて、ゆっくりと押し開く。


 部屋に入った途端、妙な臭いがした。


 背後で扉が閉じると、その臭いはより一層強く臭う。


「ふむ……君らが、錬金術師に関わりたいという変わり者か」


 そしてその異臭の先には、黒いフードを目深にかぶった長身の男が待っていた。

 声は若い男のようだが、妙にくぐもっていて、違和感を覚える。


「貴様が、錬金術師か」

「そうだよ。奇人にして変人。思考回路の狂った、人の形をした化け物だね」


 大仰な動きをして、男はくくくと笑う。


形無かたなしのユエン」

「何?」

「僕の名さ。錬金術師の中では、そう呼ばれてる」


 そして男はそう名乗った。


 事前に聞いていた通りだが、本名ではなく、ただの二つ名なのだろう。

 錬金術師の流儀は知らないが、親に名を貰っているような者達とは思えない。


「珍しいね。君らは妙な顔をしない。特に女性は大抵、僕らの臭いを嗅いだ瞬間に汚物をみるような目をするものだがね」

「飲んだくれの傭兵達よりはマシな臭いです」

「可哀想に、錬金術師よりも臭いと言われる傭兵たちは、本当に可哀想だ」


 話に関連性が見えない。

 世話話のつもりなのか、それともこちらのなにかを探っているのか。


「そうだ。ここは地下室でね、石の壁に包まれていて、声は外へと届かないんだ。

 錬金術師と話すにはうってつけ。よく考えているよ、ノーグ商会は」

「世話話のつもりですか……?」

「いぃや?そちらの黒い人ならわかるかね」


 フードの下の眼が、オルレニアを見据える。


「ユエンよ。我らの要求は聞いているか」


 ユエンが次の言葉を紡ぐ前に、オルレニアがその間を潰した。


 手袋に包まれた手で考え込むように首を撫で、ユエンは顔をあげる。


「錬金術師の特区に入りたい、だったかな?」

「ああ。人を探していてな」

「人を探して、あの無法地帯に赴くのか。実に面白いね、その考えは錬金術師向きだ」


 再びくくくと笑い、ユエンは入り口付近にいるオルレニアとルフィアに、手招きした。


 ルフィアは警戒したが、オルレニアが歩みだしたのを見てそれについて行く。


「君らは歌が好きかね。僕らは好きだが、どうにも嫌いな人はいるらしい」

「歌……?」

「ああ、答えなくてもいいんだ。僕らの元にくればわかる」


 わずかに警戒しつつ近づくと、よくわからない質問を受ける。


 ルフィアが眉を顰め、オルレニアとユエンの目があった瞬間。


 ユエンがオルレニアの肩を掴み、思い切りその顔を寄せた。


「っ!」


 ルフィアが動こうとするが、それをオルレニアが制す。


 ばさりと、ユエンの纏うボロ布が舞った。


“アルテは、私の元だ”


 蛇が鳴くように、氷が笑うように、風の寝息のように。


 掠れた、囁き声で、ユエンはオルレニアにそう言った。


 オルレニアは表情を変えないが、逆にその反応が、驚きを抑えようとする反応となる。


「……いつ、来るかね」


 何事もなかったかのようにくぐもった声でユエンが問う。


「すぐに行こう。特区の門前で待つがいい」

「分かった、寒いから早く来てくれたまえよ」



 振り返らず、とんとん、と後ろ歩きでユエンは背後の扉から去って行った。

 その扉を眺めながら、オルレニアは小さくため息を吐く。


「やはり錬金術師とは相容れぬな。小癪な者共め」

「どういう、事ですか?」


 不機嫌そうに顔をしかめるオルレニアに、ためらいながらも口を開く。


「この部屋が防音であると知って尚、奴は盗聴を警戒したのだ。掠れた声は遠方に届かぬ故に」

「まさか、サイラスさんを警戒したんですか?」

「内容で言うならば、それほどの価値はある。崩れた色彩やつらならば、喉から手が出るほど欲しいだろう情報だ」


 ルフィアは、ふと振り返り、重厚な鉄の扉が閉じている事を確認する。

 サイラスの姿は、当然ながら見えない。


「ノーグ商会は、強大な商会だそうだな」

「はい。この北の地において、三本の指に入ります」

「全く恐ろしい事だな。気を抜けば記憶の隅から隅まで抜き取って来るだろう」


 はっ、と笑い、オルレニアは背後の扉へ向かった。


 今ひとつルフィアには理解が出来ないまま、ユエンとの邂逅は終わった。

 ただ、扉を開けた先に待っていたサイラスに、わずかでない警戒心を抱いてしまったのは、彼らが全面的に味方ではない、ということを心の底で理解してしまったからかもしれない。







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